利用者:Reazn26/sandbox
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歴代監督
[編集]※太字はリーグ優勝、◎は日本一
代 | 氏名 | 就任[※ 1] | 退任[※ 2] | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
毎日 | 1 | 湯浅禎夫◎[※ 3] | 1950年 | 1952年7月27日 | 1950年のみ選手兼任監督 ここから毎日オリオンズ |
2 | 別当薫(第1次) | 1952年7月30日 | 1952年 | 選手兼任監督 | |
3 | 若林忠志[※ 4] | 1953年 | 1953年 | ||
4 | 別当薫(第2次) | 1954年 | 1959年 | ここから毎日大映オリオンズ | |
大毎 | |||||
5 | 西本幸雄 | 1960年 | 1960年 | ||
6 | 宇野光雄 | 1961年 | 1962年 | ||
7 | 本堂保次[※ 5] | 1963年 | 1965年 | ここから東京オリオンズ | |
東京オリオンズ | |||||
8 | 田丸仁 | 1966年 | 1966年 | ||
9 | 戸倉勝城[※ 6] | 1967年 | 1967年8月14日 | ||
10 | 濃人渉[※ 7] | 1967年8月15日 | 1971年7月23日 | ここからロッテオリオンズ | |
ロッテオリオンズ | |||||
11 | 大沢啓二 | 1971年7月24日 | 1972年 | ||
12 | 金田正一(第1次)◎[※ 8] | 1973年 | 1978年 | ||
13 | 山内一弘 | 1979年 | 1981年 | ||
14 | 山本一義 | 1982年 | 1983年 | ||
15 | 稲尾和久 | 1984年 | 1986年 | ||
16 | 有藤道世 | 1987年 | 1989年 | ||
17 | 金田正一(第2次)[※ 9] | 1990年 | 1991年 | ||
千葉ロッテマリーンズ | |||||
18 | 八木沢荘六[※ 10] | 1992年 | 1994年 | ここから千葉ロッテマリーンズ | |
19 | ボビー・バレンタイン(第1次) | 1995年 | 1995年 | 球団初の外国人監督 | |
20 | 江尻亮[※ 11] | 1996年 | 1996年 | ||
21 | 近藤昭仁 | 1997年 | 1998年 | ||
22 | 山本功児 | 1999年 | 2003年 | ||
23 | ボビー・バレンタイン(第2次)◎[※ 12] | 2004年 | 2009年 | ||
24 | 西村徳文◎[※ 13] | 2010年 | 2012年 | ||
25 | 伊東勤 | 2013年 | 2017年 | ||
26 | 井口資仁 | 2018年 |
- ^ 日付はシーズン途中で就任した場合のみ記載。
- ^ 日付はシーズン途中で退任した場合のみ記載(休養は含まない)。その他は原則として年度末退任。
- ^ 登録上は総監督。1952年は平和台事件の責任を取り辞任。
- ^ 登録上は1950年 - 1952年も監督だが、実際の指揮は総監督の湯浅が執っており、公式記録上も湯浅が監督として扱われている。1952年は平和台事件の責任を取り、湯浅と共に7月27日までで辞任。
- ^ 1965年は6月17日から7月1日まで病気休養。その間は濃人渉が代行。
- ^ 1967年は6月20日から7月31日まで休養。その間は濃人渉が代行。その後、8月14日に解任。
- ^ 1971年は、7月13日の放棄試合の責任を問われ、7月23日に二軍監督に降格。
- ^ 1975年は4月23日から5月5日まで病気療養。その間高木公男が代行。
- ^ 1990年は6月24日から30日間の出場停止処分を受けたため、その間は徳武定之が代行。
- ^ 1994年は8月2日から休養、残り試合は中西太が代行。
- ^ 1996年は8月23日から25日まで病気療養、その間は江藤省三が代行。
- ^ レギュラーシーズン2位からプレーオフを制してパリーグ1位。
- ^ 優勝は達成無し、クライマックスシリーズを制して日本一を達成。