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主張
[編集]著名な法哲学者であり、正義論、リベラリズム論を専門とする。
「リベラリズム」の定訳である「自由主義」を誤訳であるとし、正義こそがリベラリズムの根幹思想だとする[1]。リベラリズムの根幹原理とは「啓蒙」と「寛容」からなり、理性によって人間を伝統や慣習から解放する啓蒙的姿勢。そして、理性の限界が存在することを受け入れ、自分達の考えが必ずしも正しくない可能性に直面した上で、他者からの批判を受けて変化することも許容する寛容的姿勢。この二つを合わせた規範概念がリベラリズムであるとする[2]。その結果として導かれるのは、他者との対話を通してより良い正義の実現を目指す姿勢であり、すなわち熟議を通した民主政であるとしている[3]。
現状の天皇制とは、国民が集合的なアイデンティティ形成のために天皇を使っており、その結果として天皇の人権が極度に制限される、いわば「民主的奴隷制」であるとしている[4]。
9条削除論
[編集]リベラリストとしての立場から、憲法9条について論じており、憲法9条を削除する「9条削除論」を提唱している[5]。そして、憲法9条の議論での護憲派・改憲派の双方の立場を痛烈に批判し、憲法を軽んじる欺瞞だとしている。
「9条削除論」とは、現行の戦力不保持を定めた規定である憲法9条を削除し、代わりに戦力統制規範などの戦力を持つ場合の規定を入れるべきという主張である。
安全保障は絶えず国民的討議の上で批判的に再検討し、外部環境の変化に対応できるようにすべきであり、憲法によって議論を凍結することは認められないとしている[6]。そして、政策マターを憲法で固定してしまったがために、条文上は絶対平和主義を要求する憲法9条の解釈を変更せざるを得なくなり、自衛隊という憲法上は存在しない、つまり憲法にまったく制約されない強大な暴力が生まれてしまったとしている。
同時に、この問題は護憲派に大きな責任を求めている。護憲派の立場を自衛隊を違憲とする「原理主義護憲派」、自衛隊を合憲とする「修正主義護憲派」と大別した上で、その両方を批判している。原理主義護憲派は、自衛隊は違憲であるとしているが、実質的政治運動として自衛隊を廃止しようとはしていない。つまり、原理主義護憲派の目的とは、違憲状態の固定化であり、憲法への敬意すら存在しないと批判している[7]。原理主義護憲派の、「政治的には自衛隊を認めているが、運動として違憲を主張する」態度が、憲法と憲法実態の乖離を生み出したとする。
他方、修正主義護憲派は、第二次安倍内閣下での憲法解釈の変更を批判しているが、自分達も憲法9条を解釈改憲しており、絶対平和主義から自衛隊は合憲という解釈変更していると批判している。この姿勢は、新しい解釈改憲から古い解釈改憲を守っているだけであり、論理的正当性の裏付けがなく、にもかかわらず自分達の解釈を信じろというのは権威主義・エリート主義に過ぎず、知的欺瞞だとしている[8]。
- 『現代法哲学講義〈第二版〉』信山社、2018年4月27日。ISBN 978-4589032959。
- 共編
- 松浦好治・嶋津格共編『法的思考の再定位』 1巻、東京大学出版会〈法の臨界〉、1999年2月。ISBN 978-4130350310。