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利用者:胡亂洞/第二分娩室

川口御師(かわぐちおし)は中近世に活躍した富士山御師の中、山梨県富士河口湖町河口に鎮座する河口浅間神社を拠点とした御師である(現在「川口」は「河口」に作るが、本項では「川口」に統一する)。

川口は御師集落の1つとして成立し、富士山北麓の甲斐側に位置したことから「北口」や「北室」とも呼ばれ、最盛期には140軒を越える御師が街道沿いに屋敷を構えた。富士山へは中世以来日本各地から導者と呼ばれる一般人(道者や堂者と作る場合もある)が登拝したが、川口御師は川口に集住して集落を形成し、導者を迎えては宿泊やその無事を祈願する等、登拝全般に亘る世話をし、また夏期に限られた富士山の開山期(毎年陰暦6・7月)以外の時期には、各地を訪れて浅間神社の神札を配ったり(配札)、依頼に応じて祈祷や代参(富士山頂への代理登拝)等の活動を行った。

成立前史

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富士山を対象とする富士信仰の歴史は有史以前に遡るが、延暦19年(800年)の大噴火(延暦大噴火)を契機に信仰の対象を火山神としての浅間神と観ずるようになって駿河国に浅間神社が創祀され(現富士山本宮浅間大社)、その後山麓各地において次々と浅間神を勧請した。甲斐国においては貞観6年(864年)の大噴火(貞観大噴火)での大被害を受け、翌7年に浅間神社を創祀しており[1]、河口浅間神社がこれであると考えられる[2]。その後、火山神として畏怖された富士山も噴火活動の沈静化によって古代末から中世初めには修験者による修験霊場と目されるようになり、『梁塵秘抄』巻2の「霊験所歌」には「四方の霊験所」として伊豆の走湯山(現伊豆山神社静岡県熱海市))等と並んで「駿河の富士の山」も詠われている(霊験所は霊験灼然たる社寺や修験の霊場)。同時期に鳥羽上皇の帰依を受けた富士上人末代が活躍し、末代は駿河国村山(現富士宮市村山)を拠点に村山修験の開祖と仰がれるが、また甲斐国側の富士山2合目に鎮座した御室浅間神社には走湯山の覚実覚台坊によって造立された文治5年(1189年)と建久3年(1192年)の銘を有する2神像が伝わっていたとされるので[3]、当時既に甲斐国側から山頂への登拝路も開創されていたと見られ[4]、尚また末代は走湯山と密接な伊豆日金山とも関係していたらしく[5]、『秘抄』に走湯山と併掲される事や覚実覚台坊の神像から、甲斐国側も含めた登拝路の開創には走湯山の修験者(伊豆山修験)の関与が想定でき、彼等の廻峰路に富士山が組み込まれたものと思われる[4]。その後、そうした修験者の活動により南北朝時代(14世紀)には修験者のみならず導者による登拝も行われるようになり、戦国時代にはその動きが更に盛んになる。それら導者は主に修験者が先達となって導者を山頂へ導き、複数あった山麓の登拝口には各口の御師集落が形成されるが、各口の御師の活動は富士信仰という共通の基盤に立ちつつも、成立事情や集落の歴史的遍歴等からその存在形態には異同が認められる[6]

濫觴

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川口には河口左衛門という土豪が存在し、『勝山記』に文明7年(1475年)に地下衆のために滅ぼされた記録が残されているが[7]、その河口氏が川口御師の祖であるといい[8]、また河口左衛門は上記貞観7年の浅間神社創祀に関与しその初代に補された伴真貞の末裔であるとの説もある[9]。その当否はともかくも、戦国時代には川口に戦国大名武田氏都留郡領主の小山田氏から田地や屋敷や導者を安堵されたり、伝馬関銭を免除された御師職の存在が確認できるようになる。彼等は甲斐のみならず信濃国上野国とも繋がりを持ち、勧進活動に併せて運搬業や商業にも携わっていた事が判明しており、勧進は御師としての宗教活動であるが、それに付随する各種活動もその後の生業として存続した[6]。また、この時までに川口御師の草分けといえる「十二坊」と呼ばれた12軒の御師家も確立している[10]

川口十二坊

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表1 川口十二坊[11]
坊号 氏名(家名) 護持寺
上野坊(城ノ坊) 渋江 御堂寺
額(糠)屋 中村・額谷 法大寺
玉屋 三浦・小河原 幸西寺(光西寺
(現存)
友屋 小河原・伴 御古寺
申(猿)屋 本庄・三浦・宮下・中村・申谷 観音寺
大黒(国)屋 中村 善応寺(現存)
駒屋 中村 万光寺
関屋 高橋 桂久寺(現存)
俵屋 梶原 清石寺
靫(靭)屋 貴家 正観寺
梅屋 本庄・宮下 大石寺
瓶子屋 中村 正伝寺

十二坊と呼ばれる御師家は右表の通りであるが、

活動

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御師が配札等を行う対象者を檀那、その地域を檀那場と称し、檀那場を廻る活動を檀那廻り(廻檀)と呼ぶが、川口御師の場合、主として甲斐の国中地方を中心に東は上野国南部から武蔵国北部、西は信濃国という西関東地方から中部山岳にかけて檀那場を有し[12]、これは御坂峠を越えて駿信往還を北へ向かいつつ檀那場を獲得した結果と思われるが[13]、更に美濃国西部や尾張国伊勢国への活動も認められる[6][14]。日本各地からの導者が登拝の拠点をどの口とするかの明確な決まりはなかったものの、居住地から富士山へ至る大まかな道筋は概ね定まっていたため、自ずと導者の辿って来た街道における富士山直麓の御師の世話になる場合が多く、「北口」や「北室」と呼ばれた川口の場合は、御坂峠を越えて来る甲斐や信濃からの導者が多く、また檀那との関係(師檀関係)は恒常的なものでもあったため、檀那が導者となる場合には師檀関係にある御師の世話になる場合が殆どであった[15]

沿革

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近世(宝暦以前)

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近世(宝暦以後)

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表2 御師数の変遷[16]
慶長10年
(1605年)
12坊
元禄10年
1697年
83人
宝暦10年
(1760年)
109人
安永5年
1776年
110人
天明5年
1789年
110人
文化7年
1810年
128人
天保8年
1837年
98人

近代

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御師と護持寺

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御師集落としての川口

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脚注

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  1. ^ 日本三代実録』貞観7年12月9日条。
  2. ^ 甲斐国一宮の[[浅間神社 (甲府市)|]]を充てる説等もある。詳しくは「浅間神社 (富士河口湖町)」参照。
  3. ^ 『甲斐国志』巻71。
  4. ^ a b 堀内亨「富士信仰の盛行」(『山梨県史 通史編2 中世』所収(以下『山梨県史 通史編』は「県史通」と略記)。
  5. ^ 遠藤秀男「富士山信仰の発生と浅間信仰の成立」(『富士浅間信仰』所収)。
  6. ^ a b c 西田かほる「川口村における富士山御師の成立とその活動」(『富士山御師の歴史的研究』所収)。
  7. ^ 『勝山記』文明7年条。
  8. ^ 伴『甲斐国河口郷延喜式内名神大社浅間神社正史』。因みに川口氏は平安時代後期から代々左衛門を襲名し、文明7年まで約450年続いたという。
  9. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』第1巻、角川書店、昭和38年。
  10. ^ 酒入陽子「富士山御師三浦家とその由緒」(『富士山御師の歴史的研究』所収)。但し「川口十二坊」の史料上の初見は慶長10年(1605)6月7日付「富士浅間社御師衆連署書状案」(『甲州古文書』第3巻(角川書店、昭和44年)所収2153号)。
  11. ^ 西田かほる「甲斐の国の神社」(県史通4(近世2)第15章第9節)、田中潤「川口御師と菩提寺」(『富士山御師の歴史的研究』所収)を元に作成。
  12. ^ 堀内真「富士に集う心 - 表口と北口の富士信仰」。
  13. ^ 前掲西田「甲斐の国の神社」。駿信往還は鰍沢宿(現山梨県鰍沢町)と韮崎宿(現同県韮崎市)を結び、ほぼ現在の国道52号に沿って伸びていた。
  14. ^ 小宮山敏和「川口御師と檀那・檀那場」(『富士山御師の歴史的研究』所収)。
  15. ^ 高埜利彦「富士山御師の歴史的研究」(『富士山御師の歴史的研究』所収)。
  16. ^ 前掲西田「甲斐の国の神社」を元に作成。

参考文献

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  • 甲州史料調査会編『富士山御師の歴史的研究』、山川出版社、2009年ISBN 978-4-634-52014-1
  • 鈴木昭英編『富士・御岳と中部霊山』(山岳宗教史研究叢書第9巻)、名著出版、昭和53年
  • 高埜利彦「幕藩制社会の解体と身分的周縁」(『身分を問い直す』(シリーズ近世の身分的周縁6)、吉川弘文館、2000(平成12)年ISBN 4-642-06556-3 所収)
  • 伴泰『甲斐国河口郷延喜式内名神大社浅間神社正史』、浅間神社、昭和58年
  • 平野榮次編『富士浅間信仰』(民衆宗教史叢書第16巻)、雄山閣出版、昭和62年ISBN 4-629-00657-8
  • 堀内真「富士に集う心 - 表口と北口の富士信仰」(網野善彦・石井進編『中世の風景を読む第3巻 境界と鄙に生きる人々』、新人物往来社、1995年ISBN 4-404-02175-5所収)
  • 宮地直一・廣野三郎『浅間神社の歴史』(富士の研究Ⅱ)、古今書院、昭和4年
  • 『山梨県史』(山梨県、平成7 - 20年)から、『通史編1 原始・古代』(平成15年刊)、『通史編2 中世』(平成19年刊)、『通史編3 近世1』(平成18年刊)、『通史編4 近世2』(平成19年刊)
  • 『角川日本地名大辞典 19山梨県』、角川書店、昭和59年ISBN 978-4040011905
  • 『山梨県の地名』(日本歴史地名大系19)、平凡社、1995年ISBN 4-582-49019-0

外部リンク

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{{神道 横}} {{DEFAULTSORT:かわくちおし}} [[Category:神職]] [[Category:浅間神社]] [[Category:富士河口湖町]]