本項では、量子力学における球面調和関数(きゅうめんちょうわかんすう、英: spherical harmonics)の導出を詳細に記述する。
量子力学における球面調和関数の標準的な導出[注釈 1]は、どちらかと言えば、導出ではなく導入に近い。球対称なポテンシャルを持つ系のシュレディンガー方程式を考え、変数分離や変数変換を駆使して、方程式をルジャンドルの陪微分方程式に変形する。そして、この方程式の解を既知として扱い、ほとんど導入という形で球面調和関数を学ぶ。その流れを以下に記述する。
球対称なポテンシャル があるとき、質量 を持つ粒子の時間に依存しないシュレディンガー方程式は
である。 はラプラシアンである。ラプラシアンを方程式に代入して、波動関数を と変数分離すると、
となる。上の式を見ると、左辺は の変数で、右辺は の変数である。この異なる変数の式が等しくなるには、両辺が定数になる必要がある。よって、両辺の分離定数を とおくことで、次の角度方向と動径方向の独立した2つの固有値方程式を得る。
動径成分の固有値方程式に関して、 を波動関数、 ポテンシャルエネルギーと見なすと、この方程式は質量 を持つ粒子の1次元シュレディンガー方程式と見なすことができる[1]。この際、有効ポテンシャルの第2項は遠心力に相当する。
角度成分の固有値方程式に関して、これを更に と変数分離して、分離定数を とおけば、次の 方向と 方向の独立した2つの固有値方程式を得る。
成分の解は簡単に求めることができ、境界条件 と規格化条件より
規格直交化積分:
となる。 を磁気量子数といい、異なる について直交する。
成分の固有値方程式は、変数を に変換すると
のように書き直せる。これはルジャンドルの陪微分方程式であり、特に の場合
はルジャンドルの微分方程式と呼ばれる。級数展開を行うと
であることがわかる。
導出
を以下のように級数展開する。
これらを微分方程式に代入すると、
ここでトリックを使う。左辺第1項は のために の時の値が0となり、これを足しても総和は変化しないので、総和のスタートを としてもよい。しかし、総和のスタートを から に戻すと、総和が変化するので、変化させないために列を以下のようにする。
よって、括弧内 [] が0となればよいので、
となり、これが発散しないための条件として
を得る。
ルジャンドルの微分方程式の解はルジャンドル多項式
規格直交化積分:
であり、陪微分方程式の解はルジャンドル陪多項式
規格直交化積分:
であることがわかっている(導入)。ここで、 であり、これを方位量子数という。また、 の制限がある。 関数の規格化定数はルジャンドル陪多項式の規格直交化積分から求まる。よって、 関数は
となる。したがって、角度成分の固有値方程式の解は 関数と 関数の積なので、位相因子 を付けて[注釈 2]
を得る。これが球面調和関数の表式である。球面調和関数の性質については「球面調和関数」を参照されたい。また、動径成分の固有値方程式を解くことは、本項の目的から外れるため省略する。詳細は「水素原子におけるシュレーディンガー方程式の解」を参照されたい。
軌道角運動量演算子から球面調和関数を導出することができる。この導出方法では、球面調和関数の表式に含まれる規格化定数とルジャンドル陪多項式を何の導入も挿まずに、導くことができる[注釈 3]。
正準交換関係 と軌道角運動量演算子 より、以下の交換関係または関係式が成立する。ここで、 はレヴィ-チヴィタテンソルであり、角運動量代数 の中身は である。
証明
上記の交換関係または関係式を証明する。 を証明完了の記号として用いる。また、特に下添え文字の取り扱いに注意されたい[注釈 4]。
より、 と のどれか1つの成分( とする)との間には、同時固有状態 が存在するので、それが
という固有値方程式を満たすと仮定する。ここで、
の関係式[注釈 5]から、この両辺の期待値を でとると、左辺(LHS)と右辺は(RHS)はそれぞれ
となり、 が成立する。さらに、次の2つの固有値方程式[注釈 6]
から、 であることがわかる。つまり、演算子 は状態 を上げ下げする昇降演算子である。しかし、 の制限があるため、状態 を演算子 で無限に上げ下げすることはできず、状態 には上限 と下限 の状態がなければならない。固有値方程式で表現すると、 である。
を に作用させると左辺は0になるので、
よって、 の固有値は となる。同様に、 を に作用させると左辺は0になるので、
したがって、
の関係式を得る。これと より、 となることから、 は整数か半奇整数をとることがわかる。以下、 を 、 を と書き、 を と書くと、固有値方程式は
と書き直せる[注釈 7]。さらに、 であることから、規格直交関係 を得る。
最後に、 の期待値を計算すると
となるので、
を得る。同様に、 の期待値を計算することで、次の固有値方程式を得る。
まず、 の単位ベクトルを の単位ベクトルで表す[注釈 8]と、
となる。また、軌道角運動量演算子は
であるため、以下の結果を得る。
時間に依存しないシュレディンガー方程式
は、次の関係式
導出
上記の関係式を導出する。
より、
となる。さらに、左辺第1項は
のように変形できるので、
となり、両辺を で割ることで、上記の関係式を得る。
を用いることで、
と書き換えることができる。ここに、 の極座標表示を代入すれば、「標準的な導出」節の冒頭にあるシュレディンガー方程式にラプラシアンを代入した式と全く同じ表式になることがわかる。つまり、上記のシュレディンガー方程式は、ラプラシアンの 成分をまとめて で表した表式と言える[注釈 9]。よって、 は を含まないので、波動関数を と変数分離すると
となり、分離定数を とすると、角度方向と動径方向で独立した2つの固有値方程式を得る。
角度成分の固有値方程式は、 と同じ形になっていることから、球面調和関数 はブラケット表記における状態ベクトル を 表示したものであることがわかる。両者の対応は以下のようになる。
よって、固有値は となる。
極座標表示の を用いることで、球面調和関数 を導出できる。球面調和関数を のように変数分離し、これに を作用させると、 は にしか作用しないので、 より、
となり、これと境界条件 、規格化条件から、 関数の表式
を得る。 を磁気量子数という[注釈 10]。また、 の条件より、 についての微分方程式
導出
の条件より、
となる。さらに、
のように変形できるので、上記の についての微分方程式を得る。
が成り立つので、この解は直ちに
であることがわかる。この関数の規格化積分を求めると
となる。よって、位相因子 が の方に付くように位相を選ぶ[注釈 11]と、 の場合の球面調和関数は、
となる。球面調和関数の を にする方法は、① に を 回作用させる、② に を 回作用させる、の2通りがある。① の操作の結果、得られる球面調和関数の表式は
導出
と計算できるので、 は
となる。 の部分にこの式自身を 回代入して、既知の を最後に代入すれば
となり、その結果、球面調和関数 の表式を得る。
となり、② の操作の結果、得られる球面調和関数の表式は
導出
と計算できるので、 は
となる。 の部分にこの式自身を 回代入して、既知の を最後に代入すれば
となり、その結果、球面調和関数 の表式を得る。
となる。後者の表式は「標準的な導出」節の最後に登場した球面調和関数の表式と同じである。両者は
で繋がっており、互いに等価な表現である。 の負冪を含まない方が便利なので、 のときは後者を、 のときは前者を用いることにすると、次のように球面調和関数をひとまとめにした表現にできる。
これが最終的な球面調和関数の表式である。また、 はルジャンドル陪多項式である。
- ^ 量子力学のほとんどの教科書では、この流れで球面調和関数を学習するため、その意味で標準的と形容した。
- ^ 物理的に意味を持つのは、関数の絶対値の2乗 なので、 を付け足しても問題ない。
- ^ ただし、正準交換関係、軌道角運動量の定義式、シュレディンガー方程式は既知とする。
- ^ はその演算子の特定の成分であるが、証明内に登場する はその演算子の何らかの成分であり、「(ひとつの式の中で)互いに異なる成分である」以上の意味を持たない。つまり、 の表式において、下添え文字の を に勝手に書き換えても、それは等価な表現である。
- ^ この式は からすぐにわかる。簡単のため、導出は省略する。
- ^ 一つ目の固有値方程式の式変形で、 を用いた。
- ^ これまでの議論は、状態 という仮定を置き、それらの素性を探っていった結果、 という結論を得た。 の形が仮定から変わらないのは、結論ありきの仮定をしたからである。例え、最初の仮定を別の形にしても、既知情報を上手く用いれば、同様の形に整形できるはずである。例えば、J. J. Sakurai の教科書[4]を参照されたい。また、 より の関係が判明する。
- ^ これは、直交座標 と極座標 との関係
を用いて、
を計算すればよい。このとき、単位ベクトルなので、各項の共通要素(ヤコビアン)は省く。導出は省略。
- ^ それは の極座標表示とラプラシアンを見比べても明らかである。この節の議論の場合、ラプラシアンを既知として扱わなかったので、少し遠回りな議論でシュレディンガー方程式に軌道角運動量を加えた。
- ^ 磁気量子数は整数の値しか取らない。そして、既に がわかっていることから、 は非負の整数を取ることがわかる。これを方位量子数という。上の議論で、 が半奇整数を取る可能性もあったが、これはスピン角運動量を考慮した際に実現する。
- ^ 物理的に意味を持つのは、関数の絶対値の2乗 なので、 を付け足しても問題ない。