許相(きょそう、? - 189年)は、後漢末の政治家。
許劭(許子将)、許靖とは同族である。
霊帝の治世の末期に三公にたびたび名を連ねるようになり、185年から187年には司空、187年から188年までは司徒に任じられている。これらの職の後任である丁宮や同時期に太尉となった樊陵と同様、宦官、十常侍におもねる人物であったとみられる。黄琬は樊陵と共に許相を批判している。
霊帝の没後、少府の地位にあったが、大将軍何進を暗殺した十常侍の偽の詔勅により、樊陵と共に召しだされ河南尹(司隷校尉)に任命されそうになったが、十常侍打倒を図った袁隗と袁紹に先手を打たれ、偽の詔勅によりおびき出され樊陵と共に殺害された。