利用者:Hikasuke/作業スペース
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春季大攻勢 | |
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戦争:第一次世界大戦 | |
年月日:1918年3月21日 - 7月18日 | |
場所:北フランス、西フランダース、ベルギー | |
結果:連合軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス イギリス アメリカ合衆国 ポルトガル |
ドイツ帝国 |
指導者・指揮官 | |
フィリップ・ペタン フェルディナン・フォシュ ダグラス・ヘイグ ジョン・パーシング |
パウル・フォン・ヒンデンブルク エーリヒ・ルーデンドルフ |
春季大攻勢は第一次世界大戦における戦い。カーザーシュラハト、平和攻勢などとも呼ばれる。ドイツ軍による5回にも及ぶ攻勢はすべて失敗した。
概要
[編集]1918年初頭、ロシアのソヴィエト政権が中央同盟国と講和したことで東部戦線が消滅し、ドイツ軍は余った兵力を西部戦線に転用できるようになる。ドイツ最高統帥部はアメリカの本格的戦闘加入、そして自国経済の崩壊する前に西部戦線において戦勝を得、戦争に勝利しようと大攻勢を計画した。長きにわたる陣地戦の経験によってドイツ軍は、戦術的成功を重視し、作戦・戦略は二の次とした。この結果、その作戦は行き当たりばったりのものになり、明確な戦略性を欠いていた。
192個師団を西部戦線に集中したドイツ軍は、3月21日攻撃に出た。5度に及ぶ攻勢も勝利にはつながらず、ドイツ軍は兵力を大きく損してしまった。一方、連合軍はアメリカ軍の本格的戦闘加入により、逐次兵力を増していった。ドイツ軍の第5次攻勢失敗後の7月16日、フランス軍はソアッソンにおいて攻勢に打って出て、ドイツ軍を撃破した。これに続いてイギリス軍が8月8日、アミアンで攻勢に出てドイツ軍2個師団を潰走させる。以後、連合軍は総反攻に転じ、追いつめられたドイツは内部崩壊して大戦は終結した。
背景
[編集]計画
[編集]ドイツ軍の攻撃計画
[編集]連合軍の防御計画
[編集]両軍の態勢
[編集]ドイツ
[編集]連合軍
[編集]第1次攻勢
[編集]第2次攻勢
[編集]第3次攻勢
[編集]第4次攻勢
[編集]第5次攻勢
[編集]計画
[編集]両軍の態勢
[編集]経過
[編集]連合軍の反撃
[編集]結果
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 仏エール将軍、陸軍省軍事調査班(訳)『砲兵ノ過去現在及将来』偕行社、1927年。
- D・オーギル、戦史刊行会(訳)『戦車大突破 第一次大戦の戦車戦』原書房、1972=1980年翻訳。ISBN 9784562008988。
- 参謀本部編『千九百十八年 西方戦場ニ於ケル作戦』偕行社、1926年。
- 参謀本部編『欧州大戦ノ戦術的観察 第四巻』偕行社、1925年。
- 参謀本部編『欧州大戦ノ戦術的観察 第五巻』偕行社、1926年。
- 参謀本部編『欧州戦争ニ於ケル米国陸軍』偕行社、1921年。
- 参謀本部編『瓦斯戦史』偕行社、1932年。
- 参謀本部編『大戦間に於ける英仏露連合作戦』偕行社、1925年。
- 瀬戸利春『歴史群像No.77 カイザーシュラハト』学習研究社、2006年。
- リデル・ハート、上村達雄(訳)『第一次世界大戦』中央公論社、1970=1976年翻訳/2001年。ISBN 9784120031007。
- Gray, Randal (1991/2004). Kaiserschlacht 1918: The Final German Offensive of World War One. Praeger. ISBN 0275982890
- Griffith, Paddy (2004). Fortifications of the Western Front 1914-18. Osprey Publishing. ISBN 1841767603
- Griffith, Paddy (1994). Battle Tactics of the Western Front: The British Army`s Art of Attack 1916-18. Yale University Press. ISBN 0300059108
- Gudmundsson, Bruce (1989). Stormtroop Tactics: Innovation in the Germany Army1914-1918. Praeger. ISBN 0275954013
- Zabecki, David (2006/2009). The German 1918 Offensives: A Case Study in the Operational Level of War. Routledge. ISBN 0415558794