利用者:Uttiee56/sandbox/宮崎奈穂子
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宮崎 奈穂子(みやざき なほこ) | |
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別名 | なほちゃん[1][2] |
生誕 | 1986年4月10日(38歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 | 慶應義塾大学文学部卒業 |
ジャンル | J-POP |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | キーボード、ギター |
活動期間 | 2006年 - |
レーベル |
シアーレーベル(2007年 - 2010年) Birthday Eve(2010年 - ) |
事務所 |
シアーミュージックエンタテインメント(2007年 - 2010年) Birthday Eve(2010年 - ) |
共同作業者 | 立石賢司、明石昌夫 |
公式サイト |
宮崎奈穂子Official Blog「路上から武道館への道」 Birthday EveのArtistsページ |
宮崎 奈穂子(みやざき なほこ、1986年4月10日 -)は、日本の女性シンガーソングライター。東京都出身[3]。慶應義塾大学文学部在学中の2007年に『優しい青』でCDデビュー[4]。路上ライブを週5日以上行い、約4年間で計80,000枚のCDを手売りしたとされる[5][3][6]。2010年に仲間と立ち上げた音楽事務所Birthday Eveで、「1年間でサポーター15,000人を集めたら、日本武道館で単独公演を行う」という目標を立て、356日目で達成[3][7]。2012年11月2日に日本武道館での単独公演を行い、約6,000人の観客に13曲を披露した[8]。2012年12月より、希望者のために1年間で365曲を作る「歌・こよみ365」という目標に挑戦している[4]。代表作に、自身の道のりを綴った曲『路上から武道館へ』がある[3]。ローソンのパスタブランドのテーマソングや、テレビ東京系「開運!なんでも鑑定団」のエンディングテーマなどを手がけた[4]。
「宮崎 菜穂子」は誤記。
来歴
[編集]夢のスタート
[編集]物心ついた頃から、テレビの向こう側の世界の歌手に憧れていた[4][3]。 しかし、思春期に入ると容姿に劣等感を抱え、学校では人気者の同級生を羨ましく見ている、どちらかといえば目立たない存在だった[4][9]。 「笑われるのが怖くて歌手になる夢なんて口にできなかった」[4]という。
大学に入ってからも歌手への憧れは変わらず、大学1年の終わりに「このまま就職活動を始めたら一生後悔する。可能性を試しきってみよう。」と決意する[4][10]。 デモテープを延べ40社以上に送ったが反応はなかった[4]。 ボーカルスクールに通いながら、作曲家がコンペに提出する曲に仮歌[11]を吹き込む仕事をmixiのコミュニティで探して次々と応募した[4][12]。 デモ音源がビクターのディレクターの目に止まり、秋山奈々専属で仮歌とコーラスを担当する歌手に起用された[12]。
ボーカルスクールのレッスン費の減額を受けるために宮崎が提出していたデモテープが、ボーカルスクール併設のレーベルであるシアーレーベルの担当者の目に止まったことから、大学3年生になった2007年に同レーベルからCDを出すことが決まった[4][13][14]。 CD発売を数カ月後に控えた大学3年生の夏、初めての路上ライブを渋谷駅前で行った。友達に借りたキーボードを抱えて、混雑するハチ公前を避け、西口の歩道橋前に立った。最初はなかなか声を出せず、やっと歌い始めても誰も立ち止まってくれなかった。通り過ぎる人々の視線が冷たく感じられ、2曲目を歌い終えたら諦めて帰ることにした。楽器を片付け始めると、スーツ姿の男性が「いい歌でしたね」と声を掛けてきた。宮崎によると、このひと言があったから、路上ライブを続けることができたという[4]。
その年の10月5日、1stシングル『優しい青』を発売した。3ヶ月で1500枚を販売する目標のもと、路上ライブを本格的に開始した[4][15]。 台風や大雨の日以外はほぼ毎日、夕方の5時から8時くらいまで路上に立った[16]。寒さの厳しい日は、キーボードを弾く手が真っ赤になった[4]。 1stシングルの目標は72日目で達成し[17]、歌手としてやっていけるかもしれないという希望が見えたという[18]。
その矢先、宮崎はスランプに陥ったという。翌年2008年の3月に2ndシングルを発売し、3ヶ月で3,000枚を販売する目標で路上ライブを始めたが、なかなか人が立ち止まってくれず、CDも売れなくなった[18]。 「あなたの歌からは何も伝わらないね」と厳しい言葉をかけられ、泣きながら帰る日もあった[4]。 泣くと翌日の路上ライブでは声が出なくなり、また失敗する悪循環が続いた[4][19]。 それでも「顔が特別きれいなわけじゃない。ほかのアーティストに比べて、才能もない。何もないから、動くしかない。」という思いで、毎日路上に立って歌い続けた。すると「俺も昔は夢を追いかけていたんだ」「就職活動がうまくいかないけど、頑張ろうと思った」などと声をかけてくれる人が現れた[4]。 私の夢を支えてくれているのは、路上で出会った人たち。そのことに気付いたときから、宮崎はスランプを脱出できたという[20]。
会社員が職場に毎日出勤するように、宮崎は路上に毎日「出勤」するようになった。宮崎の路上ライブは、キーボードの弾き語りである。場所決めからセッティングまで、スタッフを伴わずに一人で行う。自分の背丈ほどあるキーボードを背負い、アンプや販売用のCDなどの機材を積み上げたカートを一人で押して、電車に乗って移動する[3][5][21]。 これらの荷物の総重量は50kgに達するという[22]。
武道館サポーター15,000人への挑戦
[編集]デビューから2年半、大学卒業から1年が経った、2010年の春。宮崎は、シアーレーベルで一緒に活動してきたプロデューサーやアーティストらと共に、新しい音楽事務所Birthday Eveの設立メンバーに名を連ねた[23]。同年5月、Birthday Eveの仲間が、「1年間の路上ライブでサポーター15,000人を集めたら、武道館で単独公演を行う」という目標への挑戦を始めた[24]。 サポーター1人あたり3150円の会費を集め、それを武道館公演に向けた活動資金に充てるという企画である[4]。 宮崎は「〔自分には〕できるはずがない」と思い、すぐにはこの目標に挑戦しなかった。だが、このチャンスを逃したら、一生武道館のステージに立つことはできないかもしれない。それどころか、このまま夢を追いかけ続けても、いつまで音楽活動を続けていけるかわからない。結果はどうなろうと、与えられたチャンスは、とにかく掴む努力をするべきではないか。路上ライブを続ける中で、このように心境が変化してきたという[25]。
同年7月より、宮崎はこの目標への挑戦を始めた[4]。 まずは自分のことを知ってもらえるよう、毎朝どこかの駅前で通勤客に手書きのチラシを配った[4][26]。 路上ライブは、池袋や渋谷を中心に、夏も冬も、雨の日も、気温が0度の日も、ほぼ毎日行い、許される限り毎夜、終電まで続けた[26]。 長い時には午前中から深夜まで、一日12時間近く歌った日もあった[4][27]。 夜行バスで地方にも遠征した[3]。 自分のオリジナル曲はもちろん、有名アーティストの曲のカバーや、スタンダードな合唱曲のカバーまで、幅広く歌った[28][29]。
ある日、宮崎は品川での路上ライブで、ローソンで販売促進を担当している男性と出会った。 当時ローソンでは、店内放送で流す曲のリクエストをツイッターで受け付ける『ツイリク』というサービスを行なっていた。偶然にも、宮崎がこの男性と出会う日の前日に、あるファンが『ツイリク』で宮崎の曲『ぴっかぴか』をリクエストしていた。そしてそのツイートを見た他のファンが、宮崎の曲を、毎日毎日、次々とリクエストし続けるということが起こっていたという。 宮崎の曲が『ツイリク』で初めて店内放送されたときは、早朝にもかかわらず多くのファンがローソンの店舗に行って放送を聞き、ツイッターで喜びを分かち合った。宮崎によれば、反響の大きさを知ったローソンでは、『ツイリク』での放送期間終了後も、メジャーアーティストの楽曲を放送する枠で宮崎の楽曲を放送し続けた上、ローソン店内で働くローソンクルーからもリクエストが寄せられ、ローソンクルーからのリクエスト専用の放送枠でも宮崎の楽曲が放送されたという。 翌年2011年の3月、宮崎は、「ローソンのパスタブランドのブランドソングを作ってほしい」という依頼を受け、タイアップ曲『ひげおじさんのパスタに会いに行こう』を制作した。プロモーションビデオも制作し、ローソンの店内で流されたほか、ローソンのHPにも掲載された。 宮崎によれば、これら一連のローソンでのヘヴィー・ローテーションをきっかけに、宮崎の活動に興味を持つ人が増え、武道館サポーターも急増したという[30][31]。
武道館への挑戦を始めてから356日目にあたる2011年7月1日、目標の15,000人を達成した[32]。
路上から武道館へ
[編集]2011年12月1日、武道館公演のチケットの発売を開始したが、チケットは売れなかった[4][33]。 すぐに売れたのは15,000人のうちの1割にも満たず、武道館公演までの約1年間、今度はチケットを売るために、宮崎は路上に立ち続けた[34]。
同年12月14日、7thシングル『ねぇ…/恋のCHAPTER A to Z』の発売に際して、宮崎は50日間で5,000枚を手売りする目標を設定した。路上に出ると、CDを買ってくれる客に、「もし、よろしければ、もう一枚買っていただいて、どなたかに宮崎奈穂子のことを伝えていただけませんか?」と頼み込んだ。客の中には、一人で10枚買う者や、1枚でいいよと言いながらも「渡す人を思いついた」と言ってもう1枚買ってくれる者などもいたという。しかし、目標には300枚以上足らずに、期限の50日目を迎えた[35]。
武道館サポーターズ達成後の最初の挑戦に挫折し、「こんなにたくさんの方のお力をいただいたのに、達成できなかった。こんな自分が武道館になんて立てるわけがない。」という宮崎に、プロデューサーは「だったら、そういう気持ちを歌にすればいいんじゃない?」と声をかけた。 宮崎は、毎日泣きながら、自分の気持ちを紙に書き出していったという[36][37]。
「彼女は武道館で歌う器じゃない」「〔メジャーデビューすらしていないのに〕順番が逆」という周囲の声も聞こえてきた[4]。 プロデューサーに「私は、本当に武道館の舞台に立ってもいいのでしょうか? 私は本当に普通の子で、歌もうまくないし、名曲をもっているわけでもないし、武道館をいっぱいにする自信もありません。それに、歌で伝えられるメッセージももっていません。」「私にできることは、路上でがんばっているところを見てもらうぐらいしかありません」[38]と打ち明けた。 プロデューサーは「それでいいじゃないか。普通の女の子が、夢に向かってがむしゃらにがんばっている。その姿そのものが、メッセージを伝えることになるのではないか。」[39]と答えた。
この言葉と、自分の気持ちを真っ直ぐに綴った曲『路上から武道館へ』ができたことで、迷いが吹っ切れた[40]。 過去に名刺交換をした人に連絡を取り、企業などを訪問してミニライブを行ってチケットを販売する活動も、新たに始めた[41]。ある企業の社長は、「100人集めるのは簡単だけど、ファンになってもらわないと意味がないから」と言って、社内でCDを流した上に、宮崎に講演の機会を与えた[42]。ある生命保険会社の朝礼では、100人ほどの社員の前で『路上から武道館へ』を歌い、何人もの社員が涙を流して聴いてくれたという[43]。 2012年8月、アリーナ席のチケットを完売した[44]。
2012年11月2日。18時より、小林奈々絵のパーソナリティによる特別番組『路上から武道館へ』がTOKYO FMにて放送された。 19時、武道館公演の開演を迎えた[45]。路上を模したステージには、ポストや自動販売機、看板などが設置されていた[8]。宮崎は、いつもの路上ライブと同じように、背丈ほどあるキーボードを背負い、アンプやCDなどを積み上げたカートを押しながらステージに登壇した[8]。 ステージに設置された自動販売機でミネラルウォーターを買い、一口飲んでから、約6,000人の観客に、「やっと私の人生最大の夢がかないました。皆さんのおかげです」と挨拶をした[46]。 続いて、最初の曲『路上から武道館へ』をキーボードの弾き語りで演奏した[46]。 ステージからは、一番後ろのスタンド席まで、観客一人一人の顔がすべて見えた[4]。様々な思い出がよみがえり、涙をこらえた[4]。 サポートバンドが入った2曲目からは笑顔を見せ、就職活動や夢などがテーマの計13曲を歌唱した[46][8]。 アンコールを歌い切り、「私の人生最大の夢が今かないました。また新しい目標に向かって歩き出します。」[8]「明日からまた私の原点である路上ライヴをします。明日、新宿・アルタ前。15:00から歌わせていただきます。みなさん、1人1人にお礼を言いたいので、よろしければぜひおこしください」[45]と締めた。総立ちの客席からは「ありがとう」「おめでとう」の掛け声が上がった。[8]。
歌・こよみ365
[編集]ステージで告知した通り、翌日11月3日から、宮崎は再び路上に立って歌った[4][46]。 11月5日、日本テレビ系の情報番組『スッキリ!!』にて、普段の路上ライブの様子や、武道館公演の舞台裏を収めたドキュメンタリーが放送された[47]。宮崎本人も生出演し、『路上から武道館へ』の弾き語りを披露した[47]。
12月24日、宮崎は新しい目標「歌・こよみ365」を発表した[48]。武道館までの夢を支えてくれた人たちへの恩返しとして、有名無名・職業性別・個人団体を問わず、365組の人たちの人生のドラマを、1年間で365曲の歌にして、広めていくという挑戦である[48]。その第1弾として、国民栄誉賞を受賞した女子レスリング選手の吉田沙保里に贈る歌『Passion Mission Action〜SAORIのように〜』を発表した[48]。 12月28日、坂崎幸之助(THE ALFEE)のパーソナリティによる特別番組『夢は叶う』がTOKYO FMにて放送された。
翌年2013年3月16日、宮崎はNHKラジオ第1の番組『シゲゴリのwktkラヂオ学園』に出演する[49]。 番組に出演していたリスナーの話に感銘を受けた宮崎は、リスナーに贈る歌『がんばる勇気』を急遽作成し、後日に番組でも放送された[50][51]。
評価
[編集]宮崎の声質について、ローソンHMVの松田純子は、宮崎の声質を「連日のライヴで深みを増したハイトーンの歌声」[52]と説明している。 また、フリーライターの古知屋ジュンは、「癒し系のとてもきれいな声」「居心地のいい歌声」と説明している[28]。
宮崎の楽曲について、前出の松田は「柔らかな雰囲気をまといつつも、恋に仕事に生き方に、悩んで揺れ動く感情をリアルにつづった曲」[52]と説明している。 また、ORICON STYLEの若松正子は、「誰もが感じる悲しみや寂しさや悩みを代弁してくれる、本当にリアルでまっすぐなメッセージが詰まっています」とコメントしている[53]。
一方、宮崎自身の自己評価は、自分は特別美人でもなく、イベントなどではスタッフに間違われるほどオーラがなく、ファンの人には声が綺麗で癒されると言われるものの歌手としては特別歌が上手いというわけでもなく、「美人で、華があって、歌がうまい」という一般的な歌手のイメージとは違う、いたって普通の女の子というものである[54]。しかしそれ故に劣等感を補う努力ができたとも述べている[55]。
宮崎の活動に対しては、朝日新聞記者の中村真理は、「こんなに大変なのに笑顔でキラキラしている。頑張っているのを見ると自分もがんばらないとって思う。」「自分は夢がかなわず、やりたいことがわからなくなった。彼女は夢を目指し続けていてすごい。よく実現したなと共感した。」という一般男性の意見を紹介している[3]。 また、前出の古知屋は、「不景気の影響からか人もなんだか小さくまとまりがちな昨今、彼女の姿に共感したり、励まされる人が多いのかもしれない」と述べている[28]。
無名に近い路上シンガーが武道館公演を実現したことに対しては、前出の中村が、「路上での苦労や努力を今の自分と重ね合わせてしまう。同世代の人が頑張って夢をかなえている姿に勇気をもらった。」という一般男性の意見を紹介している[8]。 一方で、朝日新聞記者の近藤康太郎は、路上シンガーが武道館を目指すこと自体には何の異論もないとした上で、「ライブハウスで公演し、評判を呼んで手狭になり、少しずつ大きなハコを埋めることができるようになり、1000人規模のホール公演も連日即完。いよいよってことで立つステージが、武道館なんじゃないの? ライブ・アット・Budokanは、『する』ものじゃない。できるように『なる』ものなんじゃないのか?」と述べ、サポーターを集めて武道館公演を実現したというニュースに違和感を感じたという[56]。
ディスコグラフィー
[編集]本項目には(宮崎 2012b, pp. 147–150)およびBirthday Eve公式サイトのプロフィールのディスコグラフィーに収録されているタイトルを収録している。
1st-5thシングルはシアーレーベル(SHEER MUSIC)より発売。それ以外のタイトルはBirthday Eveより発売。
シングル
[編集]1st | |
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2nd | |
3rd | |
4th | |
5th | |
6th | |
7th | |
8th |
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9th | 2012年6月13日発売 『就職戦線異常あり〜夢と希望と現実と〜』
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10th | 2012年12月25日発売 『Passion Mission Action〜SAORIのように〜』[63] |
11th | 2012年12月26日発売 『世界一大きな絵』 |
12th | 2013年1月20日発売 『すべては未来のために』 |
13th | 2013年1月20日発売 『Dream Rush』 |
アルバム
[編集]1st | 2010年5月16日発売 『あなたにいいことありますように…』
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2nd | 2010年7月11日発売 『Acoustic 1』
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3rd | 2011年5月29日発売 『Acoustic 2 〜Love songs〜』
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4th |
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5th |
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6th |
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7th |
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8th |
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9th |
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ミニアルバム
[編集]1st |
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映像作品
[編集]ライブビデオ | |
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CD未収録のタイアップ曲
[編集]曲名 | タイアップ先 | 時期 |
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とまとのうた | ローソンパスタブランド「パスタ屋」トマトまつり | 2012年6月 |
服も思い出も人生も | 白洋舍イメージソング[77] | 2012年9月 - |
出演
[編集]ラジオ
[編集]書籍
[編集]- 宮崎奈穂子『路上から武道館へ』中経出版、2012a。ISBN 9784806145417。
- 宮崎奈穂子『路上シンガー宮崎奈穂子 武道館公演への軌跡 〜Birthday Eve〜』梓書院、2012b。ISBN 9784870354715。
- 宮崎奈穂子『拝啓 路上ミュージシャンの宮崎奈穂子です』扶桑社、2013年。ISBN 9784594068356。
脚注
[編集]- ^ 宮崎 2012a, p. 63.
- ^ 宮崎 2012a, p. 69.
- ^ a b c d e f g h 中村 2012a.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 伊東 2012.
- ^ a b スポーツニッポン 2012a.
- ^ (今枝 2013)では、路上ライブの回数を年間300日以上と説明している
- ^ 宮崎 2012b, p. 100.
- ^ a b c d e f g 中村 2012b.
- ^ 宮崎 2012a, pp. 81–84.
- ^ 宮崎 2012a, p. 28.
- ^ 正式な歌詞がついていない曲につける仮の歌のこと。デモテープの項目も参照。
- ^ a b 宮崎 2012b, p. 87.
- ^ 宮崎 2012a, p. 36.
- ^ 宮崎 2012b, p. 89.
- ^ 宮崎 2012b, p. 20.
- ^ 宮崎 2012b, p. 26.
- ^ 宮崎 2012b, p. 28.
- ^ a b 宮崎 2012a, p. 92.
- ^ 宮崎 2012a, pp. 93–94.
- ^ 宮崎 2012a, p. 97.
- ^ 小野 2012.
- ^ (伊東 2012)(スポーツニッポン 2012a)(小野 2012)では50kgと説明している。一方、(中村 2012a)では30kgと説明している。
- ^ 宮崎 2012b, pp. 98–100.
- ^ 宮崎 2012a, p. 2.
- ^ 宮崎 2012a, pp. 3–4.
- ^ a b 宮崎 2012a, p. 4.
- ^ 宮崎 2012a, p. 67.
- ^ a b c 古知屋 2012.
- ^ 宮崎 2012a, p. 68.
- ^ a b “ショート生パスタ|パスタ屋|商品・おトク情報|ローソン”. ローソン. 2013年6月1日閲覧。
- ^ 宮崎 2012a, p. 120-123.
- ^ 宮崎 2012b, p. 120.
- ^ 宮崎 2012b, p. 122.
- ^ 宮崎 2012a, p. 114.
- ^ 宮崎 2012b, p. 124-125.
- ^ 宮崎 2012a, p. 105.
- ^ 宮崎 2012b, p. 125-126.
- ^ 宮崎 2012a, p. 133.
- ^ 宮崎 2012a, p. 134.
- ^ 宮崎 2012a, pp. 104–105, 134.
- ^ 宮崎 2012a, pp. 114–115.
- ^ 宮崎 2012a, p. 116.
- ^ 宮崎 2012a, p. 173.
- ^ 宮崎 2012b, p. 137.
- ^ a b Hiroko Yamamoto. “11/2日本武道館ライブレポート”. Special Interview 宮崎奈穂子. teena. 2013年6月11日閲覧。
- ^ a b c d スポーツニッポン 2012b.
- ^ a b “2012年 11月5日 月曜日放送 - スッキリエンタメ 略して スッタメ 独占取材!路上から武道館へ・・・ 注目アーティスト宮崎奈穂子TV初生出演&生演奏”. スッキリ!!. 日本テレビ. 2013年6月15日閲覧。
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- ^ a b “NHKラジオ | wktkラヂオ学園 アーカイブ” (2013年4月6日). 2013年6月2日閲覧。
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- ^ “ひげおじさんのパスタに会いに行こう (Lh) : 宮崎奈穂子 | HMV ONLINE - BEPR027”. 2013年6月8日閲覧。
- ^ 実際には5thアルバム収録のロングバージョン「路上から武道館へ2」であるが、パッケージでの表記は「路上から武道館へ」となっている。
- ^ “宮崎奈穂子応援ページ”. 白洋舎. 2013年6月1日閲覧。
参考文献
[編集]- 伊東治子 (2012年12月31日). “<にんげん発電力 足元から> 夢追う姿 応援歌”. 東京新聞朝刊 (中日新聞東京本社): p. 16-17
- 今枝厚真「宝島カルチャーマンスリー『奇跡の武道館公演から始まった、宮崎奈穂子からみんなへの恩返し』」『宝島』、宝島社、2013年3月、137頁。
- 小野麻衣子「路上から武道館へ行く噂のシンガー・宮崎奈穂子の直前路上ライブを直撃」『日刊SPA!』、扶桑社、2012年11月2日、2013年6月8日閲覧。
- 古知屋ジュン (2012年6月23日). “路上→いきなり武道館へ! 宮崎奈穂子さんって一体どんな人?”. Excite Bit コネタ (エキサイト) 2013年6月2日閲覧。
- “路上シンガー宮崎奈穂子 手売り8万枚で武道館へ”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 18. (2012年10月5日) 2013年6月2日閲覧。
- “路上から武道館!!宮崎奈穂子“夢舞台”で単独公演開催”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2012年11月3日) 2013年6月2日閲覧。
- 中村真理 (2012年10月27日). “夢に歌えば CD8万枚手売り 路上から武道館かなえた”. 朝日新聞東京版夕刊 (朝日新聞社): p. 1 2013年6月1日閲覧。
- 中村真理 (2012年11月3日). “路上ライブ原点 宮崎奈穂子さん 武道館で夢の舞台”. 朝日新聞東京版 (朝日新聞社): p. 37 2013年6月1日閲覧。
関連項目
[編集]- 立石賢司:Birthday Eveのプロデューサー。
- 明石昌夫:宮崎の楽曲制作にアレンジメントで参加。ビーイング系シンガーを多数手がけてきた。
- さとなか唯:Birthday Eveの先輩アーティスト。
- Kado jun:Birthday Eveの先輩アーティスト。
外部リンク
[編集]公式サイト
[編集]楽曲の公式プロモーションビデオ
[編集]