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本項では、長崎県の歴史(ながさきけんのれきし)を概説する。
通史
[編集]旧石器時代
[編集]現在の佐世保市にあたる地域からは、福井洞窟や泉福寺洞窟などの遺跡が見つかっており、いずれも国の史跡となっている。また、旧国見町(現在の雲仙市)には、百花台遺跡群があり、約3万年前に人々が生活した跡や使われていた道具が見つかっている。
縄文時代
[編集]縄文時代の遺跡として全国的に有名なのが、長崎県南島原市(旧南高来郡北有馬町)原山支石墓群である。
- 有喜貝塚(諫早市)
- 佐賀貝塚(対馬市)
- 白浜貝塚(福江市)
弥生時代
[編集]B.C.300
A.D.
A.D.57
古墳時代
[編集]300 出居塚古墳(美津島町) 400 ひさご塚古墳(東彼杵町) 根曽古墳群(美津島町) 500 鬼の岩屋古墳(国見町) 鬼の窟古墳(芦辺町) 双六古墳(勝本町) 矢立山古墳群(厳原町) 曲崎古墳群(長崎市)
飛鳥時代
[編集]664(天智3) 対馬、壱岐などに防人と烽(とぶひ)が置かれる 667(天智6) 対馬に金田城が築かれる 674(天武3) 対馬の国司、産出の銀を朝廷におさめる(日本で銀産出のはじめ)
奈良時代
[編集]737(天平9) 東国の防人約2,000人にかわり九州の兵士が壱岐、対馬を守る 741(天平13) 肥前国に国分寺・国分尼寺、壱岐・対馬に島分寺が建てられた 776(宝亀7) 第14次遣唐使が五島の青方(現在の上五島町)に停泊する
平安時代
[編集]795(延暦14) 壱岐、対馬を除いて防人が廃止される 804(延暦23) 空海、最澄が乗った第16次遣唐使船が、五島の川原浦(岐宿町)を出航する 835(承和2) 新羅軍に備え、壱岐を守らせる 839(承和6) 第17次遣唐使が生月に立ち寄る 大瀬戸町で石鍋が製作される(室町時代にかけて) 1185(元暦2) 松浦党が壇ノ浦で平氏方水軍として戦う 1191(建久2) 僧 栄西、宋からの帰国途中平戸に立ち寄る
鎌倉時代
[編集]1274(文永11) 元軍、対馬小茂田浜に侵入する 元軍、壱岐勝本に侵入する 元軍、平戸、鷹島に侵入する 1281(弘安4) 元軍、対馬、壱岐に侵入する 元軍、鷹島付近で暴風雨のため全滅する(弘安の役)
室町時代
[編集]1419(応永26) 朝鮮の兵が対馬に侵入する(応永の外寇) 1507(永正4) 五島で玉之浦納の反乱が起こる 1550(天文5) ポルトガル船が平戸に入港する ザビエルが平戸に来て布教を開始する 1562(永禄5) ポルトガル船が横瀬浦(西海町)に入港する 1563(永禄6) 大村純忠が洗礼を受け、初のキリシタン大名となる 1565(永禄8) ポルトガル船が長崎の福田浦に入港する 1567(永禄10) ポルトガル船が口之津に入港する 1569(永禄12) 長崎で最初の教会、トードス・オス・サントス教会が建てられる 1571(元亀2) 長崎がポルトガル貿易港となる
安土・桃山時代
[編集]1577(天正5) 龍造寺隆信が大村純忠を破り、島原方面にも進出する 1580(天正8) 有馬にセミナリヨ(キリスト教の神学校)が建てられる 有馬晴信が洗礼を受け、キリシタン大名となる 大村純忠が長崎などをイエズス会に寄進する 天正遣欧少年使節が長崎から出航する 1582(天正10) 龍造寺隆信が有馬・島津連合軍と戦い、島原沖田畷で戦死する 1584(天正12) 有馬晴信が浦上をイエズス会に寄進する 1588(天正16) 秀吉が長崎などを直轄地とする 1590(天正18) 天正遣欧少年使節が長崎に帰る 1592(文禄元) 松浦鎮信、有馬晴信、大村喜前、宗義智らが朝鮮に出兵する(文禄・慶長の役) 1597(慶長2) 長崎西坂で、日本二十六聖人が殉教する
江戸時代
[編集]1605(慶長10) 松浦鎮信が朱印状を受ける 大村藩波佐見焼を始める 1609(慶長14) 平戸にオランダ商館ができる 対馬宗氏の仲介で己酉約条(慶長条約)を結ぶ 1613(慶長18) 平戸にイギリス商館ができる 1616(元和2) オランダ、イギリスとの貿易(ぼうえき)が長崎・平戸港に限られる 1622(元和8) 長崎でキリシタン55人が処刑される 1623(元和9) 平戸のイギリス商館が閉鎖される 1626(寛永3) 長崎で初めて踏み絵が行われる 1634(寛永11) 長崎の中島川に眼鏡橋がかけられたと伝えられる 1635(寛永12) 御朱印船を停止し,唐船の貿易を長崎港に制限する 1636(寛永13) 出島が完成し、ポルトガル人を住まわせる 1637(寛永14) 島原の乱が起こる 1639(寛永16) ポルトガル人の来航が禁じられ、オランダ、中国とだけの貿易が許される 1641(寛永18) 平戸のオランダ商館を長崎の出島に移した 鎖国が完成する 1657(明暦3) 大村領のキリシタン600余人が捕らわれる(郡崩れ) 1670(寛文10) 大村藩の藩校集義館が設立される(県内ではじめての藩校) 1685(貞享2) 対馬藩の藩校小学校が設立される(小学校の名称の初め) 1689(元禄2) 唐人屋敷が完成する 1700(元禄13) 対馬藩の陶山訥庵(すやまとつあん)がいのしし退治を行う 1750(寛延3) 諫早領に百姓一揆が起こる 1782(天明2) 大村藩の松島炭鉱が開かれる 1790(寛政2) 大村藩の藩校五教館が集義館に代わって設立される 1792(寛政4) 雲仙岳が大爆発を起こす(島原大変肥後迷惑) 1804(文化元) ロシア使節ニコライ・レザノフが長崎に来航する 1808(文化5) フェートン号事件が起こる 1824(文政7) シーボルトが鳴滝塾で診療を始める 1828(文政11) シーボルト事件が起こる 1839(天保10) 本明川に眼鏡橋がかけられる 1853(嘉永6) ロシア使節エフィム・プチャーチンの艦隊が、長崎に来航し、通商を求める 1857(安政4) 長崎に医学伝習所が開かれる 1858(安政5) 長崎製鉄所が建設される 長崎に英語伝習所が開かれる 1859(安政6) トーマス・ブレーク・グラバーが長崎に来る 1863(文久3) 福江藩の石田城が築かれる 1864(元治元) 対馬藩の藩校として日新館が設立される 1865(慶応元) 大浦天主堂が建てられる 1867(慶応3) 浦上四番崩れが起きる
明治時代
[編集]1868(明治元) 長崎奉行所に代って長崎裁判所、長崎府が置かれる 1869(明治2) 長崎府が廃止され長崎県となる 1871(明治4) 厳原県が伊万里県に合併される 平戸・大村・島原・福江県が長崎県に合併される 1872(明治5) 対馬が佐賀県から長崎県に移される 1887(明治20) 三菱会社、長崎造船所の払い下げを受ける 1889(明治22) 佐世保鎮守府が開庁される
大正時代
[編集]1915(大正4) 長崎市に電車が通い始める 1923(大正12) 長崎~上海間に長崎丸・上海丸が通い始める
昭和時代
[編集]1934(昭和9) 雲仙が国立公園に指定される 1945(昭和20) 長崎に原子爆弾が投下される 1955(昭和30) 西海国立公園が指定される 西海橋がかけられる 1957(昭和32) 諫早市に大水害が起こる 1967(昭和42) 長崎バイパスが開通する 1968(昭和43) 壱岐対馬国定公園が指定される 1969(昭和44) 国民体育大会が開催される 1974(昭和32) 端島炭鉱が閉山する 大島造船所が操業を開始する 1975(昭和50) 大村に世界初の海上空港(長崎空港)が開港する 1977(昭和52) 平戸大橋がかけられる 1982(昭和57) 長崎大水害が起こる 1985(昭和60) 中華人民共和国の長崎領事館が開設される 1986(昭和61) 高島鉱業所が閉山する
平成時代
[編集]1989(平成元) 新長崎漁港が開港する 1990(平成2) 諫早湾干拓事業が始まる 第41回全国植樹祭が国見町で開催される 長崎旅博覧会が開かれる 雲仙普賢岳が200年ぶりに噴火する 長崎自動車道が開通する 1991(平成3) 雲仙普賢岳大火砕流が発生 生月大橋、若松大橋がかけられる 1992(平成4) 佐世保にハウステンボスがオープンする 1996(平成8) 雲仙普賢岳噴火の終息宣言が出される 世界・炎の博覧会が開かれる 1998(平成10) 西海パールラインが開通する 1999(平成11) 大島大橋が開通する 2000(平成12) ながさき阿蘭陀年が開幕する 2002(平成14) 第22回全国豊かな海づくり大会が佐世保市で開催される 2003(平成15) 平成15年度全国高等学校総合体育大会「2003年長崎ゆめ総体」が開催される 2004(平成16) ながさき出島道路が開通する 長崎県美術館が開館する 長崎歴史文化博物館が開館する 女神大橋が開通する 新西海橋が開通する