コンテンツにスキップ

利用者‐会話:Kmns

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

ウィキペディアにようこそ!

[編集]

こんにちはKmnsさん、はじめまして!ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたら井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に会話ページに何も記入されていない方に投稿しております。Kmnsさんが、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、ご存知のことばかりをご案内したかもしれません。不明をお詫び申し上げます。--Uban 2006年10月1日 (日) 20:55 (UTC)[返信]


日本語の秀逸な記事の選考へ向けて

[編集]

以前、「保留」の票を頂きましたが、この度、主たる執筆者の方から、執筆の目標は、おおむね達せられたとの旨を頂きましたので、再評価をお願いします。--Damena 2007年2月15日 (木) 05:58 (UTC)[返信]

字体とかなづかい

[編集]

おうかがいしたいのですが、前にも、何人かの方にも感じられたのですが、康煕字典体を「字」、歴史的仮名遣を「かな」と呼ぶ根拠は何でしょうか。漢字のほうはわからなくもないのですが、かなづかいのほうは、「定家かなづかい」も存在するのですし、いわゆる「上代特殊かなづかい」や、「あめつち歌」レベルのかなづかいも、理論的にはありえると考えると、どうなのかなと思うのですが。旧かな使用の方とお見受けしましたので、失礼ながら質問させていただきました。 --ねこぱんだ 2007年3月16日 (金) 00:25 (UTC)[返信]

正字正假名遣といふのか戦前の表記に切替へたのは東京法令出版『月刊國語教育』に寄稿しはじめた平成17年8月からで、假名遣は手引書を片手にのよちよち歩き、字體は表を用意しての一括變換でした。しかし、學術的なところや國際的な場では新字體を引っ込めるべきだと、これは昔から考へてゐたことで、[「私の國語論」] の六「我國の漢字體系に簡體字は異質」でも書いたことでした。もちろん新字體で育った人間ですので、正字も新字體もかなりいいかげんではあります。假名遣については傳統的假名遣と呼んでをります。[井の中の蛙] のコメント13, 14, 15 をご參照願ひます。Kmns 2007年3月18日 (日) 00:21 (UTC)[返信]
補足です。康煕字典體を正字と呼ぶことに對して「判らなくもない」との仰せ、私もその點では同じやうに感じるものです。康煕字典體と正字とまったく同一だとは思はないのですが、漢和辭典で、新字體を親字として舊字體を異體字のごとく小さく掲げてゐるのには違和感をもちます。辭書が役所のお触れで左右されるのは變だと思ふのです。ですから役所で舊字體であると差別されても正字と言ふのに全く抵抗がありません。假名遣については傳統的假名遣と呼ぶと申しましたが、漢字と假名遣とを併せて言ふときは正字正假名遣と言ふことが多い。なほ、お氣づきでせうが、拗促音は小書きにしてゐるので厳密に言へば傳統的假名遣とは異なります。拗促音は小書きの方が入力が樂なのですが情報的に豊富だとの考へもあります。小書きを並字に變換するのは簡單。逆はできない。傳統的假名遣とローマ字の相性は非常に高い。恐らく現代假名遣はさう高くはない。しかし拗促音が小書きでないとローマ字との相互變換は難しいと思ふのです。Kmns 2007年3月21日 (水) 11:34 (UTC)[返信]

見たことのない漢字ばかりで何を言っているのかさっぱりわかりません。゛せめてこういうときは現代の表記をするべきです。211.1.193.111 2007年7月5日 (木) 10:56 (UTC)[返信]

「見たことのない漢字ばかりで」といふこと、お氣持はよく判ります。「せめてこういうときは現代の表記」をすべきかもしれません。しかし、こういふふうに考へて貰へませんか。「せめて」といふ譲歩を何時しないで善くなるのか。私も戦後の教育を受けた者で、現代のものを讀む。だから慣れてゐるといふ點では餘り變りはないと思ひます。最近これではいけないと思ふやうになって、或る意味、努力してゐるのです。終戦直後の人は、「見たことのない漢字ばかりで」教育することを強制されたわけです。親と子供と断絶が起きたとき、親の方が「新しい字を知らないのが悪い」と譲ったわけです。同じことは大陸中國でもあった。その結果どうなったか。東京駅の案内版には日本人用の漢字と、大陸中國人用の漢字と二回表示されてゐるわけです。臺灣の人にはどちらも見慣れない漢字なのです。そして、國語教育の崩壊が取りざたされる。「見たことのない漢字」と現代の漢字は典型的には字體の問題。筆記するときの便法上の形を活字體に採用した。これは漢字廢止の一里塚としての略字體の採用であったので網羅的ではない。漢字の使用は止めるのが原則だが、例外的に一部の漢字の使用を認め、表で定めた。専門のことを議論する場合は表内字では足りない。表外字も使ふ。字體を混ぜるのは變だし、表内字といふのは漢字全體からすれば少數派。まあこのやうに考へたわけです。Kmns 2007年7月31日 (火) 14:41 (UTC)[返信]

お返事

[編集]

ikedat76です。私の会話ページへのメッセージ拝見しました。失礼ですが、「本日、貴殿に教へていただいた頁」とは具体的にどこのページなのかリンクを示していただけないでしょうか。単に「本日、貴殿に教へていただいた頁」と言われても見当がつきかねます。

それともう一点。以前に申し上げたかどうか記憶が定かではありませんが、KmnsさんのWikipediaへの参加の仕方について苦言を申し上げるべきだと存じます。

第1に、Kmnsさんの投稿履歴(Special:Contributions/Kmns)を拝見しましたが、初投稿のあった2006年10月より1年以上が経過するにもかかわらず、記事空間への投稿が1件もない、すなわち1件も記事の編集をしておられません。当然ご存知だろうと思いつつ申し上げるのですが、Wikipediaは百科事典を編纂するプロジェクトであり、参加されるからには記事を編集していただかなければなりません。Kmnsさんの現状の参加の仕方に非常に疑問を感じますし、場合によっては目的外の参加者として投稿ブロックとされる可能性もないわけではありません。その意味で、ぜひ参加の仕方を見直していただきたく存じます。

第2に、Kmnsさんは日本語論・国語論にお詳しい方と存じます(私はその方面の知識がないので用語が変かもしれませんがご容赦ください)が、Wikipedia日本語版は現代仮名遣いで書くことを原則としていますのでそれに従っていただく必要があります。Wikipediaへの参加は無制限に自由ではなく、さまざまの方針に従っていただける方に対してのみ開かれているのです。また、そうしたユーザー独自の考えを通そうと論陣をはる場所でもありません(WP:NOT#ウィキペディアは演説をする場所ではありません参照)。もしそうしたことに高い知見をお持ちなのでしたら、記事の執筆という形で貢献されることをお勧めします。もちろん、その際には中立性の指針に注意していただき、旧仮名遣いを「善い」こととするような論述はできないということにご注意ください。

Kmnsさんの専門分野に疎い人間ですので、Kmnsさんの仰りたいことを適切に捕らえているかどうかわかりませんが、ご配慮ください。--ikedat76 2007年12月12日 (水) 12:33 (UTC)[返信]

拜復

[編集]

ikedat76樣 早速の御返事ありがたうございます。

署名の仕方を教はったのは ノート:ローマ字論/過去ログ擴張ヘボン式#このページで發言される方へのお願い です。ここに過去ログが二つありますが、この二つが同一内容なのです。ひょっとしたら上書きされてしまったのかもしれません。

なほ、苦言もそのときいただいてをります。そのとき申上げた状況からまだ拔け出せないでをります。

以上のこと、御貴殿の會話頁へ認めました。かかる場合はどちらへ書込むべきか判らぬままに重複いたしますが、ここにも書込む次第です。Kmns 2007年12月12日 (水) 14:24 (UTC)[返信]

第3者が会話の流れを追うのが困難にならないような仕方であれば問題ありません。相手のメッセージの下に(上でKmnsさんがされているように)返事を付けても大丈夫です。逆に、誰かからメッセージを受けて相手のページで答えるのであれば、「(相手の名前)さんの会話ページでお返事しました」位のことを一筆記して置けばよいかと思います(今回はKmnsさんのページで続けることにしましょう)。それから「拝復」なんて形式ばる必要はありませんので、どうぞお気遣いなく。
おたずねのページはノート:ローマ字論のことですね。まず、問題点を確認させてください。当該ノートには過去ログが2つあること、内容がまったく同一である点は私も確認しました。次に、(1) 過去ログとして内容は完全でしょうか。つまり、過去ログが作成される以前に当該ノートに記載されていた内容が、漏れなく過去ログに収められているでしょうか。(2) もし完全なのであれば、どちらかを削除することも出来るかもしれませんが、どちらかを削除とすることを希望されるでしょうか。2点お願いいたします。
上記、生意気な苦言など申しましたが、その件について。あまりくどくは述べませんが、試行錯誤や思慮をめぐらす作業場所としてWikipediaをお使いになるのは、やはりWikipediaの目的外使用でよくないと思っています。Wikipediaのすべてのリソースは百科事典編纂のために用意されているものであることにご注意ください。その意味では、思慮をめぐらして頂くのは、Wikipedia上ではなく、オフラインでやっていただき、その末に出てきたアウトプットを(もちろん裏付けを伴って)書いていただくという形で貢献していただきたいと思っています。せっかく専門知識をお持ちなのに、それが記事編集という形でプロジェクトへの貢献にならないのはもったいないと思っております。--ikedat76 2007年12月12日 (水) 14:32 (UTC)[返信]
二つの過去ログが異なる内容であるべきでした。實は、一度過去ログに疊込まれて、それ以降に書込んだものは、「擴張ヘボン式 その後」といふ見出しの新しい頁でした。それがノート:表記ガイド##問題の整理 を書いた直後に疊込まれた。疊込まれたと思ったけれど内容は最初の過去ログと同一だったといふわけです。書込んだものはほとんど手許に記録がありますし再現できなくはないのですが、ノートの利用方法としては相當異質なものとの自覺もありますので、一應管理者の意を知りたく思ってゐる次第です。
今迄書込んだことは、然るべき項目の材料となり得るやうなものもひょっとしたらあったかもしれませんし、それに實際の記述に影響した場合も、これは確かにあったのですが、ことが表記にかかはることなので、ノートにしか書込まないといふ枠を自分に課してゐるわけです。節をまげてでも書いてもよいと思ふのはローマ字のことですが、擴張ヘボン式について觸れることができるのかどうか。これもご法度だと理解してをります。消滅した「擴張ヘボン式 その後」には[ローマ字變換]など擴張ヘボン式を採り上げたところを三ヶ所、それから轉寫例として ノート:戰友#歌詞について (12月8日作成)も擧げたのでした。これらは、自分でローマ字論を書く資格がないと思ひながら「ローマ字論」の執筆者には知ってゐてほしいとの氣持からでした。
ですから二番目のもの削除し、「その後」を復元してから再度疊込む、さういふことが可能なら、それが一番だと思ってゐます。
なほ、新字體現代假名遣といふしばりは、ウィキペディアだけでなく、凡そあらゆるメディアに共通するものですから、なかなか、オフラインでいふことは難しいのです。事情ご賢察願ひます。Kmns 2007年12月12日 (水) 15:22 (UTC)[返信]

過去ログの問題点については了解しました。ただし、過去ログの作成の仕方に(Wikipedia:著作権上の)問題点がある可能性があると思われますので、両方とも削除してから過去ログを再作成しなければならないかもしれません。ノートページの履歴から過去の記述をたどることは可能です(=過去ログは再作成できる)ので、一度過去ログを削除依頼に提出しますが、よろしいでしょうか。

それから、「ノートの利用方法としては相當異質なものとの自覺もありますので、一應管理者の意を知りたく思ってゐる次第です」とのことですが、そうした意味ではWikipedia:コメント依頼Wikipedia:井戸端でコミュニティの意見を募った方が適切と思われます。そちらで意見を募ってみてはいかがでしょうか。--ikedat76 2007年12月12日 (水) 15:29 (UTC)[返信]

削除のこと、何分宜しくお願ひします。
復元といふことを嚴密に考へないでよければ、推敲してと思います。
それからノートは從前通りにつかって行きたいのですが。擴張ヘボン式そのものを書くことは、ノートであっても遠慮してゐます。管理者からおとがめがあればその時點で對應するといふのでどうでせう。Kmns 2007年12月12日 (水) 15:53 (UTC)[返信]
削除依頼のほうは私から提出いたします(結論がどうなるかは分かりませんが)。また、過去ログであるという性質上、過去の記載に手を入れることはお控えください。第1に、それでは過去ログになりませんし、第2に当該ノートのスペースや記述はKmnsさんの所有物ではありませんので、ご了承ください。
ノートの使い方ですが、コメント依頼ないし井戸端におたずねになってください。管理者に何か言われたら何とかしよう、という姿勢は賛同しかねますし、Wikipediaにおける管理者についてやや誤解があるようにも見受けられます。--ikedat76 2007年12月12日 (水) 16:14 (UTC)[返信]
敏速な對應、有難うございます。コメント依頼の件、ご指示に從ふつもりですが、舌足らずだったと思ひますので、補足までに。
本ノートへ書込みしたものはkmns一人で、それに對する反論も質問も共感を示すやうなものも何一つなかったこと。それから、管理者の意を氣にしたのは、二番目の過去ログになる筈の部分の消去に拘った方といふ意味の定冠詞のある管理者のつもりでした。消去は事故だったのでせうかといふつもりです。
實は、英語教育について論じた部分など、もっと澤山書いたのですが、サイズオーバーの警告が出るつど、削除しては書き直してゐたところ、過去ログに疊込まれて、以後修正まかりならぬとなったわけです。外部から、本頁へリンクを張ってゐるところのこと、これはウィキペディアの關知することではないでせう。Kmns 2007年12月12日 (水) 21:34 (UTC)[返信]

關數か函數

[編集]

ご丁寧なご案内恐縮致します。拝読させていただきます。御返事遅れまして失礼致しました。--Tokyo Watcher 2007年12月14日 (金) 11:11 (UTC)[返信]

わざわざの御返事有難うございます。wikipedia が wiki-encyclopaedia であるなら、知は圓環するものですから、いろいろのことが關係する。表記のことはどうも部分最適で進められてきてゐるやうな氣がいたします。これこれの問題だから、どこそこで議論すべきだといふ風に問題を立ててしまふと、それは或る路線に沿った議論にしかならない。その路線そのものが問題ではないかといふやうな議論がなかなかできません。是非、參加をお願ひします。Kmns 2007年12月15日 (土) 00:32 (UTC)[返信]
放物線では真っすぐに落ちます。関数は必ず答えがでますが、函数の場合は解なしもありえます。という理解ではいかがでしょうか?--FUBUKI 2008年1月1日 (火) 16:36 (UTC)[返信]
いや、面白いですね。やはり表記の違ひから意味の違ひにまで行く。もともとfunctionの音譯ですから意味の違ひはないのだと思ひます。表記改革は漢字廢止のための一里塚として部分最適で進められてきた。漢字を廢止すべしとする技術的制約はなくなった。だからと言って函數に戻すべきだとするのもウィキペディアの任ではない。どちらも竝び行はれてゐる以上、書き手の判斷によるより仕方がないのではないでせうか。それぞれの學會の長老に、今あらためて議論して貰へばどちらを選ぶでせうか。書き手の判斷が變れば移せばよい。しかし行ったり來たりでは落ち着かない。出來得べくんば、兩者の關係を抑へた上で函數を選んだ場合は、その選擇を尊重するとしてほしい。知らないうちは關數でも善しとするわけです。それが結局のところ知を尊ぶことだと思ふ。全く異なる問題ですが、外來語の表記にヴァが認められたからと violin をヴァイオリンと書く人がある。一度バイオリンといふ形が現れたからには、それが日本語音韻に馴化した形だと考へて今さらにヴァイオリンと書くことはないと思ふわけです。ヴァにはそれだけ不安定さがある。關數といふ表記にもそれを感じるのです。漢和辭典だと新字體と舊字體を扱ふ場合に新字體を親字とし、舊字體を解説に準じて小振りの字で表示するものが多い。正字を親字として略字を小振りの方にすべきではないかと思ふ。さうでないと、文部省が字の分類を變へる都度、それに併せて辭書を組替へねばならなくなる。Kmns 2008年1月2日 (水) 06:33 (UTC)[返信]
丁寧なご教示ありがとうございます。私は英語が理解ができず、ドイツ語をへて漸く理解ができた経験をもちます。その理由は、漢字をそれぞれ意味で解釈して記憶して考えるということに慣れきっていたためでしょう。その点ドイツ語は短い語幹の組み合わせで、様々な意味を表す点では漢字の西洋版に思え理解が単語単位でできたと、時制についてかなりゆるい規制であったことなどが理由だと思います(そして発音で長音があったことも理由のひとつだと思います)。「表記の違ひから意味の違ひにまで行く」というのは、当然の成り行きというより、何故その字か?と絶えず考え、意味的な記憶によって学習してきた為かも知れません。そういう点で、意味づけをした言葉が、実は単に音を当てただけと言われると、がっかりしてしまいます。
中華人民共和国の簡体字には、ついてゆけないものを感じますが、考えてみれば日本も似たようなことはしているわけですね。略字は正字を知ってこそ、という考えは正論だと思います。しかし、中国が漢字の学びやすさを重視して簡体字にしたことも「学習の負担を全ての人民が負えるわけではないから」という当時の理由からは頷けます。ただ、今後ワープロで漢字を打つだけになるなら、むしろ正字を知識として正しく身に着ければより豊かな表現を、機械で簡単にできるわけで、中国は少し早まったかも知れません。無論両方が使えれば良いことに違いはありません。私も含めて難しい漢字が、戦前の人に比べて読めないのは、学校で漢文を放棄したのが悪いのかな?とも思いますが、逆に中国が今のように身近になると、今度は、日本語で漢文をやる必要があるのかな?とも思え(字も少しづつ違いますし)、私の考えも混乱します。もっとも、「知らないうちは關數でも善し」なのなら、私には当分(一生?)正字の知識の欠如で困ることはなさそうですが。まだまだ、上の文章で教えて頂きたいことやご意見を頂きたいこともあります。ご迷惑でなければ、またご教示いただけますように(メールでやれと文句が出そうですが、編集の基礎知識としてなら良いのではないのかなと長文で失礼しました)。--FUBUKI 2008年1月2日 (水) 20:04 (UTC)[返信]

戦友の歌詞について

[編集]

日本語の歌詞なのですが、ノートでは箱に入っているようです。あれを歌詞として本文ページに載せるのは何か問題があるのでしょうか?--FUBUKI 2008年1月1日 (火) 16:13 (UTC)[返信]

いや、別に問題はないのですが、ローマ字轉寫を附す必然性がないのが氣になります。「ローマ字論」のノートで擴張ヘボン式について書いてゐますが、實例も要綱も遠慮して書いてゐない。戰友の歌詞といふ別のところならばお目こぼしもあらうかと思ってのこと。もし、そのまま移して貰へるのなら、どうぞさうなさって下さい。Kmns 2008年1月2日 (水) 05:08 (UTC)[返信]

警告

[編集]

簡潔に言います。記事に付属するノートページは記事の編集方針を他ユーザーと討論するために用意されています。あなたの個人的なノートやホームページ、ブログ等のような使い方を許すためのものではありません。今の様な“参加”の仕方は直ちにお止めください。

コメント依頼を提出するというご発言を踏まえて、しばらくは投稿を控えられるだろうと私は信じていました。しかし、その後も依然として私的なノートであるかのような使い方をお止めになっていないことを大変残念だと申し上げざるを得ません。これ以上続けるようであれば、参加をご遠慮いただくための手続き(Wikipedia:投稿ブロック)を開始することも考慮いたします。

あなたに当該の専門分野について知識があり、なおかつWikipediaへの参加を望まれるのであれば、記事の執筆を通じて行ってください。記事の執筆に至らない段階の個人的な考察や逡巡は、Wikipediaのリソースを使わずに他所でやってください。記事の執筆が出来ない/しないのであればWikipediaへ参加するべきでもないし、Wikipedia上のいかなる場所でも発言するべきではないし、Wikipediaの如何なるリソースをも使用してはなりません。--Ikedat76 2008年1月2日 (水) 17:52 (UTC)[返信]

長文になったのは私の責任です。当ページの方に責任はありません。また、私も当ページの方には、文語体で軍歌「戦友」の仮名部分を旧仮名づかいによって歌詞をぜひ再現していただくつもりでいましたが、おもわずゆかしくなって長文になったのです。

ところで、貴方でも結構ですが、歌詞のローマ字表記について、その長音の部分についてそれを強音でしか理解できない英語圏の人にいかに伝えるべきか、ご教示いただければ幸いです。

--FUBUKI 2008年1月2日 (水) 20:18 (UTC)[返信]

いやikedat76さんの言はれる長文は「ローマ字論」のノートのことなので私の責任です。コメント依頼を出して、どなたからもコメントがないので少し資料のつもりで書いてしまひました。管理人の言はれることも判りますので追ってお沙汰のあるまで謹愼することとします。--Kmns 2008年1月3日 (木) 02:03 (UTC)[返信]