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大平国祐の参考文献について
[編集]こんにちは。さて、Taipeさんが編集された大平国祐の記事において、『和田正数・宮武貞一「戦国武将 大平伊賀守国祐 正伝」郷土史研究豊浜 平成元年1月15日』、『大平氏系図(大平氏所蔵)』という2つの参考文献が挙げられていますが、2つとも書名や著者名等で検索しても文献の書誌情報が見つかりません。この2つの文献は、一体どういう文献なのでしょうか。これらの文献が、図書館などに所蔵され、誰でも閲覧できるものであればよいのですが、もし自費出版・私家本、個人所蔵の史料などである場合、Wikipedia:検証可能性に基づき、出典として適切でないとも思われます。この点、回答をいただけると幸いです。--松茸(会話) 2013年9月11日 (水) 13:41 (UTC)
こんばんは。初めまして。わたくしTaipeは、国祐の子孫にあたる者です。さてご指摘の件ですが、「国祐正伝」については、両氏が研究された論文かと思われます。祖父(故人)が、宮武貞一本人から、冊子にしたものを貰ったものです。宮武氏は香川県三豊郡の方で、もしくは、この論文は豊浜の資料館などにあるかもしれませんが、まったくの未確認です。また、系図に関しては、当家(本家)に伝わる個人所蔵の古資料です。両資料が参考文献として不適切なれば、削除致します。また、これら資料に基づき記事を作成しましたので、記事も削除したほうが良いですか?ご教示くだされば幸いです。ちなみに、「国祐正伝」には、国祐寺縁起原文、観音堂縁起原文、大平舎人祐甫古文書原文なども掲載されております。わたくしは、歴史研究などに関係をもったことのない素人なので、ご迷惑をお掛けしていれば、お詫び申し上げます。--以上の署名の無いコメントは、Taipe(会話・投稿記録)さんによるものです。2013年9月11日 (水) 14:19 (UTC)
- ご回答ありがとうございます。件の参考文献ですが、そういった状況であれば「誰でも参照可能」というわけでは無さそうなので、資料として用いるのは適切ではないように思います(「宮武貞一」氏についても、検索してもほぼ出てこないことから、在野の郷土史家とかで無名の方と思われますし)。大平国祐の人物自体は、記事として立項できるWikipedia:特筆性の点からは問題ないとみられるため、図書館所蔵資料などのわりあい誰でも参照可能な文献の類を用いれば、記事自体を削除する必要はないのではないかと思われます。--松茸(会話) 2013年9月11日 (水) 15:05 (UTC)
- ご教示ありがとうございます。早速、参考文献の項を修正致します。先出の「国祐正伝」執筆の元史料を掲載します。ほぼ公になっている史料かと思いますので、規約にあっているかと存じます。記事内容やその他に間違いや要修正箇所等ありましたら、松茸さんのお力をもって改新していただければ、重ねて幸いです。ありがとうございました。--Taipe