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明烏(あけがらす)は、浄瑠璃演劇の演目[1]

あらすじ

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浦里・時次郎の男女の恋愛を描いている[1]吉原の山名屋抱えの遊女浦里と時次郎とは、子までなした仲でありながら、山名屋によって稼業の邪魔になることを理由に仲を裂かれようとする。雪の日に浦里が揚屋の庭のに縛りつけられ折檻されているところを時次郎が救い出し、その子・みどり共々手をとって駆け落ちする。

興行

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明和6年(1769年)の伊之助・三芳野の心中事件を受けて浄瑠璃が作られたられたとされる[1]。演劇の初興行は弘化4年(1847年大坂大西の芝居で、時次郎役は中山文七、浦里役は沢村其答が務めた[1]。浄瑠璃には鶴賀馬蝶が出語りしたこともあり、大入りになったとされる[1]江戸の初演は嘉永4年(1851年)、桜田治助作の『浦里時次郎明烏花濡衣』(または単に『明烏花濡衣』)として市村座で行われた[1]。時次郎役は八代目市川團十郎、浦里役は坂東秀佳が務め、浄瑠璃太夫は清元太兵衛の出語りとなり、これも大当りとなったことが知られる[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 荒川秀俊『江戸の実話・「実事譚」の世界』桃源社、1965年5月、PP16-18。