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駿河竹千筋細工(するがたけせんすじざいく)は、静岡県静岡市周辺で生産されている伝統的な竹細工である。経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されている。
概要
[編集]特徴
[編集]歴史
[編集]近世
[編集]静岡市周辺は、温暖な気候であるため[1]、安倍川や藁科川の中下流域で良質のマダケ(真竹)やハチク(淡竹)が産出され古くから竹細工が作られていた[2]。それらは駿河竹細工[1][3]や駿河細工[4]と呼ばれ、摂津国有馬(兵庫県神戸市北区)とならぶ有名な産地になっていた。『駿河国新風土記』には、寛永年間(1624~1644)、駿府城下七間町に、枕・虫籠・夏笠・視箱などの竹細工品を売る店が出ていたとあり、竹細工の盛んだったことがわかる[2]。
駿河竹細工は下級武士の内職によって支えられた伝統もある。寛永年間(1624~1644)、駿府草深の同心たちが苦労して制作した竹製の編笠が、江戸において流行した籐編笠より安価で、武士の嗜好に適していたため需要が増し、町人や旅人の必需品となった[3]。駿府草深の同心四十余戸は内職としてこれの制作に従事した[2]。
菅沼一我による伝播
[編集]繊細優美な現在の駿河竹千筋細工となったのは岡崎藩士(愛知県岡崎市)の菅沼一我が独特な千筋細工の技法を伝播したからである。1840年(天保11年)諸国を行脚していた菅沼一我は、駿府の下級武士が作る内職の編笠を見て、足を止めた。当主清水市平の懇願により、宿泊先「はなや」の息子清水兵衛に技術を教えたのが始まりとされています[5]。
近代・現代
[編集]生産工程
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『静岡県史 資料編 24 (民俗 2)』静岡県、1993年3月26日。doi:10.11501/13179134。
- 『しずおかの郷土工芸品』静岡県商工労働部地域産業課、1996年3月。
- 『清流安倍藁科ものがたり』静岡新聞社、2011年6月26日。ISBN 978-4-7838-1922-6。国立国会図書館書誌ID:023109497
- 望月康、土屋晃一『職人列伝 静岡県の伝統工芸』(二刷)望月康、1988年10月1日。 NCID BA67720473。
- するが産業工芸史編集委員会『するが産業工芸史』静岡特産工業協会、1995年6月9日。国立国会図書館書誌ID:000002470620
- 妹尾俊雄『歴史と文化のあかしを尋ねて 駿河の国逍遥』株式会社パレード、2013年3月31日。ISBN 978-4-434-17695-1。国立国会図書館書誌ID:024340719
- 静岡信用金庫 編『~地場産品ができるまで~しずおか特産品解体新書』第一巻・第二巻合併号、静岡信用金庫、2006年8月。
- 静岡県広報室『Myしずおか 静岡県総合情報誌 (29)』静岡県、2006年7月、22頁 。
- 東海総合研究所『東海総研マネジメント management 7月(76)』76号(7月号)、東海総合研究所、1994年7月、22-25頁。doi:10.11501/2874411。全国書誌番号:00072667
- 関東経済産業局, 経済産業調査会 編『いっとじゅっけん 1992年8月号(37号)』1992年8月号(37号)、経済産業調査会、1992年8月、47-49頁。doi:10.11501/2857842。ISSN 0289-0348。国立国会図書館書誌ID:000000038987
- あさひ銀総合研究所『あさひ銀総研レポート 5(7)』あさひ銀総合研究所、1996年7月、28-32頁。doi:10.11501/2886105。ISSN 0918-6670。
- 静岡市地域産業課 編『静岡市の地場産業 長い伝統と高度な技術が活きづく』静岡市地域産業課、2007年3月。