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利用者:Takisaw/sandbox

北 (札幌市)

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日本 > 北海道 > 札幌市 > Takisaw/sandbox

(きた)は札幌市中央区北区東区に跨る条丁目の冠称[1]。本項では北を冠称とする条丁目で町名表記される地域について取り扱う。

概要

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札幌市中心部から北部にかけて位置する。大通を基準に北に向かって北1条から北51条まであり、創成川を基準に東西に分かれた丁目とともに碁盤目状の区画を形成し北○条東○丁目という形の住所で表示される。北1条から北40条まで(北29条を除く)は東西に分かれ、北29条は西○丁目のみ、北41条以北は東○丁目のみが存在する[1]。 地域内の人口総数は305,630人(平成25年1月1日時点[2])。

中央区

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  • 北1条(東1-19丁目、西1-28丁目)
  • 北2条(東1-20丁目、西1-28丁目)
  • 北3条(東1-15丁目、西1-30丁目)
  • 北4条(東1-8丁目、西1-30丁目)
  • 北5条(東1-3丁目、西1-29丁目)
  • 北6条(西10-28丁目)
  • 北7条(西11-27丁目)
  • 北8条(西12-26丁目)
  • 北9条(西13-24丁目)
  • 北10条(西14-24丁目)
  • 北11条(西13-24丁目)
  • 北12条(西15-20,23丁目)
  • 北13条(西15-19丁目)
  • 北14条(西15,18-20丁目)
  • 北15条(西15,19丁目)
  • 北16条(西15,16,20,21丁目)
  • 北17条(西15丁目)
  • 北18条(西15丁目)
  • 北20条(西15丁目)
  • 北21条(西15丁目)
  • 北22条(西15丁目)

創成川の西側(中央地区)は札幌市街中心部の一角を成しており、北海道庁札幌市役所などの官公庁や、銀行や商社などの事業所、オフィスビルが多数所在するほか、札幌駅周辺を中心に大型商業施設や、シティホテルビジネスホテルなどの施設が建ち並び、都市機能の中枢的役割を果たしている。用途地域は商業地域がほとんどを占める。

創成川より東側(東北地区、苗穂地区)では、商業地域、近隣商業地域の他、工業地域、準工業地域となっており、古くからの商店街や住宅に加えて工場や事務所等の立地が見られる地区だったが、1993年にサッポロビール工場跡地にサッポロファクトリーが開店し、商業地としても大きく発展した。近年では都心回帰の動きもあり、複数の再開発計画が進められており[3]、大型マンションの建設等も進んでいる。

北海道大学植物園より西側の桑園地区・円山地区では、商業地域や近隣商業地域の他に、住居地域となっている地域がある。また、札幌中央卸売市場やその周辺部は準工業地域であり、工場や倉庫が多く立地している。1988年のJR函館本線高架化後、桑園駅周辺の再開発が進められ、1995年の市立札幌病院の移転、2002年のイオン札幌桑園ショッピングセンターの開店等、地域の様相が変化しており、高層マンションの建設が進む人口増の大きな地域となっている[4]

北区

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  • 北6条(西1-9丁目)
  • 北7条(西1-10丁目)
  • 北8条(西1-11丁目)
  • 北9条(西1-11丁目)
  • 北10条(西1-11丁目)
  • 北11条(西1-11丁目)
  • 北12条(西1-12丁目)
  • 北13条(西1-12丁目)
  • 北14条(西1-13丁目)
  • 北15条(西1-13丁目)
  • 北16条(西1-13丁目)
  • 北17条(西1-13丁目)
  • 北18条(西2-13丁目)
  • 北19条(西2-13丁目)
  • 北20条(西2-13丁目)
  • 北21条(西2-13丁目)
  • 北22条(西2-13丁目)
  • 北23条(西2-14丁目)
  • 北24条(西2-19丁目)
  • 北25条(西2-9丁目、11-18丁目)
  • 北26条(西2-9丁目、12-17丁目)
  • 北27条(西2-16丁目)
  • 北28条(西2-15丁目)
  • 北29条(西2-15丁目)
  • 北30条(西2-14丁目)
  • 北31条(西2-14丁目)
  • 北32条(西2-13丁目)
  • 北33条(西2-12丁目)
  • 北34条(西2-11丁目)
  • 北35条(西2-10丁目)
  • 北36条(西2-10丁目)
  • 北37条(西2-9丁目)
  • 北38条(西2-8丁目)
  • 北39条(西3-7丁目)
  • 北40条(西4-6丁目)

札幌駅北口周辺から北18条にかけては、商業地域及び近隣商業地域となっており、札幌第一合同庁舎等の官公庁や商業施設等が点在しているが、駅南側のような集積は見られない。また、北24条駅麻生駅等の地下鉄駅周辺部も商業地域となっており、商業施設の立地や繁華街の形成が見られる。また、北8条~北23条の大部分は北海道大学キャンパスが占めている。それ以外の地区は主として住宅地として利用されている。

東区

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  • 北4条(東10-16丁目)
  • 北5条(東4-17丁目)
  • 北6条(東1-8丁目、12-20丁目)
  • 北7条(東1-9丁目、11-20丁目)
  • 北8条(東1-19丁目)
  • 北9条(東1-16丁目)
  • 北10条(東1-17丁目)
  • 北11条(東1-17丁目)
  • 北12条(東1-17丁目)
  • 北13条(東1-10丁目、12-16丁目)
  • 北14条(東1-10丁目、12-16丁目)
  • 北15条(東1-10丁目、12-18丁目)
  • 北16条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北17条(東1-10丁目、12-20丁目)
  • 北18条(東1-10丁目、12-21丁目)
  • 北19条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北20条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北21条(東1-10丁目、12-23丁目)
  • 北22条(東1-10丁目、12-23丁目)
  • 北23条(東1-10丁目、12-23丁目)
  • 北24条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北25条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北26条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北27条(東1-10丁目、12-22丁目)
  • 北28条(東1-10丁目、12-21丁目)
  • 北30条(東1-10丁目、12-20丁目)
  • 北31条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北32条(東1-10丁目、12-18丁目)
  • 北33条(東1-10丁目、12-18丁目)
  • 北34条(東1-10丁目、12-28丁目)
  • 北35条(東1-10丁目、12-28丁目)
  • 北36条(東1-10丁目、12-29丁目)
  • 北37条(東1-10丁目、12-22丁目、25-30丁目)
  • 北38条(東1-10丁目、12-21丁目)
  • 北39条(東1-10丁目、12-21丁目)
  • 北40条(東1-10丁目、12-20丁目)
  • 北41条(東1-10丁目、12-20丁目)
  • 北42条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北43条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北44条(東1-10丁目、12-15丁目)
  • 北45条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北46条(東1-10丁目、12-19丁目)
  • 北47条(東1-10丁目、13-19丁目)
  • 北48条(東1-10丁目、13-19丁目)
  • 北49条(東1-10丁目、13-17丁目)
  • 北50条(東1-10丁目、13-15丁目)
  • 北51条(東1-10丁目、14-15丁目)

幹線道路沿いや地下鉄駅周辺が商業地域、近隣商業地域となっており商業施設の立地が見られる。JR苗穂工場のある苗穂駅北側が工業地域となっている他、その周辺や国道5号(創成川通)沿い、栄町駅北側には準工業地域があり、工場等の立地がある。その他の地域は大部分が住宅地として利用されている。

歴史

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中心部は明治期に開拓使によって建設された札幌本府を起源としており、現在も中心部の区画は札幌本府当時の区画が基礎となっている。その後、周辺町村の合併を伴う札幌市街地の拡大に伴って、数次に渡りその範囲が拡大され、現在の北51条までの区画が形成された。1972年に札幌市が政令指定都市となったことに伴い、中央区、北区、東区の3区に跨る形となっている。

旧札幌本府

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明治2年、開拓使によって北海道の首府となる札幌本府の建設が開始された。開拓判官島義勇の当初の構想では市街地の中心に幅四十二間の大通を設け、以北を官庁街、以南を町屋街とするものであった。明治4年、島の後任として着任した岩村通俊は島の構想を踏襲しつつ一部に修正を加え本府建設を推進した。明治6年、開拓使札幌本庁舎が現在の北1-6条西4-7丁目にあたる位置に建設され、周辺には官舎やの整備も進められた[5][6]。 また、創成川(大友堀)以東は、工業地帯と位置づけられ、北海道の工業発展の手本となるよう、創成川や豊平川の豊富な水を活用し、水車・蒸気器械所、木工・鋳造・製鉄作業所、紡織所、製鋼所、ビール・葡萄酒・醤油・味噌の醸造所等の官営工場が次々と設置された [7][8]

碁盤目状の区画は京都を意識したもので、当初は、市民に北海道の国郡名を知らしめるために、街路名及びそれに面した町名に北海道各地の国郡名が付けられていた[5][9]。明治14年に現在の北○条西○丁目という形に改められた(町名の変遷は後述)。

桑園地区

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1875年(明治8年)、開拓使は屯田兵に養蚕を推奨するため、旧庄内藩の酒田より士族を招き当地区を開墾させ桑畑とした。開墾された土地は酒田桑園と呼ばれ、その後、本州から養蚕を志した人が次々と入植した[10][11]。 その後、明治23年にそれまで通称桑園と呼ばれていた地区が北1条-北5条のそれぞれ西9丁目~西20丁目となり、明治の終わりごろからは住宅地へと転換が進んでいった。

旧札幌村

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1902年(明治35年)それまでの札幌村、苗穂村、丘珠村、雁来村を併せ二級町村制札幌村となる。 1910年(明治43年)一部が札幌区に編入、1934年(昭和9年)一部が札幌市に編入、1950年(昭和25年)一部が札幌市に編入。昭和30年に札幌市と合併。

旧円山村

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明治4年円山村成立、明治39年山鼻村と合併し二級町村制施行藻岩村となる。 昭和13年円山町と改称。昭和16年札幌市と合併。

地名の変遷

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本府建設当初、市民に北海道の国郡名を知らしめるため、街路名及びそれに面した町名には北海道各地の国郡名が付けられていた[5][6][12]。明治14年に現在の北○条西○丁目という形に改められた後、市街地の拡大が進み、周辺町村からの編入、合併、町名変更を伴いながら区域が拡大され、現在の北51条までの街区が形成されていった。

現地名 変遷
北1条 明治5年:浜益通
明治14年:北1条西1-8丁目・東1-2丁目に改称
明治21年:東3丁目成立
明治23年:(桑園より)西9-20丁目成立
大正14年:西20丁目から西21丁目を分割、(字苗穂町より)東4-15丁目成立
昭和16年:(円山町字円山、大通西20丁目より)西22-28丁目成立
昭和39年:(雁来町より)東15-19丁目成立
北2条 明治5年:厚田通
明治14年:北2条西1-4丁目・東1-2丁目に改称
明治20年(道庁敷地内に)5-8丁目成立
明治21年:東3丁目成立
明治23年:(桑園より)西9-20丁目成立
大正14年:西20丁目から西21丁目を分割、(字苗穂町より)4-15丁目成立
昭和16年:(円山町字円山より)西22-28丁目成立
昭和39年:(雁来町より)東16-20丁目成立
北3条 明治5年:札幌通
北4条 明治5年:石狩通
北5条 明治5年:樺戸通
北6条 明治5年:空知通
北7条 明治19年:西1-7丁目成立
大正14年:北海道大学構内に西8-10丁目、桑園より西11-21丁目、北6条の北側に東1-7丁目成立
昭和40年:(円山北町より)西22-27丁目成立
昭和47年:北5条、北6条、北8条との区域変更
北8条
北9条
北10条
北11条
北12条
北13条
北14条
北15条
北16条
北17条
北18条
北19条
北20条
現地名 変遷
北21条
北22条
北23条
北24条
北25条
北26条
北27条
北28条
北29条
北30条
北31条
北32条
北33条
北34条
北35条
北36条
北37条
北38条
北39条
北40条
北41条
北42条
北43条
北44条
北45条
北46条
北47条
北48条
北49条
北50条
北51条

明治5年の旧町名の設定時には、南北の通りに沿った町名も設定されていた。明治14年に現在の形の名称に改められた際、各条の西○丁目、東○丁目と改められている。

旧名称 明治14年変更
西創成通 西1丁目
胆振通 西2丁目(南部)
夕張通 西2丁目(北部)
山越通 西3丁目(南部)
上川通 西3丁目(北部)
虻田通 西4丁目(南部)
小樽通 西4丁目(北部)
有珠通 西5丁目
室蘭通 西6丁目
幌別通 西7丁目
白老通 西8丁目
勇払通 西9丁目
千歳通 西10丁目
岩内通 西11丁目
東創成通 東1丁目
浦河通 東2丁目(南部)
雨龍通 東2丁目(北部)
様似通 東3丁目
幌泉通 東4丁目

脚注

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注釈

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出典

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参考文献

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  • 『北海道の地名 日本歴史地名体系1』平凡社、2003年。ISBN 4-582-49001-8 
  • 『角川日本地名大辞典 1 北海道』角川書店、1987年。ISBN 4-04-001011-6 
  • 札幌市ホームページ 町名整備
  • 札幌市中央区ホームページ あなたの地区・地区の出来事
  • 札幌市都市計画情報提供サービス

Category:北海道の町・字 Category:札幌市の地名