利用者:ぎゅうひ/ズマルト
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春の部
[編集]画像 | 画題 | 解題および題材地詳解(現代の地理との照合) | その他の解説 | |
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左 | 1. 日本橋雪晴 | 日本橋の雪晴れ(北緯35度41分2.5秒 東経139度46分28.1秒) 日本橋と日本橋川を北東から望む。奥に一石橋も見える。 |
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中 | 2. 霞がせき | 霞が関(北緯35度40分32.1秒 東経139度44分57.1秒) 左は現在の国土交通省、右は外務省にあたる。遠く江戸前海を望む。 |
画中では左が松平安芸守の、右が松平美濃守の上屋敷である。 | |
右 | 3. 山下町日比谷外さくら田 | 山下町から日比谷・外桜田を望む(北緯35度40分20.7秒 東経139度45分40.5秒) 現在の中央区立泰明小学校あたりから西望。奥の武家屋敷は現在の日比谷公園。その向こうが外桜田、すなわち桜田門の外=現在の霞ヶ関一-二丁目あたり。 |
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左 | 4. 永代橋佃しま | 永代橋から佃島を望む(北緯35度40分38.3秒 東経139度47分16.7秒) 実際には佃島の手前に石川島がある位置関係だが、ひっくるめて佃島と呼んだものか。なお、江戸時代の永代橋は現在よりも100mほど上流にあった。 |
橋の下(舟上)からの眺望。左に橋脚が見えている。 | |
中 | 5. 両ごく回向院元柳橋 | 両国 回向院から元柳橋を望む(北緯35度41分37.8秒 東経139度47分33.8秒) 画面中央に見える元柳橋は、神田川河口近くの柳橋よりやや北方、薬研堀という掘込に架かっていたもの。手前は隅田川。 |
回向院の境内(後に初代の両国国技館が建った場所)では毎年春秋の相撲場所が開催された。相撲太鼓の櫓が大きく描かれている。 | |
右 | 6. 馬喰町初音の馬場 | 馬喰町の「初音の馬場」(北緯35度41分41.9秒 東経139度46分59.6秒) 現在の日本橋馬喰町一丁目9番および14番付近。北東-南西に細長い馬場であった。火の見櫓の向こうあたりに浅草門(現在の浅草橋)がある。 |
群代屋敷に付設の馬場であったが、この頃はすでに馬場としては機能しておらず、紺屋の干場になっていたという。 | |
左 | 7. 大てんま町木綿店 | 大伝馬町の木綿店(もめんだな)(北緯35度41分18.7秒 東経139度46分35.7秒) 現在の日本橋大伝馬町からはやや西へずれて、日本橋本町二丁目と三丁目の間を東望している。 |
木綿織物の問屋が多くあったことから木綿店と通称された。 | |
中 | 8. する賀てふ | 駿河町(北緯35度41分10.5秒 東経139度46分26.1秒) 現在の日本橋室町、三越本店と三井本館に挟まれた通り。三井財閥の前身たる豪商・越後屋の盛況を描いている。 |
「駿河町の富士」は江戸の名物のひとつであった。町名自体、富士がよく見えることからの命名という。 | |
右 | 9. 筋違内八ツ小路 | 筋違内(すじかいうち) 八ツ小路(北緯35度41分48.3秒 東経139度46分10.9秒) 現在の昌平橋と万世橋の中間あたりに「筋違橋」(すじかいばし)が架かり、その南畔に筋違門(画面中央)があった。門の内側(南側)は広い火除け地になっていて「筋違内」と呼ばれた。旧万世橋駅(旧交通博物館)の駅前周辺に相当する。奥の霞は神田川、右奥には神田明神が見える。 |
「八ツ小路」の名は、道が八方へ通じていた様子から。 | |
左 | 10. 神田明神曙之景 | 神田明神 曙の景(北緯35度42分7.6秒 東経139度46分5秒) 境内の高台から東へ、明けゆく江戸の町を眺望。 |
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中 | 11. 上野清水堂不忍ノ池 | 上野の清水堂より不忍池を望む(北緯35度42分44.7秒 東経139度46分24.8秒) 寛永寺の清水堂。 |
画面左の奇妙な形の松は「月の松」と呼ばれ、別の画に大きく描かれている。 | |
右 | 12. 上野山した | 上野山下(北緯35度42分37.8秒 東経139度46分24.5秒) 「山下」とは武蔵野台地の東端たる上野公園一帯(“上野のお山”)に対して一段低くなっている上野駅周辺からおそらくABAB上野店のあたりまでの一帯を指した通称。画面左が北へ向かってお山を上る坂道=いわゆる黒門口で、この地形は今でも同じである。 |
揃いの日傘をさして花見に向かう御殿女中の一団が描かれている。 | |
左 | 13. 下谷広小路 | 下谷広小路(したやひろこうじ)(北緯35度42分25.5秒 東経139度46分22.3秒) 手前の商家「いとう松坂屋」は現在の松坂屋上野店。左奥に上野の山が見え、その下、人が芥子粒のように見えるあたりが「12.上野山した」に描かれたポイントにあたる。 |
こちらにも花見の一団が見える。こちらは町人とおぼしき出で立ち。なお広小路というのは防火の目的で道幅を非常に広くとった道路のこと。 | |
中 | 14. 日暮里寺院の林泉 | 日暮里 寺院の林泉(北緯35度43分52.8秒 東経139度45分57.8秒) 寺院とは西日暮里駅西の青雲寺のことで、花見の名所であった。 |
林泉は庭園の意。 | |
右 | 15. 日暮里諏訪の台 | 日暮里 諏訪の台(北緯35度43分52秒 東経139度46分1.2秒) 諏訪の台とは諏方(すわ)神社境内の高台のこと。「15.日暮里寺院の林泉」のすぐ南東にあたる。はるか三河島田圃のむこうに筑波山が見える。 |
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左 | 16. 千駄木団子坂花屋敷 | 千駄木の団子坂と花屋敷(北緯35度43分30.6秒 東経139度45分50.8秒) 東から見ている。画面下に描かれた川はおそらく、現在「団子坂下」交差点のある不忍通りより一本東に入った裏道に相当。 |
坂上の三階建てが通称「花屋敷」と呼ばれた茶亭・紫泉亭。 | |
中 | 17. 飛鳥山北の眺望 | 飛鳥山 北の眺望(北緯35度45分3.3秒 東経139度44分19.3秒) はるかに筑波山を望む。 |
「歌舞酔興、無礼講おかまいなし」とされ、江戸でも屈指の花見の名所であった。 | |
右 | 18. 王子稲荷の社 | 王子稲荷の社(北緯35度45分22.4秒 東経139度44分0.6秒) こちらも筑波山を遠望している。現在では画中家並みの背後あたりを京浜東北線が走る。 |
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左 | 19. 王子音無川堰棣 | 王子 音無川の堰棣(いせき)(北緯35度45分11.5秒 東経139度44分12秒) 石神井川は王子権現(王子神社)の足元あたりに堰堤を設けて滝となっていて、ここから下流を音無川と通称した。付近の流路は現在では変更されているが、ちょうどこの絵のあたりは音無親水公園として渓谷が残されている。公園の西端あたりに滝があったことになる。図は北東からの眺望。 |
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中 | 20. 川口のわたし善光寺 | 川口の渡しから善光寺を望む(北緯35度47分23.4秒 東経139度43分16.1秒) 荒川に新荒川大橋が架かる以前、ほぼ同じ場所で「川口の渡し」が運行していた。埼玉側の善光寺は現存。 |
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右 | 21. 芝愛宕山 | 芝 愛宕山(北緯35度39分52.9秒 東経139度44分55.6秒) 愛宕山の高台から東へ江戸前海を望む。 |
現在はビルに囲まれてしまっているが、当時は高台からの見晴らしが素晴らしかった。フェリックス・ベアトによる幕末期のパノラマ写真が有名である。画中の人物は当時の神事を描いたもの。 | |
左 | 22. 広尾ふる川 | 広尾の古川(北緯35度38分49.8秒 東経139度43分54.8秒) 四ノ橋を手前に置いて西方、天現寺橋方面を望んでいる。 |
一帯には“広尾が原”と呼ばれる田園地が広がっていた。 | |
中 | 23. 目黒千代か池 | 目黒の千代が池(北緯35度38分14.7秒 東経139度42分46.4秒) 現在の目黒区目黒一丁目1番のあたり。現在はあとかたもない。 |
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右 | 24. 目黒新富士 | 目黒新富士(北緯35度38分36.1秒 東経139度42分17.2秒) 現在の目黒区中目黒二丁目1番あたりに富士塚があり、「元富士」(25.参照)より後にできたことから「新富士」と通称された。川のように見えるのは三田用水。いずれも現存しない。 |
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左 | 25. 目黒元不二 | 目黒元富士(北緯35度38分46.9秒 東経139度42分1.9秒) 現在の目黒区上目黒1丁目8番、東急東横線のすぐ西あたり。富士塚は現存しない。 |
こちらも富士信仰による富士塚。 | |
中 | 26. 八景坂鎧掛松 | 八景坂の鎧掛松(よろいがけのまつ)(北緯35度35分20.3秒 東経139度43分39.8秒) 現在のJR大森駅西口付近の池上道(池上通り)沿いに生えていた。眼下に見える街道は東海道=現在の第一京浜(国道15号)で、当時はここまで海が来ていた。 |
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右 | 27. 蒲田の梅園 | 蒲田の梅園(北緯35度33分52.3秒 東経139度43分37秒) 現在の聖跡蒲田梅屋敷公園がその一部にあたる。 |
現在は数十本の梅の木があるのみだが、往時には千株以上植えられていたという。 | |
ファイル:Hiroshige Pruneraie a Kameido.jpg | 左 | 28. 品川御殿やま | 品川 御殿山(北緯35度37分12.3秒 東経139度44分24.7秒) 現在の北品川三丁目5-6番付近を、東の第一京浜のあたりから眺めている形。 |
この時期すでにペリーが来航し、防衛対策として品川台場が築かれていたが、そのための用土は御殿山からも採られた。それによって出現した剥き出しの崖を描いている。 |
中 | 29. 砂むら元八まん | 砂村の元八幡(北緯35度40分8.6秒 東経139度50分15.2秒) 砂村とは海辺の干拓地であった「砂村新田」のことで、後の砂町の南半、現在の南砂全域および東砂六-八丁目に相当。「元八幡」は富賀岡八幡宮のこと。 |
古い八幡社であり、後に分祀の形で深川に富岡八幡宮ができてからは「元」を冠して呼ばれるようになっていた。 | |
右 | 30. 亀戸梅屋舗 | 亀戸の梅屋敷(北緯35度42分18.2秒 東経139度49分25.4秒) 現在の江東区亀戸三丁目50-51番あたり。 |
ゴッホによる模写で非常に有名な作品。 | |
左 | 31. 吾嬬の森連理の梓 | 吾嬬の森 連理の梓(樟)(北緯35度42分18.7秒 東経139度49分33.3秒) 墨田区立花一丁目1番にある吾嬬神社を北十間川から望む。 |
当時は緑深い社森があり、その中にクスノキの巨樹が2本、寄り添うように生えていて、これを日本武尊と弟橘媛に見立て、「連理の樟(くす)」と呼んだ。画題の「梓」はこれを書き間違えたまま定着してしまったもの。 | |
中 | 32. 柳しま | 柳島(北緯35度42分26.5秒 東経139度49分8.1秒) 建物のあるところが「柳島」=現在の墨田区業平五丁目付近。赤塗りの塀は柳島妙見堂こと法性寺、手前の水路は天神川(横十間川)、向こうが北十間川。 |
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右 | 33. 四ツ木通用水引ふね | 四ツ木通り用水の曳舟(北緯35度43分9.7秒 東経139度49分10.2秒) 画中の水路は葛西用水で、業平橋のたもとから北東へ、遠く利根川まで通じていた。そのうち四ツ木村あたりより南をとくに「曳舟川」と呼んだ。現在の曳舟川通りである。絵は北東=四ツ木方面を望んでいるが、詳細な位置は特定できない。 |
名前のとおり曳き舟による移送運搬が盛んで、その様子がよくわかる絵である。 | |
左 | 34. 真乳山山谷堀夜景 | 待乳山(まつちやま)と山谷堀の夜景(北緯35度42分57.3秒 東経139度48分23.1秒) 中央の森は待乳山聖天(まつちやましょうでん)。料亭の灯りに挟まれた水路が山谷堀(現在の山谷堀公園)で、吉原まで舟でゆくことができた。隅田川の対岸=東岸から眺めている。 |
手前の芸者は広重の馴染みを描いたものと伝えられている。 | |
中 | 35. 隅田川水神の森真崎 | 隅田川 水神の森と真先とを一望する(北緯35度43分39.9秒 東経139度48分47.2秒) 真先とは隅田川西岸沿いの地名で、台東区南千住三丁目の東の一角にあたる。白鬚橋の東で明治通りと墨堤通りが交わるあたりから、東岸の水神社(隅田川神社)と西岸の真先とを一望している。 |
白鬚橋はまだなく、同じ場所で運行されていた橋場の渡しへと向かう一行が描かれている。奥に見える舟は水神の渡し。山は筑波山だが、本来はもっとずっと右にあるところ、構図を優先してアレンジしている。 | |
右 | 36. 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図 | 真先の辺より水神の森、内川、関屋の里を見る図(北緯35度43分52.7秒 東経139度48分34.3秒) 右に見える鳥居が水神社(隅田川神社)、内川はその向こうにあった水路の名。関屋は現在の足立区千住関屋町周辺で、画中の再遠景にあたる。真先については「35.隅田川水神の森真崎」を参照。 |
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左 | 37. 墨田河橋場の渡かわら竈 | 隅田川 橋場の渡しと瓦窯(北緯35度43分36.3秒 東経139度48分31秒) 浅草橋場町(台東区橋場一-二丁目のうち川寄りの地域周辺)には今戸焼の窯元が多くあった。川面に見えるのは橋場の渡し。その向こうには水神の森(隅田川神社)、さらに墨堤の桜が見えている。 |
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中 | 38. 廓中東雲 | 廓中の東雲(しののめ)(北緯35度43分24.6秒 東経139度47分41.4秒) 吉原遊廓の内部を描いたもの。手前が「仲之町」と呼ばれる廓内のメインストリートで、妓楼のある枝道から朝帰りの遊び人が出てきたところを描いている。 |
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右 | 39. 吾妻橋金龍山遠望 | 吾妻橋と金龍山の遠望(北緯35度42分58.8秒 東経139度48分19.1秒) 桜橋と言問橋との間あたりから南望。左に吾妻橋と富士山を望み、右に金龍山浅草寺が見えている。 |
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左 | 40. せき口上水端はせを庵椿やま | 関口上水端の芭蕉庵と椿山(北緯35度42分42.5秒 東経139度43分27.4秒) 関口とは「堰口」の意味で、現在の大滝橋の場所に神田川の水を江戸川と神田上水とに分ける大洗堰(おおあらいぜき)があった。そのやや上流北岸が椿山=現在の椿山荘。芭蕉庵はそのふもとにあった。 |
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中 | 41. 市ヶ谷八幡 | 市ヶ谷八幡(北緯35度41分30.3秒 東経139度44分7.5秒) JR市ヶ谷駅前の市ヶ谷橋の上から北西を望むと、八幡社はビルに遮られてしまったものの、ほぼ同じ地形を今でも見ることができる。右下は市ヶ谷橋、左下の水面が市ヶ谷濠、その向こうの道路は現在の外堀通り。 |
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右 | 42. 玉川堤の花 | 玉川堤の花(北緯35度41分18秒 東経139度42分31.8秒) 描かれているのは玉川上水の最下流部で、現在の新宿御苑の北縁に接する道路の位置を流れていた。それを上流へ向かって西望している。右手には甲州街道に面した内藤新宿の遊女屋の、裏庭側が見えている。 |
桜並木は実は内藤新宿の地域プロデュースの一環として依頼された予想図で、実際には実現に至らなかったとも言われている。 |