利用者:Yoichi Azegami/下書き2
羽良多平吉
[編集]生誕 |
1947年9月28日(77歳) 日本 東京都 武蔵野市 |
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別名 | 波羅多 平吉、原田 平吉 |
出身校 | 東京芸術大学美術学部工芸科 |
受賞 |
通産大臣賞生産局長賞(1987年) 第23回造本装幀コンクール 審査委員会奨励賞(1988年) 講談社出版文化賞 ブックデザイン賞(1991年) 第36回造本装幀コンクール 日本印刷産業連合会会長賞(2002年) 第60回全国カレンダー展 日本印刷新聞社賞(2009年) 第18回佐藤敬之輔賞(2019年) |
羽良多 平吉(羽︀良多 𠮷、はらた へいきち、1947年〈昭和22年〉9月28日 - )は、日本のエディトリアルデザイナー、グラフィックデザイナーである。東京芸術大学美術学部工芸科卒業。東京都武蔵野市出身[1]。独特のタイポグラフィや補色・特色を使った、鮮やかにして繊細なデザインを実践している。
別名義として、波羅多 平吉、原田 平吉などがある。羽︀良多 𠮷など、複数の異体字を用いた表記も存在する。欧文表記には、heiQuiti Harata、HeiQuicci HARATAなど複数のパターンが見られる。
略歴
[編集]〜1970年代
[編集]1947年9月28日、東京都武蔵野市吉祥寺南町に生まれる[1]。1970年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業。
1970年代から、松岡正剛が主催する工作舎の雑誌『遊』、青林堂の漫画雑誌『ガロ』をはじめ、『ロッキング・オン』『地下演劇』『新宿プレイマップ』『HEAVEN』『QuickJapan』などのサブカルチャー系雑誌、白泉社などによるコミックスといった、幅広いエディトリアルデザイン・ブックデザインを手がける。
1975年(昭和50年)3月、個展「虹色科学展」(画廊駱駝館)開催。
1979年(昭和54年)3月、デザイン事務所「WXY(ダヴレクシィー)」設立。
1980年代
[編集]また、YMOのアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』『パブリック・プレッシャー』を初めとするレコードやCD、コンサートツアーパンフレット等の音楽関連のデザイン、生田萬と銀粉蝶が1981年に結成した劇団「ブリキの自発団」など演劇の宣伝美術などでも知られる。
1984年(昭和59年)、『SAGE』(三共社)で府川充男と協働して誌面設計。
1985年度より女子美術大学短期大学部非常勤講師に就任。2013年度まで女子美術短期大学造形学科デザインコース情報メディア系研究室専攻科講師を務めた。
1987年(昭和62年)、「第22回竹尾ペーパーショウ」ポスターで通産大臣賞、生産局長賞受賞。
1988年(昭和63年)、永井宏『マーキュリー・シティー』(東京書籍)の装丁で第23回造本装幀コンクール審査委員会奨励賞受賞。
1989年(平成元年)6月、デザイン事務所「EDiX(エディックス)」設立。
1990年代
[編集]1991年、稲垣足穂『一千一秒物語』(透土社、1990年)の装丁で講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。1995年、MacintoshによるDTPを開始。
2000年代〜
[編集]2000年代以降は、文遊社が刊行する文芸書[2]の装幀や、青土社の芸術総合誌『ユリイカ』の書容設計[3](2010年1月号~2021年6月号)などを手がけている。
2001年(平成13年)1月、羽良多平吉展2001+2「点国ドライヴ」(クリエイションギャラリーG8)開催[4]。
2002年(平成14年)、『機動戦士ガンダム 公式百科事典』(講談社、2001年)で第36回造本装幀コンクール日本印刷産業連合会会長賞。
2003年(平成15年)10月 - 、個展「然 NEN」(EPSON PiezoGraph Gallery KYOTO、しまだい本陣ギャラリー)開催。
2006年(平成18年)7月、個展「未来のイヴ」(iTohen)開催[5]。
2009年(平成21年)、ファッションブランド「HOLLYWOOD RANCH MARKET (ハリウッド ランチ マーケット)」のカレンダーで、第60回全国カレンダー展・日本印刷新聞社賞受賞。
2011年(平成23年)4月、雑誌『IDEA (アイデア) 』2011年5月号(346号)で総特集[1]。
2014年(平成26年)3月、女子美術大学短期大学部の非常勤講師を退職。
2019年(平成31年)3月、日本タイポグラフィ協会顕彰 第18回佐藤敬之輔賞受賞[7]。
2024年、それまでに執筆した文章を採録した単著『断章集 二角形 Digon: fragments』を出版。
略歴
[編集]- 1947年(昭和22年)9月28日、東京・吉祥寺に生まれる[1]。
- 1970年(昭和45年)3月、東京芸術大学美術学部工芸科卒業。
- 1975年(昭和50年)3月、個展「虹色科学展」(画廊駱駝館)開催。
- 1979年(昭和54年)3月、デザイン事務所「WXY(ダヴレクシィー)」設立。
- 1984年(昭和59年)、『SAGE』(三共社)で府川充男と協働して誌面設計。
- 1985年(昭和60年)4月、女子美術大学短期大学部非常勤講師に就任。
- 1987年(昭和62年)、「第22回竹尾ペーパーショウ」ポスターで通産大臣賞、生産局長賞受賞。
- 1988年(昭和63年)、永井宏『マーキュリー・シティー』(東京書籍)の装丁で第23回造本装幀コンクール審査委員会奨励賞受賞。
- 1989年(平成元年)6月、デザイン事務所「EDiX(エディックス)」設立。
- 1991年(平成3年)、稲垣足穂『一千一秒物語』(透土社、1990年)の装丁で講談社出版文化賞・ブックデザイン賞を受賞。
- 1995年(平成7年)、MacintoshによるDTPを開始。
- 2001年(平成13年)1月、羽良多平吉展2001+2「点国ドライヴ」(クリエイションギャラリーG8)開催[4]。
- 2002年(平成14年)、『機動戦士ガンダム 公式百科事典』(講談社、2001年)で第36回造本装幀コンクール日本印刷産業連合会会長賞。
- 2003年(平成15年)10月 - 、個展「然 NEN」(EPSON PiezoGraph Gallery KYOTO、しまだい本陣ギャラリー)開催。
- 2006年(平成18年)7月、個展「未来のイヴ」(iTohen)開催[5]。
- 2009年(平成21年)、ファッションブランド「HOLLYWOOD RANCH MARKET (ハリウッド ランチ マーケット)」のカレンダーで、第60回全国カレンダー展・日本印刷新聞社賞受賞。
- 2011年(平成23年)4月、雑誌『IDEA (アイデア) 』2011年5月号(346号)で総特集[1]。
- 2014年(平成26年)3月、女子美術大学短期大学部の非常勤講師を退職。
- 2015年(平成27年)、「えほんごラボ」設立[6]。
- 2019年(平成31年)3月、日本タイポグラフィ協会顕彰 第18回佐藤敬之輔賞受賞[7]。
インタビュー・特集など
[編集]- 「デジタル時代のデザインと文字」『dpi』10号、毎日コミュニケーションズ、1998年5月
- 「画素と補色と書容設計と」『イラストレーション』115号、玄光社、1999年1月
- 「自由なる結婚/フォントグラフィーと私」『武蔵野美術』113号、武蔵野美術大学出版部、1999年8月
- 「デジタルというしなやかさ」『情報デザインシリーズvol.5 情報社会とコミュニケーション』、角川書店、2000年3月
- 「一生でいちばん美しいデザイン」『BET』創刊準備号、2006年
- 「雑誌デザインの潮流を変えた10人」ピエブックス、2009年4月
- 「総特集 羽良多平吉 イエス・アイ・スィー」『IDEA (アイデア) 』2011年5月号(346号)、誠文堂新光社、2011年4月
- 「グラフィック文化を築いた13人 『IDEA』デザイナーインタビュー選集」誠文堂新光社、2014年2月
- 「特別講演 計画された偶然」『言葉のかたちとデザイン記録集』2号、女子美術大学、2014年4月
参考文献
[編集]- 「総特集 羽良多平吉 イエス・アイ・スィー」『IDEA (アイデア) 』2011年5月号(346号)、誠文堂新光社、2011年4月発行
- ^ a b c d e 羽良多平吉 イエス・アイ・スィー 『IDEA』2011年5月号(346号) 誠文堂新光社、2011年4月発行
- ^ 株式会社文遊社
- ^ “ジャンル別一覧:ユリイカ”. 青土社. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b Ltd, Recruit Holdings Co. “羽良多平吉展 2001+2 「点国ドライヴ」|展覧会・イベント”. リクルートの2つのギャラリー. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “羽良多平吉 個展「未来のイヴ 」”. itohen.info. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “えほんごラボ”. 2019年9月1日閲覧。
- ^ a b “NPO法人 日本タイポグラフィ協会|ニューストピックス”. typography.or.jp. 2019年9月1日閲覧。