利用者:じゃ・いあん/sandbox
竹ノ内家住宅 | |
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所在地 | 長野県下伊那郡高森町吉田1987−1 |
位置 | 北緯35度33分41.5秒 東経137度53分01.6秒 / 北緯35.561528度 東経137.883778度座標: 北緯35度33分41.5秒 東経137度53分01.6秒 / 北緯35.561528度 東経137.883778度 |
類型 | 農家 |
形式・構造 | 本棟造、木造、切妻造妻入、板葺 |
建築年 | 寛政11年(1799年) |
文化財 | 国の重要文化財(主屋、棟札) |
竹ノ内家住宅(たけのうちけじゅうたく)は長野県下伊那郡高森町吉田にある江戸時代の民家。
歴史
[編集]昭和48年6月2日国重要文化財指定 建築年代は寛政11年(1799年)とみなされている。これは寛政11年未歳の[1]による。棟札には棟梁木下吉之丞の名前や施主中塚八左衛門の名前などがある。現在の当主は15代竹ノ内雅弘氏である。建築当時は中塚姓であり、明治初年に地名をとって竹ノ内姓となった[2]前年昭和47年2月から3月には東京大学教授太田博太郎氏、千葉大学教授大河直躬氏等を調査員とした長野県教育委員会第二次調査が、上伊那から下伊那地方の民家の調査に入っている[3]の本棟造りの中では、棟札がはっきりと残っている点、建物の構造がしっかりしていて保存状態が良いことも指定の理由となっている。[4]には住宅屋根の修繕作業の様子が出ている。サワラ材板25000枚の修繕が三日間で行われた。当主の話によると15年に一度ほどの割合で修繕が必要だとのこと。令和元年の修理では板材の3割は古いものを再利用したとのこと。
建築の概要
[編集]江戸時代の民家建築として、昭和48年(1973年)に国の重要文化財に指定された。 竹ノ内家は本年(2021年)15代続く本棟づくりの建築家屋である。竹ノ内家がこの地、高森町吉田地区に居を構えた最初は中塚姓(軒札「寛政十一己未歳」、施主は中塚八左衛門)を名乗り、建築年代は寛政11(1799)年、大工は同村の木下吉之亟である。札が本棟造の建物で発見されることはあまりなく、軒束の表側に文政2(1819)年の祈祷札が打ち付けられており、棟札と祈祷札の年代の関係を知ることのできるまれな事例である。 竹ノ内家は昭和48(1973)年6月2日重要文化財に指定され、飯田・下伊那地方では唯一の国重要文化財指定の民家建築である。桁行14.7m、梁間13.4m、切妻造、妻入り、板葺の切妻造の建物である。現在もそこが日常生活の場であり、当主が家の周りで果樹園を営んでいる民家の建物が重文に指定されるのはめずらしいことである。土間には深さ3,7m、横穴もあるもろがある。屋内には飯田歴史研究所研究員金沢研究員の指導によってつくられた長姫高校生が製作した竹ノ内家の構造模型が展示されている。