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利用者:LilyKitty

本日、震災で命を失われた方々のご冥福を改めてお祈り申し上げます。そして、今なお困難の中にあられる被災者の皆様方に心より御見舞申し上げます。--LilyKitty会話) 2012年3月11日 (日) 05:21 (UTC)

この度の大震災と大津波の被害の犠牲者の方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災者の方々への一刻も早い支援と復興をお祈り申し上げます。そして未曾有の困難の中、懸命に生きるため闘っていらっしゃる方々、及び救援と支援にあたられていらっしゃる関係者の方々に深い敬意を感じざるを得ません。--LilyKitty 2011年3月18日 (金) 00:21 (UTC)

天皇の御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く -『万葉集』、巻18、4097
ウクライナに平和と自由を
ガザ地区を含むパレスチナに平和と自由を

戦争の廃絶と国際連合の改革のため連帯を表します。

ガザ地区での戦争の停戦とパレスチナ人への迫害シオニズムの廃絶を希求します。

そして戦争犯罪の資金源廃絶と地球温暖化防止のため、原子力発電の拡大と技術革新を支持します。

"placet Stoicis homines hominum causa esse generatos, ut ipsi inter se aliis prodesse possunt."

ストア派は、人は人のために生まれ、互いに助け合う事が出来ることを伝える。」キケロー

すべての愛に尊厳を。すべての個性に光を。--LilyKitty会話) 2012年5月17日 (木) 08:35 (UTC)

"Den sterkeste man i verden, det er han som står mest alene." Henrik Ibsen "En folkefiende"

「世界で最も強い人間は、最も孤独にある者の味方に立つ人間である。」- ヘンリック・イプセン、『民衆の敵

政府にすら期待してはならない。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考えないであろう。世論はいつも民主社会における神だからである。われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には大衆社会の持っているその非人間性を否定しようとするのである。 では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。(中略)われわれは、自民党を守るために闘うのでもなければ、民主主義社会を守るために闘うのでもない。(中略)結局目標は天皇の護持であり、その天皇を終局的に否定するような政治勢力を、粉砕し、撃破し去ることでなければならない。

言論の自由の観点からも、天皇統治の「無私」の本来的性格からも、もっとも恐るべき理論的変質が始まったのは、大正一四年の「治安維持法」以来だと考えるからである。その第一条の、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ……」という並列的な規定は、正にこの瞬間、天皇の国家の国体を、私有財産制度ならびに資本主義そのものと同義語にしてしまったからである。この条文の「不敬」に気づいたものはなかった。

かつて建武中輿後醍醐天皇によって実現したとき、それは政権の移行のみならず、王朝文化の復活を意味していた。 孝明天皇の大御心に応えて起った桜田門外の変の義士たちは、「一筋のみやび」を実行したのであって、天皇のための蹶起は、文化様式に背理せぬ限り、容認されるべきであったが、西欧的立憲君主政体に固着した昭和の天皇制は、二・二六事件の「みやび」を理解する力を喪っていた。 御歌所の伝承は、詩が帝王によって主催され、(中略)民衆詩を「みやび」を以て統治するという、万葉集以来の文化共同体の存在証明であり、独創は周辺に追いやられ、月並は核心に輝いている。民衆詩はみやびに参与することにより、国の伝統をただ「見る」だけでなく、創ることによって参加し、且つその文化的連続性から「見返」されるという栄光を与えられる。その主催者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年遷宮のように、今上であらせられると共に原始の天皇なのであった。大嘗会と新嘗祭の秘儀は、このことをよく伝えている。 文化の現存在の源泉、創造と伝承が、このような形で関わり合っている文化共同体としての天皇制は、近代文化の担い手の意識からは一切払拭されているように見えるけれど、われわれは宮廷風の優雅のほかには、真に典型的な優雅の規範を持たず、文化の全体性は、自由と責任という平面的な対立概念の裡にではなく、自由と優雅という立体的的構造の裡にしかないのである。- 三島由紀夫、文化防衛論、p.30,31,72-74,76-77より引用 (一部中略)

皇祖皇宗のおん霊を体現したたまい、兵を率いては向かう敵なく、蒼生を憐れんでは慈雨よりもゆたかなおん方。
われらはその怪獣どもを仆して、陛下をお救い申し上げたい、と切に念じた。
思いみよ。
そのとき玉穂なす瑞穂の国は荒廃の地と化し、民は餓えに泣き、女児は売られ、大君のしろしめす王土は死に満ちていた。神々は神謀りに謀りたまい、我が歴史の井戸のもっとも清らかな水を汲み上げ、それをわれらが頭に注いで、荒地に身を伏して泣く蒼岷に変わらしめ、現人神との対話をひそかに用意された。
陛下のおん憎しみは限りがなかった。
赤誠の士が叛徒となりし日、漢心のナチスかぶれの軍閥は、さえぎるもののない戦争への道を開いた。
しかし叛逆の徒とは!叛乱とは国体を明らかにせんための義軍をば、叛乱軍と呼ばして死なしむる、その大御心に御仁慈はつよほどもなかりしか。
一度は兄神たちの蹶起の時、一度はわれらの死のあと、国の敗れたあとの時である。
歴史に『もし』は愚かしい。しかし、もしこの二度のときに、陛下が決然と神にましませば、あのような虚しい悲劇は防がれ、このような虚しい幸福は防がれであろう。
されど、ただ一つ、ただ一つ、
いなかる強制、いかなる弾圧、
いかなる死の脅迫ありとても、
陛下は人間なりと仰せられべかざりし。
ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉い、
そを架空、そをいつわりとはゆめ宣わず、
祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに
宮中賢所のなお奥深く
皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかずき
神のおんみたまに死したる者らの霊を祭りて
ただ斎き、ただ祈りてまさば、
何ほどか尊かりしらん。 - 三島由紀夫、『英霊の聲』p.27~p.70より抜粋
"Democracy meant all men ware to be heard, and decision was taken together as a people. Majority rule was a foreign notion. A minority was not to be crushed by a majority.
While I was stimulated by the Communist Manifesto, I was exhausted by the Das Kapital.
Man's goodness is a flame that can be hidden but be never extinguished." - Nelson Mandela, "Long Walk to Freedom"

「民主主義は元来すべての人に耳を傾け、その決定は人民の名において共になされた。多数決とは無縁の概念であった。少数者は多数派によって否定されなかった。」「[私が共産党宣言に関心を持ったとき、資本論に高揚した。」「人間の善は隠されることはあっても、決して絶やされることのないである。」- ネルソン・マンデラ、『自由への長い歩み』

An die Stelle der alten bürgelischen Gesellschaft mit Klassen und Klassen-Gegensätzen tritt eine Assosiation, worin die frie Etwicking eines Jeden, die Bedingung för die frie Entwicklung Aller ist.

「階級と階級の対立を伴うブルジョア社会に替わって、一人一人の自由な発展が、全体の自由な発展の条件となる共同体が現れる。」カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス『共産党宣言

「自ら虫けらになるものは、後で踏みつけられても文句は言えない。」それは、「自分の権利を他人の足の下に投げ棄てること、自分自身に対する人間の義務に違反することである。」イマニュエル・カント、『人倫の形而上学の基礎づけ

Das Recht ist nicht blosser Gedenken, sondern lebendige Recht. Denn führt die Gerechtigkeit die in der einer Hand die Wagshule, mit welcher sie das Recht abwägt, in der andern die Schwert, wie den es behauptet. Das Schwert ohne die Wagen, das nackte Gewalt, die Wagen ohne Schwert, des Ohmacht des Rechts.

「権利=法は、単なる思想ではなく、生き生きとした力なのである。だからこそ、片手に権利=法を量るための秤をもつ正義の女神は、もう一方の手で権利=法を貫くための剣を握っているのだ。秤を伴わない剣は裸の実力を、剣を伴わない秤は権利=法の無力を意味する。」ルドルフ・フォン・イェーリング 、「権利のための闘争」(村上淳一訳、13,14,29項より引用)

仁徳天皇望煙図
高津宮闕望炊煙
御製干今輝史編
四海洋洋恩澤洽
聖君修徳不違天
恭謁畝傍陵
松柏囲山緑鬱然
白雲揺曳寝陵前
肇基垂統仰天業
緬邈二千五百年
乃木希典惜花詞有観
草長鶯啼日欲沈
芳桜花下惜花深
桜花再発将軍死
詞裏長留千古心 大正天皇御製
  • 今まで資本主義は各種の矛盾を暴露しながら進展を遂げてきた。そしてその度に経済学が発展し、徐々に認識の歩を進めて、マルクスに至りほぼ完全に資本主義の機構は科学的に解明しつくされた。
  • 一度や二度負けたって、日本人の生き残る限り、日本は滅びないのだ。
  • 軽井沢に見たような富豪の生活、近時見聞きする軍人の時を得顔の振舞い、官史資本家の実情を見るにつけ、我々は胸の煮えくりかえるを覚える。  - 佐々木八郎、 1945年4月14日、沖縄海上で昭和特別攻撃隊として戦死。22歳(『きけ わだつみのこえ』193、195、197、200ページより引用)
  • 恐らく今の人間ほど神から遠くかけはなれた時代はないと思う。そしてこれから将来、宗教が重んぜられる日というものは果たして来るのであろうか。
  • 実に馬鹿馬鹿しい。近代文化の精を極めてこれからの戦争に処する我が国の軍隊に、文字を一字一字違えたらいかん・・・・・の原始的な非能率的な国民学校流のものが存在するとは、ただあきれるばかり。
  • 人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ。
今次の戦争には、もはや正義云々の問題ではなく、ただただ民族間の憎悪の爆発あるのみだ。
敵対し合う民族には各々その滅亡まで戦を止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉
人類よ、猿の親類よ。 - 長谷川信、1945年4月12日、武揚特別攻撃隊として沖縄にて戦死。陸軍少尉。23歳 (『きけ わだつみのこえ』 280、281、284ページより引用)
  • クローチェは言えり。今国家に特殊なる使命はあり得ず。もしありとせば、それは神話なりと。八紘一宇の理想は、おのおのそのところを得しむることにありとせば、そは自由主義的なるものを含み、また一方においては共産主義的な万人平等の性質を有す。言わば、その折衷ならん。
  • 本来は人間は先ず個人のことを考える。国家概念を個人の上にせしめる如く強要することは自然性に反す。自然性に反するものは永く続かぬ。たとえば飛行家を見よ。
  • 日本軍隊においては、人間の本性たる自由を抑えることを修業すれど、謂く、そして自由性をある程度抑えることができると,修養ができた、軍人精神が入ったと思い、誇らしく思う。およそこれほど愚かなものはない。
  • かくて彼らは、一度は無知な国民の目をあざむき得たが、時の経つに従い、自然の理を我々に示してくれたのである。彼らは、ジャーナリズムを以って、あくまでも国民の眼をあざむかんと努めたるも、自然の力にはその前に頭を下げざるを得なくなりつつある。
  • 特攻隊員(振武隊)となりて
予め期するところ、死所を得たるを喜ぶ。選ばれて今日の晴れの栄光を受く。
日本を昔日の大英帝国の如くせんとする、私の理想は空しく敗れました。この上はただ、日本の自由、独立のため、喜んで、命を捧げます。
人間にとって一国の興亡は、実に重大なことでありますが、宇宙全体から考えた時は、実に些細な事です。  

- 上原良司、1943年12月1日、松本歩兵第50連隊に入隊、1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊として、沖縄嘉手納沖の米機動隊に突入戦死。陸軍大尉。22歳 (『きけ わだつみのこえ』366、367、371~374、376ページより引用)


  • ためによしと思はることも各々の 人の違へばなべてにあらず
  • いざ吾妹高天の原に参上り 天の御柱い行き廻らむ
  • 「剣を取りて蹶起することは一見至高の大義と思わるも今日このままの状態においては人為人力にさらに人為人力を加え、神意の背きし上にもにもさらに神意に背くものであり、ますます逆結果に至り」
  • 玉音放送のあった二日後の8月17日、16歳になったばかりの一少女が、疎開先の長野県北佐久郡の農家の一室で自決した。短刀を用い、十文字に腹を割いた後、切っ先で首を突いて絶命に至るという、昔の武士でもなかなかこうはいかなかっただろうと思えるほどの、見事な死に方だった。死んだ少女がもたせ掛けた経机には、東京大空襲で亡くなった父母の位牌が並べられ、遺言には、

「戦に負けた日本には生きたくありません。女ながら日本人らしく切腹して死にます」

とあった。

  • 昭和29年11月、千葉市でハトが大好きな中学三年の少年が自殺した。手段は切腹。当時、それが平和のシンボルとされたことも手伝って、少年たちの間でハトの飼育が大流行していたのだが、彼もその一人だった。
  • 「しかしみずからのガソリンをかけ合掌したまま黒焦こげになる僧侶と、それを人間のバーべキュと罵る政治の理論のあいだにひらく深淵こそ、今なお人類が克服しえないでいる非人間性のいっさいが含まれている。」
  • 1961年8月1日、交通事故にあって死んだ一老人に対する警官の非人道的扱いに抗議して燃え上がった釜ヶ崎第一次暴動は、四日間にわたって、近畿警察官一万一千のうち六千名の武装警官と日本刀で武装した私設暴力団数十人をひきずり出し、威嚇射撃をもものとせず、一万人以上の労働者者住民が、あらゆるものを武器にし、一名の死亡者を出しつつ、血で血を洗う死闘を繰り広げたのである。(中略)暴動とは、日常的にやられ続けて泣き寝入りさせられてきた『弱者』の、『強者』たる敵=権力に対する心底からの怨みをたたきつける闘いであり、そうであるがゆえに、その戦闘行為は優れてゲリラ的、非妥協的、非和解的な階級闘争である。
  • 「超越性の崩落」
  • 超越的な審級による規範的な規則は、それ自身、その超越的な審級に従属する者からの内的な承認に依存している。超越的な審級は、このような反照規定の循環の中でのみ存立することができるのだ。」- 朝倉喬司、『自殺の思想』(生きることへの窮極の問い)の、それぞれ83、192、197、198、268-269、347-348、352、394、405ページより引用


神ながらの道は祭政一致であり、この現し世の顕御神である天皇に事えまつるのと、幽り世の遠御神に事えまつることは同じことであり、まつりごとはいずれも神命を承けて行われるべきであるが、神命を承けるには敬虔の限りを尽くして、宇気比に拠るのほかはない。
純粋とは、花のような概念、薄荷をよく利かせた含嗽薬の味のような概念、やさしい母の胸にすがりつくような概念を、ただちに、血の概念、不正を薙ぎ倒す刀の概念、袈裟がけに斬り下げると同時に飛び散る血しぶきの概念、あるいは切腹の概念に結びつけるものだった。「花と散る」というときに、血みどろのの屍体はたちまち匂いやかあ桜の花に化した。純粋とは、正反対の概念のほしいままの転換だった。だから、純粋とは詩なのである。-三島由紀夫、『奔馬
川上のゆつ岩群に草むさず 常にもがな常処女にて
いにしえの七の賢しき人どもも欲りせしものは酒にしあるらし
世間を何に譬えむ朝びらきこぎ去にし船の跡のなきごとし
天地の神も助けよ草まくら 旅ゆく君が家に至るまで
神名火神籬立てて斎へども人の心は守り敢へずも
生死の二つの海を厭はしみ 潮干の山をしのひつるかも - 万葉集、 (第340、第351、第549、第2657、3849歌)


昨日まで花の散るをぞ惜こし夢かうつつか夏も暮にけり
身につもる罪やいかなる罪ならむ けふ降る雪と共にけななむ
大日種子よりいでて三味耶形 さまやぎやう又尊形となる
ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄 行くへもなしといふもはかなし
かくてのみありてはかなき世中を 憂しとやいはむあはれとやいはむ
物いはぬ四方の獣すらだにも あわれなるかな親の子を思ふ - 実朝右大臣、金槐和歌集
地上にはわれわれの国がない
地上にはわれわれの生に値する国がない - 田村隆一、『立棺』(「四千の日と夜」収録より)

"Si ad naturam vives, numquam eris pauper; si ad opiniones, numquam eris dives. Exiguum natura desiderat, opinio immensum." Lucius Annaeus Seneca, "Epistulae Morales"

「もしあなたが自然本性に沿って生きるなら、あなたは決して貧しくはならないでしょう。もし人の意見に沿って生きるならあなたは決して豊かにはならないでしょう。自然本性は極小を、意見は極大を欲するのです。」- ルキウス・アンナエウス・セネカ、「道徳書簡集」

「ほんとうの犯罪者とは、宗教または政治の次元で正統性を打ち立て、信者と背徳者を峻別する人々のことなのである」- エミール・シオラン、『崩壊概論』p.13

ου μαν γαρ τι του εστιν οιξυρωτρον ανδρος παντων, οσσα τε γαιαν επι πνειει τε και ερπει.   -Homerus "Ilias" XVII, 446

「地上にて呼吸し這へる萬の生ける者の内、人間に増さりて悲惨なるは無。」  ホメーロス 「イーリアス

ου μεν σχετλια εργα θεοι μακαπες φιλεοθσιν, αλλα δικην τιοθσι και αισιμα εργ ανθρωπον. - Homerus "Odyssea", XIV, 83

「多幸なる神々は残虐なる仕事を嘉せず、然し人々の正義や正しき行為を報ゆ。」ホメーロス 「オデュッセイア

μονου γαρ αυτου και θεος στερισκεται, αγενητα ποιειν ασσ' αν η πεπραγμενα. - Aristoteles "Ethica Nicomachea", Liber VI

「神ですら出来ぬ唯一のこと、それは為されたることを為されざることと変えることなり。」 アリストテレス 「ニコマコス倫理学

"Hoc tempore obsequium amicos, veritas odium parit"    -Terentius "Andria"

「今世にあつては媚び諂ひが友を生み、真実は憎しみを生む。」 プビリウス・テレンティウス・アフェル 「アンドロス島の女」

"Pax enim non belli privatio, sed virtus est, quae ex animi fortitudine orituri est. namque obsequium constans voluntas id exequendi, quod ex communi Civitatis decreto fieri debet. Illa preaterea Civitas, cuius pax a subditiorum inertia pendet, qui scilicet veluti pecora ducuntur, ut tantum servire discant, rectius solitudo, quam Civitas dici potest."     -Benedictus de Spinoza "Tractatus politicus" Caput. V, sectio IV

「平和とは戦争の不在に非ず、その権力の本質が問題たる積極的徳に在り。何とならば屡、隷従が一貫した意思をなし、国家の一般意思によりて決定によりて為さるるべき事項を執行するが故に。而して国が臣民の無力によりて平和を維持せる状況になれリ。その臣民は家畜の如く脅され、ある特定の役割へ順応能ざらば、奴隷の役割を与らるる。然るにかくの如き政府は国家の名に値せず、寧ろ砂漠と呼ぶに相応し。」   バルーフ・デ・スピノザ  「政治論」

"princeps rei pubilica gratia constituitur, non res pubilica principis causa." - Erasmus, "Colloquia Familiaria"

「支配者は国家の為に在り、国家が支配者の為に在るに非ず。」 デジデリウス・エラスムス 「対話集」

Zum ewigen Frieden
Ob diese satirische Überschrift auf dem Schilde jenes holländischen Gastwirts, worauf ein Kirchhof gemalt war, die Menschen überhaupt, oder besonders die Staatsoberhäupter, die das Krieges nie satt werden können, oder wohl gar nur die Pilosophen gelte, die jenen süßen Traum träumen, mag dahingestellt sein. - Immanuel Kant, "Zu ewigen Frieden, Ein philosophischer Entwurf"
永遠平和のために
墓場の絵が描かれたる阿蘭陀の食堂宿の看板にあつたこの皮肉なる銘は、人間一般に妥当するものか、或ひは決して戦争を止めようとせぬ国家元首らに妥当するものか、或ひはかの甘き夢見る哲学者のみに妥当するものかは、未定とせなむ。イマヌエル・カント永遠平和のために
Και ετι ειδον υπο τον ηλιον τοπον της κρισεως, εκει ο ασεβης,
και τοπον του δικαιου, εκει ο ασεβης.
ειπα εγω εν καρδια μου,
Συν τον δικαιον και συν τον ασεβη κριυει ο θεος
οτι καιρος τω παντι πραγματι και επι παντι τω ποιηματτι.
και τι επερισσευσεν ο ανθρωπος παρα το κτηνος;
ουδεν οτι τα πατα ματαιοτης. -Liber Ecclesiastes III, 16-17, 19
Και επεστρεψα εγω και ειδον συν
πασας τας συκφαντιας τας γιγνομενας υπο ηλιον.
και ιδου δακρουον των συκοφαντουμενων,
και ουκ εστιν αυτοις παλακαλων,
και απο χειρος συκοφαντουντων αυτους ισχυς,
και ουκ εστιν αυτοις παλακαλων,
και επηνεσα εγω συν τοιυς τεθνηκοτας
τους ηδη αποθανοντας υπερ τους ζωντας,
οσοι αυτοι ζωσιν εως του νον.
και αγαθος υπερ τους απο δυο τουτους οστις ουπω εγεντο,
ος ουκ ειδεν συν το ποιημα το πνηρον
το πεποιημενον υποτον ηλιον.  -Liber Ecclesiastes IV, 1-3
而して日の下に見たり、裁きの場に瀆神者が臨在し、
正義の場に極悪人が座るるを。
我は心中にて語れり、
「神は正しき者と邪悪なる者を見極めん、
萬の事象と萬の行いは然るべき時を有す。」
人が獣に勝るところ皆無、
全て空虚なるが故に。
かくして我は見たり、日の下に行わるる萬の虐げを。
見よ、虐げらるる者の涙を!
されど彼らを慰むる者は無、
然るに虐ぐる者は手に権力を有せリ。
されど虐げらるる者に慰め有らず。
故にわれは、今なほ命保てる生者より、
すでに命絶へたる死者を讃えり。
然るにかかる両者より善なるは、
未だ嘗て生まれざる者にして、日の下に為さるる悪しき行ひを見ざりし者なり。 「伝道の書
Ηκουσατε οτι ερρεθη τοις αρχαιος ΟΥ ΦΟΝΕΥΣΕΙΣ. ος δαν φονευση, ενοχος εσται τη κρισει.
Εγω δε λεγω υμιν οτι πας ο οπγιζομενος τω αδελφω αυτου ενοχος εσται τη κρισει. ος δαν ειπη τω αδελφηω αυτου ενοχος εσται τη κρισει ος δαν ειπη τω αδελφω αυτου ρακα, ενοχος εσται τω συνεδριω. ος δαν ειπη μωρε, ενοχος εσται εις γέένναν του πυρος. ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ 5, 21-22
古への人に「殺すなかれ、殺す者は審判にあふべし」と云へることあるを汝等きけり。
然れど我は汝らに告ぐ:すべて兄弟を怒る者は審判にあふべし。また兄弟に対して、愚者よといふ者に衆議にあふべし。また痴者よといふ者は、ゲヘナの火に与ふべし。 - マタイによる福音書第5章21-22


Verrà un tempo in cui considereremo l'uccisione di un aminale con lo stresso biasimo con cui consideriamo oggi quella di un uomo. - Leonardo da Vinci "Della crudeltà del uomo"

「今、人の殺害に対して為さるると同じ非難が動物の殺害に対しても為さるる時が来ることを。」 レオナルド・ダ・ヴィンチ 「人間の残虐性に就ひて」

  • συννελοντι δε ειπειν, παντα τα μεν του σωματος ποταμος. τα δε της ψυχης ονειρος καιτυφος. ο δε βιος πολεμος και ξενου επιδημια η υστεροφημια δε, ληθη.
  • Σωκρατησ και τα των πολλων δογματα Λαμιος εκαλει, παιδιων δειματα.   -Marcus Aurelius Antonius "Τα εις εαυτον" II 17, XI 23

「かくして肉体全て河にして精神、夢と蒸気なり。人生は戦いと異国に於ける滞在なり。死後の名声、忘却にしかず。」「ソクラテスは民衆の意見を児童らを脅す為の幽霊と称せり。」 マルクス・アウレリウス・アントニウス自省録

οπου γαρ μη νομοι αρχουσιν, ουκ εστι πολιτεια. δει γαρ τον μεν νομον αρχειν παντων. - Aristoteles, Politica 「法の支配せざる処、国家在らず。法は萬を支配するを要す。」 アリストテレース政治学

ουτως απα υποληπτσον περι του δικαιου ανδορος εαν τ'εν πενια γιγηται εαν τ'εν νοσοις η τινι αλλω των δοκουντων κακων ως ταυτα εις αγαθον τι τευτησει ζωνται η και αποθεοντι. ου γαρ δη υπο γε θεων ποτς αμελειται, ος ανπροθυμεισθαι εθελη δικαιος γιεσθαι και επιτηδευων αρετην εις οσαν δυνατον ανθρωποω ομοιουσθαι θεω. - Plato, "Res Publica", X 613. A

「正しき人に関しては、たとえその者が貧困或いは、病や災いと見做さるる状況にありても、そのことはその者の生存中や死後の名声に繋がるものと考えらるるべし。正義なるを熱望し、人間が可能な限り神に似んとし正しくあらんと熱心に務める人を神々は決して見捨てぬが故に。」 プラトン 「国家

ου νομω αρα μονον εστιν αισχιρον το αδικειν του αδικεισθαι, ουδε δικαιον το ισον εχειν, αλλα και φυσει.    -Plato "Gorgias" XLIII 489, A

「而して法によりてのみならず、自然によりても、害せらるるより害すこと恥にして、平等の保持こそ正義なるを知る。」 プラトン、「ゴルギアス

"Nunquam irasci desinet sapiens, si semel coeperit; omnia sceleribus ac vitiis plena sunt." -Lucius Annaeus Seneca "De ira" II,9

「賢人は一度怒り始むれば、決して止むこと無、萬の物事は罪業と悪徳に満ち溢るるが故に。」 ルキウス・アンナエウス・セネカ 「怒りに就ひて」 

  • Propositio XXIV:
  • Ex virtute absolute agere nihil aliud in nobis est, quam ex ductu rationis agere, vivere, suum esse conservare (haec tria idem significant), idque ex fundamento proprium utile quarendi.
  • Propositio LXIII:
  • Qui Metu ducitur, & bonum, ut malum vitet, agit, is ratione non ducitur.
  • Propositio LXVII:
  • Homo liber de nulla re minus quam de morte cogitat, et eius sapientia non mortis, sed vitae meditatio est.   
  • Demonstratio:
  • "Homo liber, hoc est, qui ex solo rationis dictamine vivit, mortis Metu non ducitur (per Prop. 63 hujus); sed bonum directe cupit (per Coroll. ejusdem Prop.), hoc est (per Prop. 24 hujus), agere, vivere, suum esse conservare ex fundamento proprium utile quarendi; atque adeo nihil minus, quam de morte cogitat; sed ejus sapientia vitae est meditatio. Q.E.D.           - Benedictus de Spinoza "Ethica" (Pars IV, De Servitute Humana)
  • Propositio XXIII:
  • Mens humana non potest cum Corpore absolute destrui; sed ejus aliquid remanet, quod aeternum est. -Id, (Pars V, De Libertate Humana)
  • 定理24:「我々が絶対的徳によりて行動することは、理性に導かれ行動し、生き、その存在を保存し(かかる3つは同意なり)に他ならず、その独自性を有効に追及せんとす原理に由来す。」
  • 定理63:「恐怖が故に、悪を避け善を行ふ者は、理性には導かれず。」
  • 定理67:「自由なる人間はに就ひて何にもまして思索す。而してその英知は死に非ず、生に就ひての考察なり。」
  • 証明:「自由なる人間、即ち理性の助言にのみ従ひて生ける者はその行動を死の恐怖によりて支配されずして(定理63により)直接に善を欲す。(同定理帰結により)即ち、(定理24により)その独自性を有効に追及せんとする原理に由来し、行動し、生き、存在を保存す。而して何にも増して死について思索すに至る。然るにその英知は生に就ひての考察なり。:証明完了」
  • 定理23:「人間の精神は身体によりて完全に破壊されず、その一部は残る、それは永遠なり。」

バルーフ・デ・スピノザ、「エチカ」(第4部:人間の隷属性に就ひて、第5部:人間の自由に就ひて)

Un homme qui serait seul dans l'univers n'aurait aucun droit, mais il aurait des obligations. - Simone Weil "L'enracinement"

「宇宙に唯一人在る人間が有し得るものは、権利ではなく、義務であろう。」 シモーヌ・ヴェイユ、「根を持つこと」

  • Le héros ne saurait faire la moue à une mort héroique. Il n'est héros que par cette mort, elle est la condition si amèrement rechrcheée par les êtres sans gloire, elle est la gloire, elle est, enfin (cette mort et l'accumulation des apparents malheures qui y conduisent) le couronnement d'une vie predisposée, mais surtout le regard de notre propre image dans un miroir idéal qui nous montre resplendissant éternellment (jusqu'à l'usure de cette lumière qui portera notre nom).
  • Il faut pousuivre les actes jusqu'à leur achèvement. Quel que soit leur point de départ la fin sera belle. C'est parce qu'elle n'est pas achvée qu'une action est infâme. -Jean Genet "Journal du voleur"

「英雄は英雄的な死に対し顰め面をすることなどできない。彼はこの死によって始めて英雄であり、この死は栄光なき人間が苦渋に満ちて探し求める条件である。それは真に栄光そのものである。それは畢竟(この死と、それへと導く外見的不幸の堆積は)、あらかじめ運命で定められた生涯の戴冠である、しかし何にも増して我々を永遠に光り輝くものとして示す一つの理想的鏡の内の我々自身のまなざしなのである。(我々の名を帯びたこの光が消滅するまで)」

「人は行為をその成就まで遂行させなくてはならない。その出発点が何であっても終極はすべて美しいはず。行為が醜いのはそれがまだ完全に成就されていないから。」  ジャン・ジュネ 「泥棒日記

あたし、リリーキティ(リリーエカチェリーナ)は、十字のない墓より名前を授けてくださったドミートリイ・ショスタコーヴィチに感謝いたします。

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