利用者:JuthaDDA/琵琶湖の湊と浦
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琵琶湖の湊と浦(びわこのみなととうら)は、古代から近世にかけて琵琶湖の水運や漁撈において利用された湊(港)や浦の一覧である。
滋賀郡
[編集]小松
[編集]→詳細は「小松 (大津市)」を参照
比良
[編集]志賀
[編集]真野
[編集]→詳細は「真野 (大津市)」を参照
堅田
[編集]→詳細は「堅田 (大津市)」を参照
坂本
[編集]→詳細は「坂本 (大津市)」を参照
三津浜
[編集]唐崎
[編集]→詳細は「唐崎 (大津市)」を参照
大津
[編集]松本
[編集]→詳細は「松本 (大津市)」を参照
栗太郡
[編集]矢橋
[編集]→詳細は「矢橋」を参照
山田
[編集]志那
[編集]野洲郡
[編集]江頭
[編集]蒲生郡
[編集]水茎
[編集]元水茎内湖干拓遺跡からは縄文時代後期の丸木舟7隻や木製の櫂が出土している[1]。
船木
[編集]八幡
[編集]島
[編集]常楽寺
[編集]愛知郡
[編集]柳川
[編集]薩摩
[編集]犬上郡
[編集]八坂
[編集]坂田郡
[編集]磯
[編集]磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の湊に鵠多に鳴く—高市黒人
と詠まれている。
筑摩
[編集]→「筑摩御厨」も参照
後の米原市朝妻筑摩[2]。
朝妻
[編集]後の米原市朝妻筑摩[2]。
浅井郡
[編集]早崎
[編集]尾上
[編集]塩津
[編集]『万葉集』に収められた小弁の歌に詠まれる(後述)。平安時代の『延喜式』においては、北陸の物資は敦賀から陸路を経由して塩津から大津に湖上輸送するとされている[2]。
菅浦
[編集]→詳細は「菅浦の湖岸集落」を参照
『万葉集』に収められた小弁の歌に詠まれる(後述)。
大浦
[編集]高島郡
[編集]海津
[編集]今津
[編集]木津
[編集]安曇
[編集]と詠まれる[2]。
勝野
[編集]何処にかわれは宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば—高市黒人
大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ
と詠まれている。平安時代の『延喜式』においては、若狭国の物資を勝野から大津へと湖上輸送するとされている[2]。
香取浦・真長の浦・大溝
時代ごとの主な港・浦
[編集]現代の主な港については「琵琶湖#主な港」を参照
- 古代
- 中世[5]
- 近世
注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 木村, 至宏『琵琶湖 — その呼称の由来』サンライズ出版〈淡海文庫〉、2001年10月28日。ISBN 4-88325-129-2。
- 杉江, 進『近世琵琶湖水運の研究』思文閣出版、2011年1月20日。ISBN 978-4-7842-1551-5。
- 滋賀県立安土城考古博物館、長浜市長浜城歴史博物館 編『琵琶湖の船が結ぶ絆 — 丸木船・丸子船から「うみのこ」まで』滋賀県立安土城考古博物館、2012年7月14日。国立国会図書館書誌ID:024145203。
- 太田, 浩司「琵琶湖の湖上交通 — 古代から近世までの舟運史」、10-20頁。