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利用者:Francesco Nagoya/マイケルソン・モーリーの実験

Figure 1. マイケルソン・モーリーの干渉計の構造を示す。干渉計は、水銀プールに浮かべた石の平板の上に置かれた。

マイケルソン・モーリーの実験(マイケルソン・モーリーのじっけん、: Michelson-Morley experiment)は、1887年アルバート・マイケルソンエドワード・モーリーによって、アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドにある現在のケース・ウェスタン・リザーブ大学で行なわれた実験である。[1]この実験では静止しているエーテルに対する物体の相対運動、すなわち「エーテルの風」を検出することが目的であった。実験結果としてはエーテルの風は観測されず、これは当時広く信じられていたエーテル理論を否定するものとして解釈され、やがて特殊相対性理論へと発展する一連の理論研究の基礎となったと考えられる。なぜならば、特殊相対性理論はエーテルのような絶対的に静止している座標系は存在しないという概念を定式化したものだからである。[A 1]

概要

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ニュートン力学では、運動する物体の見かけ上の速度は、観測者の運動の速度に依存する。例えば、同じ速さで同じ方向に進む二台の自動車は、互いに止まっているように見える。このことは光の運動にも適用できると考えられた。そこで、見かけ上の光の速さは光の向きに依存する、ということを確かめることがこの実験の目的であった。しかし結果として、光の速さは進行方向に依存しないことが確認された。

この実験は現在のケース・ウェスタン・リザーブ大学で行われ、物理学史において重要な役割を果たした。この実験は、エーテル理論を初めて否定したものとして知られている。同時に、「第二次科学革命の理論面の端緒」ともされている[2]。マイケルソンは、この業績により1907年にノーベル物理学賞を受賞した。

マイケルソン・モーリー型の実験は、その後も精度を向上させながら幾度となく繰り返された。たとえば、1902年から1905年にかけての実験や、1920年代に行われた一連の実験である。さらに、近年の光共振器を用いた実験によってもエーテエルの風は10-17のレベルで不存在が確認された。[3][4]現代では、マイケルソン・モーリーの実験は、Ives–StilwellやKennedy–Thorndikeらの実験と共に、基礎的な特殊相対性理論の検証実験として位置付けられている。[A 2]

エーテルの測定

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19世紀後期の物理学の理論では、光の波動が伝播するための媒質として「エーテル」が存在すると考えられていた。水面をが伝わるには水が、が伝わるためには空気などが、それぞれ媒質として必要であること、および光は真空であっても伝播することから、真空中でも光を伝える媒質の存在が予想されたのである。物体はエーテルの中であってもほとんど摩擦を生じることなく運動することから、エーテルは他の物質とは著しく異なった物性を備えていると予想された。また光は極めて速いため、エーテルの存在や性質を調べる実験には高い精度が要求された。[A 3]:411ff

地球太陽の周りを公転しており、その速さは、およそ秒速30kmである。太陽自体も銀河系の中で地球の公転より速く運動しているし、銀河系自体も高速で運動しているが、ここでは太陽と地球の相対的な運動のみに着目する。エーテエルと地球の関係について、二つの可能性が考えられた。一つはフレネル1818年に提唱した仮説であり、エーテルは静止しており、地球から僅かな摩擦力を受けるとするものである。もう一つはストークス1844年に述べた考えで、エーテルは完全に地球と一緒に動いているとするものである。[A 4]マクスウェル1865年電磁気学を確立し、現在でいうマクスウェルの方程式を発表したが、この式はエーテル中を伝わる波について記述しているものと解釈され、エーテル自体がどのように運動するかについては不明であるとされた。しかし最終的には、1851年フィゾーの実験光行差を適切に説明できるという理由で、フレネルの考えが広く支持されるようになった。[A 4]

Figure 2. 「エーテルの風」の概念

フレネルの仮説に従えば地球はエーテルに対して相対的に運動しているのだから、地球上の我々から見れば「エーテルの風」が吹いているはずである。これは、水中を歩くと水の抵抗を感じるのと同様である。もちろん、地球の運動とエーテルの流れがたまたま一致して無風状態になることもあり得る。しかし地球の位置が変われば、つまり季節が変われば、再びエーテルの風が吹くであろう。エーテルが常に地球と同じ方向に動いているとは考えにくいからである。地球上のどの場所であっても、エーテルの風の向きや強さは、季節や時刻と共に変化するはずである。光はエーテルに乗って伝播するのだから、順風の時に速く、逆風の時に遅く伝わるはずである。従って、異なる方向や時刻について光の速さを調べることで、地球のエーテルに対する相対運動を知ることができると考えられた。期待された光の速さの変化は、最大でも、光速に対する地球の公転速度の比、すなわち一万分の一程度であった。[A 3]:417ff

19世紀中頃には、エーテルの風の影響を一次近似としては測定できるだろうと考えられていた。すなわち、地球の速さをv、光の速さをcとして、エーテルの風の強さをv/cに比例する関数で近似的に表すことができると予想されたのである。しかし当時の技術では、光の速さを、充分な精度で直接測定することはできなかった。たとえばフィゾー・フーコーの装置は 5 % の精度で光の速さを測ることができたが、光の速さの変化は0.01%以下なのだから、これでは不十分であった。このため、多くの物理学者が光の速さそのものではなく、エーテルの風による一次の影響の測定を試みたのである。たとえばでは、地球に対して相対的に静止した水の中を逆向きに伝わる二つの光の間の干渉を用いて、両者の光の速さの違いを検出しようとした。こうした一連の実験では、ことごとく、光の速さの違いは検出されなかった。[A 5]こうした実験結果は、エーテル摩擦仮説により説明された。この仮説によれば、エーテルや、エーテルを伝わる光は、ある程度は地球に引きずられるという。このため、光の速さの変化はv/cよりもだいぶ小さく、すなわち一万分の一よりもはるかに小さいと考えられたのである。マクスウェルが1878年に指摘したように、光の速さのv2/c2程度の変化をも捉えられる実験が必要であるように思われた。[A 6][A 7]しかし既存の実験装置では、これほどまでに高精度な測定は不可能であった。

実験

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マイケルソンの実験(1881年)

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マイケルソンの1881年の干渉計
レーザーを用いて、原理的にマイケルソンの干渉計と同じものが今日でも使われている。

マイケルソンはエーテルの流れを検出するに十分な精度を得られる実験方法を考案した。その原型は、1877年に彼がアメリカ合衆国メリーランド州アナポリスの母校海軍兵学校で教鞭をとっていた時、教室での実演した光速度測定実験である。1881年に彼は軍を辞め、ドイツでの研究に専念することにした。同年、マイケルソンはさらに高精度の測定装置を試作した。

これは今日干渉計と呼ばれる装置である。まず、光源から出た白色光線はハーフミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割される。それぞれの光線は、しばらく進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくる。そして検出器の上に重ね合わせると、それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉が起こる。光線が費した時間が僅かでも変化すると、干渉縞の位置が動くはずである。

もしエーテルの風が地球の自転にのみ由来するのであれば、風向きは12時間ごとに反転する。また、一年を通しても、半年ごとに風向きが変化しなければならない。この風向きの変化は、干渉縞の移動として検出されるはずである。これは、川を行く船の例で考えることができよう。船はスクリューにより時速50 kmの速さを得ることができ、川は時速5 kmで流れているとする。このとき、川を横切るように10 kmの距離を往復するならば、少し下流に流されることを気にしなければ、0.4時間で帰ってくることができる。しかし、上流から下流10 kmの地点までを往復するならば、行きは0.182時間、帰りは0.222時間要するので、合計で0.404時間かかる。同様に考えて、エーテルの風に対し垂直に進む光線に比べ、平行に進む光線は、往復に僅かばかり長い時間を要する。すなわち、エーテルの風向きによって干渉縞が移動するのである。実験は、エーテルの流れが太陽から見て止まっていると仮定し、地球の運動により引き起こされる干渉縞の移動の測定を目的として行われた。

マイケルソンは1881年にいくつかの実験を行った。予想された干渉縞の移動が、縞の間隔を1として0.04であったのに対し、検出されたのは最大で0.02であった。しかし、彼の実験装置は試作品であり、実験誤差が大きかったために、エーテルの風について結論を出すことはできなかった。エーテルの風を測定するためには、さらに高精度な実験を行う必要があった。とはいえ、この試作品は、実験手法の有効性を示すには十分であった。

そしてマイケルソンはモーリーと共に改良型の装置を作成し、干渉縞の移動を検出するのに十分な精度を得ることに成功した。彼らの実験では、光は何度も反射されてから検出器に到達するため、光が移動する長さは11 mに及んだ。このため、予想される干渉縞の移動は0.4であった。検出を容易にするため、この装置は石造りの建物の地下室に配置され、熱や振動の影響は最小に抑えられた。振動を抑えるための工夫として、装置は大理石の巨大なブロックの上に置かれ、そのブロックは水銀のプールに浮かべられた。彼らの計算によれば、振動による影響は、期待される干渉縞の移動の100分の1以下であった。水銀のプールには別の利点もあった。すなわち、装置の向きを容易に変えることができたのである。向きを変えながら実験を繰り返すことにより、エーテルの「風向き」を検出することができたのである。


The device he designed, later known as a Michelson interferometer, sent yellow light from a sodium flame (for alignment), or white light (for the actual observations), through a half-silvered mirror that was used to split it into two beams traveling at right angles to one another. After leaving the splitter, the beams traveled out to the ends of long arms where they were reflected back into the middle by small mirrors. They then recombined on the far side of the splitter in an eyepiece, producing a pattern of constructive and destructive interference whose transverse displacement would depend on the relative time it takes light to transit the longitudinal vs. the transverse arms. If the Earth is traveling through an aether medium, a beam reflecting back and forth parallel to the flow of aether would take longer than a beam reflecting perpendicular to the aether because the time gained from traveling downwind is less than that lost traveling upwind. Michelson expected that the Earth's motion would produce a fringe shift equal to .04 fringes—that is, of the separation between areas of the same intensity. He did not observe the expected shift; the greatest average deviation that he measured (in the northwest direction) was only 0.018 fringes; most of his measurements were much less. His conclusion was that Fresnel's hypothesis of a stationary aether with partial aether dragging would have to be rejected, and thus he confirmed Stokes' hypothesis of complete aether dragging.[5]

However, Alfred Potier (and later Hendrik Lorentz) pointed out to Michelson that he had made an error of calculation, and that the expected fringe shift should have been only 0.02 fringes. Michelson's apparatus was subject to experimental errors far too large to say anything conclusive about the aether wind. For a definitive measurement of the aether wind, a much more accurate and tightly controlled experiment would have to be carried out. Nevertheless the prototype was successful in demonstrating that the basic method was feasible.[A 4][A 8]

Michelson–Morley experiment (1887)

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Figure 5. This figure illustrates the folded light path used in the Michelson–Morley interferometer that enabled a path length of 11 m. a is the light source, an oil lamp. b is a beam splitter. c is a compensating plate so that both the reflected and transmitted beams travel through the same amount of glass (important since experiments were run with white light which has an extremely short coherence length requiring precise matching of optical path lengths for fringes to be visible; monochromatic sodium light was used only for initial alignment[5][note 1]). d, d' and e are mirrors. e' is a fine adjustment mirror. f is a telescope.

In 1885, Michelson began a collaboration with Edward Morley, spending considerable time and money to confirm with higher accuracy Fizeau's 1851 experiment on Fresnel's drag coefficient,[6] to improve on Michelson's 1881 experiment,[1] and to establish the wavelength of light as a standard of length.[7][8] At this time Michelson was professor of physics at the Case School of Applied Science, and Morley was professor of chemistry at Western Reserve University, which shared a campus with the Case School on the eastern edge of Cleveland. Michelson suffered a nervous breakdown in September 1885, from which he recovered by October 1885. Morley ascribed this breakdown to the intense work of Michelson during the preparation of the experiments. In 1886, Michelson and Morley successfully confirmed Fresnel's drag coefficient – this result was also considered as a confirmation of the stationary aether concept.[A 1]

This result strengthened their hope of finding the aether wind. Michelson and Morley created an improved version of the Michelson experiment with more than enough accuracy to detect this hypothetical effect. The experiment was performed in several periods of concentrated observations between April and July 1887, in Adelbert Dormitory of WRU (later renamed Pierce Hall, demolished in 1962).[A 9][A 10]

As shown in Fig. 5, the light was repeatedly reflected back and forth along the arms of the interferometer, increasing the path length to 11 m. At this length, the drift would be about 0.4 fringes. To make that easily detectable, the apparatus was assembled in a closed room in the basement of the heavy stone dormitory, eliminating most thermal and vibrational effects. Vibrations were further reduced by building the apparatus on top of a large block of sandstone (Fig. 1), about a foot thick and five feet square, which was then floated in an annular trough of mercury. They estimated that effects of about 1/100 of a fringe would be detectable.

Figure 6. Fringe pattern produced with a Michelson interferometer using white light. As configured here, the central fringe is white rather than black.

Michelson and Morley and other early experimentalists using interferometric techniques in an attempt to measure the properties of the luminiferous aether, used (partially) monochromatic light only for initially setting up their equipment, always switching to white light for the actual measurements. The reason is that measurements were recorded visually. Purely monochromatic light would result in a uniform fringe pattern. Lacking modern means of environmental temperature control, experimentalists struggled with continual fringe drift even though the interferometer might be set up in a basement. Since the fringes would occasionally disappear due to vibrations by passing horse traffic, distant thunderstorms and the like, it would be easy for an observer to "get lost" when the fringes returned to visibility. The advantages of white light, which produced a distinctive colored fringe pattern, far outweighed the difficulties of aligning the apparatus due to its low coherence length. As Dayton Miller wrote, "White light fringes were chosen for the observations because they consist of a small group of fringes having a central, sharply defined black fringe which forms a permanent zero reference mark for all readings."[A 11][note 2] Use of partially monochromatic light (yellow sodium light) during initial alignment enabled the researchers to locate the position of equal path length, more or less easily, before switching to white light.[note 3]

The mercury pool allowed the device to be easily turned, so that given a single steady push, it would slowly rotate inertially through the entire range of possible angles to the "aether wind", while measurements were continuously observed by looking through the eyepiece. Even over a period of minutes, it was presumed that some sort of effect would be noticed, since one of the arms would inevitably turn into the direction of the wind and the other away.

It was expected that the effect would be graphable as a sine wave with two peaks and two troughs per rotation of the device. This result could have been expected because during each full rotation, each arm would be parallel to the wind twice (facing into and away from the wind giving identical readings) and perpendicular to the wind twice. Additionally, due to the Earth's rotation, the wind would be expected to show periodic changes in direction and magnitude during the course of a sidereal day.

Because of the motion of the Earth around the Sun, it was expected that yearly cycles would also be detectable in the measured data.

Most famous "failed" experiment

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Figure 7. Michelson and Morley's results. The upper solid line is the curve for their observations at noon, and the lower solid line is that for their evening observations. Note that the theoretical curves and the observed curves are not plotted at the same scale: the dotted curves, in fact, represent only one-eighth of the theoretical displacements.

After all this thought and preparation, the experiment became what has been called the most famous failed experiment in history.[A 12] Instead of providing insight into the properties of the aether, Michelson and Morley's article in the American Journal of Science reported the measurement to be as small as one-fortieth of the expected displacement (see Fig. 7), but "since the displacement is proportional to the square of the velocity" they concluded that the measured velocity was "probably less than one-sixth" of the expected velocity of the Earth's motion in orbit and "certainly less than one-fourth."[1] Although this small "velocity" was measured, it was considered far too small to be used as evidence of speed relative to the aether, and it was understood to be within the range of an experimental error that would allow the speed to actually be zero.[A 1] (Afterward, Michelson and Morley ceased their aether drift measurements and started to use their newly developed technique to establish the wavelength of light as a standard of length.[7][8])

From the standpoint of the then current aether models, the experimental results were conflicting. The Fizeau experiment and its 1886 repetition by Michelson and Morley apparently confirmed the stationary aether with partial aether dragging, and refuted complete aether dragging. On the other hand, the much more precise Michelson–Morley experiment (1887) apparently confirmed complete aether dragging and refuted the stationary aether.[A 4] In addition, the Michelson–Morley null result was further substantiated by the null results of other second-order experiments of different kind, namely the Trouton–Noble experiment (1903) and the Experiments of Rayleigh and Brace (1902–1904). These problems and their solution led to the development of the Lorentz transformation and special relativity.

失敗したことで有名な実験

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赤色レーザーを用いたマイケルソンの干渉計による干渉縞

これらの緻密な考察と工夫にも関わらず失敗したことで、彼らの実験は有名になった。エーテルの性質を明らかにすることが目的であったが、'the American Journal of Science'に掲載されたマイケルソンとモーリーの1887年の論文では、検出された干渉縞のずれは期待されたものの40分の1程度であったこと、およびずれは速度の二乗に比例することから、測定された風速は地球の公転速度の約6分の1であり、「大きくとも4分の1」であると結論された。このような「風速」が測定されたとはいえ、この値はエーテルの存在の証拠としては小さすぎ、後には実験誤差の範囲であり実際の「風速」は0であると考えられるようになった。

マイケルソンとモーリーの1887年の論文の後も、さらに工夫を凝らした実験が続けられた。ケネディとイリングワースは、鏡に半波長の「段差」を設けることで装置内で発生する干渉を軽減した。イリングワースは300分の1、ケネディは1500分の1の干渉縞のずれを、それぞれ検出した。ミラーはビラリ現象を防ぐために磁性体を用いない装置を作成し、マイケルソンは不変鋼を用いて熱の影響をさらに小さくした。その他にも、外乱を防ぐ様々な工夫がなされた。

モーリーは自らの実験結果に納得せず、デイトン・ミラーと共に、さらなる実験を行った。ミラーは、光線が32 mもの距離を移動する巨大な装置をウィルソン山天文台 で建設した。エーテルの風が建物の厚い壁に乱される可能性を懸念し、彼は、布で作られた小屋を建てた。彼は装置の角度や恒星時によって生じる様々な、小さなばらつきを一年ごとに測定した。彼の測定では、エーテルの風速は最大でも10 km/sであると結論された。ミラーは、この風速が地球の公転よりも遅いのは、エーテルが地球の公転に「引きずられる」からであると考えた。

後年、ケネディもウィルソン山において実験を行った。その結果、干渉縞のずれはミラーによって測定されたものに比べて10分の1しか確認されず、また、季節ごとの変動も見られなかった。これに基づくマイケルソンやローレンツらによる議論が1928年に報告され、そこではミラーの実験結果を確認するための追試が必要であると結論された[9]。ローレンツは、原因が何であれ、実験結果が彼とアインシュタイン特殊相対性理論と矛盾すると考えていた。この議論にアインシュタインは参加していなかったが、彼は、干渉縞のずれは実験誤差であると考えた[10]。現在にいたるまで、ミラーの実験結果の再現には成功していない。

報告者 光線の移動距離 (メートル) 期待された干渉縞のずれ 測定された干渉縞のずれ 実験の分解能 エーテルの風速の上限
マイケルソン 1881 1.2 0.04 0.02
マイケルソンとモーリー 1887 11.0 0.4 < 0.01 8 km/s
モーリーとミラー 1902–1904 32.2 1.13 0.015
ミラー 1921 32.0 1.12 0.08
ミラー 1923–1924 32.0 1.12 0.03
ミラー (太陽光) 1924 32.0 1.12 0.014
トマシェック (恒星光) 1924 8.6 0.3 0.02
ミラー 1925–1926 32.0 1.12 0.088
ケネディ (ウィルソン山) 1926 2.0 0.07 0.002
イリングワース 1927 2.0 0.07 0.0002 0.0006 1 km/s
ピカードとスタヘル (リギ山) 1927 2.8 0.13 0.006
マイケルソンら 1929 25.9 0.9 0.01
ヨース 1930 21.0 0.75 0.002

今日では、レーザーメーザーを用いることにより、光線の移動距離をキロメートルの規模にした実験が行われている。この種の実験を初めて行ったのは、メーザーの開発者の一人であるチャールズ・タウンズらである。彼らの1958年の実験では、考えられるあらゆる実験誤差を含めても、エーテルの風速が30 m/s以下であることが結論され、1974年にはこれが0.025 m/sにまで狭められた。1979年のブリエとホールの実験では、風速は全ての方向について30 m/s以下であり、かつ、二次元に限れば0.000001 m/s以下であると結論された。

副産物

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この実験結果は、エーテル中を波動が伝播するという当時の理論からは受け入れ難いものであった。この結果に対して説明を加えようとする試みられた。例えば、実験環境の問題、または地球の重力の影響で、球の運動と同じ向きのエーテルの流れが発生してしまっている、などというエーテル引きずり仮説である。ミラーは、実験室の壁や装置自体によりエーテルの風がさえぎられているのではないかと考えた。もし、そうであるならば、「第一仮定」と呼ばれる単純なエーテルの理論は誤りであることになる。ハマールが行った検証実験Hammar experiment)は、光線の通り道の一方を、巨大な鉛ブロックの間に通したものであった。彼の理論によれば、もしエーテルが重力の影響を受けるならば、この鉛ブロックの存在は干渉縞に影響を与えるはずであった。しかし、結果として干渉縞には一切の影響が見られなかった。

ヴァルター・リッツ放出理論は、エーテルの存在を仮定せずに実験結果を巧く説明するものであった。この理論は「第二仮定」と呼ばれることになる。しかし、これは天文学上の観測事実との間に矛盾を抱えていた。特に、第二仮定に基づくならば、連星が発する光は、連星の運動の影響により干渉縞のずれを引き起こすはずであるが、実際にはそのような現象は観測されていないのである。サニャックの実験は、一定の速度で回転するテーブルの上に装置を置くことでなされる。この装置はマイケルソンの実験のものとは少し異なり、光の軌道がテーブルに沿って閉じた円を描いているのである。鏡や検出器がテーブルと一緒に回転することで、右回りの光と左回りの光が異なる長さを進むことになり、リッツの放出理論を直接的に検証することができた。リッツの理論によれば、光源と検出器の相対速度が0、つまりいずれもテーブルと一緒に動くのだから、干渉縞のずれは検出されないはずであった。しかし、この場合、干渉縞のずれが観測されたのである。この実験により放出理論は否定され、このような干渉縞のずれはレーザージャイロスコープで用いられている。

この問題に対する説明は、ローレンツ=フィッツジェラルドの収縮仮説、あるいは長さの収縮と呼ばれる仮説により与えられた。この仮説によれば、全ての物体は、運動のエーテルに対する相対的な向きに沿って縮むのである。そのため、エーテルの風により光の速さが変わっても、ちょうどそれを打ち消すように長さが変化するので、干渉縞のずれは生じないのである。1932年に、マイケルソン=モーリーの実験を改良したケネディ=ソーンダイクの実験Kennedy–Thorndike experiment)が行われた。この実験では、二つの光線が進む距離は等しくなく、一方だけを極端に短くした。この実験では、長さの収縮に伴って予想される時間の遅れが正しくなければ、地球の運動は干渉縞に影響を与えるはずであった。しかし、そのような影響は観測されなかった。このことは、特殊相対性理論の根幹を成す、長さの収縮と時間の遅れの二つの仮説が正しいことの証拠であると考えられる。

エルンスト・マッハは、実験結果はエーテル理論に対する反証となっていると主張した。また、アインシュタインはローレンツ=フィッツジェラルド収縮を相対性仮説から導出した。すなわち、特殊相対性理論は、エーテルの風を検出できなかった実験結果を矛盾なく説明しているのである。今日では特殊相対性理論がマイケルソン=モーリーの実験に対する「解」であると考えられているが、当時はそのような共通理解はなかった。アインシュタイン自身でさえ1920年頃に、「空間は物理的な実在性を備えている」ことから「空間が持つ特質そのものをエーテルと呼ぶことができる」と述べた。この場合、エーテルを普通の意味でいう媒質として考えることはできず、運動の概念をエーテルにあてはめることはできない。

トロウトン=ノーブルの実験Trouton–Noble experiment)は、静電気学におけるマイケルソン=モーリーの実験と考えてよかろう。また、1908年に行われたトロウトン=ランキンの実験Trouton–Rankine experiment)は、ケネディ=ソーンダイクの実験に相当するものだと考えられる。

重力波の検出への応用

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アインシュタインの一般相対性理論の予言のうち、重力波の存在は、相対性理論の検証によって間接的に観測されたのみである。超高感度の、キロメートル規模の大きさのマイケルソン干渉計ファブリー=ペロー干渉計と組み合わされたものが、直接的に重力波を検出する実験計画において使用されている。例えばLIGOVIRGOである。宇宙重力波望遠鏡は、NASAESAの共同計画で500 kmのマイケルソン干渉計3基を宇宙空間に設置するものである。これにより、極めて低い周波数の重力場をも拾うことができると考えられている。

参考文献

[編集]
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  • James DeMeo, Dayton Miller's Ether-Drift Experiments: A Fresh Look, (2002)
  • For gravitational waves: PostScript file of the newsletter of the Topical Group on Gravitation of the American Physical Society Number 21 Spring 2003; Google.com can be used to extract the text of the document.
  • Holger Müller, Sven Herrmann, Claus Braxmaier, Stephan Schiller, and Achim Peters, Phys. Rev. Lett. 91, 020401 (2003) “Modern Michelson-Morley Experiment Using Cryogenic Optical Resonators”
  • Renaud Parentani, International Journal of Modern Physics A, Vol. 17, No.20, pg. 2721-2726 “What Did We Learn from Studying Acoustic Black Holes?”
  • N. Rashevsky, Light Emission from a Moving Source in Connection with the Relativity Theory,
  • アインシュタイン、シュレディンガーほか 著、谷川安孝, 中村誠太郎, 青木 昌三(訳) 編『相対性理論と量子力学の誕生』〈現代物理の世界〉1972年。 

参考文献

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実験

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  4. ^ Herrmann, S.; Senger, A.; Möhle, K.; Nagel, M.; Kovalchuk, E. V.; Peters, A. (2009). “Rotating optical cavity experiment testing Lorentz invariance at the 10−17 level”. Physical Review D 80 (100): 105011. arXiv:1002.1284. Bibcode2009PhRvD..80j5011H. doi:10.1103/PhysRevD.80.105011. 
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脚注

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  1. ^ Michelson (1881) wrote: "... a sodium flame placed at a produced at once the interference bands. These could then be altered in width, position, or direction, by a slight movement of the plate b, and when they were of convenient width and of maximum sharpness, the sodium flame was removed and the lamp again substituted. The screw m was then slowly turned till the bands reappeared. They were then of course colored, except the central band, which was nearly black."
  2. ^ If one uses a half-silvered mirror as the beam splitter, the reflected beam will undergo a different number of front-surface reflections than the transmitted beam. At each front-surface reflection, the light will undergo a phase inversion. Since the two beams undergo a different number of phase inversions, when the path lengths of the two beams match or differ by an integral number of wavelengths (e.g. 0, 1, 2 ...), there will be destructive interference and a weak signal at the detector. If the path lengths of the beams differ by a half-integral number of wavelengths (e.g., 0.5, 1.5, 2.5 ...), there will be constructive interference and a strong signal. The results are opposite if a cube beam-splitter is employed, since a cube beam-splitter makes no distinction between a front- and rear-surface reflection.
  3. ^ Sodium light produces a fringe pattern that displays cycles of fuzziness and sharpness repeating every several hundred fringes over a distance of approximately a millimeter. This pattern is due to the yellow sodium D line being actually a doublet, the individual lines of which have a limited coherence length. After aligning the interferometer to display the centermost portion of the sharpest set of fringes, the researcher would switch to white light.


A群の参考文献

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  1. ^ a b c Staley, Richard (2009), “Albert Michelson, the Velocity of Light, and the Ether Drift”, Einstein's generation. The origins of the relativity revolution, Chicago: University of Chicago Press, ISBN 0-226-77057-5 
  2. ^ Robertson, H. P. (1949). “Postulate versus Observation in the Special Theory of Relativity”. Reviews of Modern Physics 21 (3): 378–382. Bibcode1949RvMP...21..378R. doi:10.1103/RevModPhys.21.378. 
  3. ^ a b Whittaker, Edmund Taylor (1910). A History of the theories of aether and electricity (1. ed.). Dublin: Longman, Green and Co.. http://www.archive.org/details/historyoftheorie00whitrich 
  4. ^ a b c d Janssen, Michel & Stachel, John (2010), “The Optics and Electrodynamics of Moving Bodies”, in John Stachel, Going Critical, Springer, ISBN 1-4020-1308-6, http://www.mpiwg-berlin.mpg.de/Preprints/P265.PDF 
  5. ^ Laub, Jakob (1910). “Über die experimentellen Grundlagen des Relativitätsprinzips (On the experimental foundations of the principle of relativity)”. Jahrbuch der Radioaktivität und Elektronik 7: 405–463. 
  6. ^ Maxwell, James Clerk (1878), “Ether”, Encyclopædia Britannica Ninth Edition 8: 568–572 
  7. ^ Maxwell, James Clerk (1880), “On a Possible Mode of Detecting a Motion of the Solar System through the Luminiferous Ether”, Nature 21: 314–315 
  8. ^ Miller, A.I. (1981). Albert Einstein's special theory of relativity. Emergence (1905) and early interpretation (1905–1911). Reading: Addison–Wesley. p. 24. ISBN 0-201-04679-2 
  9. ^ William Fickinger, Physics at a Research University: Case Western Reserve, 1830–1990, Cleveland, 2005, pp. 18–22, 48. The Dormitory was located on a now largely unoccupied space between the Biology Building and the Adelbert Gymnasium, both of which still stand on the CWRU campus.
  10. ^ Ralph R. Hamerla, An American Scientist on the Research Frontier: Edward Morley, Community, and Radical Ideas in Nineteenth-Century Science, Dordrecht, Springer, 2006, pp. 123–52.
  11. ^ Miller, Dayton C. (1933). “The Ether-Drift Experiment and the Determination of the Absolute Motion of the Earth”. Reviews of Modern Physics 5 (3): 203–242. Bibcode1933RvMP....5..203M. doi:10.1103/RevModPhys.5.203. 
  12. ^ Blum, Sergey V. Lototsky, Edward K.; Lototsky, Sergey V. (2006). Mathematics of physics and engineering. World Scientific. p. 98. ISBN 981-256-621-X. http://books.google.com/?id=nFRG2UizET0C , Chapter 2, p. 98

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関連項目

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外部リンク

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