利用者:漱石の猫/sandbox/地区
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尾和 | |
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ファイル:ファイル名.jpg | |
国 | 日本 |
都道府県 | 京都府 |
市町村 | 京丹後市 |
大字 | 丹後町尾和 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
629-〇〇〇〇 |
尾和(おわ)は、京都府京丹後市にある地名。大字としての名称は丹後町尾和(たんごちょうおわ)。日本の棚田百選に数えられる袖志の棚田に連なる。戸数12戸・人口28人[1]。
地理
[編集]福知山市の中心市街地からみて北東約20キロメートルに位置する、大江山山麓の集落である[1]。古くは山の頂近くまで開墾された千枚田(毛原の棚田)が宮川 (福知山市)の支流・毛原川の谷に広がる[1]。 ]]
自然
[編集]小字
[編集]隣接する町・字
[編集]日本海 | 日本海 | 丹後町間人 | ||
網野町掛津 | 丹後町間人 | |||
網野町三津 | ||||
弥栄町鳥取 | 弥栄町鳥取 | 弥栄町尾坂 |
世帯数・人口
[編集]歴史
[編集]近世以前
[編集]江戸時代初期には宮津藩領であり、享保2年(1717年)に幕府領となった[2]。当初は丹後国竹野郡宇川村の一部だったが、1669年(寛文9年)に上野村として分村独立した[2]。『延宝郷村帳』における村高は石余、『宝永村々辻高帳』における村高は石余、天保年間の『天保郷帳』や明治初期の『旧高旧領』における村高は石余である[2]。
近代
[編集]1868年(明治元年)には久美浜県の、1871年(明治4年)には豊岡県の所属となり、1876年(明治9年)に京都府の所属となった[2]。1875年(明治8年)から1882年(明治15年)にかけてまとめられた『共武政表』では戸・人・牛頭・船を有していた[2]。1889年(明治22年)4月1日には町村制の施行により、中浜村・久僧村・谷内村・上野村・上山村・尾和村・袖志村の区域をもって竹野郡下宇川村が発足し、下宇川村の大字のひとつとして上野が設置された[2]。
近代
[編集]〇〇村 | |
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廃止日 | 1889年 |
廃止理由 |
合併 〇〇村、〇〇村 → 〇〇村 |
現在の自治体 | 京丹後市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 〇〇郡 |
〇〇村役場 | |
所在地 |
〒629-〇〇〇〇 京都府〇郡〇〇村 |
ウィキプロジェクト |
現代
[編集]教育
[編集]小学校
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[編集]交通
[編集]施設
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- 消防署
名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 毛原の棚田
- 大岩神社(氏神)
伝承
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本歴史地名体系 26 京都府の地名』平凡社、1981年