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礼記子本疏義 (らいきしほんそぎ)
概要
[編集]特徴
[編集]伝来
[編集]巻尾に「内家私印」の印がある。これは光明皇后(聖武天皇の皇后)の蔵書印とされる[1]。
1890年、田中光顕が島田蕃根から『礼記子本疏義』を購入する[1]。 1904年、島田翰の『古文旧書考』において、『礼記子本疏義』の考察と翻刻が掲載される[1]。 1905年、早稲田大学図書館が田中光顕より『礼記子本疏義』の寄贈をうける。当時の早稲田大学図書館長である市島春城が、田中に直接書簡を送り、寄贈につながった[1]。 1909年、羅振玉が早稲田大学を訪れ、『礼記子本疏義』を閲覧する。羅振玉は、のちに複製本を影印によって石印本を作製し、「六朝写本礼記子 本疏義」と題して自家出版した。この本が一般に流布し、羅振玉の全集にも収録されるなど、広く知られることとなった[1]。 1931年、文部省国宝保存会・国宝監査会委員が調査し、『礼記子本疏義』が国宝に指定された[1]。 1952年、戦後改めて国宝に指定される[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 高木理久夫「国宝「礼記子本疏義」由来と研究史」『早稲田大学図書館報』第100巻、2021年 。
- 鈴木由次郎「礼記子本疏残巻考文」『中央大学文学部紀要』第56巻。
- 山本巌「礼記子本疏義考」『宇都宮大学教育学部紀要第1部』第37巻、1987年。
- 大坊眞伸「『禮記子本疏義』と『禮記正義』との比較研究」『大東文化大学漢学会誌』第43巻、2004年 。
- 王孫涵之「『禮記子本疏義』分卷考 : 淸家『禮記』證本の義疏卷數記號を手掛かりとして」『東方學』第142巻、2021年。
- 高木理久夫「翻刻国宝「礼記子本疏義」」『早稲田大学図書館紀要』第69巻、2022年 。
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]
[[Category:6世紀の中国語書籍]]
[[Category:注釈書]]
[[Category:中国の南北朝時代]]
[[Category:魏晋南北朝の書籍]]
[[Category:佚存書]]
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