深井村
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ふかいむら 深井村 | |
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廃止日 | 1942年7月1日 |
廃止理由 |
編入 鳳町、浜寺町、踞尾村、八田荘村、深井村、東百舌鳥村 → 堺市 |
現在の自治体 | 堺市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
郡 | 泉北郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,973人 (1935年) |
隣接自治体 | 堺市、東百舌鳥村、東陶器村、久世村、八田荘村、踞尾村 |
深井村役場 | |
所在地 | 大阪府泉北郡深井村大字深井 |
座標 | 北緯34度31分42秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.528312度 東経135.498724度座標: 北緯34度31分42秒 東経135度29分55秒 / 北緯34.528312度 東経135.498724度 |
ウィキプロジェクト |
深井村(ふかいむら)は、かつて和泉国・堺県・大阪府にあった村。現在の堺市中区深井各町と土塔町に相当する。1935年時点の村の規模は762戸、3,973人。
歴史
[編集]- 757年:和泉国大鳥郡の中に常凌郷が、深井の前身として古文書に記される。
- 759年:土師郷の大野寺の寺域内に土塔を築造する。
- 1471年:文書で初めて深井郷の文字が記される。
- 1511年:細川高国と細川政賢の軍勢が泉州深井で戦う。
- 1591年:緞通(絨毯)が中国から伝わる。
- 1645年:深井郷が北村、中村、南村、安村に分かれる。
- 1669年 - 1672年:大鳥郡深井村の荒地に畑山新田(現・深井畑山町)が開発される。
- 深井新家、帯屋新田とも呼ばれた。
- 1673年 - 1681年:大鳥郡土師村の荒地に土塔新田(現・土塔町)が開発される。
- ただし、土塔新田の村役は土師村ではなく深井村が務めた。
- この後、北村は北深井(現・深井北町)、中村は中深井(現・深井中町)、南村は中新田(現・深井水池町、深井東町)に名を変え、安村は清水村(現・深井清水町)と沢村(現・深井沢町)に分かれる(時期は不明)。
- 1868年:廃藩置県により堺県ができる。
- 1873年:称賛寺に泉州第67小学校(現・堺市立深井小学校)が創立。
- 1881年:堺県が大阪府に編入される。
- 1889年:町村制施行により、大鳥郡深井村、畑山新田、土塔新田が合併し、大鳥郡深井村となる。大字深井に村役場を設置。
- 1896年:大鳥郡が和泉郡と統合され泉北郡が成立し、泉北郡深井村となる。
- 1897年:深井村に10を数える緞通工場が進出する。
- 1910年:大字畑山新田を畑山に、土塔新田を土塔に改称。
- 1911年:深井村に電灯がつく。
- 1934年:北泉乗合バス(現・南海バス)が深井村内を走る。
- 1942年:泉北郡浜寺町、鳳町、踞尾村、八田荘村、東百舌鳥村と共に、深井村が堺市に編入される。
- 1943年:堺市深井北町、深井中町、深井水池町、深井東町、深井清水町、深井沢町、深井畑山町、土塔町の現行町名に改称。