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利用者:Nisina17/sandbox

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日本の医学校

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1883年の文部省の医学校通則で、公立医学校には甲種、乙種の別が定められる。甲種はその際、宮城、秋田、千葉、新潟、石川県金沢、愛知、三重県甲種、京都府、大阪、神戸、岡山県、徳島、福岡、長崎、熊本の各医学校が認定された。

  • 大阪医学校(Boudin, 1868年、後すぐに閉鎖)
  • 浪華仮病院および仮医学校・大阪府立大阪医学校(1869年-1872年, 岩佐純, 後、旧大阪府立高等医学校、府立大阪医科大学、源流は適塾、現・大阪大学医学部
  • 医学校兼病院(東京, 開成所から医学所・大病院を改称, 1869年→大学校 (1869年)、大学東校, 1870年→大学区医学校, 1872年→東京医学校, 1875年→東京医学校, 1877年→東京大学医学部→帝国大学医科大学 1886年、医学部別課廃止(1885年)→東京帝国大学医科大学→東京帝国大学医学部→東京大学医学部)
  • 徳島・阿波藩立医学校(1869年)
  • 沼津兵学校付属医学所(1869年、駿河藩)
  • 早稲田私塾・蘭鋳医院(1870年)
  • 兵庫県立神戸医学校(1882-1888、前身は神戸病院附属医学所, 1869, 附属医学所, 1876, 後、兵庫県立医科大学、現・神戸大学医学部)
  • 福岡県立福岡医学校(1879, 前身は賛生館, 1867, と福岡県旧藩校修猷館内診察所, 1874, 修猷館内診察所→福岡病院, 1877-1879, 後、県立福岡病院付属, 1888, 京都帝国大学福岡医科大学, 1903→九州帝国大学医科大学, 1911, 現・九州大学医学部)
  • 岡山藩医学館(1870年, 医学所→医学教場、岡山県医学校、岡山甲種医学校→第三高等中学校医学部→第三高等学校 (旧制)医学部→岡山医学専門学校, 1901年→岡山医科大学 (旧制)、現・岡山大学医学部)
  • 軍医学校(前身は軍医寮学舎, 1872年)
  • 陸軍軍医学校
  • 海軍軍医学校
  • 慶應義塾医学所(1873年-1880年, 1920- 現・慶應義塾大学医学部東京慈恵会医科大学
  • 熊本医学校(1878年, 前身は古城医学所病院1872→古城医学校)
  • 須賀川医学校(公立岩瀬病院に併設)
  • 熊谷県医学校(前身は桐生明治館
  • 栃木県医学校
  • 山梨県立病院内医学校(山梨県立中央病院
  • 愛知医学校(1881年, 前身は仮病院(名古屋県)仮医学校・西本願寺別院・病院併設医学講習所, 1873年, 後、公立医学所, 1877年→公立医学校→名古屋県立医科大→名古屋市立医科大、現・名古屋大学医学部
  • 度会県医学校(後、三重県医学校と合併)
  • 三重県医学校(後、三重県立医科大学 (旧制)
  • 岐阜・天臣堂(1874年)
  • 華浦医学校(1874,前身は華浦医院・華浦医学舎)
  • 医学舎三田尻医事考究所(1874年)
  • 名古屋好生医学校(1875年)
  • 岐阜県医学校(1875年, 前身は岐阜県公立病院附属医学校、現・岐阜県立医科大学
  • 秋田医学校(1875年, 1883年-1887年)
  • 濟生學舎長谷川泰, 1876年-1903年 (現・日本医科大学の前身、現存する日本最古の私立医学校
  • 濟生學舎・女子医学講習所(1901年)
  • 済生館医学校(山形県, 1876年-1888年、在校生らは宮城県医学校へ)
  • 大阪・明治医学舎(1876年)
  • 前橋・医学校(1876年)
  • 伊勢医学校(1876年)
  • 栃木県医学校(1876年)
  • 津・温古堂(1877年)
  • 群馬・相奈医学校(1877年)
  • 静岡・敬仁堂学舎(1877年)
  • 宇都宮医学校(1878年)
  • 青森県病院附属医学校(1878年)
  • 山形医学所(1878年)
  • 熊本医学校(1878年)
  • 群馬・内田医学校(1878年) 群馬医学校廃止、(1879年)
  • 愛知・蜜蜂医学校(1878年)
  • 米沢医学舎(1879年)
  • 高知藩医学校(後、県立高知医学校, 1879年)
  • 小倉医学校(1879年)
  • 新潟県立新潟医学校(1878 後、新潟県立甲種新潟医学校、新潟医科大学 (旧制)、現・新潟大学医学部
  • 大阪・回春附属医学校(1879年)
  • 水戸医学校(1879年)
  • 皇漢医学校・皇漢医学講師講習所(1879年)
  • 皇漢医学講習所(1881年)
  • 金沢医学舎(後、福井、富山医学舎と合併, 1879年)
  • 和歌山医学校
  • 高松医学校
  • 松山県立医学校
  • 広島県立医学校(源流は躋寿館、私設医学校を県に移管 後、広島医科大学、現・広島大学医学部
  • 島根県医学校
  • 中津医学校
  • 大分県病院兼医学校(大分県立病院, 開設の地は現OASISひろば21)
  • 福井藩医学校(後、福井医学校)
  • 台湾総督府医学校(現・国立台湾大学医学院)
  • 私立熊本医学校(後、旧制私立熊本医学専門学校→熊本医科大学 (旧制) 、現・熊本大学医学部
  • 成医会講習所(後、東京慈恵医院医学校1890年 現・東京慈恵会医科大学
  • 至誠会 (後、東京女医学校、現・東京女子医科大学
  • 東京・東亜医学校(1882年)
  • 共立東京病院・看護婦教育所(1883年)
  • 歯科矯和会(高橋富士松, 既実務者の研修会, 1888年)
  • 東京歯科専門学校(石橋泉, 1888年)
  • 東京・大沢歯科医学校・・〈継続期間・不明, 1889年)
  • 歯科矯和会・歯科講義会と改名(1889年)
  • 高山歯科医学院(高山紀斎, 1890年, 現・東京歯科大学
  • 愛知歯科医学校・(渡邊敬三郎, 1893年)
  • 仙台歯科医学校(1893年)
  • 大阪歯科医学講習所・(藤原市太郎, 1893年)
  • 大阪歯科学教授所(藤原正哉, 1895年)
  • 京都帝国大学・医学部(1899年)
  • 東京歯科医院・神田・・・・(高山歯科医学院を引継ぎ, 1900年)
  • 東京女子医学校(吉岡弥生, 1900年)
  • 私立岩手医学校(1901年, 現・岩手医科大学
  • 京都府立医学校、京都府立医学校(1901,前身は京都療病院,1872年, 現京都府立医科大学
  • 千葉県立千葉医学校、(前身は公立千葉病院医学教場、後、第一高等中学校医学部→第一高等学校 (旧制)医学部→千葉医学専門学校, 1901年→千葉医科大学 (旧制)、現・千葉大学医学部)
  • 仙台藩医学校(前身は養賢堂から分離した医学館。後、仙台医学校→第二高等中学校医学部→第二高等学校 (旧制)医学部→仙台医学専門学校, 1901年→東北帝国大学医学専門部, 1912→東北帝国大学医科大学、東北大学医学部の源流)
  • 県立宮城医学校(甲種医学校, 1882-1888, 廃校後生徒は第二高等中学校医学部へ,1888年)
  • 金沢県立金沢医学校(前身は加賀藩種痘所,1862年→養生所,1867年→医学館,1870年→私立金沢病院,1873年→県立病院,1875年→医学所分離させ金沢医学所,1876年, 後、石川県甲種医学校,1887→ 第四高等中学校医学部→第四高等学校 (旧制)医学部→金沢医学専門学校,1901→金沢医科大学 (旧制)、現・金沢大学医学部)
  • 東京帝国大学医学部歯科学教室(石原久, 1902年)
  • 私立東京医学校(済生学舎から, 1904年、私立日本医学校に合併、1910年)
  • 私立日本医学校(現・日本医科大学、1903年長谷川泰の済生学舎廃校宣言以後済生学舎同窓医学講習会、医学研究会を経て1904年)
  • 東京鍼灸医学校

歯科医学校

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旧制専門学校である学校は旧制歯科医学専門学校を参照。大学である学校は歯学部歯科大学を参照。

  • 東京歯科専門医学校(石橋泉、1888年)→(1889年廃止)
  • 東京歯科専門医学校(久保田豊、1888年)→(1897年頃自然消滅)
  • 東京歯科学院(1905年、2年6ヶ月課程)
  • 京都歯科医学校(苗賀房三郎、1905年)
  • 岡山歯科医学校(瓜生源太郎、1905年)
  • 東京歯科医学院(1900年)→東京歯科医学専門学校(1907年)→東京歯科大学
  • 東京女子歯科医学講習所(1910年)→東京女子歯科医学専門学校(1922年)→日本女子歯科医学専門学校(1934年)→(1950年廃止、のちに神奈川歯科大学開校)
  • 大阪歯科医学校(1912年)→大阪歯科医学専門学校(1917年)→大阪歯科大学
  • 関西歯科講習所(門倉清広、1897年)
  • 長交会歯科講習会(長井兵助、1897年)
  • 共立歯科医学校(中原市五郎、1907年)→日本歯科医学校(1909年)→日本歯科医学専門学校(1919年)→日本歯科大学
  • 日本歯科医学専門学校附属日本歯科医学校(1909年)→(1920年廃止)
  • 広島女子歯科医学校(熊谷鉄之助、1911年)→(1924年廃止)
  • 九州歯科医学校(1914年)→九州歯科医学専門学校(1921年)→福岡県立医学歯学専門学校(1944年)→福岡県立歯科医学専門学校(1947年)→九州歯科大学
  • 東洋歯科医学校(1916年)→東洋医学専門学校(1919年)→日本大学専門部歯科(1922年)→日本大学歯学部
  • 明華女子歯科講習所 (1917年)→明華女子歯科医学専門学校(1921年)→東洋女子歯科医学専門学校(1926年)→(1950年廃止)
  • 中央歯科医学講習所(大阪、1918年)
  • 東京市歯科医学専門学校(1919年)
  • 中央歯科医学校(東京・門石長秋、1920年)
  • 豊橋歯科医学講習所(金山駿五郎、1920年)
  • 県立鹿児島病院歯科(柴田実、1922年)
  • 京北歯科医学校 (浦和・大久保通次、1926年)

獣医学校

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  • 大阪獣医学講習所(1883年)→大阪府立農学校獣医科(1888年)→大阪高等獣医学校(1942年)→大阪獣医畜産専門学校(1945年)→大阪府立大学生命環境科学部獣医学科
  • 宮崎県獣医学校(1893年)→宮崎県立農学校獣医科(1900年)
  • 愛媛県立獣医学校(1887年)→(1892年廃止)
  • 山口県栽培試験場農事講習会獣医科(1883年)→山口県山口農学校獣医科(1885年)→山口県立小郡農業学校第二部獣医科(1924年)→山口県立山口高等獣医学校(1944年)→山口獣医畜産専門学校(1945年)→山口大学農学部獣医学科
  • 帯広高等獣医学校(1941年)→帯広畜産大学畜産学部獣医学科
  • 東京獣医講習所・麻布獣医学校(1894年)→ 麻布獣医畜産学校(1912年)→麻布獣医専門学校(1944年)→麻布大学獣医学部
  • 私立獣医学校(1881年)→特別認可私立東京獣医学校(1892年)→日本獣医学校が継承(1911年)→日本獣医生命科学大学獣医学部
  • 東京獣医学校(1907年)→東京高等獣医学校(1930年)→東京獣医畜産専門学校(1945年)→東京獣医畜産大学→日本大学獣医学部獣医学科→日本大学生物資源科学部獣医学科
  • 外山牧場内獣医学舎(1879年)→岩手県獣医学校→岩手県農学校(1899年、岩手県農事講習所と合併)→岩手県立農学校(1901年)→(1936年獣医科廃止、現・岩手県立盛岡農業高等学校
  • 甘木獣医学校(梅野信吉、1886年)
  • 陸軍省兵学寮馬医生徒(1873年)→陸軍馬医学会(1877年)→陸軍獣医学校(1893年)→(1945年廃止)
  • 長崎獣医学校
  • 下総種畜場変則獣医科(1880年)→駒場農学校獣医学乙科(1882年)→東京農林学校獣医学部(1886年)→帝国大学農科大学乙科(1890年)→東京帝国大学農科大学乙科(1897年)→東京帝国大学農科大学実科獣医学科(1898年)→東京帝国大学農学部実科獣医学科(1919年)→東京高等農林学校獣医学科(1935年)→東京農林専門学校獣医学科(1944年)→東京農工大学農学部獣医学科
  • 秋田県獣医学校

関東私鉄

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特徴

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線路幅

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関東私鉄では線路幅JRと同じ、狭軌(1067mm)が多数採用されている。 なお、京王線(井の頭線除く)及び東急世田谷線は「馬車軌間」と通称される1372mm軌間を採用しているが、この軌間は東京とその周辺では一時広く採用されたのに対し、日本国内のみならず世界的に見ても、東京周辺以外での使用例がきわめて少ないことから、これを東京ゲージと呼ぶ鉄道史家もいる[1][2]

ターミナル駅

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関西大手私鉄の大阪環状線よりも内側にある大阪都心側にターミナル駅を設置する例が見られるが、関東大手私鉄のターミナル駅は主に環状路線であるJR山手線に接続する駅に存在する。山手線より内側に存在するのは西武新宿駅京成上野駅のみであり、この2駅に関しても山手線との接続駅(それぞれ新宿駅、上野駅)である。これは山手線の各駅に接続することにより、各私鉄が自力で都心に延伸するよりもターミナルに自社系列の商業施設を集中した方が利益になると判断したからである。こうして、複数の私鉄路線がターミナル駅を置く渋谷、新宿、池袋は副都心として発展を遂げた。このほか、山手線には品川駅日暮里駅高田馬場駅目黒駅五反田駅の各駅にも大手私鉄の路線が乗り入れている。

  1. ^ 加藤新一「『東京ゲージ』をめぐる鉄道史」『地理』第41巻11号(通巻491号)、古今書院、1996年11月、48-53頁、NAID 40002447064 
  2. ^ 宮田道一、広岡友紀『東急電鉄まるごと探見 歴史・路線・運転・ステンレスカーJTBパブリッシング、2014年3月、155頁。ISBN 978-4-533-09630-3