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利用者:Destiny ken


Destiny ken(小林謙)

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Destiny ken 本名 小林謙は元アスリート、(サッカー、空手)現在、ミュージシャン。1977年5月9日生まれ。

サッカー選手歴

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 高校 同志社国際高校 大学 同志社大学 高校2年までディフェンダー、その後ミッドフィールダーに転向。ネパールに移住し、28歳まで、1部リーグ第2都市ポカラサハラクラブ カトマンドゥでカトマンドゥクラブに所属。ネパールナショナルチームの練習にに1週間参加。 サハラクラブには死んだ国王ビレンドラに表彰されたタイコンドー2段のトラベルエイジェンシーの紹介で入団。 帰国後、趣味で大阪4部リーグのチームに35歳で参加した。英才教育を受けることもなく、全盛期の映像も残らず、悔いの残るサッカー人生だった。

空手選手歴

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 27才で奈良極真空手天理支部に入門。趣味から始め31歳の時大会に出場。映画アスリートマニュアルアスリートマニュアル2を制作、出演。38で大阪、関西総本部、瓢箪山支部に所属、40で上京し、城西支部、町田道場に所属。

第13回カラテ大仏杯 奈良選手権大会 一般中級無差別級 1回戦敗退

極真空手2010関西地区大会 第15回奈良県空手道選手権大会、大仏杯 一般中級無差別級 4位

第43回 奈良県下各道場交流試合 一般中級無差別級 準優勝

ミュージシャン経歴

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バンド

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 バンド歴 

2000‐2002 Wood stock band(ネパール)

2002-2003  Destiny(ネパール)

2003‐2006 Tird eyes(ネパール)

2008‐2016 Destinys under the sky(日本)

2006‐ destiny ken(ソロ活動)

 ネパールでギターを英語の歌詞で始める。60年代クラッシックロックが流行っている町で、コピーバンドのプロミュージシャン(特にヴォーカル)として活動。キーボードはギターの1年後に始める。時にはサッカーのトレーニングに朝参加して、夜はライブなど、多忙に日々をこなした。Destiny の活動は、ライブハウスを建て、経営に挑戦しながらの活動だった。レストランは失敗に終わり、Third eyes で、往復していた日本が、2006年ワールドベースボールクラッシックで優勝する前に、Over the America を作詞し、ネパールで演奏していた。

 日本でギターリスト(現サポートベーシスト)hideと出会い、destinys under the skyを結成。空手と仕事を両立させる。始めは新世代のhideのギターがサウンドの中心だったが、器用なdestinyは彼の技術を盗み、ピアノも同様に、世界のトップレベルの技術をみにつけ、hideは役割を失いバンドは解散。ただ、親友として、サポートベーシストに回る。2012年映像、音楽会社destinyを作る。

 2017年の上京は極めて激動の北朝鮮情勢の中。アメリカをライバル視していたdestinyは長年の戦いを北朝鮮、アジアのOver the Americaを見届け、2019年アルバム’神の娘’にOver the Americaも収録する。

2021年 オリンピックに向けて、新曲’人類の進化’と空手のスパーリングをyoutubeにアップロードする。

作品

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 運命の創造 destinys under the sky

 神の娘たち destiny ken  
 成功への階段 destiny ken

super nature circle (英語) destiny ken

職歴

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  バーテンダーとして日本で10年、Insou株式会社に勤務。Youtube

club zoo

Club 美人茶屋

Club 美人茶屋離宮

Club  美人茶屋離宮六本木

その他

Club ジラフ

Club Ammona

Club Cheval

Club dearest 歌舞伎町

Club v2 Tokyo

Club 桜花 歌舞伎町

 現在、フレアバーテンダーとして修行中。