利用者:Me2hero/大阪府の地名/泉北郡の地名
本項泉北郡の地名では、大阪府泉北郡の町村について、その町字を中心とした地名について記述する。
概要
[編集]泉北郡は、1896年(明治29年)4月1日、郡制の施行のため、大鳥郡・和泉郡の区域をもって発足した。本項では泉北郡発足から現在まで、当郡所属の町村を対象とするが、その始点について1889年(明治22年)4月1日の町村制施行の時点まで遡って記述する。この間、当郡域内では大鳥郡中上神村・南上神村が廃止されているが、これも対象とする。2023年現在、当郡には忠岡町の1町が存在する。
目次
[編集]一覧
[編集]町村名 | よみ | 成立年月日 | 廃止年月日 |
---|---|---|---|
穴師村 | あなしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)8月20日 |
和泉町 | いずみちょう | 1933年(昭和8年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
泉ヶ丘町 | いずみがおかちょう | 1955年(昭和30年)4月1日 | 1959年(昭和34年)5月3日 |
大津村 | おおつむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1915年(大正4年)4月1日 |
大津町(第1次) | おおつちょう | 1915年(大正4年)4月1日 | 1931年(昭和6年)8月20日 |
大津町(第2次) | おおつちょう | 1931年(昭和6年)8月20日 | 1942年(昭和17年)4月1日 |
鳳村 | おおとりむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1920年(大正9年)6月1日 |
鳳町 | おおとりちょう | 1920年(大正9年)6月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
神石村 | かみいしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1938年(昭和13年)2月11日 |
上条村 | かみじょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1931年(昭和6年)8月20日 |
北池田村 | きたいけだむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
北上神村 | きたにわむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1935年(昭和10年)2月11日 |
北松尾村 | きたまつおむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
久世村 | くぜむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
郷荘村 | ごうしょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
五箇荘村 | ごかしょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1938年(昭和13年)9月1日 |
国府村 | こくふむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
三宝村 | さんぽうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1926年(大正15年)10月1日 |
信太村 | しのだむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1960年(昭和35年)8月1日 |
高石村 | たかいしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1915年(大正4年)1月1日 |
高石町 | たかいしちょう | 1915年(大正4年)1月1日 | 1966年(昭和41年)11月1日 |
忠岡村 | ただおかむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1939年(昭和14年)10月1日 |
忠岡町 | ただおかちょう | 1939年(昭和14年)10月1日 | 現存 |
踞尾村 | つくのむら | 1891年(明治24年)2月25日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
鶴田村 | つるたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1935年(昭和10年)2月11日 |
取石村 | とりいしむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1953年(昭和28年)4月1日 |
中上神村 | なかにわむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1894年(明治27年)11月10日 |
中百舌鳥村 | なかもずむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1919年(大正8年)4月1日 |
西陶器村 | にしとうきむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
西百舌鳥村 | にしもずむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1919年(大正8年)4月1日 |
西横山村 | にしよこやまむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1903年(明治36年)5月1日 |
上神谷村 | にわだにむら | 1894年(明治27年)11月10日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
伯太村 | はかたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1933年(昭和8年)4月1日 |
浜寺町 | はまでらむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1914年(大正3年)4月1日 |
浜寺町 | はまでらちょう | 1914年(大正3年)4月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
八田荘村 | はったしょうむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
東陶器村 | ひがしとうきむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1955年(昭和30年)4月1日 |
東百舌鳥村 | ひがしもずむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
東横山村 | ひがしよこやまむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1903年(明治36年)5月1日 |
深井村 | ふかいむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1942年(昭和17年)7月1日 |
福泉町 | ふくいずみちょう | 1935年(昭和10年)2月11日 | 1961年(昭和36年)3月1日 |
舳松村 | へのまつむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1925年(大正14年)10月1日 |
美木多村 | みきたむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月30日 |
湊村 | みなとむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1915年(大正4年)10月1日 |
湊町 | みなとちょう | 1915年(大正4年)10月1日 | 1920年(大正9年)4月1日 |
南池田村 | みなみいけだむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
南王子村 | みなみおうじむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1943年(昭和18年)10月7日 |
南上神村 | みなみにわむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1894年(明治27年)11月10日 |
南松尾村 | みなみまつおむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
南横山村 | みなみよこやまむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
向井村 | むかいむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1913年(大正2年)11月1日 |
向井町 | むかいちょう | 1913年(大正2年)11月1日 | 1920年(大正9年)4月1日 |
百舌鳥村 | もずむら | 1919年(大正8年)4月1日 | 1938年(昭和13年)9月1日 |
八坂町 | やさかちょう | 1943年(昭和18年)10月7日 | 1960年(昭和35年)8月1日 |
山滝村 | やまたきむら | 1889年(明治22年)4月1日 | 1948年(昭和23年)4月1日 |
横山村 | よこやまむら | 1903年(明治36年)5月1日 | 1956年(昭和31年)9月1日 |
変遷表
[編集]旧郡 | 明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正元年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和29年 | 昭和30年 - 昭和63年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
大鳥郡 | 向井村 | 向井村 | 大正2年11月1日 向井町 |
大正9年4月1日 堺市に編入 |
堺市 | 堺市 | 平成18年4月1日 堺市堺区 |
堺市 | |
湊村 | 湊村 | 大正4年10月1日 湊町 | |||||||
舳松村 | 舳松村 | 大正14年10月1日 堺市に編入 | |||||||
三宝村 | 三宝村 | 大正15年10月1日 堺市に編入 | |||||||
神石村 | 神石村[1] | 昭和13年2月11日 堺市に編入 | |||||||
明治24年2月25日 分立 踞尾村 |
踞尾村 | 昭和17年7月1日 堺市に編入 |
堺市 | 堺市 | 平成18年4月1日 堺市西区 | ||||
浜寺村 | 浜寺村 | 大正3年4月1日 浜寺町 | |||||||
鳳村 | 鳳村 | 大正9年6月1日 鳳町 | |||||||
八田荘村[2] | 八田荘村 | 昭和17年7月1日 堺市に編入 | |||||||
昭和17年7月1日 堺市に編入 |
堺市 | 堺市 | 平成18年4月1日 堺市中区 | ||||||
東百舌鳥村 | 東百舌鳥村 | 昭和17年7月1日 堺市に編入 | |||||||
深井村 | 深井村 | ||||||||
久世村 | 久世村 | 久世村 | 久世村 | 昭和30年4月1日 泉ヶ丘町[3] |
昭和34年5月3日 堺市に編入 | ||||
東陶器村 | 東陶器村 | 東陶器村 | 東陶器村 | ||||||
西陶器村 | 西陶器村 | 西陶器村 | 西陶器村 | 平成18年4月1日 堺市南区 | |||||
中上神村 | 明治27年11月10日 上神谷村 |
上神谷村 | 上神谷村 | ||||||
南上神村 | |||||||||
鶴田村 | 鶴田村 | 昭和10年2月11日 福泉町[3] |
福泉町 | 福泉町 | 昭和36年3月1日 堺市に編入 | ||||
北上神村 | 北上神村 | ||||||||
美木多村 | 美木多村 | 美木多村 | 美木多村 | 昭和31年9月30日 福泉町に編入 | |||||
五箇荘村 | 五箇荘村 | 五箇荘村 | 昭和13年9月1日 堺市に編入 |
堺市 | 堺市 | 平成18年4月1日 堺市北区 | |||
西百舌鳥村 | 西百舌鳥村 | 大正8年4月1日 百舌鳥村[4] | |||||||
中百舌鳥村 | 中百舌鳥村 | ||||||||
高石村 | 高石村 | 大正4年1月1日 高石町 |
高石町 | 昭和41年11月1日 高石市 |
高石市 | 高石市 | |||
取石村 | 取石村 | 取石村 | 昭和28年4月1日 高石町に編入 | ||||||
和泉郡 | 大津村 | 大津村 | 大正4年4月1日 大津町 |
昭和17年4月1日 泉大津市 |
泉大津市 | 泉大津市 | 泉大津市 | 泉大津市 | |
上条村 | 上条村 | 昭和6年8月20日 大津町に編入 | |||||||
穴師村 | 穴師村 | ||||||||
忠岡村 | 忠岡村 | 昭和14年10月1日 忠岡町 |
忠岡町 | 忠岡町 | 忠岡町 | 忠岡町 | |||
伯太村 | 伯太村 | 昭和8年4月1日 和泉町 |
和泉町 | 昭和31年9月1日 和泉市 |
和泉市 | 和泉市 | |||
国府村 | 国府村 | ||||||||
郷荘村 | 郷荘村 | ||||||||
北池田村 | 北池田村 | 北池田村 | 北池田村 | ||||||
南池田村 | 南池田村 | 南池田村 | 南池田村 | ||||||
東横山村 | 明治36年5月1日 横山村 |
横山村 | 横山村 | ||||||
西横山村 | |||||||||
南横山村 | 南横山村 | 南横山村 | 南横山村 | ||||||
北松尾村 | 北松尾村 | 北松尾村 | 北松尾村 | ||||||
南松尾村 | 南松尾村 | 南松尾村 | 南松尾村 | ||||||
信太村 | 信太村 | 信太村 | 信太村 | 昭和35年8月1日 和泉市に編入 | |||||
南王子村 | 南王子村 | 昭和18年10月7日 八坂町 |
八坂町 | ||||||
山滝村 | 山滝村 | 山滝村 | 昭和23年4月1日 岸和田市に編入 |
岸和田市 | 岸和田市 | 岸和田市 |
穴師村
[編集]穴師村は1889年(明治22年)、和泉郡池浦村・豊中村・板原村・我孫子村・穴田村・宮村・虫取村が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[5]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 穴田(1931年大津町に継承。)
- 我孫子(1931年大津町に継承。)
- 池浦(1931年大津町に継承。)
- 板原(1931年大津町に継承。)
- 豊中(1931年大津町に継承。)
- 宮(1931年大津町に継承。)
- 虫取(1931年大津町に継承。)
1931年(昭和6年)、上条村・大津町と合併し、穴師村廃止。改めて発足した大津町の一部となる。
和泉町
[編集]和泉町は1933年(昭和8年)、泉北郡国府村・伯太村・郷荘村が合併することにより成立。合併各村の大字を継承した15大字を編成[6]。
- 旧国府村
- 井ノ口(1956年和泉市井ノ口町となる。)
- 小田(1956年和泉市小田町となる。)
- 肥子(1956年和泉市肥子町となる。)
- 府中(1956年和泉市府中町となる。)
- 和気(1956年和泉市和気町となる。)
- 旧伯太村
- 旧郷荘村
- 一条院(1956年和泉市一条院町となる。)
- 今在家(1956年和泉市芦部町となる。)
- 今福(1956年和泉市今福町となる。)
- 観音寺(1956年和泉市観音寺町となる。)
- 桑原(1956年和泉市桑原町となる。)
- 阪本(1956年和泉市阪本町となる。)
- 寺門(1956年和泉市寺門町となる。)
1956年(昭和31年)、北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村と合併し、和泉町廃止。新設の和泉市の一部となる。
泉ヶ丘町
[編集]泉ヶ丘町は1955年(昭和30年)、泉北郡久世村・東陶器村・西陶器村・上神谷村が合併することにより成立。合併各町村の大字を継承した25大字を編成[7]。
- 旧久世村
- 小阪(1959年堺市に継承。)
- 楢葉(1959年堺市に継承。)
- 八田(1959年堺市東八田となる。)
- 東山(1959年堺市に継承。)
- 平井(1959年堺市に継承。)
- 伏尾(1959年堺市に継承。)
- 和田(1959年堺市に継承。)
- 旧東陶器村
- 旧西陶器村
- 旧上神谷村
- 片蔵(1959年堺市に継承。)
- 田中(1959年堺市泉田中となる。)
- 栂(1959年堺市に継承。)
- 豊田(1959年堺市に継承。)
- 釜室(1959年堺市に継承。)
- 逆瀬川(1959年堺市に継承。)
- 富蔵(1959年堺市に継承。)
- 畑(1959年堺市に継承。)
- 鉢ケ峯寺(1959年堺市に継承。)
1959年(昭和34年)に堺市に編入され、泉ヶ丘町廃止。
大津村 → 大津町
[編集]大津村は1889年(明治22年)、和泉郡下条大津村・宇多大津村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[8]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]1915年(大正4年)、町制施行して大津町となる。
大字の設置
[編集]- 1928年(昭和3年)
- 1931年(昭和6年)
上条村・穴師村と合併し、改めて大津町が発足。
- 旧上条村
- 綾井(1942年泉大津市に継承。)
- 尾井千原(1942年泉大津市に継承。)
- 北曽根(1942年泉大津市に継承。)
- 助松(1942年泉大津市に継承。)
- 千原(1942年泉大津市に継承。)
- 二田(1942年泉大津市に継承。)
- 南曽根(1942年泉大津市に継承。)
- 森(1942年泉大津市に継承。)
- 旧穴師村
- 穴田(1942年泉大津市に継承。)
- 我孫子(1942年泉大津市に継承。)
- 池浦(1942年泉大津市に継承。)
- 板原(1942年泉大津市に継承。)
- 豊中(1942年泉大津市に継承。)
- 宮(1942年泉大津市に継承。)
- 虫取(1942年泉大津市に継承。)
1942年(昭和17年)、市制施行し郡を離脱。泉大津市となる。
鳳村 → 鳳町
[編集]鳳村は1889年(明治22年)、大鳥郡北王子村・長承寺村・大鳥村・野代村村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[9]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1920年(大正9年)、町制施行して鳳町となる。
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、鳳町廃止。
神石村
[編集]神石村は1889年(明治22年)、大鳥郡踞尾村・上石津村・市村村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[10]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1934年(昭和9年)
- 旭ケ丘(上石津の一部より、1938年堺市神石村大字旭ケ丘となる。)
1938年(昭和13年)に堺市に編入され、神石村廃止。
上条村
[編集]上条村は1889年(明治22年)、和泉郡助松村・千原村・尾井千原村・森村・綾井村・南曽根村・北曽根村・二田村が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[11]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 綾井(1931年大津町に継承。)
- 尾井千原(1931年大津町に継承。)
- 北曽根(1931年大津町に継承。)
- 助松(1931年大津町に継承。)
- 千原(1931年大津町に継承。)
- 二田(1931年大津町に継承。)
- 南曽根(1931年大津町に継承。)
- 森(1931年大津町に継承。)
1931年(昭和6年)、大津町・穴師村と合併し、上条村廃止。改めて発足した大津町の一部となる。
北池田村
[編集]北池田村は1889年(明治22年)、和泉郡池田下村・坂本新田・伏屋新田・室堂村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[12]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1956年(昭和31年)、和泉町・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村と合併し、北池田村廃止。新設の和泉市の一部となる。
北上神村
[編集]北上神村は1889年(明治22年)、大鳥郡大庭寺村・大平寺村・小代村・野々井村・三木閉村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[13]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1935年(昭和10年)、鶴田村と合併し、北上神村廃止。新設の福泉町の一部となる。
北松尾村
[編集]北松尾村は1889年(明治22年)、和泉郡唐国村・寺田村・箕形村・内田村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[14]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1956年(昭和31年)、和泉町・北池田村・南池田村・南松尾村・横山村・南横山村と合併し、北松尾村廃止。新設の和泉市の一部となる。
久世村
[編集]久世村は1889年(明治22年)、大鳥郡小坂村・八田村・平井村・伏尾村・和田村・東山新田・楢葉新田が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[15]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 小阪(1955年泉ヶ丘町に継承。)
- 楢葉新田(1910年楢葉と改称。)
- 八田(1955年泉ヶ丘町に継承。)
- 東山新田(1910年東山と改称。)
- 平井(1955年泉ヶ丘町に継承。)
- 伏尾(1955年泉ヶ丘町に継承。)
- 和田(1955年泉ヶ丘町に継承。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1955年(昭和30年)、東陶器村・西陶器村・上神谷村と合併し、久世村廃止。新設の泉ヶ丘町の一部となる。
郷荘村
[編集]郷荘村は1889年(明治22年)、和泉郡今在家村・観音寺村・桑原村・一条院村・坂本村・寺門村・今福村が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[16]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 一条院(1933年和泉町に継承。)
- 今在家(1933年和泉町に継承。)
- 今福(1933年和泉町に継承。)
- 観音寺(1933年和泉町に継承。)
- 桑原(1933年和泉町に継承。)
- 阪本(1933年和泉町に継承。)
- 寺門(1933年和泉町に継承。)
1933年(昭和8年)、国府村・伯太村と合併し、郷荘村廃止。新設の和泉町の一部となる。
五箇荘村
[編集]五箇荘村は1889年(明治22年)、大鳥郡奥村・北花田村・船堂村・大豆塚村・万屋新田・花田新田・浅香山村・庭井新田が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[17]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 奥(1938年堺市五箇荘村大字奥となる。)
- 北花田(1938年堺市五箇荘村大字北花田となる。)
- 船堂(1938年堺市五箇荘村大字船堂となる。)
- 大豆塚(1938年堺市五箇荘村大字大豆塚となる。)
- 万屋新田(1910年万屋と改称。)
- 花田新田(1910年花田と改称。)
- 浅香山(1938年堺市五箇荘村大字浅香山となる。)
- 庭井新田(1910年庭井と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 1927年(昭和2年)
- 常磐(花田・庭井・万屋より、1938年堺市五箇荘村大字常磐となる。)
- 1933年(昭和8年)
- 新堀(船堂の一部より、1938年堺市五箇荘村大字新堀となる。)
1938年(昭和13年)に堺市に編入され、五箇荘村廃止。
国府村
[編集]国府村は1889年(明治22年)、和泉郡府中村・井ノ口村・肥子村・和気村・小田村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[18]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1933年(昭和8年)、伯太村・郷荘村と合併し、国府村廃止。新設の和泉町の一部となる。
三宝村
[編集]三宝村は1889年(明治22年)、大鳥郡松屋新田・南島新田・山本新田・平田新田・弥三次郎新田・塩浜新田・若松新田が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[19]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 松屋新田(1910年松屋と改称。)
- 南島新田(1910年南島と改称。)
- 山本新田(1910年山本と改称。)
- 平田新田(1910年平田と改称。)
- 弥三次郎新田(1910年弥三次郎と改称。)
- 塩浜新田(1910年塩浜と改称。)
- 若松新田(1910年若松と改称。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 塩浜(1926年堺市三宝村大字塩浜となる。)
- 平田(1926年堺市三宝村大字平田となる。)
- 松屋(1926年堺市三宝村大字松屋となる。)
- 南島(1926年堺市三宝村大字南島となる。)
- 弥三次郎(1926年堺市三宝村大字弥三次郎となる。)
- 山本(1926年堺市三宝村大字山本となる。)
- 若松(1926年堺市三宝村大字若松となる。)
1926年(大正15年)に堺市に編入され、三宝村廃止。
信太村
[編集]信太村は1889年(明治22年)、和泉郡太村・中村・上村・舞村・上代村・王子村・尾井村・富秋村・小野新田が合併することにより成立。旧村名を継承した9大字を編成[20]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 上代(1960年和泉市上代町となる。)
- 王子(1960年和泉市王子町となる。)
- 尾井(1960年一部は富秋に編入し、残余は和泉市尾井町となる。)
- 小野新田(1910年小野と改称。)
- 上(1960年和泉市上町となる。)
- 太(1960年和泉市太町となる。)
- 富秋(1960年和泉市富秋町となる。)
- 中(1960年一部を富秋に編入し、残余は和泉市葛の葉町となる。)
- 舞(1960年和泉市舞町となる。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 小野(1960年和泉市小野町となる。)
- 1959年(昭和34年)
1960年(昭和35年)に和泉市に編入され、信太村廃止。
高石村 → 高石町
[編集]高石村は1889年(明治22年)、大鳥郡高石南村・高石北村・今在家村・新村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[21]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 今在家(1915年高石町に継承、1923年羽衣と改称。)
- 新(1915年高石町に継承、1966年高石市東羽衣1 - 7丁目となる。)
- 高石北(1915年高石町に継承、1923年北と改称。)
- 高石南(1915年高石町に継承、1923年南と改称。)
1915年(大正4年)、町制施行して高石町となる。
町字の設置
[編集]- 1923年(大正12年)
- 北(高石北より、1966年高石市西取石1・3・5・7丁目および東羽衣1 - 7丁目となる。)
- 羽衣(今在家より、1966年高石市東羽衣1 - 7丁目となる。)
- 南(高石南より、1966年高石市綾園1 - 7丁目・加茂1 - 4丁目・取石1 - 7丁目となる。)
- 1953年(昭和28年)
取石村を編入。
- 旧取石村
- 綾井(1966年高石市西取石1・3・5・7丁目および綾園1 - 7丁目・加茂1 - 4丁目となる。)
- 大園(1966年高石市西取石1・3・5・7丁目および綾園1 - 7丁目・取石1 - 7丁目となる。)
- 新家(1966年高石市西取石1・3・5・7丁目および取石1 - 7丁目となる。)
- 富木(1966年高石市西取石1・3・5・7丁目および取石1 - 7丁目となる。)
- 土生(1966年高石市取石1 - 7丁目となる。)
- 1965年(昭和40年)
- 高師浜1 - 4丁目(北・南の各一部より、1966年高石市に継承。)
- 千代田1 - 6丁目(南の一部より、1966年高石市に継承。)
- 羽衣1 - 5丁目(羽衣の一部より、1966年高石市に継承。)
- 羽衣公園丁(羽衣の一部より、1966年高石市に継承。)
1966年(昭和41年)、市制施行して高石市となり、郡より離脱。
忠岡村 → 忠岡町
[編集]忠岡村は1889年(明治22年)、和泉郡忠岡村・馬瀬村・北出村・高月村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[22]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]1939年(昭和14年)、町制施行して忠岡町となる。
町字の設置
[編集]- 1967年(昭和42年)
- 新浜(忠岡の一部より、1977年新浜1 - 2丁目となる。)
- 1972年(昭和47年)
- 忠岡北1 - 3丁目(忠岡の一部より)
- 忠岡中1 - 3丁目(忠岡の一部より)
- 忠岡東1 - 3丁目(忠岡の一部より)
- 忠岡南1 - 3丁目(忠岡の一部より)
- 1977年(昭和52年)
- 北出1 - 3丁目(北出・高月の各一部より)
- 高月北1 - 2丁目(高月の一部より)
- 高月南1 - 3丁目(高月の一部より)
- 新浜1 - 3丁目(新浜・埋立地より)
- 馬瀬1 - 3丁目(馬瀬・北出・忠岡の各一部より)
踞尾村
[編集]踞尾村は1889年(明治22年)、大鳥郡神石村の一部(大字踞尾)が分立することにより成立。大字は編成せず[23]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、踞尾村廃止。堺市大字踞尾村となる。
鶴田村
[編集]鶴田村は1889年(明治22年)、大鳥郡草部村・菱木村・上村・原田村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[24]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1935年(昭和10年)、北上神村と合併し、鶴田村廃止。新設の福泉町の一部となる。
取石村
[編集]取石村は1889年(明治22年)、大鳥郡土生村・富木村・綾井村・新家村・大園村が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[25]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1953年(昭和28年)に高石町に編入され、取石村廃止。
中上神村
[編集]中上神村は1889年(明治22年)、大鳥郡片蔵村・豊田村・田中村・栂村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[26]。
1894年(明治27年)、南上神村との合併により、中上神村廃止。上神谷村の一部となる。
中百舌鳥村
[編集]中百舌鳥村は1889年(明治22年)、大鳥郡梅村・夕雲開・東村・金口村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[27]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1919年(大正8年)、西百舌鳥村と合併し、中百舌鳥村廃止。新設の百舌鳥村の一部となる。
西陶器村
[編集]西陶器村は1889年(明治22年)、大鳥郡田園村・辻之村・深坂村・高蔵寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[28]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1955年(昭和30年)、久世村・東陶器村・上神谷村と合併し、西陶器村廃止。新設の泉ヶ丘町の一部となる。
西百舌鳥村
[編集]西百舌鳥村は1889年(明治22年)、大鳥郡赤畑村・百済村・高田村・西村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[29]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1919年(大正8年)、中百舌鳥村と合併し、西百舌鳥村廃止。新設の百舌鳥村の一部となる。
西横山村
[編集]西横山村は1889年(明治22年)、和泉郡小野田村・下宮村・北田中村・坪井村・仏並村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[30]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1903年(明治36年)、東横山村と合併し、西横山村廃止。新設の横山村の一部となる。
上神谷村
[編集]上神谷村は1894年(明治27年)、大鳥郡中上神村・南上神村が合併することにより成立。旧村名を継承した9大字を編成[31]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 旧中上神村
- 旧南上神村
1955年(昭和30年)、久世村・東陶器村・西陶器村と合併し、上神谷村廃止。新設の泉ヶ丘町の一部となる。
伯太村
[編集]伯太村は1889年(明治22年)、和泉郡伯太村・池上村・黒鳥村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[32]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1933年(昭和8年)、国府村・郷荘村と合併し、伯太村廃止。新設の和泉町の一部となる。
浜寺村 → 浜寺町
[編集]浜寺村は1889年(明治22年)、大鳥郡下石津村・船尾村・下村が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[33]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1914年(大正3年)、町制施行して浜寺町となる。
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、浜寺町廃止。
八田荘村
[編集]八田荘村は1889年(明治22年)、大鳥郡八田寺村・八田北村・堀上村・南村・毛穴村・家原寺村・平岡村が合併することにより成立。旧村名を継承した7大字を編成[34]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 家原寺(1942年堺市八田荘村大字家原寺となる。)
- 毛穴(1942年堺市八田荘村大字毛穴となる。)
- 八田北(1942年堺市八田荘村大字八田北となる。)
- 八田寺(1942年堺市八田荘村大字八田寺となる。)
- 平岡(1942年堺市八田荘村大字平岡となる。)
- 堀上(1942年堺市八田荘村大字堀上となる。)
- 南(1942年堺市八田荘村大字南となる。)
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、八田荘村廃止。
東陶器村
[編集]東陶器村は1889年(明治22年)、大鳥郡北村・見野山村・上之村・岩室村・福田村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[35]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1955年(昭和30年)、久世村・西陶器村・上神谷村と合併し、東陶器村廃止。新設の泉ヶ丘町の一部となる。
東百舌鳥村
[編集]東百舌鳥村は1889年(明治22年)、大鳥郡土師村・土師新田が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[36]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、東百舌鳥村廃止。
東横山村
[編集]東横山村は1889年(明治22年)、和泉郡福瀬村・岡村・九鬼村・槙尾山・善正村・南面利村が合併することにより成立。旧村名を継承した6大字を編成[37]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 岡(1903年横山村に継承。)
- 九鬼(1903年横山村に継承。)
- 善正(1903年横山村に継承。)
- 南面利(1903年横山村に継承。)
- 福瀬(1903年横山村に継承。)
- 槙尾山(1903年横山村に継承。)
1903年(明治36年)、西横山村と合併し、東横山村廃止。新設の横山村の一部となる。
深井村
[編集]深井村は1889年(明治22年)、大鳥郡深井村・土塔新田・畑山新田が合併することにより成立。旧村名を継承した3大字を編成[38]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
1942年(昭和17年)に堺市に編入され、深井村廃止。
福泉町
[編集]福泉町は1935年(昭和10年)、泉北郡鶴田村・北上神村が合併することにより成立。合併各町村の大字を継承した9大字を編成[39]。
成立当初の大字名
[編集]- 旧鶴田村
- 旧北上神村
大字の設置
[編集]美木多村を編入。
- 旧美木多村
1961年(昭和36年)に堺市に編入され、福泉町廃止。
舳松村
[編集]大鳥郡舳松村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字を編成せず[40]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1925年(大正14年)に堺市に編入され、舳松村廃止。堺市大字舳松村となる。
美木多村
[編集]美木多村は1889年(明治22年)、大鳥郡上村、檜尾村、大森村・別所村が合併することにより成立。旧村名を継承した4大字を編成[41]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1956年(昭和31年)に福泉町に編入され、美木多村廃止。
湊村 → 湊町
[編集]大鳥郡湊村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字を編成せず[42]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1915年(大正4年)、町制施行して湊町となる。
1920年(大正9年)に堺市に編入され、湊町廃止。堺市大字湊町となる。
南池田村
[編集]南池田村は1889年(明治22年)、和泉郡納花村・万町村・和田村・三林村・浦田村・鍛冶屋村・平井村・国分村・黒石村が合併することにより成立。旧村名を継承した9大字を編成[43]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 浦田(1956年和泉市浦田町となる。)
- 鍛治屋(1956年和泉市鍛治屋町となる。)
- 黒石(1956年和泉市黒石町となる。)
- 国分(1956年和泉市国分町となる。)
- 納花(1956年和泉市納花町となる。)
- 平井(1956年和泉市平井町となる。)
- 万町(1956年和泉市万町となる。)
- 三林(1956年和泉市三林町となる。)
- 和田(1956年和泉市和田町となる。)
1956年(昭和31年)、和泉町・北池田村・北松尾村・南松尾村・横山村・南横山村と合併し、南池田村廃止。新設の和泉市の一部となる。
南上神村
[編集]南上神村は1889年(明治22年)、大鳥郡富蔵村・釜室村・畑村・逆瀬川村・鉢ヶ峯寺村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[44]。
1894年(明治27年)、中上神村との合併により、南上神村廃止。上神谷村の一部となる。
南松尾村
[編集]南松尾村は1889年(明治22年)、和泉郡久井村・春木村・松尾寺村・若樫村・春木川村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[45]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
- 春木(1956年和泉市春木町となる。)
- 春木川(1956年和泉市春木川町となる。)
- 久井(1956年和泉市久井町となる。)
- 松尾寺(1956年和泉市松尾寺町となる。)
- 若樫(1956年和泉市若樫町となる。)
1956年(昭和31年)、和泉町・北池田村・南池田村・北松尾村・横山村・南横山村と合併し、南松尾村廃止。新設の和泉市の一部となる。
南横山村
[編集]南横山村は1889年(明治22年)、和泉郡父鬼村・大野村が合併することにより成立。旧村名を継承した2大字を編成[46]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1956年(昭和31年)、和泉町・北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・横山村と合併し、南横山村廃止。新設の和泉市の一部となる。
向井村 → 向井町
[編集]向井村は1889年(明治22年)、大鳥郡中筋村・北庄村・遠里小野村・西万屋新田・七道村が合併することにより成立。旧村名を継承した5大字を編成[47]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
成立当初の大字名
[編集]- 中筋(1920年堺市向井町大字中筋となる。)
- 北庄(1920年堺市向井町大字北庄となる。)
- 遠里小野(1920年堺市向井町大字遠里小野となる。)
- 西万屋新田(1910年西万屋に改称。)
- 七道(1894年堺市七道となる。)
大字の設置
[編集]- 1910年(明治43年)
- 西万屋(西万屋新田より、1920年堺市向井町大字西万屋となる。)
1913年(大正2年)、町制施行して向井町となる。
1920年(大正9年)に堺市に編入され、向井町廃止。
百舌鳥村
[編集]百舌鳥村は1919年(大正8年)、泉北郡西百舌鳥村・中百舌鳥村が合併することにより成立。合併各村の大字を継承した8大字を編成[48]。
- 旧西百舌鳥村
- 旧中百舌鳥村
1938年(昭和13年)に堺市に編入され、百舌鳥村廃止。
南王子村 → 八坂町
[編集]和泉郡南王子村は1889年(明治22年)、単独で自治体を形成。大字は編成せず[49]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1943年(昭和18年)、町制施行・改称して八坂町となる。。
1960年(昭和35年)に和泉市に編入され、八坂町廃止。和泉市の町名となり、同年、旭町・幸町・山手町となる。
山滝村
[編集]山滝村は1889年(明治22年)、和泉郡内畑村・大沢村が合併することにより成立。旧村名を継承した8大字を編成[50]。1896年(明治29年)、泉北郡の所属となる。
1948年(昭和23年)に岸和田市に編入され、山滝村廃止。
横山村
[編集]横山村は1903年(明治36年)、泉北郡東横山村・西横山村が合併することにより成立。合併各村から継承した11大字を編成[51]。
- 旧東横山村
- 岡(1956年和泉市岡町となる。)
- 九鬼(1956年和泉市九鬼町となる。)
- 善正(1956年和泉市善正町となる。)
- 南面利(1956年和泉市南面利町となる。)
- 福瀬(1956年和泉市福瀬町となる。)
- 槙尾山(1956年和泉市槙尾山町となる。)
- 旧西横山村
- 小野田(1956年和泉市小野田町となる。)
- 北田中(1956年和泉市北田中町となる。)
- 下宮(1956年和泉市下宮町となる。)
- 坪井(1956年和泉市坪井町となる。)
- 仏並(1956年和泉市仏並町となる。)
1956年(昭和31年)、和泉町・北池田村・南池田村・北松尾村・南松尾村・南横山村と合併し、横山村廃止。新設の和泉市の一部となる。
関連項目
[編集]参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ 旧神石村域のうち、石津ケ丘(履中天皇陵の所在地)は西区に所属。
- ^ 旧八田荘村域は、西区と中区の双方にまたがる。
- ^ a b 旧泉ヶ丘町・福泉町の町域は、ともに中区と南区の双方にまたがる。
- ^ 旧百舌鳥村域のうち、阪和線以西の地域(百舌鳥夕雲町・東上野芝町1丁)は堺区に、北条町は西区に所属する。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 84.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 133.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 135.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 237.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 243.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 319.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 324.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 376.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 390.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 395.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 429.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 464.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 479.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 487.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 558.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 579.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 707–708.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 734.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 777.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 788.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 839.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 865–866.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 880–881.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 927.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 934.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 935.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 939.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 964.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 991.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1006.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1020–1021.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1025–1026.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1028.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1062.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1065.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1092.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1134.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1155.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1158.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1174.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1179.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1180.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1196.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1202.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1159.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1234.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1250.