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居飛車穴熊

居飛車穴熊(いびしゃあなぐま、: Static Rook Anaguma[1])は、将棋戦法の一つ。主に対振り飛車戦において、居飛車側が穴熊を目指す作戦の総称である。

概要

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居飛車対振り飛車の将棋に於いて、古くからある持久戦策としては玉頭位取り左美濃などが指されていた。居飛車穴熊はこれらに比べバランスが悪く指しづらいとされていたが、田中寅彦が体系化を進め高勝率をあげたことで昭和50年代頃から流行した[2]。当時異端とされていた居飛車穴熊に日の目を当て、序盤戦術を向上させた功績は大きいが、田中が自身の公式戦で初めて居飛車穴熊を指したのは四段デビュー2戦目、1976年10月8日の名将戦、対佐藤大五郎戦である。この一戦こそは敗れたが、その後田中は10連勝を記録し、76年度の連勝賞と新人賞を受賞した。自身のデビュー年度に将棋大賞を受賞した棋士は田中が史上初で、そのあとも2006年度の糸谷哲郎 (糸谷も連勝賞と新人賞)しかいない(藤井聡太はデビューが2016年度の秋で、連勝賞と新人賞の受賞は2017年度が対象となっている)。田中の棋戦初優勝は5年度の新人王戦で、決勝三番勝負でも居飛車穴熊を駆使し、伊藤果を2勝0敗、千日手局 を含むと、3度の採用)で下した。居飛車穴熊を現代戦法として体系づけ、流行に導いたのは田中の功績とされるが、田中以前に居飛車穴熊が指された有名な将棋を挙げると、第7期名人戦 第2局の升田幸三対大山康晴で、先手の升田が居飛車穴熊を採用したのが知られる。結果は終盤に一失があり、升田の敗戦となったが途中は互角以上に居飛車穴熊が戦っていた。当時の朝日新聞紙面に掲載された栄記者の観戦記[3]には、九段は8八玉と寄ったあと、無造作に、ノータイムで9八香と上がった。そして、 立会の大野八段や私たちがすわっている 記録席の方に顔を向けて「フフフ......」 と笑ったとある。

初期の居飛車穴熊では振り飛車側が居飛車に4枚穴熊を許しているケースが多かったが[4]、居飛車側が圧倒的な勝率をあげていたため向かい飛車立石流四間飛車のような振り飛車から動く順が模索された。しかしいずれも対策がたてられ居飛車穴熊の隆盛を止めるには至らなかった[5]。振り飛車側からの策としては藤井システムが一時期猛威を振るったが、これも居飛車側の対策が編み出され、確実な戦法とはなっていない。2013年現在では角道を止める振り飛車はこの居飛車穴熊により第一線から退けられている状態である。とはいえ、一目散に穴熊に組むと前述のような積極策に対し形勢を損ねてしまうのは事実であり、振り飛車の出だしによっては穴熊ではなく左美濃にしたり、舟囲いからの急戦が有力である[6]

対角道を止める振り飛車

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△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第1-1図 ▲7五歩まで
△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第1-2図 ▲6八角まで
△持ち駒 なし
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▲持ち駒 歩
第1-3図 ▲2四歩まで

角道を止めている振り飛車に対して、大抵の場合居飛車陣は飛車先を伸ばしており、穴熊とのバランスは悪い。居飛車穴熊側▲6六銀型(4六銀型)の狙いの一つとして7筋(3筋)の攻略があり、高美濃で不用意に△7三桂(▲3七桂)を跳ねると桂頭を狙って指しやすくなる。居飛車穴熊側が先手として、第1-1図から▲7五歩に△同歩は▲同銀、△6五歩の反発は▲7七銀△7五歩▲8六銀△7四金▲5七角と玉頭戦に持ち込む手段が生じる。さらに穴熊側が▲7九金-▲6九金型の場合は▲7八飛も生じて攻撃力が増すことになる。もう一つの攻撃手段は引き角で、場合によっては振り飛車側に△2二飛(▲8八飛)を強要させることになる。第1-2図で△4五歩は▲2四歩からの仕掛けが生じる。

その後の展開で振り飛車側が不用意に角を動かすと▲2四歩△同歩▲同飛(もしくは1歩あれば▲2三歩)からの飛車交換に迫ることができ、有利に展開できる。第1-3図はその一例で後手振り飛車側からの△5五歩に▲2四歩、以下△2四同歩なら▲5五歩とし、角が飛び出すと▲2四飛(又は▲2三歩から▲2四飛)が生じる。

対四間飛車

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1990年代以降振り飛車の手順も洗練され、前述のような振り飛車側の積極策に無理せず対応できるよう理想的な4枚穴熊は放棄する[7]。例えば第2-1図のように振り飛車側が速めに△5四銀と来るのに対して▲6六銀と上がると△4五歩で▲6八角では△6五銀が生じる。▲6六歩としても△6四歩~△4五歩~△6五歩があり、先手が対策として▲5八金~▲6七金と繰り出す必要が生じることで、上記の居飛車穴熊側の狙い(6六銀からの7筋攻撃と引き角戦)を緩和していくことが可能になっている。

△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第2-1図 △5四銀まで
△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第2-2図 ▲5九角まで
△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第2-3図 ▲6八銀まで

『イメージと読みの将棋観』(鈴木宏彦、2008、日本将棋連盟)では、第2-1図から▲6六歩△6四歩▲9九玉とした類似の局面から△6五歩の仕掛けの是非について棋士6名が検討しているが、谷川浩司はその局面は居飛車が危険で▲8八銀は△6六歩▲同銀△4五歩で穴熊側好ましくなく、▲9九玉の前に▲5八金右を先にすべきとし、渡辺明藤井猛も▲5八金右を先にしておくべきとしており、渡辺と藤井は検討してみると、△6五歩に▲6八飛は△2四歩であるが、△6五歩に▲5八金右△4五歩▲6五歩△同銀▲3三角成△同桂▲2四歩△同歩▲同飛△4六歩▲同銀△7六銀▲8八銀で、案外後手の攻めがうるさいとしている。他の3名は、▲8八銀△4五歩△6六歩▲同銀△4五歩▲5五歩△6三銀引▲2六飛か▲8八銀△4五歩▲6五歩△同銀▲3三角成△同桂▲2四歩△同歩▲5八金右や、▲6八飛△6六歩▲同銀△4五歩▲5五歩△6三銀引▲5七銀△6四歩などを検討し、少し無理っぽい感じがあるとしている。

振り飛車が待機策に出た場合、角を▲5九角~▲3七角(狙いは▲5五歩△同銀▲2四歩など)[8]や▲2六角[9]と転換して使用して(第2-2図)、居飛車には▲6八銀~▲7六銀もしくは▲7八飛から7筋の歩を手持ちにしたり[10]などの打開策がある。

居飛車としては振り飛車の飛車先が通っていなければ松尾流穴熊への組み替え(組みきれば勝率8割)を見せる駒組みをすることで、振り飛車側への牽制を行う[11]。第2-3図のような後手櫛田流で松尾流への組み換えもあるが『イメージと読みの将棋観』によると2003年に現れてから2008年までの18局について9勝9敗の五分の成績で、うち8局が△5五歩、7局が△5三銀である。同書では△5五歩▲同歩△4六歩なら▲同歩△5五銀▲2四歩△同歩▲3五歩△4六飛▲3四歩△4四角▲2四飛△2二歩▲2五飛にじっと△4五歩や、△5五歩▲同歩△同銀なら▲2四歩△同歩▲3五歩△6五歩など、△5三銀には▲2四歩△同歩▲6五歩△7七角成▲同銀右△6五桂▲2四飛△7七桂成▲同金寄△2二歩など、いずれもいい勝負とみられているが、局面としては玉が固い穴熊側が勝ちやすそうであるとみている。

実際には振り飛車側が後手番として△4四銀~△5五歩などの動きを見せれば穴熊側も▲同歩△同銀から▲2四歩△同歩▲3五歩△同歩▲3四歩と5筋で得た歩を用いて角を追い飛車を捌くなどの手段がある。このとき四間飛車は角を4二に引けない為(飛車がいる)、角頭から角を追う筋が居飛車の狙い筋となる。

四間飛車が穴熊に組む相穴熊の場合も飛車先突破を狙う為の狙い筋が大きく変わる訳ではない。四間飛車よりも銀を穴熊に引きつけやすい利点を活かし(四間飛車は飛車が邪魔して左銀を4二〜5三と使えない)、相手が穴熊に組む間に理想的な4枚穴熊に組みに行くことが1つの狙いである[12]

対三間飛車

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△持ち駒 なし
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▲持ち駒 なし
第3-1図 ▲7七角まで

対三間飛車では右銀を▲6六~▲7七(△4四~△3三)と展開しビッグ4などに一番組みやすい。四間飛車のような△4五歩~△4六歩からの突破がないために▲5七の銀が6六の地点に移動しやすく、6六銀-6八角の構えが築き易く、その為安定して穴熊に組みやすい。

一方で右銀を3筋からの捌きに備えて4八に保留し▲5六歩~▲5七銀と活用する2手を省略して穴熊の完成を急ぐこともできる。これは対四間飛車のように△4五に歩を伸ばして早くに角道をあけることが少ないため、6筋を右銀で受ける必要がない為である。▲7七角を先にする指し方は以前から対四間飛車で用いられていたが、仮に第3-1図で△7一玉とすると▲6八角が生じ、以下△4五歩▲8八銀で次に▲2四歩からの早仕掛けがある。三間飛車の場合は△2二飛で受かるが、四間飛車の場合は3二に銀がいる構えでは2二に飛車を回せないため、△4三飛として▲2四歩△同歩▲同角に△4四角を用意する必要がある。

但し振り飛車側が早めに動く△5四歩~△5三銀~△6四銀(▲5六歩~▲5七銀~▲4六銀)や△4三銀~△5四銀~△6五銀(▲6七銀~▲5六銀~▲4五銀)の動きには注意が必要。

三間飛車側は中田功XP石田流への組み替えが狙い筋であるが、これには居飛車側は振り飛車の陣形に右銀で圧力をかけつつ、振り飛車から動かさせて戦いを起こすのが狙い筋。石田流には▲6八角~▲4六銀(△4二角~△6四銀)と3五の地点にプレッシャーをかけていく。

相穴熊になると固め合いになることが多い[13]

三間飛車側にはこの他「真部流」と呼ばれる、三間飛車特有の左銀が△5三銀~△6四銀と動けるため6筋の位をとって△5五歩を狙う(5七の地点にと金をつくる等のねらい)指し方もある。これと似た指し方で、振り飛車側が出だしで角道を止めずに△5四歩として角交換を誘い、交換してきたら飛車で取って向い飛車に構えて5三に角を打たせて△4二銀▲8六角成とさせて馬をつくらせる大野流向かい飛車を応用し、居飛車側が穴熊にしてきたら振り飛車側は△6四歩~△6五歩~△5三銀~△6四銀と好形を築いて圧迫する指し方もよく指されていた。

△ 持ち駒 なし
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▲ 持ち駒 なし
第3-2図 ▲5六歩まで
△ 持ち駒 なし
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▲ 持ち駒 なし
第3-3図 ▲6六銀まで

第3-2図から3-3図は、対石田流に対する居飛車穴熊。羽生善治著『羽生の頭脳』では第3-2図の△3五歩に対する▲5六歩は、次の一手を△4二角に限定しているとしている。そして△1四歩などであるとすかさず▲5七銀があり、以下△4二角でも▲4六銀と出て、△3四飛には▲6八角がある。このとき石田流の角がまだ5三に来ていないので、▲4六銀△3四飛▲6八角のときに△4五歩のカウンターが利かない。また△4二角▲2六飛△6四角で△3六歩を狙うのも△6四角のときに▲1七香で、以下△3六歩なら▲同歩△1九角成▲4六銀である。また局面が進んだ第3-3図で▲7八金右より▲6六銀と銀を先に出て5筋の歩交換を先にするとしている。また後手が△7四歩としたら▲7五歩として、以下△同歩▲同銀△7四歩に▲8六銀として、2六の飛車の起動域を広げておく。以降は▲7六飛と回っての▲7五歩や▲2四歩△同歩▲2三歩などの揺さぶりをかけるなどがある。

対中飛車

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振り飛車は四間飛車のように藤井システムや、三間飛車のような石田流への組み換えを持たない為、居飛車に4枚穴熊を許しやすい。しかし、四間飛車より銀を玉に引きつけやすい利点を活かした矢倉流が用いられている。穴熊側も対中飛車の場合は中央の守りがあるので、右銀を▲6六~▲7七(△4四~△3三)といった展開はしずらく、右銀は攻めに使っていく展開が多い。

対向かい飛車

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向かい飛車も三間飛車同様に、そのまま持久戦を目指すと居飛車穴熊にスムーズに組まれやすい。その意味で速めに反撃する策が必要となる。

△持ち駒 角
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▲持ち駒 角
第4-1図 △2四歩まで

他の振り飛車の場合でも向い飛車に振り直しすることで用いられるが、▲7八金(△3二金)型に構えて速攻を仕掛ける指し方が用いられる。もともと居飛車穴熊に対する速攻はこの▲7八金(△3二金)型急戦が多かった。

この他、居飛車穴熊側が5筋を付かないで組む場合、向い飛車側は▲6八(△4二)に銀を構えておき、角道をあけて角交換を迫る指し方もみられる。あらかじめ向い飛車なので、飛車先突破される心配がなく、角を手持ちにしたほうが向かい飛車側が有利に働くためである。

類似の手法として、以前は5筋不付で組む穴熊に対し、第4-1図のように他の△4三銀型振り飛車から居飛車が▲9八香のとき△4五歩と突いて角交換を迫り、以下▲2二角成に△同飛で角交換向かい飛車にする指し方も指されていた。四間飛車相手の△4五歩に▲6六歩だと△5四銀▲5八金△6四歩▲6七金△5五銀が生じる。

対角道を止めない振り飛車

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2012年現在、流行している角道を止めない振り飛車の長所は居飛車穴熊に組まれにくい点である。しかし、それでも居飛車穴熊は有力な作戦である。

対ゴキゲン中飛車

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従来ゴキゲン中飛車に対して居飛車穴熊に組むのは袖飛車にされて損とされており、角道も止める為作戦負けになりやすいと考えられていた。しかし、袖飛車対策として▲8八銀を保留して、角の退路を確保するのが有効で居飛車も戦えることが分かった[14]。居飛車は浮き飛車に構えたり▲8六角などと大駒を細かく使いながら袖飛車を警戒し[15]、揺さぶりをかけながら手を作り玉型は松尾流穴熊を目指し、中飛車側も穴熊に組む相穴熊が有力視されている[16]。他にも石田流に組み替えたり[17]、平凡に5四銀型から高美濃に組む形も有力であるが[18]、穴熊に堅さ負けしやすい[19]。また、△5四銀~△4五銀から△5六歩という一直線の攻めは▲6八角で無理筋となる[20]

この他、『菅井ノート』218ページの例、第5-1図▲6七金以下、△5一飛▲7七角△9四歩▲9六歩△8四歩▲8八玉△8七銀▲7八金△7二金▲9八香で、穴熊にする順などが知られる。

△ 持ち駒 なし
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▲ 持ち駒 なし
図は▲6七金まで
第5-1図 居飛車穴熊への組み替え
△ 持ち駒 なし
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▲ 持ち駒 なし
図は▲9八香まで
第5-2図 居飛車穴熊への組み替え

先手中飛車には5筋の位を取らせないで居飛車穴熊に組む作戦が有力。5筋の位を取らせると袖飛車が厳しいとされた為だが[21]、居飛車側が勝つ例もあり難解である[22]

対石田流

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居飛車側がやや損とされるも、村田顕弘[23]野月浩貴らによって研究・実戦が重ねられている。石田流側に一方的な捌きや抑え込みを許さないのが肝要で、戦いさえ起きれば玉形の堅さと遠さを活かせる。

対角交換振り飛車

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銀を8八−7七へと組み替え、へこみ矢倉の形から穴熊に組み替えることがある。

「居飛車穴熊戦法」訴訟

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将棋の戦法「居飛車穴熊」の元祖が誰かをめぐり、支部名人戦優勝1回・赤旗名人戦優勝3回の実績を有するアマチュア強豪の大木和博が「考案したのは自分」として、プロ棋士の田中寅彦を相手に300万円の慰謝料の支払いと、元祖を名乗らないよう求めた訴訟。

1999年6月、一審の東京地裁は「二人とも元祖や創始者と呼ばれるにふさわしい」と指摘し、慰謝料支払いの請求を棄却。

2000年3月、二審の東京高裁も一審判決を支持した。

2001年2月22日最高裁第1小法廷は、同件を上告審として受理しないことを決定した(上告棄却)。この棄却決定により、二審の東京高裁判決が確定することとなった。

なお1968年の第27期名人戦(大山4-升田0)第2局で先手番の升田幸三実力制第四代名人が居飛車穴熊のコンセプト[24][25]を後手番の大山康晴十五世名人の四間飛車相手に実践していた。しかし、実際に居飛車穴熊を現代戦法として再編・体系づけてプロ棋士の間に大流行させて本格的な対振り飛車攻略として定着させたのは田中寅彦の功績である。小倉久史著『下町流三間飛車戦法の一節』によれば、当人のコメントとして「訴えられたから戦った」そうである。また、田中以前には西村一義が居飛車穴熊戦法を何度も実戦で採用しており、田中はこの西村にも少なからず影響を受けている。

平手戦

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平手(ひらて)とは、将棋用語で、先手後手ともに駒落ちがなく、20枚ずつ所定の位置に置いた状態から指される将棋。

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平手の初期配置

第二次世界大戦前は、プロ棋界でも両対局者の段級位の差による駒落ち戦が主流だったが、現在の公式の棋戦は全て平手戦で行われている。

王将戦創設当時はどちらかが3勝差をつけると次の対局から平手と香落ちを交互に指す「三番手直り」制度があったが、現在は「四番手直り」に改められ、またどちらかが4勝した時点で対戦が終了するため、香落ち戦が指されることはない。

但し奨励会においては2級差の対局に香落ち、その準備組織である研修会では連盟の基準に応じた駒落ちが採用されているため、現代のプロ棋士が駒落ちを避けて通れるということにはならない。

駒落ちの定跡

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駒落ち定跡の歴史はすなわち将棋定跡の歴史と言っても過言ではなく、最古の将棋定跡書、大橋宗英の『将棋歩式』や棋聖・天野宗歩の『将棋精選』に掲載されている定跡のほとんどが駒落ちである。『将棋精選』の天野定跡は昭和初期まで将棋の基本とされた。現代将棋の祖・升田幸三は「これさえマスターすれば、もう高段者になれる。」「引き駒をした、ハンディをつけたぶんのは、いまもこれが基本として残っているほどです。」「ぼくもこの『将棋精選』は初段ごろに読んで、感心しました、偉いもんだなぁと思って。いまだに感心しますよ。よくまあこれだけやったもんだと……。その将棋のなかから、私流の考え方があって、自分の創意を加えて、勉強になりましたねぇ。」と述べている。[26]

その後、木村義雄が更にそれを修正した『将棋大観』が現在駒落ち将棋の基本となっている。[27]この定跡を「木村定跡(大観定跡)」といい、多くの駒落ち定跡書は木村定跡の修正版もしくは自分で編み出した新研究となっている。

角落ち

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角落ち(かくおち)は将棋のハンデキャップの1つ。角行を上手から取り除いて対局する。トッププロと、トップアマが戦う手合割としてよく用いられる。昭和50年頃には角落ち棋戦「将棋プロアマ角落十番勝負」「朝日アマプロ角落ち戦」等があり、非常に流行していた。定跡としては天野定跡以来の三間飛車(本定跡)か、矢倉戦法が主流である。

二枚落ち

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二枚落ち(にまいおち)は将棋のハンデキャップの1つ。飛車、角行の大駒を上手から取り除いて攻撃力を抑えた状態で対局する。飛車角落ち(ひしゃかくおち)ともいい、最もよく知られた駒落ち将棋である。慣用句的に、スポーツで主力選手を欠き攻撃できない状態のことを「飛車角落ち」というほどである[注 1]

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二枚落ちの初期配置

木村義雄が「六枚落ちから三枚落ちのように上手にどこといってテキメンの欠陥がないので、飛角運用だけの簡単な攻撃法ではなかなか勝利をおさめる訳にはいかない」と述べているように、攻撃力は低いが防御力は十分にあるので、攻める下手には要領の良い攻撃能力が要求される。

下手側の定跡として江戸時代から「二歩突っ切り」「銀多伝」の2つが整備されているが、上手相手にこの2つの定跡を用いても下手が勝つのはなかなか難しい。昭和中期にプロ・アマ対局で大量の二枚落ち戦が指されたが、観戦記者の湯川博士によればアマが定跡を覚えてきても勝てたケースは殆ど無かったという。特に「二歩突っ切り」定跡の成績が非常に悪く、湯川は玉が硬い「銀多伝」定跡を推奨している[29]。このため、アマ側で唯一好成績を収めたアマ四段の石垣純二が旧来の銀多伝を工夫した「石垣流銀多伝定跡」が昭和中期に流行したが、石垣流にも後に欠陥が見つかり、現在では「二歩突っ切り」がまた盛行している[30]。現在でも高橋道雄の開発した駒落ち新定跡のように、下手向けの定跡が研究されている。

六枚落ち

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六枚落ち(ろくまいおち)は将棋のハンデキャップのひとつ。上手が飛車・角行・左右の桂馬・香車の6枚を落とすことからこの呼び名がある。

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六枚落ちの初期配置

指導対局などで、初心者と上級者が対局する場合、最初はこの手合いから始めることが多い。

上手から攻め込まれる心配はほとんどないので、下手は上手陣を破って上手玉に迫ることに専念していけばよい。天野定跡以来の下手の角上がりからの9筋端攻めが有名な下手必勝法だが、先崎学は1筋端攻めの方を推奨するなど、他の指し方もある。


脚注

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  1. ^ Kawasaki, Tomohide (2013). HIDETCHI Japanese-English SHOGI Dictionary. Nekomado. p. 13. ISBN 9784905225089 
  2. ^ 『現代に生きる大山振り飛車』p.125を参照。
  3. ^ 「途端に私はあっと目を見張った。穴グマ。升田九段の「穴グマ」、それはおそらく初めてのことであろう。天下の名 人位を争う命がけの大棋戦に初めての戦 法を試みるとは。 成功するかどうかは別 問題として、さすがは,新手一生"を標ぼうする九段の面目躍如たるものがある。」
  4. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊編)』p.12を参照。
  5. ^ 『現代に生きる大山振り飛車』p.129を参照。
  6. ^ 『四間飛車破り(急戦編)』p.10を参照。
  7. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊編)』p.47を参照。
  8. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊)』p.164,234を参照。
  9. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊編)』p.118,146を参照。
  10. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊編)』p.242を参照。
  11. ^ 『四間飛車破り(居飛車穴熊編)』p.81,83を参照。
  12. ^ 『ホントに勝てる穴熊』p.178を参照。
  13. ^ 『ホントに勝てる穴熊』p.177を参照。
  14. ^ 棋譜。第22期竜王戦5組ランキング戦準決勝豊島将之戸辺誠戦を参照。
  15. ^ 『NHK将棋講座テキスト2011年4月号』p.63を参照。
  16. ^ 『ゴキゲン中飛車の急所』p.212を参照。
  17. ^ 『ゴキゲン中飛車の急所』p.208を参照。
  18. ^ 『ゴキゲン中飛車の急所』p.204を参照。
  19. ^ 『ゴキゲン中飛車の急所』p.212を参照。
  20. ^ 『ゴキゲン中飛車の急所』p.200を参照。
  21. ^ 『遠山流中飛車持久戦ガイド』p.104を参照。
  22. ^ 棋譜。第71期A級順位戦1回戦谷川浩司渡辺明を参照。
  23. ^ 『最新戦法マル秘定跡ファイル』第3章を参照。
  24. ^ 当時の棋戦解説では「珍しい左穴熊」と記された。
  25. ^ 棋譜は週刊将棋編「不滅の名勝負100」(毎日コミュニケーションズ)で確認できる。
  26. ^ 升田『王手 ここ一番の勝負哲学』成甲書房、2001。現在でも『将棋精選』は定跡書として使われており、豊川孝弘は幼少期に『将棋精選』を並べたと述懐している。
  27. ^ 湯川『定跡なんかフッ飛ばせ』マイコミ、2003
  28. ^ サンケイスポーツ 2013年3月16日 清水泰史『【甘口辛口】「飛車角落ち」ザック日本、救世主の登場なるか』
  29. ^ 湯川『定跡なんかフッ飛ばせ』マイコミ、2003。木村定跡の「二歩突っ切り」で下手必勝となっている局面から敗れるアマチュアが続出したという。
  30. ^ 石垣、『石垣流二枚落大決戦』講談社、1975及び先崎『駒落ちのはなし』。
  1. ^ 例えば、サッカー日本代表で主力選手のMF本田圭佑とDF長友佑都が欠場した状態、野球日本代表で主力選手のイチローダルビッシュが参加しなかった状態を、スポーツ紙がそれぞれ「飛車角落ち」と表現している[28]