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利用者:Uryah/2014年12月28日

2014年年末に、気になった2点。

まずひとつ。

「若者」「若者らしい」「若者らしさ」「若者像」というと、2014年のこれまでで最年少のノーベル平和賞受賞者、2014年の香港の若者たち(※1)、レ・ミゼラブル(2012年の映画)の若者たち、明治維新の獅子たち、つまり、世の中が悪いから立ち上がる、大人たちが情けないから立ち上がるというものだ。古今東西、「時代を変えていく」(という)のが、「若者たち」の「姿像」だ。ところが2013、2014年くらいからか、近年ときどき聞くようになった気になる言辞に、世の中が悪いから悪くなる、大人たちがしてくれないから悪くなる、という言い方がある(※2)。幼児や児童がそうだというなら、その通りだろう。全部大人が悪い。でも、「若者」が言うなら、先に挙げた「若者たち」と真逆のものを感じる。この、悪いことは全部他人のせいもしくは他人任せ、自分は誰かが解決してくれるのを待つだけ、困ったことは周囲がみんな(自分に)都合よく解決してくれなくちゃ、ということを求めるこの現象・気風は、いつ頃、いったい何が原因で、どこから生まれてきているんだろう?

もうひとつ。

古今東西、誰かに学がつくことを怖れる・誰かが賢くなることを嫌がるのが、その時代その地域・その時その場の「抑圧者」だ。だから、偏見や差別や固定観念に囚われずにその時代その地域の「抑圧者」が誰なのかを知ろうと思ったときには、誰かに学がつくことを怖れている・誰かが賢くなるのを嫌がっている人は誰なのかを探して世の中を見渡してみればいい。見当たったその人(その属性の人々)が、その時代その地域の「抑圧者」「搾取者」だ。で、いま見渡してみると、今のこの国の「抑圧者」「搾取者」は、意外な属性の人たちではないか…?気になる。公式にしたがって見渡した結果を信じていいのか?


※1 座り込みに参加している若者たちの顔はきらきら輝いていた。日常生活が邪魔され不機嫌そうな顔で苛立つ現実的な大人が出現するのに対して、若者がなだめながら抵抗(主張)している姿は、印象的だった(「今」の現実の生活を重視する年配者vs将来の現実を視野に入れた若者)。

※2 個別の親子の間の相克といった場面でではなく、政治経済社会の現象やトレンドを論ずる場で論者がそう主張することがあるのを耳にするようになったことが、気になる。たぶん、3年前には耳にしなかったような気がする。

Uryah会話) 2014年12月27日 (土) 20:36 (UTC)