利用者:HMS Barham/下書き2
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初代ハインドホープの カニンガム子爵 アンドリュー・カニンガム Andrew Cunningham 1st Viscount Cunningham | |
---|---|
渾名 | ABC |
生誕 |
1883年1月7日 イギリス イングランド、ハンプシャー、サウサンプトン |
死没 |
1963年6月12日 (80歳没) イギリス イングランド 、ロンドン、ケンジントン |
所属組織 | イギリス海軍 |
軍歴 | 1897年 - 1946年 |
最終階級 | 海軍元帥 |
墓所 |
イギリス イングランド セント・ポール大聖堂 |
初代ハインドホープのカニンガム子爵アンドリュー・ブラウン・カニンガム海軍元帥(英語: Andrew Browne Cunningham, 1st Viscount Cunningham of Hyndhope,KT GCB OM DSO、1883年1月7日 – 1963年6月12日)は、イギリスの海軍軍人。
生涯
[編集]第二次世界大戦
[編集]1940年6月10日、ドイツによるフランス侵攻が続くなか、イタリアがイギリスに宣戦布告した。カニンガムら地中海艦隊は、差し当たってはアレクサンドリア軍港に停泊するフランス駐留艦隊に対処しなければならなかった。そこでカニンガムは司令長官ルネ・エミール=ゴドフロワ提督と交渉を続け、フランス艦隊の抑留に持ち込むことができた。西地中海側のメルス・エル・ケビール軍港での失敗を考えれば大きな成功だった。
7月9日、イギリス・イタリア両海軍の最初の大規模な戦闘が起こった。シチリア島東岸・カラブリア岬沖で、船団護衛中の両艦隊が接近し、巡洋艦部隊の前哨戦を経て、主力艦同士の昼間砲戦となった。カニンガムの旗艦ウォースパイトは、敵旗艦ジュリオ・チェザーレに命中弾を与え、速力低下に追い込んだ。不利を悟ったイタリア艦隊を撤退をはじめ海戦は終結した。(カラブリア沖海戦)
この間に輸送船団は目的地へ逃れて戦略的目標は達成したが、
タラント空襲
[編集]カラブリアでは消極的であったもののイタリア海軍は依然として強大で、たとえば戦艦の隻数でいえばカニンガム地中海艦隊を『6対4』と数で上回っていた。
栄典
[編集]勲位・名誉職など
[編集]イギリス
[編集]爵位
[編集]1945年に以下の爵位を新規に叙された。
- 初代セルカーク州カークホープにおけるハインドホープのカニンガム男爵(1st Baron Cunningham of Hyndhope, of Kirkhope in the County of Selkirk)(勅許状による連合王国貴族爵位)
1946年に以下の爵位を新規に叙された。
- 初代セルカーク州カークホープにおけるハインドホープのカニンガム子爵(1st Viscount Cunningham of Hyndhope, of Kirkhope in the County of Selkirk)(勅許状による連合王国貴族爵位)
家族
[編集]西地中海川
脚注
[編集]注釈
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出典
[編集]参考文献
[編集]- 君塚, 直隆『悪党たちの大英帝国』株式会社新潮社、東京都新宿区〈新潮選書〉、2020年。ISBN 9784106038587。
- 高田, 泰光 編『第2次世界大戦のイギリス軍艦』 2016 No.839、海人社〈世界の艦船6月増刊号〉、2016年。ASIN B01EYMD2LI。
- ハンブル, リチャード 著、粟田 亨 訳『世界の海軍史 - 近代海軍の発達と海戦』(初版)株式会社文芸社、東京都新宿区、2022年。ISBN 9784286235479。
- 宮永, 忠将 著、市村 弘 編『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』大日本絵画、東京都千代田区、2015年。ISBN 9784499231527。
外部リンク
[編集]- Transcription of Official Service Records on www.admirals.org.uk
- Bio on HMS Hood memorial page
- 1943 bromide print Archived 10 February 2008 at the Wayback Machine. by Yousuf Karsh at the National Portrait Gallery, London
- Template:DP-xlink
- Newspaper clippings about HMS Barham/下書き2 in the 20th Century Press Archives of the ZBW
- Papers of Viscount Cunningham held at Churchill Archives Centre
軍職 | ||
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先代 Sir Geoffrey Blake |
Commander, Battlecruiser Squadron 1937–1938 |
次代 Sir Geoffrey Layton |
先代 Sir William James |
Deputy Chief of Naval Staff 1938–1939 |
次代 Sir Tom Phillips |
先代 Sir Dudley Pound |
Commander-in-Chief, Mediterranean Fleet 1939–1942 |
次代 Sir Henry Harwood |
先代 Sir Henry Harwood |
Commander-in-Chief, Mediterranean Fleet February–October 1943 |
次代 Sir John Cunningham |
先代 Sir Dudley Pound |
First Sea Lord 1943–1946 | |
宮廷職 | ||
空位 最後の在位者 The Marquess of Salisbury
|
Lord High Steward 1953 |
空位 次代の在位者 Sir Gordon Messenger
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学職 | ||
先代 J. Donald Pollock |
Rector of the University of Edinburgh 1945–1948 |
次代 Alastair Sim |
イギリスの準男爵 | ||
爵位創設 | 'Baronet (of Bishop's Waltham)' 1942–1963 |
Extinct |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | Viscount Cunningham of Hyndhope 1946–1963 |
Extinct |
Baron Cunningham of Hyndhope 1945–1963 |