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宮脇 昭(みやわき あきら、1928年昭和3年)1月29日 - )は岡山県川上郡成羽町(現・高梁市成羽町)出身の生態学者。理学博士広島文理科大学生物学科卒業。ドイツ国立植生図研究所潜在自然植生理論を学び、横浜国立大学教授国際生態学会会長などを経て、1993年より財団法人地球環境戦略研究機関国際生態学センター長。横浜国立大学名誉教授

人物

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国内外で土地本来の潜在自然植生の木群を中心に、その森を構成している多数の種類の樹種を混ぜて植樹する「混植・密植型植樹」を提唱し活動している。

日本の常緑広葉樹を主とする照葉樹林帯では土地本来のは0.06%しか残っていない。ほとんど人間が手を入れて二次林や人工的で単一樹種の画一樹林にしてしまった。これが台風地震洪水などの際の自然災害の揺り戻し(2次災害)が起こる諸悪の根源である。その土地本来の潜在植生は、「鎮守の森」を調べればわかる。大抵、シイタブノキカシ類の木々が茂っているはずだ。」と言う。

とくに、「スギヒノキカラマツマツなどの針葉樹林は、人間が材木を生産するため人工的に造林したもので、人が手を入れ続けなければ維持できない。本来の植生は内陸部ではシラカシなどの常緑広葉樹海岸部はタブノキシイ等のいずれも照葉樹林が本来の姿である。現在の針葉樹では20年に一回の伐採と3年に一回の下草刈りが前提で、それをやらないと維持できない偽者の森である。マツにしても、元々条件の悪い山頂部などに限定して生えていただけのものを人間が広げてしまったのだからマツクイムシの大発生は自然の摂理である。その土地本来の森であれば、火事や地震などの自然災害にも耐えられる能力を持つが、人工的な森では耐えられない。手入れの行き届かない人工的な森は元に戻すのが一番であり、そのためには200年間は森に人間が変な手を加えないこと。200年で元に戻る」と主張している。 門下生として、藤原一絵、大野啓一、中村幸人、鈴木伸一など多数の生態学者を生み出している。

活動

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万里の長城の宮脇プロジェクトで植えられた森

1970年、後に「宮脇方式」と呼ばれる、土地本来の植生をポット苗を用いて植える方法による環境保全林造りを初めて新日本製鐵大分製鐵所で行う。この森造りの成功によって、企業や地方自治体など宮脇方式を取り入れた森造りが盛んになった。80歳を超える現在でも精力的に植樹活動の指導を行なっている。

1980年から約10年かけて日本全国を巡り、潜在的な自然植生を調査し『日本植生誌(全10巻、至文堂)』にまとめた。

国外においては、1990年に始まった熱帯雨林再生プロジェクトに参加する。マレーシアでは、根が充満したポット苗を植樹する方法で、再生不可能とまでいわれている熱帯雨林の再生に成功する。1998年からは、中国の万里の長城でモウコナラの植樹を行うプロジェクトを進めている。

2000年代後半ごろから、潜在自然植生論に一定の成果が見られるようになると、自然林と二次林の違い、長所、共存といった総合的な研究が求められるようになった。

また、横浜国立大学のキャンパスには宮脇が設計した森林が広がっている。

経歴

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著書

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  • 『日本植生誌』(全10巻、至文堂)
  • 『植物と人間』(NHKブックス)
  • 『緑回復の処方箋』(朝日選書)
  • 『鎮守の森』(新潮社)
  • 『いのちを守るドングリの森』(集英社新書)

など多数。


外部リンク

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