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利用者:Uryah/2009年7月に思うところ

1960年代生まれの一日本人が思う、2009年の日本

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2009年7月17日 フジテレビ とくダネ!で、“いまどきの大学生の食事に関する不思議な感覚”を特集したそうです。いまの大学生は、友達の視線の前では皆と一緒に居なければというプレッシャーを感じて、1人で居るのを他人に見られたくないからという理由で、「トイレの個室で食事をすることがある」「ご飯を抜くことがある」のだそうです。

「トイレの個室で食事をする」という話にまずギョッとして、次いで「なぜなら1人で食事をしているところを友達に見られたら何と思われるかわからないから」という理由を聞いて、理解の範囲を超えている、受け入れたことのないものを目に耳にしたときに起こる頭が止まった状態になって、字面として言っていることが飲み込めていくうちに戦慄が走る、という心境になった。

自分が寂しく感じるから友達を探すというのなら、その気持ちは完全にわかる。でも「“1人で居る自分”を見る他人の視線が気になって(他人がどう思うかが不安になって)」1人ではご飯を食べられない、その食事は抜けるなら抜く、抜けないならトイレの個室で(!)食べるという感覚は、まったく理解出来ない。

もしかして、「食事」だけではなくて、ほかの生活行動(全般)に渡って、彼らの間ではそういう精神が働いているのだろうか。「大学生」というのはいちばん「自分の時間」を持てる存在で、ときに仲間と騒ぎ、ときに1人世の中のよしなしごとについて想いを馳せる、そこを自由に行き来出来る、人生でいちばん解放された時期・存在なのだと思っていた。でも今は違うらしい。このときに次ぐ衝撃を受けた。

1930年代生まれの自分の親の学生時代の話を聞いて、20年前自分が学生だった頃を思い出して、2009年7月17日のこのテレビ番組の話を聞いて、その範囲では、時代の流れと時代の精神は「昔 → 今」と「自由で、開放的・解放的・自立的な精神 → 不自由で、周囲で互いに依存・束縛・牽制し合う精神(もしかして、赤の他人をも?)」が比例して遷移しているように見える(ジェネレーションギャップ視線恐怖症)。

正直なところ、日本がこんな風になるなんて、20年前は想像も出来なかった。日本はどんどんよくなる、と思っていた。自分は、解放されればすべてうまくいく、節度や“べき”や(何かの)制止は悪だと考えた(←たぶん)戦後民主主義にどっぷり浸かって育った世代だ。あの頃は、その方向でみんなが前向きになってうまくいく、と思われていた。発想が間違っていたからなのか、何者かによって試みが挫折してしまったからなのかはわからないけれど、うまくはいかなかったわけだ。特定の大学の学風、なのなら救われるのだけど。

Uryah 2009年7月17日 (金) 12:11 (UTC)、2010年3月22日 (月) 07:52 (UTC)

今の若者は、そうまで人にどう思われるかを気にして生きているのだろうか。逆にいえば、自分と直接関係のない事柄に関しても、他人のことをいろいろ気にして生活しているのだろうか。

でも、あるいはもしかしたら、大学生がもっとコスモポリタンだった明治維新以降太平洋戦争に負けるまでの時代と、戦後の混乱期・カオス期の大学生は別の尺度を持っていたかもしれないのでその彼らをひとまず除いて考えてみると、他人のことをいちいち気にし合う習性(?)は、そこに「正しい」価値基準が在れば、みんなで治安のよい社会を形成する、皆で(精神衛生上)「よい」社会を形作っていくことに繋がるわけだろうから、問題なのは、いま日本には「正しい」「よい」価値基準・尺度が無くなっている、その共有が失われた状態になっている、ということ、になるのだろうか。

Uryah 2009年7月17日 (金) 12:11 (UTC)


8月に思ったところ

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いま、世の中に、気に入らない(言)説をすべて、あるいは(自身(のもの)とは)異なる(言)説をすべて、 “個人の主張” にして落ち着けようとする思考・志向、“なんでもかんでも相対主義にしてしまおうとする”思考・志向があることに気づいた。 “世の中に存する「~という把握」「~という理解」「~という認識」” というように、“把握・理解・認識の存在という事実” として受け入れることが出来ず、そう認識することが受け入れられなくて、受け入れられないものを(?)すべて “誰か個人の主張” ということに「してしまいたい」衝動が在ることに気づいた。()。(ちゃんと修正された)。

1980年代までは?)前向きに伸びていくと思われた個人主義は、その後あるタイプの人達には互いに自由・互いに尊重し合う精神と結びつかずに、自身に気分のいいもの以外は認めない精神と結びついて受けとめられたのか。
1980年代の(までの?)個人主義(への志向)は因習やしがらみから脱して個人を尊重したい、互いに個人の尊厳を認め合っていきたいという発想・衝動だったが、2000年代に入ってわかったことは、個人主義は、バラバラになった個人のレベルで、再び 異なるものは認めたくない・矮小化したいという衝動と結び付いて、自身が(前に)伸びていく際に「使用」されるのではなく、他・異を否定したいときに「使用」される “なんでも相対主義” になってしまった。のか。そういう色彩が強くなった。のか。
または、道理について論じ合うときに個人の自由・尊厳をまず前提に置いて述べる、それも自身の自由・尊厳を個人の自由・尊厳に置き換えて述べる(まるで義理人情を語って「私をかまって」と説くパターンみたいだ)、という具合に「使用」される “なんでも相対主義” になってしまった。のか。そういう色彩が強くなった。のか。

Uryah 2009年8月18日 (火) 09:52 (UTC)、2010年3月22日 (月) 07:52 (UTC)

(参)2009年7月12日朝日新聞 オピニオン 耕論 「上から目線」で何が悪い

そういえば、「性善説・性悪説(現代の誤用としての)」が話題になったのは、インターネットでぱっと探した範囲では、2005年前後くらいから以降か(1)。「悪化が良貨を駆逐する(2)」なんて言葉が話題になったのも。
Uryah 2009年10月11日 (日) 07:55 (UTC) - Uryah 2009年10月12日 (月) 06:58 (UTC)