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利用者:海獺/Event/20240903

糸満の名前の由来

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地名の由来については諸説ある。1649年慶安2年)の「絵図郷村帳」、翌年の「琉球国高極帳」では「いとまむ村」と表記されており、1713年康煕52年)の「琉球国由来記」では「糸満村」となっている[1]

宮良當壯は1925年(大正14年)に糸満を訪れた際に後述の玉城が挙げた「蟹」の話を聞いたが、自身はこの説は採らず、「イユ・トゥイ・アマミ」(魚捕海人部・いをとりあまべ)の約転であろうとしている[1]

糸満町史の編集委員である玉城貫は、第一・優れたなどの意味を持つ「イト」と海人の「アマ」を合わせた言葉で「優れた漁師」という意味だとし、その他に挙げた「井戸を掘る際に糸を食べている蟹が現れたことから[2]」、「8人の異人が漂着した『エイトマン』から」および「糸満人の祖先は異人」、「『魚を取る人』という意味の『イヲトリアマベ』が転じたもの」などについては首肯できないとし、後の2021年2月にNHKテレビ番組日本人のおなまえ」で説のひとつとして紹介された「エイトマン説」[3]については、玉城は「学問を愚弄するもの」と切り捨てている[4]

金関丈夫は、フィリピンからインドネシアにかけて見られる地名の命名規則(接頭語に「イ」「ディ」あるいは「ヅィ」をつけ語尾に「アン」をつける)からオーストロネシア語族の言語に由来するのではないかという説を唱えている[5]

伊波普猷は、「イト」は岬、「マン」は磯または干瀬の意味であろうとしている[6]


ひめゆりの名前の由来

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脚注

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  1. ^ a b 糸満市史編集委員会『糸満市史 資料編13 村落資料 旧糸満町編』糸満市役所、201-3-22、11頁。 
  2. ^ 糸満の地名由来” (PDF). 糸満市 (2019年7月11日). 2024年8月30日閲覧。
  3. ^ 日本放送協会『「ISSAも初耳!沖縄謎解き旅」 - 日本人のおなまえhttps://www.nhk.jp/p/onamae/ts/14W3P3322N/episode/te/QW3W9WJK28/2024年8月30日閲覧 
  4. ^ 玉城貫『糸満尋常高等小学校五十年記念誌』全創立五十周年記念事業期成会、1934年11月3日、158-159頁。 
  5. ^ 『旅の民俗学』宮本常一著、P.82
  6. ^ 伊波普猷『をなり神の島2』平凡社、1973年5月22日。 

出典に必要な要素(書籍)

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  • 著者(編者)、タイトル、出版社、発行年月日(西暦)、ページ番号、ISBN

調べ物

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図書館関連

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Web

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ガイド・ツールなど

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地図

座標: 北緯35度41分36秒 東経139度44分59秒 / 北緯35.69333度 東経139.74972度 / 35.69333; 139.74972

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その他

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こっそり

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足を痛め、2022年ごろから見台や釈台を前に置いての高座を務めている[1]。話芸集団SWAのメンバーの一人春風亭昇太は、後輩の喬太郎ためにDIYで簡易的な釈台を手作りした[2]

  1. ^ 絶品!さん喬の「柳田格之進」にすすり泣きも漏れた - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年9月1日閲覧。
  2. ^ 簡易釈台制作!その1”. 春風亭昇太. 2024年9月1日閲覧。