利用者:Kovia Mizumoto
はい、わたくし、コビア ミズモトと申します☆
しばらく、ウィキに参加させていただいておりますので、一寸眼先を変える意も含め、此処ではわたくし語りをしてみようと思います。幾分かの告白も混じるやも知れませぬが、空蝉騒ぐ浮き世の徒然、『いにしへの旧き堤は、年深み、池のなぎさに、水草生ひにけり』(赤人)―と、ゆきませふ☆
わたくし語り
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「忍者」といふあだ名
[編集]家は神道系で古い呪いのかかったとおぼしき様々な骨董(がらくた)にかこまれ、学校のお弁当は竹の皮包みのお結び、水筒は茶竹筒、薄暗い日本家屋ということで「忍者」と呼ばれていました。確かに転居者のおおい、やもすればピカピカの薄っぺらさに侵されがちな東京の住宅地の子供たちの目線で見るとそう見えたのかもしれません。実際、家の敷地の、そこらかしらに鉈や鎌が転がっていて、鈍い光を放っていました。これは聊かだらしないところのある親父のせいです。親父は刃物に目がなく、どこやらから鋼の破片(もっとも親父にいわせればこれがこそ刃の原石なのでしょうが)のようなものを拾ってきて、砥石で研いで、ぴかぴかにして、ひどく切れるようにするのを生甲斐とするような男だったのです。それなので、家の包丁には一つたりとも「なまくら」なものはなく、切れすぎて怖いぐらいの切れ味でした。ある日、買い物のあとに同級生女子グループが家に遊びに来て、服のタグを切りたいという話になりました。プラスチックのタグですから、小さな手に込めた力程度では容易にひきちぎることはかないません。小刀を探しても、周囲に見当たらず、方に窮して台所より親父の研ぎあげたごつい木の柄の包丁を差し出すと、彼女たちはかなりびっくりした目をします。続いて、「水本んち、ぜったい忍者だよ~、こんなの見たことないもん!」と高い声で口ぐちに囃しました。「忍者」のあだ名はその後、より一層強調され、「ぜったい水本んち先祖忍者説」がまことしやかに流れ、クラスで急速拡散しました。其のじつのところ、家系図に忍者の先祖はいないんですが、さんざん周りに忍者忍者といわれ続けていると、自分自身でもだんだんそのうちその気になってゆき、「NARTO」のようなモダンなものはさておいて、白戸三平の「カムイ伝」や「猿飛佐助」、司馬の「梟の城」などを耽読した思い出があります。ちなみに本もだんぜん古本が好きで、匂いたつような味のあるものでないと、あまり興が乗らないところがあるのは斯様な理由に依ります。本が欲しいときはたいがい神田へゆき、臭いのを買っています。
へいへいほ~!こんこんこ~ん!
[編集]以前、夏に日焼けした折、フィリピンパブのママさんに喰いつかれ、「あたち、あんたん顔見たことあるよ、メコンだよ!あんたメコン川の与作だよ!へいへいほ~!!こんこんこ~ん!」とのお言葉をいただいた事があります。実はこの指摘、案外自分でも腑に落ちるところがありまして、百科事典で東南アジアの河川流域にすむ民族のかたがたの写真を眺めていた時、群衆のなかにわたくしそっくりの顔を発見したことがあったのです。彼はぼさぼさの髪をして、上半身裸で二の腕に腕輪を巻き、あらぬ方向に視線をただよわせ、口をあんぐりと開けていました。世界に何人か自分に似た人がいるという話がありますが、そのうちのひとりがメコン川流域だったということは、血統の浅からぬ縁を感じました。
それから、アメリカで真っ黒に日焼けしていた時にはよくタイ人と間違われるという経験もしました。たしかにムエタイのきらびやかな色彩の短パンを履いたら、似合いそうだななどと鏡を見て思いました。おそらく、わたくしのうんうんうんと昔のご先祖は東南アジアに住まわれており、そちらからなんらかの方法で日本へと辿り着いたのだろうと推測をたくましゅうしております。
もっとも最近は人工ライトの下で、のらくらしており、さほど日焼けすることがなくなってしまったので、すっかり白ばんだ顔になりましたが、まかりまちがってもアングロ・サクソン族やケルト族と間違われたことはありません。おそらく性質も含めて、「どっかみなみんほ~から来た」混血ポリネシア系なんでしょうね。自分としては、案外気にいっています。メコンの与作説。
「へいへいほ~!こんこんこ~ん!」
敬愛する作家
[編集]島崎藤村
[編集]まだ年端もゆかぬ時分、長野の山麓の壮大な風景に魅せられ、山通いをしていた事があります。当時、島崎藤村に焦がれました。藤村さんの有名な詩を御ひとつ歌ってみます。初恋ってこんなにロマンチックに歌えるのかと驚きました。
「まだあげ初めし前髪の林檎のもとに見えしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな 林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ」初恋 島崎藤村
萩原朔太郎
[編集]それから僅かばかり大人になると、大正時代の詩人萩原朔太郎がとても好きになりました。朔太郎さんはぐっと都市的で感覚が都会っ子といふ感じがして、幼な心に「をぉ~都会人」って思いました。女子にもてたんだろうなぁ~とも。
「おるがんをお弾きなさい 女のひとよ あなたは黒い着物をきて おるがんの前に坐りなさい あなたの指はおるがんを這ふのです かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに おるがんをお弾きなさい 女のひとよ。だれがそこで唱つてゐるの だれがそこでしんみりと聴いてゐるの ああこのまつ黒な憂鬱の闇のなかで べつたりと壁にすひついておそろしい巨大の風琴を弾くのはだれですか 宗教のはげしい感情 そのふるへ けいれんするぱいぷおるがん れくれえむ!お祈りなさい 病気のひとよ おそろしいことはない おそろしい時間はないのです お弾きなさい おるがんを やさしく とうえんに しめやかに 大雪のふりつむときの松葉のやうに あかるい光彩をなげかけてお弾きなさい お弾きなさい おるがんをおるがんをお弾きなさい 女のひとよ。ああ まつくろのながい着物をきて しぜんに感情のしづまるまで あなたはおほきな黒い風琴をお弾きなさい おそろしい暗闇の壁の中で あなたは熱心に身をなげかける あなた!ああ なんといふはげしく陰鬱なる感情のけいれんよ。」黒い風琴 萩原朔太郎
William Wordsworth
[編集]すこし言葉ができるようになると、自然主義の詩人ワーズワースさん(英語版)のファンになりました。此の人はちょっと藤村っぽいとこがあるけど、文化背景がぜんぜん違うんで、新しい世界だと感じました。ぶっちゃけ、えげれすですね。えげれす。そのえげれすの風景と心象が重なりあわされ、ちと万葉っぽい。
「This is the spot:—how mildly does the sun Shine in between the fading leaves! the air In the habitual silence of this wood Is more than silent: and this bed of heath, Where shall we find so sweet a resting-place? Come!—let me see thee sink into a dream Of quiet thoughts,—protracted till thine eye Be calm as water when the winds are gone And no one can tell whither.—my sweet friend! We two have had such happy hours together That my heart melts in me to think of it」Travelling William Wordsworth,
Garcia Lorca
[編集]ガルシア・ロルカ(スペイン語版)に夢中になり、ダダイズム、シュールレアリズムへと魅かれる心の働きが胸内に存するを知りました。スペインへの憧れが芽生えました。ロルカは当時スペインから登場した芸術性の高い他の作家同様、特有のスタイリッシュな感覚を有しており、スペインのオリーブの銀塊の葉裏に吹く風と赤ッ茶けた荒涼の大地が瞼裏にゆらめきます。
「La elipse de un grito va de monte a monte. Desde los olivos,sera un arco iris negro sobre la noche azul.
Ay! Como un arco de viola el grito ha hecho vibrar largas cuerdas del viento. Ay! (Las gentes de las cuevas asoman sus velones.) Ay!」 EL GRITO Garcia Lorca
Joe Strummer
[編集]やや色気づいて、服などに色彩や金属を閃かし、顔などにピアスを開けるようになると、ロンドンのパンクバンド「THE CLASH」のジョー・ストラマーの歌詞が好きになりました。現在の日本人の視点から読むと、ピストルズの歌詞もそうですが、ジョ―の歌詞も「ジャーナリスティック」。
ピストルズはベルリンの壁や軍靴の足音、幼児死、アパシーの問題を生々しく訴え、クラッシュは暴動やスペイン市民戦争をユーモア交じりに歌ったり、ジャマイカの現状に感情移入したりと多様な視点から簡潔な時事寸評をくわえ、心をつかまれました。
「Spanish songs in Andalucia The shooting sites in the days of '39 Oh, please, leave the vendanna open Fredrico Lorca is dead and gone Bullet holes in the cemetery walls The black cars of the Guardia Civil Spanish bombs on the Costa Rica I'm flying in a DC 10 tonight Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón Spanish weeks in my disco casino The freedom fighters died upon the hill They sang the red flag They wore the black one But after they died it was Mockingbird Hill Back home the buses went up in flashes The Irish tomb was drenched in blood Spanish bombs shatter the hotels My senorita's rose was nipped in the bud Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón The hillsides ring with "Free the people" Or can I hear the echo from the days of '39? With trenches full of poets The ragged army, fixin' bayonets to fight the other line Spanish bombs rock the province I'm hearing music from another time Spanish bombs on the Costa Brava I'm flying in on a DC 10 tonight Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón Spanish bombs, yo te quierro y finito Yo te querda, oh mi corazón Oh mi corazón, oh mi corazón Spanish songs in Andalucia, Mandolina, oh mi corazon Spanish songs in Granada, oh mi corazon Oh mi corazón, oh mi corazón Oh mi corazón」Spanish bombs The Clash
幸田露伴
[編集]現在、漱石が有名なわりにはいまひとつ知名度の高くない(ジョジョの奇妙な冒険のキャラぐらい?)文豪幸田露伴ですが、漱石にくらべるとぐっと東洋文学的で中国文献の精髄を感じさせるものが多い。う~ん、露伴さんの文体はひどく格調高いもので、ふ~ふ~言ひ乍読むと、じんわり旨味たっぷりの露伴汁が堪能できます。息をいきをひよく吹きかけて、すこし冷まさなくてはいけないところがなんですが・・・。
李白と欧陽脩
[編集]最近では、床に就いてから、李白や欧陽脩の漢詩を楽しんでいます。漢字でしか表わせない非常に美しい風景は東洋人として、強い郷愁(サウダージ)を感じさせるものです。あの文化大革命さえなければ―と、時々、今の中国人と議論することもあります。日本はあまり好ましく思わないところ多々もありますが、長い東洋の歴史を守っているという点では誇りに思うところもあります。とはいえ、中国の長大な栄華の伝統は甘やかな酒のように、わたくしを酔わせたりもします。
その他
[編集]おんなじを見る
[編集]国際化といふことがとやかくと言われており、とかく国別の「違い」にアクセントを置く意見もありますが、個人的にはどこの国の誰だろうが、人間そのものが内側にもつ心の作用の根本は然程差がないと感じ、かつ実際付き合ってみて、「まぢ、大差ねぇじゃん!」と感じることが多々あります。ヨーロッパであろうとも、中東であろうとも、アジアであろうとも、中国であろうとも、北米であろうとも、南米であろうとも爾り。
さらに言えばレヴィ・ストロースが述べていたように、うんとうんと昔、すなわち何万年もまえから、人間の思考の様式や枠組みそのものは然して変化しているわけではなく、只、その時々の状況の位相にしたがって、現実をその都度新しいものとして読み込んでいるのだと考えます。せっかく人間は長大かつ巨大な文化の蓄積を経験し、技術革新により他国のこれまでアクセスすることのかなわなかった文化の深みへと容易に錘鉛を垂らす機会に恵まれたにもかかわらず、逆向きの方向を目指そうとすることには内心忸怩たるものを感じます。安易なポピュリズムとナショナリズムは世界の拡がりに枠を嵌めてしまい、世界を各々のわたしから見えるものへと矮小化させています。実際世界はわたしから見えるものではない。
たとえば、スペインと日本は地球の裏(西の果て)と表(東の果て)であるにもかかわらず、社会構造的によく似たところがあります。どちらも長寿社会であり、食べ物が美味しいことで知られ、かつ出生率の低下(2016年の合計特殊出生率はスペインが1.33[1]であるのに対して、日本は1.45[2]となっています)に悩まされています。人間の心理状態もおおむね似ており、日本の「鬱」は社会問題ですが、スペインでも「不安感」で悩まされる人が年々増加[3]しています。またある医学新聞によれば、米国でも同様に「不安感」を感じる人の割合が増加傾向[4]にあるそうです。
「不安感」というタームから眺めれば、19前世紀末のウィーンを中心とした世紀末芸術がそうでした。この心の流れは感染症的にヨーロッパに広がり、クリムトやムンクといった偉大な画家を生み、サグラダファミリアにまで波及しています。さらに、この間接的な影響を受けて、日本の作家芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」の果てに、自らの死を選びました。今とは違って、一時期、日本の作家といえば、当然のように自殺するものでしたが、これもある種の感染症的なところがありました。
19世紀末や20世紀初頭でさえそうなので、現代人のようにテクノロジーとメディアと通じて、行動パターンから思考様式に至るまで似通ってきた、というよりスマホにゲーム、SNS、ウィキペディアなどほぼ同じことをやっているひとびとが、単独して問題を抱えているというのは考えにくい。したがって、よくネットにある日本特殊論のような視点はこういった共通性を括弧にいれており、ある一点のみを強調して、結局全体を見失っているように見えます。
モチベーション
[編集]毎日、日本語とスペイン語と英語で新聞を読んでいます。その経緯で各国のウィキを眺めます。ときどき、日本版ウィキペディアに抜けていたり、舌足らずな項目があると、書きたい誘惑にかられます。これはウィキのみならず、日本社会全体で言えることですが、スペイン語関連の知識と教養は部分的で、貧弱なものがおおいと見ています。
それから、個人的に言葉も常日頃使っておかないと、じょじょにその輪郭を淡くしてしまうものですから、なるたけ明確な知識と頭脳の冴えを維持するためというのも、また実際の本音です。ある種の代謝構造の中に落とし込みたい。人間の事物把握には数字も含めた「言語」が不可欠ですが、この言語は外在化させ、共有ベースに晒しておいたほうが脳のより拡張された活性化に好い。したがって、文章そのものは案外二次的なものであり、本質的(essential)なところは事物の把握そのものにあります。
つらつら候
[編集]はい、ついついよしなし事を思ひにまかせ、つらつら描いてゆくと、いくらでも長くなりそうなので、こんなところでわたくし語りおしまいに致したく候。最後に兼好法師さん。
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
兼好法師
余録―人物評
[編集]- 自称酒豪だとされている(ただの呑んだくれ説あり)。特に若かりし頃は一気飲みを好み、吐きながらも、三日三晩に渡り、飲み続けた。目撃者の話では祭りで神輿を担いだ時泡盛2本を一気飲みしていたと言う。ミュージシャンのGACKTがテキーラを一気飲みする動画を見て、ひそかに尊敬しはじめた。
- たまに流れないほどの大便をすることがある(本人談)。
- 着ているものにかなりうるさい。値段うんぬんではなく、そのアイテムをどう着るのか、チェックがはいるタイプ。本人は古着好き。買い物はだいたい下北沢。
- Gパンは洗わない。鼻くそは親指でかなり「ぐいぐい」ほぢる派。
- 大したことではなくても、つい「わ~い!」と言ってしまう。おかげでバカだと思われることも多く、しばらく言わないようにしていたが、やっぱりどうもなにかがひとつ抜け落ちた感が否めず、最近は呟くだけにするようにしている。
- アメリカはスペインだといつも口にしている。「アングロサクソン―ラテンの後輩説」を唱えている。日本でよく使われる「白人」という曖昧で不分明かつさも意味ありげな用語が嫌いで、たまに喰いつく。
- お笑いが好きで、与太話と野良話をよくする。子供のする下らない話が大好きである(精神レベルは小学生レベルという噂もある)。たまにでかい話もするが、あまり実現性はないらしい。
- ジロリアンではないが、ラーメン二郎の列にたまに並んでいる。
- 以前コムデギャルソンの川久保玲の家のそばにすんでおり、よくすれ違っていた。自称ギャルソンファンである。
- パンクロックとジャーマンテクノにはまり、ライブハウスとクラブに入り浸っていた。
- 一時期ジャズとガレージパンク、ハードロックのレコード蒐集に精をだしていた。
- 学生時代、桜色のモホーク刈りにして学校へ通っていた。電車通学時、電車とホームの間に広く開いている場所があり、そこに足を突っ込んで、局部を痛打したことがある。目から火花が散ったという。目撃者の話によると、後ろから駅員さんに腰のあたりを叩いてもらって、顔を真っ赤に赤らめていたらしい。
- サンフランシスコのカストロというゲイの街のそばに住んでいたことがあり、むきむきのハードゲイが教会を背景にハグし、熱烈なキスを交わす場面を見て、かっこいいと衝撃を受けたことがある。
- ゲイにもてたと主張している。当人によれば、長文のラブレターをもらい、なんどか襲われかけたことがあるらしい。竿が突きたてられ、貞操が危ぶまれたがなんとか守り通したと言う。
- たまに駄菓子を食べている。
- スペイン、バルセロナで首絞め強盗が流行っていた時、後ろからいきなり首を絞められそうになり、なんとかすり抜けたものの、財布を抜かれたことがある。走って追いかけると、現金だけ抜き取られた財布の残骸が落ちていた。近くに泥棒学校があるということをきき、フランスの作家ジャン・ジュネの名著「泥棒日記」を思い起こして、妙に納得していたという。
- 戦前も含む古い映画のファン。若かりし頃の山田五十鈴、桑野通子とルイス・ブルックス、勝新太郎などが贔屓。トーキーやフィルムノアール、往年のハリウッド映画、溝口健二と黒澤明、ヌーベルバーグ、カンフー映画、90年代香港映画などを好む。
- アニメも好きだが、最近のアニメにはキャラ設定、舞台設定、物語等に一言あるという。手塚治虫と赤塚不二夫、白戸三平、宮崎駿、大友克洋をよく読み、尊敬している。小説に比べると、絵柄の好き嫌いがかなり強くある。
- 好物は卵かけあつあつご飯、目玉焼き。おみおつけ。焼き秋刀魚。納豆。なめこ。冬瓜。烏賊の塩辛。刺し身。ぺたんとぴちんとぺろんとした食感を好む。日本酒。地酒。
- きゃりーぱみゅぱみゅの「にんじりばんばん」を聴いて、踊りだしたことがある。
- 座右の銘は「カタカナのトの字の棒の敷きようで「上」になったり、「下」になったり」。
- 口癖は「忍々(にんにん)」と「ちぇけなっちょ☆」、「しぁけないぞぉ、べいべぇ~!!」、「はぁ どっこいしょぉ どっこいしょ」、それから「えんやこらさっさ」「どんぶらこぉ どんぶらこぉ」。
脚注
[編集]- ^ “スペインの合計特殊出生率の推移 - 世界経済のネタ帳”. ecodb.net. 2018年12月26日閲覧。
- ^ “2016年の出生数、初の100万人割れ | お知らせ”. 国際協力NGOジョイセフ(JOICFP). 2018年12月26日閲覧。
- ^ “Cada vez más españoles sufren ansiedad, según un estudio”. 2018年12月26日閲覧。
- ^ 今日、「不安障害」は米国で最も一般的な精神疾患であり、およそ5人に1人にあたる、4千万人の成人に影響を及ぼしている。
Medical News Today 2018年9月5日付
https://www.medicalnewstoday.com/articles/322877.php