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利用者:Tatsueins60/sandbox

御岳行者皇居侵入事件(おんたけぎょうしゃこうきょしんにゅうじけん)とは,1882年(明治5年)2月18日東京都千代田区で発生した,御嶽講(木曽御嶽山信仰)の行者等の一団が,天皇に肉食禁止をはじめとする意見の具申を目的として,皇居に入ろうとした事件である。

事件の発端

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殺生を禁じる大乗仏教と、死・産を穢れとする神道の影響で、日本では肉食は宗教的に禁忌とされ、皇室などの上流階級ではその傾向が特に強かった[1]。しかし、文明開化の波が押し寄せる中、1881年12月に宮中で肉食禁止令が解かれ、肉食が再び許されるようになった[1]

御嶽講の行者であった熊沢利兵衛は、尾州内海東端村の角佐兵衛の船「久宝丸」の水主頭を務めていた。先達の嘉七、常吉を含む一行は、塩を積み、1881年9月に讃岐を出港して神奈川や品川などで交易を行った。一行のうち、利兵衛と嘉七以外の者も熱心な御嶽講の信者であった[2]

翌年の正月、伊豆国網代 (熱海市)港で風待ちをして停泊していた際、利兵衛や先達嘉七、山口幸七、小伝次らは、「夷人(外国人)の来訪以来、日本人が肉食に偏り、神々の住まいがなくなってしまった。この船は清浄な船であるため、神が降臨し、我々に対して夷人を追討し、神仏や諸侯の領地を封建制度に戻すべきとの宣託を授けられた」と語り始めた[3]。そこで、乗り合わせた10名がそれぞれ願書を作成し、天皇に直接訴え出る計画を立てたのであった[2]


事件の概要

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1882年2月18日未明、鍛冶橋に到着し上陸した一行は、15日に準備した白装束をまとい、利兵衛を先頭に短刀や棒を手に旧本丸の大手御門へと進んだ。利兵衛は、「もし手を胸に当てて真言を唱えれば、どれだけ敵が弓や砲で襲ってきても決して当たらない」と述べ、嘉七も「この白衣を着ていれば凡人の目には決して見えない。だから心に疑いを持ってはいけない」と語り、同行者たちもそれを信じていたようである[4]

一行が開門を要求すると、警備の兵士たちは「どこから来てどこへ行くのか」と尋ねた。これに対して一行は、「我々は高天原から天降った行者であり、主上に直接訴えるために来たのだから通してほしい」と大声で答えた。しかし門が開かれなかったため、常吉は短刀を、嘉七は棒を使って門扉を突いて開けようとしたが叶わなかった。常吉は門の下をくぐって入り、潜り戸を開け、一同は中に入り元の扉を閉めた。そしてさらに内側の門に向かい大声で訴えたが、やはり開門されなかった[5]

利兵衛は「このまま放っておけば、神意により朝の8時を過ぎたら門が開くだろう」と主張したが、当然ながら門は開かなかった。そのうち、門内から兵士たちが刀や棒を出してきて、「一人ずつ通るようにせよ」と指示したが、利兵衛と先達の二人は「お前たちはただの兵卒で、何もわかっていない」と暴言を吐いた[2]

その時、門の内側から兵士が5、6人現れ、一行は厳重に囲まれて升形の中に閉じ込められた。利兵衛や嘉七らは持っていた樫の棒で門扉を打ち壊そうとしたが、兵士たちは発砲し、利兵衛と常吉らは刀を抜いて「銃弾は決して当たらない」と叫び、狂乱状態で門を突き打ち壊そうとしたが、兵士たちの発砲はさらに激しくなった.結局、利兵衛と嘉七を含む4人が銃弾に当たり即死し、3人が負傷、そのうち1人はまもなく死亡した[2]

歴史的評価

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利兵衛らの要求内容は復古主義的であるが、強権的近代化政策の全体を"敵“として措定し,天皇制国家に真正面から挑戦した興味深い事例である,とされる。[6]

文献引用

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  1. ^ a b 原田信夫『歴史の中の米と肉 食物と天皇・差別』平凡社、1993年4月12日
  2. ^ a b c d 『日本近代思想体系 5 宗教と国家』岩波書店, 1988年9月22日,168-177頁
  3. ^ 『日本近代思想体系 5 宗教と国家』岩波書店, 1988年,171頁「当今夷人渡来以後,日本人専肉食ヲ致ス故、地位相稜、神ノ居所無レ之二付,従来此船ハ清浄ノ船二付、諸神天降リ鎮座有レ之候二付、我等へ御託宣ノ次第モ有レ之、夷人追討、且神仏領・諸侯ノ領地等、如レ故封建二致度幸七申談」を現代語に訳した
  4. ^ 『日本近代思想体系 5 宗教と国家』岩波書店, 1988年,171頁「行者利兵衛手ヲ懐ニシ、究文ヲ唱候ハバ、敵ヨリ何程打掛ケ候矢砲モ決テ中リ不レ申、且此白衣着用致候ハゞ、凡夫ノ目ニハ決テ見へ不レ申候二付、少モ無二疑念ー信心不レ怠様卜嘉七申聞候二付、実事トハ存込候」を現代語訳した
  5. ^ 『日本近代思想体系 5 宗教と国家』岩波書店, 1988年,171頁「利兵衛始メ一同相進ミ寄、高声二御門相開キ通リ候様申入候処、御守衛兵隊衆ヨリ、何レヨリ来リ何レヘ通行ノ者二有レ之候哉御尋二付、我々ハ高天ケ原ヨリ天降ル行者ニテ、主上へ直訴候間通シ候様大声二申 答候処」以下を現代語訳した
  6. ^ 安丸良夫『日本近代思想体系 5 宗教と国家 解説』岩波書店, 1988年9月22日,536-537頁

関連項目

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日本の獣肉食の歴史 神道 廃仏毀釈 修験道