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利用者:のりまき/葵梶葉文染分辻が花染小袖 とにかく急いで形にしなければ!

時間との戦い

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正直言って自分は遅筆の方だと思っています。ひとつの記事を書きあげるまで数カ月かかることがざらです。ただ葵梶葉文染分辻が花染小袖は、どうあっても取り掛かり始めから2~3週間の間に立項しなければいけない事情がありました。

この記事は林先生の初耳学出演のオファーがあった際に、実際に番組内で執筆過程を見せた記事です。2020年12月10日頃、最初お話があった時は、2021年1月末にオンエア予定で、月間新記事賞良質な記事となるような記事の執筆過程を番組内で見せて欲しいというオファーでしたので、とにかく最初から時間が無い!と焦らされることになりました。とにかくまあ、自分が得意な分野で現地取材も込みで記事作りをお見せしようと思い、最初、伊豆珪石鉱山を題材に選びました。これはかねてから記事を立ててきた鉱山分野であり、伊豆半島にあった鉱山であるため現地取材が比較的楽であることが選んだ理由でした。具体的な話が進んでいく中で、月間新記事賞や良質な記事の話は特にこだわらない感じだったので、少しほっとした気持ちで記事立項の準備を進めていきました。

ところが2021年1月9日、10日に予定していたテレビクルーとの同行取材の直前、1月7日に緊急事態宣言が出され、静岡県は一都三県からの来訪の自粛を要請する事態となり、その結果、テレビクルーの同行取材はキャンセルとなってしまいました。テレビクルーからは一都三県の中で伊豆珪石鉱山に関する現地取材が出来ないかとの相談があったのですが、題材的に無理そうでした。そこでやむを得ずテーマを変えることを検討してみました。まず時間の制約が厳しいのでテーマ的には大きなものは無理で、コンパクトにまとめられるものになってしまいます。あと出来れば文献探しが比較的楽であるもの、そして何よりも一都三県にあってテレビクルーとの現地取材がやりやすい場所ということが条件となります。

そこでまずは一都三県の天然記念物国宝史跡をチェックしてみることにしました。天然記念物や国宝、史跡には良さそうな題材はありませんでした。そこで範囲を重要文化財に広げてみたところ、川崎市川崎区明長寺に所蔵されている重要文化財、葵梶葉文染分辻が花染小袖が目に留まりました。寺院関連の文化財といえば寺院そのものの他、仏像、絵画、梵鐘、文書あたりでしたら想像がつくのですが、服飾が重要文化財?というところが引っかかったのです。川崎ならば現地取材の収録も比較的容易でしょうし、服飾ひとつでしたらテーマの大きさとしても適切だと感じました。またかねがねさえぼーさんが、Wikipedia日本語版には重要文化財に指定されるような服飾の記事が無いと話しておられたのを思い出しました。私は1月8日に、テレビクルーに葵梶葉文染分辻が花染小袖が代替記事として考えられる旨を連絡しました。

ただ当初予定していた鉱山記事とは異なり、服飾の記事は取り組んだことがありませんでした。というかWikipedia日本語版に具体的な服飾の立項自体が見当たりませんでした。ということは記事のフォーマット自体自分が考えなければならなくなります。そこでまずは本当に立項できそうかどうか調べてみることにしました。調べてみるともともとは徳川家康が着用していた小袖で、大坂の陣における戦功により荻田長繁徳川家康から拝領し、その後18世紀半ばに明長寺が所蔵するようになったことがわかりました。記事の背景として大坂の陣の他にも御館の乱越後騒動という歴史的に知名度が高い事件があって、ある程度まとまった内容の記事にはなりそうだとの印象を持ちました。あとは小袖そのものについてどこまで書けるかが勝負となります。参考文献はまず福島雅子氏の「徳川家康の服飾」が使えそうで、その他、日光東照宮刊の「大日光」内など、雑誌記事も使えそうであることがわかってきました。1月末までという短期間で仕上げなければならず、内容的にもとにかく初物ですので不安がいっぱいでしたが、やってみることにしました。

聞いてないよ!

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作業に入って福島雅子氏の「徳川家康の服飾」を腰を入れて読みだしたところで、思わず「聞いてないよ!」と叫んでしまいました。「徳川家康っておしゃれだったの?」家康ってなんか吝嗇家のイメージだったのですが、実際に現存する家康が着用していた服飾を見る限り、明らかに一定の審美眼に基づいてセレクトしたものを愛用していて、本人なりのおしゃれのセンスがあったとしか思えません。正直、これまで自分が持っていた家康像が大きく崩されました……あと、アイドルじゃあるまいし、家康から衣服を貰う際、お肌付き、つまり肌に最も近い肌着が最もグレードが高いという話も記事を書きながら笑ってしまいました。その他、家康に関わることについては服飾内で用いられる三つ葉葵の紋が、時代が下るにつれて定式化していく点が興味深かったです。

服飾そのものの部分の執筆は予想通り難航しました。葵梶葉文染分辻が花染小袖の文様は染めや刺繍の技法で描かれているのですが、正直、裁縫等の経験が乏しい自分にとって説明がなかなか入ってきません。やはり人間は経験が大切ですね……中でも困ったのが辻が花です。説明に染めや刺繍、摺箔の具体的な技法がポンポン飛び出してくるのは仕方がないとしても、正直、辻が花がいったいどのような服飾であるのかが見えてきません。結局、執筆の終わり頃になって小山弓弦葉氏の文献から、拡大解釈や後世からの意味付けが付与された結果、辻が花自体の定義がしっかりしていない面があることがわかりました。ただ小袖の形態や織の部分は、葵梶葉文染分辻が花染小袖が本当に家康の小袖であったかどうかについて判断する大きな鍵となる部分ですので、四苦八苦しながら執筆を進めました。

一方、記事の背景に関する部分は手ごたえを感じていました。葵梶葉文染分辻が花染小袖が明長寺に所蔵されるようになるまで、そしてその後の経過も興味深い部分が多く、十分に読みごたえがあるものに出来そうです。残念ながら小袖そのものの取材は無理でしたが、現地取材は明長寺、そして神奈川県立図書館での資料探しについて撮影する方向で話がまとまり、1月17日に現地取材、その後1月21日にはスタジオ撮影が行われました。

記事のアップなど

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とにかく1月末のオンエア前に記事を立項しなければいけないということで、相当焦りながら執筆を進めていきました。結局、1月25日にはなんとか形となってアップすることが出来ました。林先生の初耳学は2021年1月31日に予定通りオンエアされました。その後、糸魚川市の龍光寺にある家康から小袖を拝領した荻田長繁の墓参りを行い、記事にお墓の写真をアップした段階で、自分としてはようやく一段落ついた感じがしました。

参考文献としてやはり福島雅子氏の「徳川家康の服飾」が非常に役に立ちました。この本が無ければテレビ取材も上手くいかなかったと思います。その他、徳川義宣氏の「大日光」の記事も非常に参考となりました。