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利用者:Rezrizium/RETRO-FUTURE

歴史

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1899年、2000年の世界を予想した『En L'An 2000』というシガレットカードが制作された[1]。カードにはテレビ電話の様な機械で遠隔地の人と会話する光景やクジラを使って海中観光を楽しむ人々などが描かれている[2]。1986年にアイザック・アシモフが著書『過去カラ来タ未来』の中でこのカードを紹介したことで人々の注目を集めた[2]

1900年、チョコレート会社のTheodor Hildebrand & Sonドイツ語版は菓子のおまけとして100年後の世界を予想した12枚のイラストカードを製作した[3]動く歩道生放送など後に実用化された技術もあるが、汽車を使った建物の引っ越しや悪天候の影響を受けない都市などは実現していない[3][4]。(以下の解説はFuturistic postcards: Life in the year 2000, 1900 - Rare Historical Photosより。)


1901年1月の報知新聞に掲載された『二十世紀の豫言』では計23個の未来予測が行われた[5]。電気の普及やそれに伴う様々な技術の発展を言い当てているが、人に害をなす生物の滅亡や世界的な鉄道網の構築などは実現していない[5]

1920年、雑誌日本及日本人の中で2020年の日本を予想した『百年後の日本』と言う題の特集が組まれ、有名作家から教師や軍人に至るまでの多種多様な人々が自身の考えを投稿した[6]。飛行機の普及や華族の消失など的を射た予想もある一方で、火星旅行や世界政府の実現などは的中していない[6][7]

1930年ドイツの未来予想図『Vision of the Future』では、Zoomのような機能を持った携帯装置で遠隔の人とコミュニケーションを取る人々が描かれている[4]

1960年ソビエト連邦では2017年の世界を予想したスライドショー『В 2017 году』が作られた[8]気象制御ステーションの職員とその息子イーゴリを中心に2017年の様々な未来技術が描かれる[8]。当時の敵対国であるアメリカの未来予想図などからも影響を受けており、作中に登場する原子力機関車などはその一例である[8]

1961年たのしい四年生1月号に100年後の東京を予想した口絵『2061年の東京』が掲載された[9]

1969年少年サンデーに掲載された『コンピュートピア』は、1989年のコンピューター社会について予想した記事である。特集の中の『コンピューター学校出現!!』は20年後の学校の教室を描いている[10]。生徒たちは紙と鉛筆の代わりにデジタル端末を使用して授業を受けており、教室内を巡回する体罰ロボットが不正解を出した生徒に暴力を振るっている[10]

  1. ^ 小川真吾. “19世紀の人々が思い描いていた未来予想図「2000年の世界」”. TABI LABO. 2022年6月29日閲覧。
  2. ^ a b 自動採寸スーツもビデオチャットも 100年前に予想していた人がいた”. 朝日新聞GLOBE+. 2022年6月29日閲覧。
  3. ^ a b Futuristic postcards: Life in the year 2000, 1900 - Rare Historical Photos” (英語). rarehistoricalphotos.com (2017年12月8日). 2023年2月12日閲覧。
  4. ^ a b 100年前の絵が「Zoom」や「ルンバ」の登場を予測していた?”. Real Sound|リアルサウンド テック. 2023年2月12日閲覧。
  5. ^ a b 過去の未来予測の検証”. 日本総研. 2022年7月3日閲覧。
  6. ^ a b なぜ私たちは未来予想が好きなのか?”. Newsweek日本版 (2019年12月12日). 2022年6月28日閲覧。
  7. ^ 2020年の日本、100年前にここまで見通した男”. 読売新聞オンライン (2018年1月9日). 2022年6月28日閲覧。
  8. ^ a b c 1960年にソ連が思い描いていた2017年の姿とは?”. www.gizmodo.jp (2017年1月22日). 2022年6月29日閲覧。
  9. ^ 平成27年版 情報通信白書|概観~ICT端末”. 総務省. 2022年7月2日閲覧。
  10. ^ a b Party Like It’s 1999: Japanese Retrofuturism and Chrono Trigger—The Appendix”. theappendix.net. 2022年7月3日閲覧。