利用者‐会話:Reserve
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こんにちは、Reserveさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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「アラトリステ(映画)」における編集について
[編集]- 本文中にrefタグを使って挿入されていたコメントをノートページに転載しました。あの種のコメントはコメントアウトタグを使うか、ノートページに書き込んでください。Help:脚注もご一読ください。
- ウィキペディアにおける検証可能性の概念をまだよく理解されていないようです。いま手元にはないので再確認は出来ませんが、あなたが「確認出来ない」として削除された人物の名前は日本版DVDのパッケージに字幕監修者として明記されていたと思います。そのような人物が「ミスを見落としてしまった」と自己のウェブログに書いている、という事実は、実際にミスが一つだけであるかどうかという問題とは無関係に、ウィキペディアには一つの事実として掲載することが出来ます(おそらく名誉毀損にも該当しないと思いますし)。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 12:00 (UTC)
- 独自研究をウィキペディアに書き込まないようご注意ください。仮にあなたがこの映画の監督や制作会社にこの作品の「正しい解釈」を問い合わせて何らかの回答が得られたとしても、それはウィキペディアでは独自研究と見なされるので、その回答をあなたが雑誌等に発表するというステップを踏まない限り、ウィキペディアに書き込むことは出来ません。ウィキペディアの公式方針「検証可能性」には以下のように、その種の行為を明快に禁じる表現があります。
検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。
- また、問題のブログの記述のある部分(特殊な翻訳システムの存在)は信用出来るものとして扱っておられる一方、別の部分(「別物に近い」という記述)は信用出来ないものとしておられるのも、あなたの独自の考察が入っていることになります。ウィキペディアに一次資料からの情報を示す際には「ここにこのように書かれていた」と書くことが肝要であり、その一次資料の記述の中で信用出来る部分と信用出来ない部分をあなたが仕分けして、「ここは信用出来ないから書いてはいけない」「ここは信用出来る」とすることは、あなたの「独自研究」になります。
- あなたがその存在を第三者の検証も必要とせずに信じておられるところの「特殊な翻訳システム」を紹介したいのであれば、映画ではなく原作の記事に、問題のブログを引用して「この作品は、このブログによれば、以下のような特殊な翻訳システムを採用して邦訳された」と書くことが可能です。--Uniontour 2009年11月21日 (土) 23:51 (UTC)
コメント依頼を行いました
[編集]あなたがウィキペディア上で誤訳の有無の検証をしようとしておられる件についてのコメント依頼を行いました。Wikipedia:コメント依頼/Reserveにて議論を行いますので、よろしくお願いいたします。--Uniontour 2009年11月22日 (日) 23:12 (UTC)
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- ウィキペディアにおける検証可能性の概念をまだよく理解されていないようです。いま手元にはないので再確認は出来ませんが、あなたが「確認出来ない」として削除された人物の名前は日本版DVDのパッケージに字幕監修者として明記されていたと思います。そのような人物が「ミスを見落としてしまった」と自己のウェブログに書いている、という事実は、実際にミスが一つだけであるかどうかという問題とは無関係に、ウィキペディアには一つの事実として掲載することが出来ます(おそらく名誉毀損にも該当しないと思いますし)。--Uniontour 2009年11月19日 (木) 12:00 (UTC)
- 独自研究をウィキペディアに書き込まないようご注意ください。仮にあなたがこの映画の監督や制作会社にこの作品の「正しい解釈」を問い合わせて何らかの回答が得られたとしても、それはウィキペディアでは独自研究と見なされるので、その回答をあなたが雑誌等に発表するというステップを踏まない限り、ウィキペディアに書き込むことは出来ません。ウィキペディアの公式方針「検証可能性」には以下のように、その種の行為を明快に禁じる表現があります。
検証可能であることと真実であることの違いは、次の例で見ればよくわかるでしょう。あなたは、ある著名な物理学者の「X理論」についてウィキペディアの記事を書いているとします。X理論は査読審査を経て学術誌に掲載されており、したがってウィキペディアの記事として適しています。ところが、執筆中にあなたがその学者に連絡をとったところ「実を言うと、今ではX理論は完全に誤りだと考えています。」と言われてしまいます。あなたが原著者本人からこれを聴いたとしても、彼がそう言ったという事実をウィキペディアに書いてはいけません。
- また、問題のブログの記述のある部分(特殊な翻訳システムの存在)は信用出来るものとして扱っておられる一方、別の部分(「別物に近い」という記述)は信用出来ないものとしておられるのも、あなたの独自の考察が入っていることになります。ウィキペディアに一次資料からの情報を示す際には「ここにこのように書かれていた」と書くことが肝要であり、その一次資料の記述の中で信用出来る部分と信用出来ない部分をあなたが仕分けして、「ここは信用出来ないから書いてはいけない」「ここは信用出来る」とすることは、あなたの「独自研究」になります。
- あなたがその存在を第三者の検証も必要とせずに信じておられるところの「特殊な翻訳システム」を紹介したいのであれば、映画ではなく原作の記事に、問題のブログを引用して「この作品は、このブログによれば、以下のような特殊な翻訳システムを採用して邦訳された」と書くことが可能です。--Uniontour 2009年11月21日 (土) 23:51 (UTC)
コメント依頼を行いました
[編集]あなたがウィキペディア上で誤訳の有無の検証をしようとしておられる件についてのコメント依頼を行いました。Wikipedia:コメント依頼/Reserveにて議論を行いますので、よろしくお願いいたします。--Uniontour 2009年11月22日 (日) 23:12 (UTC)
存命人物の伝記について
[編集]加藤晃生氏は存命の人物です。ウィキペディアでは存命の人物に関する記述には厳重な制限があります。当該人物についての記事のみならず、あらゆる記事およびノートにおいて、存命の人物についての確実な出典の無い否定的な記述を書き込むことは禁止されています。存命人物の伝記を熟読してください。あなたがノート:アラトリステ (映画)に書き込まれた加藤氏についての否定的な記述は、本来なら即時削除の対象になりますが、あなたの行為についてのコメント依頼が進行中ですので現在はコメントアウトしてあります(コメント依頼が終了した時点で削除いたします)。また、ウィキペディアのノートは記事を改善するために存在しているもので、あなたが佐藤恵子氏や加藤氏についての批評を開陳する場ではありません。ウィキペディアは何ではないかも熟読願います。よろしくお願いいたします。--Uniontour 2009年11月26日 (木) 10:50 (UTC)
- 存命人物の伝記に関するウィキペディア公式方針に従い、あなたが書き込まれた独自研究に基づく加藤氏についての憶測を除去いたしました。また、ウィキペディアの各種公式方針に従う意志が見られませんので、あなたについての投稿ブロックを提案いたしました。私に対する個人攻撃も即刻中止してください。以上、お知らせとお願いまで。--Uniontour 2009年11月26日 (木) 23:25 (UTC)