利用者:るっか/下書きページ19
{{出典の明記|date=2018年4月}
日大生殺し事件 | |
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場所 | 日本 東京市本郷区弓町 |
日付 |
1936年(昭和11年)11月3日 午前2時頃 |
攻撃側人数 | 2人 |
武器 | 包丁 |
死亡者 | 1人 |
犯人 | 被害者の父親(主導)被害者の母親・長妹(実行) |
影響 | 日本初の保険金殺人事件 |
日大生殺し事件(にちだいせいころしじけん)は、1935年(昭和10年)に母親が保険金目当てに実の息子を殺害した事件で、日本で初めての保険金殺人事件とされている[1]。
概要
[編集]1935年(昭和10年)11月3日、東京市本郷区弓町で、日本大学専門部歯科の3年生C(長男。当時23歳)が自宅(実家)で強盗に遭い殺されるという事件が起きる。目撃したのはCの母B(46歳)と長女でCの妹D(21歳)、次女E(17歳)で、Eと次男のF(11歳)により壱岐坂下交番に通報され、捜査が始まった。凶器となった出刃包丁は台所の流しで見つかったが、水で洗われたような状態で指紋の検出ができなかった。
しかし犯人の容姿がCと酷似していたこと、Aに六万六千円の保険金が支払われたことから、12月16日になってA、B、Dが捜査本部が置かれた本富士署
まもなく警察の調べで強盗ではなく、保険金目当てで父親(当時52歳)が主導した一家による謀殺であったことが判明する。息子を殺したのは実の母親(当時46歳)であり、長女も手伝ったことがわかった[2]。
実家は長男に生命保険を3社かけていて、合計して六万六千円ほど受け取っている(現在の貨幣価値でいうと一億数千万円、当時の大卒の初任給70円)[要出典]。当時は生命保険自体そこまで普及していなかった時代であり、妻やほかの子どもには、生命保険はかけられていなかった[要出典]。
また、父親は犯行時には樺太にいっており、11月9日に帰郷したあと長男の葬儀をしている[要出典](父親は樺太の敷香町で医院を開業していた)。
長男の他にも、長女(当時21歳)、次女(当時17歳)、次男(当時11歳)の3人の兄妹がいる[要出典]。殺害時、警察派出所に出向いたのは次女と次男[要出典]。
脚注
[編集]- ^ 『犯罪の昭和史1 戦前 昭和1年 - 昭和20年』 作品社、1984年、207頁。
- ^ 日大生殺しは死刑か?『浮世の法律』宗宮信次 著 (有斐閣, 1937)
参考文献
[編集]- 澤地久枝 『昭和史のおんな』 文藝春秋社、1980年
- 福田洋 『20世紀にっぽん殺人事典』 社会思想社、2001年
- 太田金次郎 『法廷やぶにらみ』 東京書房、1958年
- 森長英三郎 『史談裁判 第三集』 日本評論社、1972年
- 関之 『徳川・明治・大正・昭和著名裁判録』 厳松堂、1948年
外部リンク
[編集]- 日大生殺し事件 親心とエゴイズム(史談裁判=第三集-25-) 法学セミナー (192), 92-94, 1972-01 日本評論社 NAID 40003472116
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