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利用者:長島左近/記者クラブ添削案

記者クラブきしゃ-)とは、首相官邸省庁地方自治体地方公共団体警察業界団体などの組織に設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関記者が構成する団体のこと。後述するプレスクラブとは全く性格を異にし、ほぼ日本独特のシステムとしてその排他性、独占性から批判が多い。

プレスクラブと記者クラブ

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通常、プレスクラブとは記者同士の親睦を深めるための私的な団体である。よく知られたものにアメリカのナショナル・プレスクラブや日本の日本記者クラブ日本外国特派員協会などがあり[1]、そのほかの多くの国にも存在する。プレスクラブは自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交友を深める[2]のが目的である。

一方、日本における記者クラブは取材を優位に行うためのカルテル類似団体である。日本記者クラブとは全く異なることに注意が必要である。以降にその問題点を解説する。

記者クラブの組織

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特権を持った取材組織

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記者クラブはその成立背景(後述記者クラブ#歴史)を受け官公庁などの取材先からさまざまな特権を独占的に認められている。記者会見場記者室の無償、もしくは低額貸与、記者会見の主催権・参加者の審査権、記者懇談会ぶら下がり国会記者証の独占などである[2]。記者クラブ参加者以外は事実上これらの取材に加わることができない。 現在日本には約800の記者クラブがあり[3]、政党や国会、中央省庁から都道府県、市区町村、企業・団体など取材対象ごとに存在する(詳細は記者クラブ一覧を参照)。

機能

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日本新聞協会は、記者クラブの目的を「国民の「知る権利」と密接にかかわる」もの。記者クラブの機能を「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と主張している[4]

つまり記者クラブは知る権利の名のもとに、公的機関の発表を補足・調整して報道する組織である。しかし記者クラブは任意の団体にすぎず、情報カルテル、談合、護送船団方式だという意見もある[5]

閉鎖性

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記者クラブは会員制であり、日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」[4]と説明している。

しかし実際の入会審査は、各記者クラブが独自に行う。審査基準や過程は不透明で、既存の参加者が一人でも反対すれば不合格となり、事実上新規参入を阻害している。1993年には東京証券取引所の記者クラブへの外国人記者の入会を巡って、激しい交渉が行われた(詳細は外国人記者を参照)。

非会員は取材活動に多くの制約をうけるが、記者クラブへの要求は入会ではなく、記者会見での取材を自由にすることだという意見もある[6]記者証など記者クラブに代わる認定制度を求める意見が国内外にある。

構成員

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記者クラブの構成員には大きな偏りがみられる。

  • 1 大手報道機関偏重:日本新聞協会は「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成」されていると説明する[4]。しかし地方の月刊誌やコミュニティFMケーブルテレビ局などの加入は、地方都市の市政記者会(市役所記者クラブ)などで認められているだけである。
  • 2 日本偏重:日本新聞協会は「外国報道機関に対しても開かれており、現に外国報道機関の記者が加入するクラブは増えつつ」あると説明している[4]。しかし少数の例外である。(何パーセントぐらい?)
  • 3 常駐記者偏重:日本の記者は、速報性を最優先とする通信社的な記者である[7]。記者クラブの記者も速報を行うために、担当する公的機関に常駐して取材を行っている。日本新聞協会も構成員の「継続的に取材」にこだわっている[4]。しかし世界のジャーナリストは批評や解説を任務としている。担当分野を定めずに少人数で多くの取材先を回り、一か所に常駐はしない[7]。記者クラブは常駐を求めるのでこれが入会できない要因となっている。
  • 4 終身雇用偏重:記者クラブの記者は特オチを避けて無難に過ごせば、エリートサラリーマンとして一生安泰である[8]。一方、他国の記者は成果主義の契約社員であり、有力な情報を得られなければ職を失うことにもなる。

取材

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活動

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記者クラブの取材は、取材対象と一体化している[3]。記者クラブの記者は公的機関の記者室に出勤し、日中は公的機関に常駐して、プレスリリースを待つほか記者会見記者懇談会で話を聞く。その後、夜討・朝駆(ようち・あさがけ)で取材に出かける。政治報道の場合、番記者が取材対象に一日中張り付く。移動中に取り囲んで、ぶら下がりを行うという手法も取られる。 記者クラブに加盟している記者は、別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合う「メモ合わせ」を行っているといわれる[9]

独占・排他性

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先述の通り記者クラブは国・地方の立法行政司法機関や業界団体などの取材源を独占している。

取材先である公的機関は記者クラブを通さない個別取材には原則応じず、独自に応じようとすると記者クラブから抗議される[2]。また、日本の公的機関の記者会見は記者クラブが主催するため、記者クラブに属さない記者は記者会見に参加できない。仮に参加しても、質問権が無い。(詳細は記者会見を参照)。

記者クラブがこのように取材を独占する理由を、日本新聞協会は「記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史がある」[4]として、既得権益だと説明している。

取材制限

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記者クラブの記者も記者クラブが定めた「報道協定」によって、取材を制限されている。制限対象は拡大し、談合化している[10]報道協定を破ることは記者クラブから除外されることにつながりうるので自由な取材が阻害される結果となる。

便宜供与

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記者クラブは取材先の官公庁から記者会見室や記者室を無償貸与されており、排他的に独占している。家賃だけでなく、運営費も負担していない。月額会費は加盟社の記者1人につき500円-2000円である[要出典]。年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れている[11](詳細は記者室を参照)。

また親睦団体であることを理由に、取材先との親睦会などを開催し(実質的に官報接待)ている[11]

歴史

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日本の記者クラブの歴史は明治時代に始まった。1890年(明治23年)、第1回帝国議会が開催されたが、議会側が示した新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成。10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改めた。しかし実態は数人の記者のたまり場にすぎず、中級官僚に面会できる程度であった[1]大正時代に入ると、本格的な記者クラブが作られた。昭和初期までに、取材の自由を勝ち取っていった[12]

しかし太平洋戦争が始まると、それらは全廃された。 1941年5月新聞統制機関「日本新聞連盟」が発足。役所の発表を取材して、右から左へ発表報道を行う翼賛クラブが1官公庁1クラブだけ認められた。取材組織として公認され、国家体制に組み込まれた現在の記者クラブ制度が始まった[1]

戦後、GHQは、記者クラブが報道の自由や取材の自由を踏みにじる組織であるとして取材組織から世界一般の親睦団体への転換を迫った。これを受けて1949年10月26日日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成した。記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定した。GHQは記者室などの便宜供与を行う方針を取り、超法規的な措置として受け入れられた[12]。1958年(昭和33年)には、記者室の使用を許可する大蔵省管財局長の通達が出された。

記者クラブは親睦団体の建前の下、戦争中と同じように取材組織としての活動を続けていたが、報道協定を巡って、建前と実態の乖離が表面化した。役所は報道協定などによって報道制限や取材制限を求めたが、対して親睦団体は報道の自由や取材の自由を旨とした。1960年代までは報道協定が発覚すると除名処分を行った。しかし 、1970年以降、記者クラブの指揮権を公然と認めるようになった[1]。この頃からテレビやラジオも記者クラブ制度に加わり、効率よく発表報道をこなす集団体制が固まっていった。

しかし平成時代に入ると、記者クラブ体制は見直しを迫られた。1990年代、バブル景気により日本経済の国際的影響力が増大し、外国人記者の活動が活発化してくると日本国内でも記者クラブに対する疑問の声が強まった[1]

1993年、在日アメリカ大使館の外圧によって、外国人記者の兜倶楽部への加盟が実現した(外国人記者#外国人記者の排除と外圧)。1995年、全国市民オンブズマン連絡会議の調査によって官報接待の実態が暴露された。1996年に鎌倉市は記者クラブから記者室と記者会見の主催権を取り上げた。

こういった流れの中で、記者クラブの既得権益は親睦団体という建前では維持しにくくなり、1997年、日本新聞協会は記者クラブの位置づけを公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と改めた。

2001年、長野県が脱・記者クラブ宣言を行い特権廃止の動きは県レベルまで拡大した。2004年にはEUからの外圧によって、外国人記者の「記者証」制度が実質的に認められた。しかし末端組織である、各記者クラブは抵抗を続けていた。記者クラブの閉鎖性・排他性・便宜供与は揺るがなかった。2009年民主党政権が誕生すると特権廃止の動きは中央省庁にまで達した。外務省を皮切りに記者会見のオープン化が行われ、ネットメディアやフリーランス記者などが記者会見に出席・質問できるようになった。

発表報道と情報操作

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ここではいくつかの事例を示す。

  • 発表報道の横行
    • メディアが政府の政策を代弁し、政府の広報となっている。
    • 警察及び検察が自らの捜査に有利な方向に情報操作を行い、メディアも調査報道に消極的なため、冤罪を生み易い(例:松本サリン事件志布志事件香川・坂出3人殺害事件足利事件)。
    • NHKの報道部に在籍していたこともある池田信夫によると、警察記者クラブに多数の記者を常駐させることが日本の報道を犯罪報道中心にしているのではないかという[13]
    • フリージャーナリストの魚住昭は「官庁の集めた二次、三次情報をいかに早く取るかが仕事の7、8割を占めてしまうと、実際に世の中で起きていることを察知する感覚が鈍る。役人の論理が知らず知らず自分の中に入り込み『統治される側からの発想』がしにくくなる。自分はそうではないと思っていたが、フリーとなって5年、徐々に実感するようになった[14]」と述べている。
    • 衆議院議員河野太郎は(日本では)記者が政治家から食事をご馳走になるのは当たり前、政治家が外遊する際には同じホテルに泊まり「政治家と記者はよいお友達」になることがメディアでは「良い記者」とされている現状を指摘している[15]
    • 主要メディアが報じる捜査情報について、「検察が記者クラブを通じておこなう『リーク』に依存している」と指摘されることがある[16][17][18]。また、検察側は自己に不都合と考えられる報道をおこなった加盟報道機関に対しては検察関連施設への「出入り禁止」措置を取ることがある[17]西松建設献金事件に際しては、一部の加盟報道機関が西松建設から献金を受け取った政治家の1人である二階俊博の件についての記事を掲載したことに対し、取材拒否および東京地方検察庁への3週間の出入り禁止措置を取った[19][17]。この一件以後、加盟報道機関は検察および自民党に有利な報道をおこなうようになったといわれる[17]。また、検察は記者クラブに加盟していない報道機関による取材を拒否している[19]
  • 記者自身による自主規制
    • 1974年に「文藝春秋」が報じた「田中金脈問題」の場合、当時、この疑惑は以前から記者クラブ内では知られていた話にもかかわらず、ほとんどのマスコミが文藝春秋が記事化するまでこれを黙殺していた。
    • 1999年東京高検検事長女性問題を調査していた最高検次長検事が法務省内で複数の記者に対し「確かに浮気はあったかもしれないが、みんなそういうことを活力にしているんだ。この建物(法務省)の中の半分以上の検事はそう思っている」と発言。しかしこの発言は記者クラブに所属していなかった『西日本新聞』が記事にするまで、記者クラブ内ではさほど問題にされなかった。
    • 記者クラブに加盟している記者は、別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合う「メモ合わせ」を行っているといわれる[20]
  • 積極的加担
  • 2000年6月25日首相官邸敷地内にある記者クラブ「内閣記者会」で『明日の記者会見についての私見』と題するメモが落ちているのが見つかった。このメモは2000年5月26日に行われた当時の首相森喜朗神の国発言の釈明会見で、記者側の追及をかわす方策を記した首相宛ての「指南書」とみられた。またこの問題をめぐっては主要週刊誌がその指南書を書いたメディア(NHK)を実名で取り上げたにも関わらず内閣記者会側はこの問題の真相究明には消極的だった。この指南書はNHKが記事出稿に使用する「5300」と呼ばれる端末内にある「連絡メール」の印刷様式と同じであった。また、NHKでしか使わない「民放」という表記があった。
  • 2005年11月8日放火事件で逮捕されたNHK大津放送局の記者が所属していた滋賀県警記者クラブを滋賀県警が家宅捜索した。しかし、情報源の秘匿が脅かされるとして危惧する意見も出た[21]

記者クラブ制度見直しの動き

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多くの批判を受け1990年代から記者クラブの見直しが始まった。

首相官邸

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2010年3月26日、内閣総理大臣の鳩山由紀夫は、記者クラブに属さない記者を記者会見に参加させた[22]

政党

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1994年新生党代表幹事の小沢一郎が記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが、小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追い込まれた。

2002年、民主党幹事長の岡田克也スポーツ紙週刊誌や日本国外報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した[23]。それまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することができなかった。

2009年10月14日自由民主党総裁谷垣禎一は定例記者会見を、自民党の記者クラブである平河クラブ以外の日本国内外のあらゆるメディアやフリーランスの記者・カメラマンにも開放した。ただし、最初の質問権は平河クラブのみで、平河クラブの質問が一通りした後に、平河クラブ加盟社以外のフリーランスの記者も含めて質問出来る様になっている。会見所開放当初は熟慮したものではなかった[24]

中央官庁

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2004年3月30日外務省は中央官庁・都道府県庁・警察などに対し、日本国外メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。

2009年9月16日に鳩山由紀夫内閣が成立すると外務省を皮切りに記者会見のオープン化が行われた。ネットメディアやフリーランス記者などが記者会見に出席し、質問できるようになった。2010年(平成22年)4月現在、外務省や金融庁、法務省、総務省、内閣府の一部(行政刷新会議など)、環境省、首相官邸など14府省で行われている。ただし、オープン化の方法や程度はさまざまで、大臣が主催権を持つフルオープン化はまだ少ない。

地方公共団体

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1996年4月神奈川県鎌倉市全国紙地元紙神奈川新聞など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の市長竹内謙(元朝日新聞編集委員、現・インターネット新聞JANJAN代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。

2001年5月15日長野県知事田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」を発表し、記者クラブから記者室記者会見の主催権を返上させた。

2001年6月8日東京都は、都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、石原慎太郎東京都知事週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。

2006年3月14日北海道は厳しい財政状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し、光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。

2007年5月11日東国原英夫宮崎県知事は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、先進国では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。この直後、読売新聞など一部メディアでは否定的見解を表明した。

業界・経済団体

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1993年6月東京証券取引所記者クラブである「兜倶楽部」は、それまで日本の報道機関に限られていた加盟資格の規約を改正して、新たに「日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む外国報道機関」と付記し、事実上、日本国外報道機関にも門戸を開放した。

1999年3月、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは電機、造船半導体、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の経団連側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。

この背景には、電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、ニュースリリースメールを利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、自動車業界はクラブを存続させるため、日本自動車工業会の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。

1999年7月日本電信電話(NTT)の記者クラブ「葵クラブ」がNTTの再編に伴って廃止。葵クラブについてはかねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や日本国外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。

記者証制度

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日本以外の国でもジャーナリストを名乗れば誰もが自由に取材できる訳ではない。これは特に保安上の理由である。例えば、事前審査を行い、記者証を発行するなどの手続きが必要である。ただし、審査によって報道機関に所属していることが確認され、保安上の問題なしとされた場合は記者証が自動的に発行されるのが原則である。記者証を持っていれば、少なくとも公的機関の記者会見には出席できる。上杉隆は政府自らが記者の身分を確認しない現状の方が危険だと指摘している[25]

日本以外の国では審査や登録の制度は窓口が1つで、いったん、記者と認められれば自由に取材することができる。日本のように、全国津々浦々に私的なクラブが乱立し、1つの記者クラブで記者と認められても、他の記者クラブでは認められないということはない。また、審査や登録には公的機関が関わっていることが多く、法律の枠内で運用されている。

アメリカ合衆国では、最近ではインターネットブログでニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し、話題になった。ウェブ上でニュース報道を配信しホワイトハウスから記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が違法ポルノサイトを運営、違法取引を行っていたことが発覚しセキュリティーチェックの不十分さが指摘された。

フランスでは、ジャーナリストであれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合はメディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。また、この「プレスカード」によって大統領府(エリゼ宮)や各省庁の記者会見に参加することができる。

政府首脳の取材は保安上の理由で身元や身辺の調査などがある。ホワイトハウスでは「記者証」を発行してもらうためには厳重なセキュリティーチェックを受けなければならず[26]、また発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。政府首脳とメディアの距離が非常に近いといわれていた北欧諸国でも、2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件以降は制限されるようになった[27]

日本新聞協会は2004年から、外国人記者に限って「記者証」制度を認めつつある。

日本以外の例

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記者団

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韓国政府の調査(2007年)によると[28]、世界には議会の取材に関わる団体が存在する国がある。イギリスニュージーランドオーストラリアカナダデンマークイタリアである。しかしイギリスのParliamentary PressGalleryのように、あくまで非公式の集まりで特権はない。

中央省庁の取材に関わる団体はOECD27国中、日本だけである。その他には唯一、アメリカ合衆国に中央省庁に関係した親睦団体がある。しかし日本のように全ての中央省庁にある訳ではなく、ホワイトハウス国防総省国務省だけであり、あくまでプレスクラブである。韓国には、日本の併合時代の影響で、日本とそっくりな記者クラブ制度があった。しかし2003年に盧武鉉大統領が廃止した[29]。上杉隆は、記者クラブは日本とガボンのみ[23]、別の記事においては日本とジンバブエのみ[30]にしか存在しないと主張している。他社の報道によると、ジンバブエでは政府の情報メディア委員会への登録が義務化されていると言う[31]

記者会見

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韓国政府の調査によると[28]、定例会見を行っている国は、OECD27国中の約半分。毎日行っているのは、アメリカ合衆国と日本だけである。週1回や月1回という国も多い。元首や主要な役所だけが行う。全ての中央省庁に記者会見場がある国は、日本と韓国だけである[32]

記者会見は、公的機関が主催し、その参加資格は政府ないし第三者機関が公的なルールに則って統一的に認定する。アメリカ合衆国やイギリス、フランスでは記者証制度を採用している[11]。韓国では記者クラブ廃止に伴い、2003年から「開放型記者会見」を導入している[29]。青瓦台に登録すれば、市民記者外国報道機関も会見に参加できる。

日本以外では、記者会見は必要がある時のみ開催され、出来るだけ多くのメディアが参加出来るようにしている。

ブリーフィング

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日本には記者会見の他に記者懇談会やブリーフィング(背景事情説明)があり、記者クラブが排他的に独占している。アメリカ合衆国やイギリスでも同様のブリーフィングがあると言われている。しかしごく一部であり、オープン化されている。

イギリスの首相官邸(ホワイトホール)では、以前は議会記者証を持った記者しか参加できないオフレコのブリーフィングが行われていた。チャーチル第2次世界大戦中に始めたもので、非公式なリークによって報道を操る目的があったと言われる[要出典]。しかしトニー・ブレア政権以降は、フリー記者の参加が認められるようになった。オフレコも廃止された。

アメリカ合衆国のホワイトハウスでは、重大な発表が行われる場合のみ発表後の混乱を避けるため、特定の大手メディア(特にテレビ)記者を秘密裏に召集して、事前説明(ブリーフ)を行うと言われる[要出典]

記者室

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韓国政府の調査によると[28]、記者が常駐できるような記者室を設けている国はほとんど無い。イタリアの首相室に数人が常駐している例があるぐらいで、全ての中央省庁に記者室を設置している国は、日本と韓国だけである。常駐して原稿を送る設備を用意しているような例はほとんどなく、そういったオフィスが必要な場合は記者が自費で用意する。

脚注

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  1. ^ a b c d e 『新聞学』 pp. 108-118
  2. ^ a b c 『ジャーナリズム崩壊』第2章 第1節
  3. ^ a b 『新現場から見た新聞学』第1部 第1節
  4. ^ a b c d e f 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解”. 日本新聞協会. 2010年4月24日閲覧。
  5. ^ 『ジャーナリズム崩壊』第4章 第4節
  6. ^ 土肥義則 (2009年11月27日). “記者クラブを批判したら……最大の抵抗勢力が出てきた(4)”. Business Media 誠. 4月26日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  7. ^ a b 『ジャーナリズム崩壊』第1章 第1節
  8. ^ 『新現場から見た新聞学』序章 第2節
  9. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 37-38頁。
  10. ^ 『ジャーナリズム崩壊』第1章 第5節
  11. ^ a b c 『新聞が面白くない理由』
  12. ^ a b 『岐路に立つ日本のジャーナリズム』P130-144
  13. ^ 池田信夫 (2008年11月23日). “警察ネタの過剰”. 池田信夫 blog. 2008年12月7日閲覧。
  14. ^ 朝日新聞2001年5月26日
  15. ^ 小林雅一『隠すマスコミ、騙されるマスコミ』文藝春秋〈文春新書〉(原著2003年)。ISBN 9784166603183 
  16. ^ 青木理『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』(28-40頁)金曜日、2008年5月。ISBN 9784906605408
  17. ^ a b c d 「鳩山政権を挟撃する大メディアと官僚「霞ヶ関の笛」連合」『SAPIO』第21巻第20号、小学館、1125、p.81、2010年1月14日閲覧 
  18. ^ 『鈴木宗男氏「狙われたら誰でもやられる」』産経新聞(2010年1月16日)
  19. ^ a b MARTIN FACKLER (2009年5月29日). “In Reporting a Scandal, the Media Are Accused of Just Listening” (英語). ニューヨーク・タイムズ. http://www.nytimes.com/2009/05/29/world/asia/29japan.html 2010年1月3日閲覧。 
  20. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 37-38頁。
  21. ^ 粟野仁雄滋賀県警の「ガサ」入れ ついに記者クラブまで」『週刊金曜日』第582号、金曜日、2005年11月、2008年11月21日閲覧 
  22. ^ "鳩山内閣総理大臣記者会見" (Press release). 首相官邸. 26 March 2010. 2010年4月1日閲覧
  23. ^ a b “記者クラブという「鎖国」制度 世界の笑いものだ”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2008年12月30日). http://www.j-cast.com/2008/12/30032953.html 2010年5月3日閲覧。 
  24. ^ “自民総裁会見もオープン化 谷垣氏「熟慮したわけではない」”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2009年10月14日). http://www.j-cast.com/2009/10/14051656.html 2009年10月17日閲覧。 
  25. ^ 井上理 (2009年9月17日). “鳩山内閣早くも公約違反? 隠れた官僚支配の温床壊せず”. 日経ビジネスオンライン. 日経BP社. pp. p. 3. 2009年9月17日閲覧。
  26. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 182-183頁。
  27. ^ 『ジャーナリズム崩壊』 176頁。
  28. ^ a b c 国政広報処 (2007年5月31日). “정부와 언론관계더 투명해져야 합니다”. www.korea.kr. 4月27日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  29. ^ a b 趙 章恩(チョウ・チャンウン) (2007年6月12日). “韓国政府の「記者室統廃合」で市民記者はよみがえるか”. IT PLUS. 4月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  30. ^ 土肥義則 (2009年12月7日). “朝日新聞の世論調査を批判したら、本社に呼ばれて怒られた(8)”. Business Media 誠. ITmedia. 2010年5月3日閲覧。
  31. ^ 横山仁美 (2008年9月8日). “抑圧下の記者クラブ シリーズ・ジンバブエ(1)”. asahi.com. 5月6日閲覧。accessdateの記入に不備があります。
  32. ^ 이영태(イヨウンテ) (2007年3月22日). “정부 기자실, 선진국에는 없다(政府の広報部、先進国ではない)”. 大韓民国政策ポータル. 4月11日閲覧。accessdateの記入に不備があります。

参考文献

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関連項目

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