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1972年札幌オリンピックのレガシーとは、大会開催の結果、開催都市札幌および開催国日本にもたらされた長期的な影響や効果。大会後、開催地には有形無形のレガシーが残る。
都市インフラ
[編集]世界有数の積雪都市である札幌の交通環境を向上させた地下鉄開通や、地下街の建設、真駒内地区の整備や市街の近代化など、オリンピック開催がインフラ整備に多大な貢献をしたと評価されている[1][2]。
地下鉄
[編集]高度経済成長期、急速なモータリゼーションの進行によって特に積雪期の慢性的交通渋滞に悩まされていた札幌市では、市内交通の中心だった市電と路線バスによる輸送が限界に近づいていた[3][4]。会期中の選手や観客を輸送するためには市電やバスの輸送力では対応しきれないことから、高速・大量輸送可能な交通機関として、市は地下鉄の敷設を決定した[5]。この時に建設されたのが札幌市営地下鉄南北線で、大会の会場が集中する真駒内駅と美香保屋内スケート競技場のある北24条駅間が札幌の中心街を経て結ばれた[3][4]。大会終了後も雪国における市民の足としての役割を担っている[5]。
地下街
[編集]地下鉄の建設に合わせて本格的な地下街も誕生した[2]。大通駅を起点に、さっぽろテレビ塔までのオーロラタウンとすすきの駅までのポールタウンの2つのエリアからなり、地下を有効に活用することで都心の過密化緩和に寄与し、積雪寒冷地である札幌のまちづくりを大きく発展させた[6]。
道路
[編集]当時の札幌市では人口の増加や市街地拡大にともなって道路整備の必要性が高まっており、1966年に札幌オリンピックの開催が決まると、多くの道路整備が前倒しで進められた[2]。その計画は将来の地域開発を見据えて、大会用途に限定することなく策定された[7]。道央自動車道(北広島IC - 千歳IC間)など道内初の高速道路や[3]、真駒内会場の整備の一環としての五輪大橋、五輪小橋もこのとき開通した[8]。
都市の知名度
[編集]オリンピックの開催により札幌の知名度が世界的に向上し、国際化に大いに役立った[9]。三菱自動車がその知名度に着目し、海外で「Sapporo(日本名はギャランΛ)」という名称の車種を売り出すなどの事例もあった。
スポーツ・レガシー
[編集]ウィンタースポーツの浸透
[編集]1960年代の日本では多くの人が積極的にレジャーへくり出し、スキーも冬のレジャーのひとつとされて競技人口が増加した。札幌オリンピックの開催が決定するとスキーブームはますます過熱した[10]。
当時はウィンタースポーツが文化として根づいているとは言いがたく、一部の人の贅沢なレジャーでしかなかったが、大会における日本選手らの活躍はより多くの人の関心を呼び、ウィンタースポーツを文化として浸透させた[11]。特に「日の丸飛行隊」の活躍はスキージャンプという競技すら知らなかった日本の子どもたちをも熱狂させ、学校の休み時間に「さあ、笠谷!」と言って椅子の上から前方へ飛び出す遊びが流行するなど、ウィンタースポーツを身近なものに変える大きな原動力となった[12]。
競技施設
[編集]ウィンタースポーツ用施設が充実したことにより、札幌はアジアの冬季競技の拠点としての地位を築いたといわれる。
札幌オリンピックスキージャンプ競技の会場となった大倉山ジャンプ競技場と宮の森ジャンプ競技場は、ノルディックスキー世界選手権が初めてアジアで開催された2007年札幌大会でも、スキージャンプの会場として使用された[13]。スキージャンプ・ワールドカップでは第1回の1980年以来ほぼ毎年、札幌大会がサーキットに組み込まれている[14]。
大会の予備コースであった藤野リュージュ競技場は札幌オリンピックの実際の競技では使用されなかったが、日本国内に2箇所あるリュージュ競技場のうちの1つとなっている[15]。
恵庭岳滑降競技場
[編集]恵庭岳滑降競技場は、競技のために山腹の樹木を広範囲に伐採することが環境保護団体などから批判を浴び、大会終了後に索道施設は撤去され植林による再緑化がなされた[16]。
出典
[編集]- ^ Kagaya, Seiichi (1991). “Infrastructural facilities provision for Sapporo's winter Olympic of 1972 and its effects on regional developments”. Revue de Géographie Alpine 79 (3): 59-71 .
- ^ a b c 間野義之 2013, p. 153.
- ^ a b c Sapporo 1972, p. 304.
- ^ a b “建設新聞で読み解くあのときの札幌 第13回「五輪を支えた都市施設〈地下鉄(高速軌道)①〉」”. 北海道建設新聞. (2019年3月10日)
- ^ a b 間野義之 2013, pp. 152–153.
- ^ “建設新聞で読み解くあのときの札幌 第16回「五輪を支えた都市施設〈地下街①〉」”. 北海道建設新聞. (2019年4月14日)
- ^ “建設新聞で読み解くあのときの札幌 第18回「五輪を支えた都市施設〈道路①〉」”. 北海道建設新聞. (2019年6月19日)
- ^ “建設新聞で読み解くあのときの札幌 第19回「五輪を支えた都市施設〈道路②〉」”. 北海道建設新聞. (2019年8月18日)
- ^ 間野義之 2013, pp. 162–163.
- ^ 監修/稲葉茂勝、文/大熊廣明『時代背景から考える日本の6つのオリンピック』 2)1972年札幌大会&1998年長野大会、ベースボール・マガジン社、2015年、16頁。ISBN 978-4583108896。
- ^ 間野義之 2013, pp. 157–158.
- ^ 間野義之 2013, pp. 149–150.
- ^ “世界スキー2007ノルディック札幌大会”. テレビ朝日. 2021年6月20日閲覧。
- ^ “スキージャンプ ワールドカップ札幌大会 中止発表”. NHK. (2020年11月12日)
- ^ “藤野リュージュ競技場”. 札幌市南区. 2021年6月20日閲覧。
- ^ 間野義之 2013, pp. 156–157.
参考文献
[編集]- Sapporo, The Organizing Committee for the XIth Olympic Winter Games (1972), Official Report of the 1972 Olympic Games
- 間野義之『オリンピック・レガシー: 2020年東京をこう変える!』ポプラ社、2013年。ISBN 978-4591137758。