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利用者:Omotecho/エジソン・レコード

エジソン・レコード
Edison Records
1903年の広告
親会社トーマス・A・エジソン会社
設立1888年 (1888)
設立者トーマス・エジソン
ジェス・リッピンコット
Jesse H. Lippincott
解散1929年 (1929)
現況廃業
販売元契約
ジャンル多種
アメリカ
本社所在地ニュージャージー州ウエスト・オレンジ英語版

エジソン・レコード英語: Edison Records)は最初期のアメリカのレコードレーベルの1つで初期のレコーディング業界の重要な担い手である。音声の記録と再生技術を開拓した。

ロウ管式蓄音機が初めて製造された1888年、トーマス・エジソンがエジソン蓄音機会社を設立した。当初の録音はロウを巻き付けた筒を使い、エジソンのナショナル蓄音器会社製では1896年から発売する。やがて媒体はブルー・アンバロール管 Blue Amberol cylinders を経て溝を縦に刻んだダイヤモンド・ディスクに変遷していくのだが、会社は1911年にトーマス・A・エジソン会社として再編される。演奏者名が録音製品に記されるのは1910年からで、1920年代に入ると同社は技術的にも所属の演奏家の人気でもライバル各社に遅れをとり、1929年に録音製品の制作を中止した。

レコードの黎明期

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トーマス・A・エジソンは1877年、初の音声の記録および再生装置として蓄音機を発明した。エジソンと研究室は特許を取得すると評判を呼び、宣伝効果の恩恵を受けはしたが電球の開発と販売に注力したため、蓄音器の開発はそれから10年近く進んでいない。エジソン式蓄音機の初号機はシート状のアルミ箔を録音媒体に使い、技術的な好奇心の産物の域を出ていなかったものの多くの人を魅了した。最初期の蓄音機は主に旅まわりの香具師(やし)に売れ、各地で蓄音器の有料デモや録音の上演会、貸しホールで「教育講演」を開いては生計を立てる手段に使われた。実際にはアルミ箔式蓄音機は一般の実用向けではなかったため、世間の関心はすぐに薄れていく。

レコード業界の始まり

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1887年、エジソンの関心は蓄音機と蓄音機用ロウ管の改良に向けられ、翌年、エジソン社が発売した「完全版蓄音機」は直径およそ11cm、長さ同5.7cmのロウ管を導入、この外径が業界標準となった[1]。回転数120 RPMで再生時間は最長約3分、20世紀への変わり目前後に標準速度が160 RPMに増し、再生時間の上限は約2分15秒に短縮して聞き取りやすさと音量を向上させた。1888年に作られた実験的なロウ管の録音として、音楽とスピーチが何本か残っている。

娯楽向けのロウ管は1889年に売り出される[注 1]。最初は遊戯施設業者しか顧客がつかず、蓄音器はコインを入れると曲を再生する娯楽として遊興施設や、サロンと呼ばれた酒場など公共の場所に設置された。蓄音機1台の販売価格は労働者の平均賃金数ヵ月分相当の高値で、また搭載した電気モーターは湿電池という整備が難しく危険な動力源を採用していた。やがて1895年に家庭向けに動力をゼンマイ駆動に置き換えて価格もより手頃に設定すると、ロウ管製造でも一般向け娯楽製品に弾みがつく。

蓄音機製造の初期には、何も録音していないロウ管が重要な商品だった。蓄音機は文字どおり「音をたくわえる」つまり自分で録音もでき、本体に録音用アタッチメントが同梱されていたり、オプションで買い増した。やがて口述を録音する業務が現れ、音声から原稿起こしをするプロ速記者向けに、音声の再生スタートとストップ、あるいは速回しの装置が考案される。こうして家庭向け製品とは別に、ビジネス機器としてプロ向け蓄音機が進化していく。エジソン社のビジネス蓄音機のブランドは「エディフォン」(: The Ediphone)と呼ばれ、詳細は蓄音機用ロウ管の項目にゆずる。口述音訳用のディクタフォン(英語版)も参照。

エジソン社にはアメリカのレコード業界初のアフリカ系アメリカ人カルテット採用のさきがけの1社という実績もある。バンド「ユニークカルテット」の録音が残された。

ロウ管の量産へ

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エジソン・ラボラトリー社(: Edison Laboratories)にはロウ管録音の量産に特徴があり、事前に録音した原盤から金型を取る方法を考案した。ロウ管は片側の外径が反対側よりごくわずかに狭く、また冷えると収縮する材料を使ったことが特徴である。ところがエジソンの期待を裏切り、この製造工程が商業的に成功するまで数年の時差があった。初期の需要はまだ限定的であったことから、ラボラトリー社の地域販売網を担った代理店はラボラトリー社から録音製品を仕入れなくても、旧来の機械式複製法でロウ管を数ダースずつ作れば需要を満たせたのである。それに比べると金型整形ロウ管は工程に時間がかかりすぎるとして、パンタグラフ式の原型ロウ管作成にのみ採用され、1890年代の終わりまで製造業界で重要な地位を得なかった。

エジソンは初期にはロウ管の基材に金属板ではなくパラフィン紙を巻いて使っていた。業界の初期、エジソン製品の小売業者はそれぞれの地元の市場向けにロウ管を小ロットで自社製造していたところ、エジソン社の録音スタジオニュージャージー州)で大量に録音し始めると業界の習慣はがらりと変わる。アメリカのレコード業界の中枢は、すでに楽譜出版社の集まっていたティン・パン・アレーをかかえるニューヨーク州とニュージャージー州が接するエリアにあり、さらに音楽関係者が集まるのに貢献する。

1902年、エジソンのナショナル蓄音機会社はエジソン・ゴールド・モールド・レコードを発売、硬質ロウを採用して数百回再生できる黒いロウ管を導入する。ブランド名はエジソン「大音量高速金型整形レコード」(: Edison Hi-Speed Extra Loud Moulded Records)を意味し、再生速度は160 RPM。1889年-1897年の旧標準120 RPMは、1898年からの4年間で125 RPM、1898年-1902年標準で144 RPMに改良されていた。

1908年に録音時間を2分から4分に伸ばしたロウ管の新しいライン(アンバロール Amberol)を導入すると、エジソン社は再生用の蓄音機の新モデルを販売し、また既製の自社製蓄音機の機能を補填するアタッチメントも販売した。

アンバロールは1912年11月、エジソン研究所が発明した新素材に置き換えられる。セルロイドに似て滑らかな硬質樹脂製で青く着色し、製品名を「ブルー・アンバロール・レコード」(Blue Amberol Records)と名付けた。第1号の製品番号は1501、ロッシーニ作曲オペラの序曲『セミラーミデ』をアメリカン・スタンダード交響楽団の演奏で録音している。樹脂製のブルー・アンバロールは従来のロウ管と比べると耐久性がはるかに優れ、再生3,000回以上でも磨耗しないという触れ込みだった。同年、エジソンからレコード盤が発売される。

1910年になると演奏家の名前がレコードに記される。それまでエジソンの方針はあくまでも同社のロウ管(1915年まではレコード盤も対象)の販売促進が主であり、作曲家と作品名は知名度を利用するいわば添え物であって、社内で演奏家の名前そのものは重視されてこなかった。

旧称ナショナル蓄音機会社の後継としてトーマス・A・エジソン会社(: Thomas A. Edison, Inc.)は1929年11月のレコード業界撤退までロウ管販売を続けた。1915年1月にはエジソン社既発のダイヤモンド・ディスク規格のコンテンツをブルー・アンバロール版に変換して市場に出し始め、この仕様は販売終了に至る最後の10年には標準化する。新譜は出さない代わり、ロウ管式蓄音機を愛用し続ける顧客向けに、レコード円盤からロウ管に変換し直した製品のみ製造した。

エジソン・レコードのロゴ(1910年代のレコード円盤のジャケットより)

ロウ管の素材と製造工程

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ロウ管レコードという用語は1888年には登場し、草創期のロウ管は「黄色パラフィン」と呼ばれてはいるが、実は素材は柔らかすぎて耐用性に劣るパラフィンではない。当時、トーマス・エジソンのもとで働いた化学者ジョナス・エイルズワース(英語: Jonas Aylsworth, 1868年 - 1916年[3][4][5])が配合を何パターンも実験していたようで、1888年録音のうち現存するロウ管のほとんどは高い融点と幅広い種類の油を固化し耐温性にすぐれたロウ類を原料とし、パラフィンに似るがイソパラフィンを含むセレシンロウ[6]カルナウバロウ、ステアリン酸蜜蝋である。葉巻のような香りがして、成形直後は物理的に非常に柔らかいという特徴があり、その後の1年間で硬度はかなり増していく[7]。これら最初期のロウ管の再生にはモデルB再生装置が欠かせず、後継モデルで再生すると非常に高速に溝を摩耗するため、録音は永遠に失われてしまう。モデルCなどは素材の配合を変え、硬度がより優れた黒い「ワックス」シリンダー専用である。

1888年後半には新素材として金属石鹸を試している。最初はステアリン酸鉛を配合するが、夏期に発汗し、やがてばらばらに割れてしまうことがわかる。素材開発を担当したエイルズワースは1889年、水酸化ナトリウム鹸化剤として酢酸塩ステアリン酸アルミナに添加したアルミニウムワックスを開発する。耐久性ははるかに高いとわかったが、焼戻し剤がないため室温が高いと分解するという問題が発生した。原因は2つと究明され、エイルズワースはP&Gから調達した原料からオレイン酸含有量が高いものを見つけたことをきっかけに、ステアリン酸の品質には製造業者によりばらつきがあると気づく。もうひとつの原因として、ステアリン酸に焼戻し剤を添加しないと水分を吸収する点があげられる。実験を重ね理想的な素材は「セレシン」であると判明すると、硬化剤として炭酸ナトリウムを添加する。それでもロットにより残った問題のひとつは表面に残る曇りであり、その原因もワックスに残った酢酸分であること、加熱温度を上げて酢酸を完全に除去処置すればよいと判明した。この処理をした製品のうち製造期間が1889年から1894年までのものは、加熱時間が伸びたため赤褐色になった。

エジソン社は記録性能の向上と原料ロウ製造の時間短縮を狙い、1896年に酢酸アルミナから水和アルミナに切り替え始める。水和アルミナとは、アルミ薄板を炭酸ナトリウムと水酸化ナトリウムを混合した蒸留水に溶解したもので、欠陥品が減り製造時間も短縮され、より理想的なブランクが得られた。

エジソン社の「新標準」(ニュースタンダード)蓄音機の広告(1898年)

コロムビア蓄音器会社は1894年までエジソン製の録音用ロウ管を使用、1889年から1894年まで7万本を購入した。北米アメリカ蓄音機会社が解散した1894年秋にエジソン社からのロウ管供給が止まると、コロムビアはブランクを社内製造に転換しようとするものの、エジソン社の原料ロウの配合は社外秘が堅く苦労する。

原料ロウの成分実験に取り掛かったトーマス・マクドナルドはエジソン社の初期製品同様、夏に表面が曇ったりばらばらに崩れたりして、なかなか成果を出せなかった。録音用ロウ管を供給できるか、契約違反により訴訟を起こされるか。期限が迫るなか、コロムビアはエジソン社の旧従業員として某ストームズ氏などを雇って秘密の配合を盗もうと試みるものの、目論見は外れてしまう。エジソン社では素材のラベルに成分名の代わりに番号を記載したため、ラベルを見ても素材の正体は不明だし、精製品のパラフィンもセレシンもオゾケライトも外見では判別できず、原料ロウの配合に欠かせない焼戻し剤の特定はさらに困難だった。元配合係にわかるのは番号ごとにどれをどの割合で調合するかの指示であって、肝心の素材名はわからなかったのである。

結局、1年以上を費やして配合率を突きとめたコロムビアは業界誌『Soap Makers' Journal』に求人広告を載せ、金属石鹸を使った製造担当者として採用されたのはインディアナ州エバンズビルの石鹸製造業者アドルフ・メルツァー(Adolph Melzer)である。メルツァーの考案した配合は焼き戻し剤ココナッツオイルに由来するコシン酸)が入っていない点を除くと、エジソン社の配合に比肩する。

1901年にトーマス・エジソンと部下のエイルズワースはエジソン・レコード社の録音技術ゴールド・モールド製法を改変(綴りをMouldedからMoldedに変更)、同社レコーディング管理者だったウォルター・ミラーの情報提供により、商用技術として確立する[注 2][注 3]

当初、ロウ管レコードの大量生産は製造法が確立しておらず、演奏者に何度も演奏してもらうか、装置2台をゴムチューブでつなぎ原型から製品に写しとるか、いずれにしても音声を機械的に転写していた。1890年代後半には「パンタグラフ式」と呼ばれ、機械連動方式を採用した改良型機械式複製機が開発され、マンドレル(心棒)を据えた2台のうち、片方の再生スタイラス、もう片方の録音スタイラスをゴムチューブで結び、その張力を重りとバネで調整し、録音の音量とトラッキング[注 4]を制御した。

ロウ管金型の例。内側に溝を刻んだバックアップシェルは、機械で加工してある。

エジソンのチームは1888年の早い時期に真空抽出式ゴールド・マスター製法(Vacuum Deposited Gold master)を試み、実際に茶色のワックスレコードを成形したと報告が残るが、近年まで実物の確認に至っていない。この製法で試作された初期の録音がエジソン・レコード社の『フィッシャー・メイデン』であり、1888年の実験ではロウ管に切った溝の断面が角ばっていたため、深いノコギリ状の音波を写せず成功とは呼べなかった。工程は円滑に進まず時間が長くかかる上、不良品の発生率が高かった[注 5]

ゴールド・モールド製法(1901年)ではロウ製の音源原盤(マスター)を真空チャンバー内の回転式マンドレルに設置すると、ポンプでガラスのベル型容器から空気をすべて抜く。金箔を2枚取り付けた誘導コイルに電流を流すと、外側を回転する磁石でマンドレルが回り、金箔がマスターの表面をごく薄く蒸発させる。このマスターをメッキタンクのモーターに取り付けて、金の成分を銅で置換する。溶けたマスター音源を金型から取り出すと、金属表面には音源がネガ版として現れる。マスターの筒は各工程で溝が浅く摩耗するにつれ、より広い送り幅が求められる。マスター金型で作成した「母型」から、さらに作業用金型を加工する。

エジソン・レコードとジェム蓄音機の広告(1900年)

ゴールド・モールド録音は1896年以降のエジソン社ブラウンワックス同様、アルミベースのロウを使用した。ただしカルナバロウ、松脂(まつやに)や油煙(ゆえん)を加えて黒さと光沢を出し、レコードの耐久性を伸ばしている。マンドレルを核にして加熱した型をロウの融解タンクにひたすと、まだ熱いうちに取り出し、コバを切削して台に据え、ぬるま湯にひたす。温度が下がったロウ管の直径が縮むと型から取り出し、トリミングして乾燥させ、削りカスなどを除去してから温めたマンドレルに取り付けて2時間放置、均等に収縮させた。この製法の考案者はジョナス・エイルズワースである。

1908年、エジソンは演奏時間4分強のアンバロール・レコードを発表する。工程はゴールド・モールド製法と同じでも、原料により硬質なロウを用いた。1912年にはセルロイドに置き換え、青い着色にちなんで「ブルー・アンバロール」に改名する。録音マスターを用意し、ゴールドモールド製法とほぼ同じ工程を進むが、芯に空気袋を備えたスチームジャケット金型を使用した。金型にセルロイド管を入れて蓋を閉じるとゴム製の空気袋が膨み、加熱した型の内面にセルロイド管を押し付けて陰刻された録音を転写する。次に空気袋を収縮させ冷たい空気を使いセルロイド管を縮めて取り出し、石膏タンクにつける。固まった石膏はオーブンで焼成し、次に石膏の内側にナイフでリブを刻む。レコードからクズやコバを落とすと梱包する。

  1. ^ Frow, George L; Sefl, Albert F. (1978) (英語). The Edison cylinder phonographs 1877-1929.. Sevenoaks, Kent, England: G. L. Frow. p. 185. ISBN 0-9505462-2-4. https://books.google.com/books?id=UHk5AQAAIAAJ&q=diameter+%22edison+cylinder%22&dq=diameter+%22edison+cylinder%22&hl=en&ei=mnSGTbGFDNOftgfD6OzeBA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&sqi=2&ved=0CC8Q6AEwAA. ""...the general dimensions of the Standard cylinder were 4 1/4 in. length, 2 1/4 in. external diameter, and internal diameter from 1 5/8 to 1 3/4 in., although there are small variations found, and extra long cylinders were marketed by some manufacturers"  標準型ロウ管の長さ4.25インチ (10.8 cm)、外径2.25インチ (5.7 cm)、内径1.37インチ (3.5 cm)–1.75インチ (4.4 cm)。内外径が細いものや長めの品を製造した業者もあった。
  2. ^ Fifth Regiment March played by Issler's Orchestra, 1889, MP3 at archive.org” (英語). Internet Archive. 17 September 2014閲覧。
  3. ^ Jonas Walter Aylsworth” (英語). www.aylesworth.net. 2020年8月25日閲覧。
  4. ^ Jonas Aylsworth” (英語). Plastics Hall of Fame(合成樹脂の殿堂). 2020年8月25日閲覧。
  5. ^ Obituary, Jonas Walter Aylsworth, June 8th, 1916(エイルズワース訃報)” (英語). edison.rutgers.edu. Edison Papers Digital Edition. 2020年8月25日閲覧。 デジタル版エジソン関係資料、ラトガーズ大学所蔵。
  6. ^ 小林秀. “ライブラリー > 化粧品用語集「せ」> セレシン”. 日本化粧品技術者会(SCCJ). 2020年8月25日閲覧。 “天然に産する鉱物ろう(地ろう、オゾケライト)を精製して得られる炭化水素類の混合物。無色または白色の塊で、主として炭素数29〜35のパラフィン*からなり、一部、イソパラフィンを含む。高い融点と、幅広い種類の油に対する安定した固化力、また耐温性の向上を目指す口紅などのスティック状製品に配合される。”
  7. ^ "Experiments of Jonas Aysworth notebook 1887–1889" (Document) (英語). Rutgers University/Edison Papers Project.
  8. ^ 『精選版 日本国語大辞典』の解説; 日本国語大辞典、世界大百科事典内言及. “トラッキング(とらっきんぐ)とは”. コトバンク. 2020年8月25日閲覧。
  9. ^ Jonas Aylsworth (1888–1889) (英語). The Edison Papers Project, Record Experiments 
  10. ^ Wurth, Albert Frank (00 December 1897). "Technical Notes and Drawings Cylinder recordings; Cylinder record and duplicating technology [NB145]" (Document) (英語). {{cite document}}: |date=の日付が不正です。 (説明); |title=の29文字目に改行が入力されています。 (説明); Cite documentでは|publisher=が必須です。 (説明); 不明な引数|work=は無視されます。 (説明)
  11. ^ Notebooks by Other Experimenters: N-97-12-15 (1897–1902) [NB145001; TAEM 104:104
  1. ^ 発売初年の1889年製で保存状態が比較的よく無料で聴ける例として、イスラーズ交響楽団が演じた『第5連隊マーチ』[2]がある。
  2. ^ 判例として「Edison papers Project National Phonograph Co 対 American Graphophone Co. Columbia Phonograph Company」を参照。1904年判例「Edison Papers Project National Phonograph Co. 対 American Graphophone Co. Columbia Phonograph Co」も参照。
  3. ^ なお、以上の原料ロウの配合研究に関する論は、関係者であるウォルター・ミラー、ジョナス・エイルズワース、トーマス・エジソン、アドルフ・メルツァー、チャールズ・ワースが残した資料から事実を集めて構成した。
  4. ^ トラッキングとは音声や動画の再生時に、針が正確に溝をたどること[8]
  5. ^ 研究資料集のうちエイルズワース自著の記録[9]、ワース自筆[10]他の実験担当者によるメモ[11]がある。