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利用者‐会話:KAZUMI

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ウィキペディアにようこそ!

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こんにちは、KAZUMIさん、はじめまして!ウィキペディアへようこそ

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。

Welcome to Japanese Wikipedia. If you are not a Japanese-speaker and expect further information, visit Wikipedia:Chatsubo for Non-Japanese Speakers. Enjoy!

なお、このメッセージは主に利用者‐会話ページに何も記入されていない方に投稿しておりますので、すでに活動を開始されてから期間が経っていらっしゃるのでしたら、お詫びいたします。--ようこそ 2006年2月5日 (日) 04:38 (UTC)[返信]

えきすとら』での編集について

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こんにちは、MiraModreno会話)と申します。あなたは2012年8月28日 (火) 10:16 (UTC)の版で、主題歌に関しての説明を復活させましたね。余計な説明は書かないでください。最初は主題歌の説明のはずだったのがなぜか映画に方向転換されてしまったのです。主題歌について記事を立ち上げたいのなら「えきすとら (曲)」を立ち上げればいかがですか? どうせ削除依頼に掛けられかねませんがね。--MiraModreno会話2012年10月16日 (火) 03:18 (UTC)[返信]

署名について

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こんばんは、井戸端の方ではどうも。ウィキペディアでの署名は、基本的に--~~~~をご利用ください。これをコメントの末尾に貼付して投稿しますと、自動的に投稿時刻を含めた署名に展開されます。編集画面上部の鉛筆アイコンで挿入することも可能です。--Hman会話2012年10月16日 (火) 14:50 (UTC)[返信]

失礼しました。ウッカリしておりました。--KAZUMI 2012年10月16日 (火) 14:59 (UTC)

『OK牧場の決闘』中の記事について

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迷ったのですが、上記記事の内容についてKAZUMI様に相談させていただきます。

2013年3月28日 (木) 08:16にOda622さんによって書き込まれている「ワイアット・アープとジョン・ウェインの接点」について疑問をもっています。

ジョン・フォードの孫のダン・フォードが書いた「ジョン・フォード伝 おやじと呼ばれた映画監督」文藝春秋 ISBN4-16-341320-0 によると

  • ジョン・ウェイン(当時はまだマリオン・モリソン若しくは「デューク」ですが)が映画界と接点を持つのは、南カルフォルニア大学二年生の時の夏のバイトで大道具係りの手伝いをしたのが最初で、これが1928年の夏。この時はまだ弁護士になるつもりでした。
  • 「デューク」がエキストラとして初めてスクリーンに出るのは、1929年の4月から制作が始まった『最敬礼』です。これは士官学校対抗フットボール戦の映画で、この映画の試合シーン撮影のエキストラに南カルフォルニア大学のフットボールチームを使いたいと考えたジョン・フォードが、フットボール奨学生の「デューク」に大学側との交渉と出演者集めをさせた御褒美です。当時彼は「小道具係」でしたが、エキストラとしてちらと出ることで、メリーランド州のアナポリスにある士官学校で行われる長期ロケに同行できるのと、プラスで出演料ももらえるわけです。このころになると「デューク」は法曹界へのコネの無さから、映画業界への道を進むことを考え始めていますが、役者になる気は全く無く、監督志望でした。
  • ワイアット・アープが亡くなったのは1929年の1月です。

と、いうことで、時間的にはギリギリ会っている可能性が無くはないですが、「大道具係手伝いのバイト学生」若しくは「小道具係」に決闘の演技指導をするとは思えません、記述的にかなり疑わしいと思うのですがどうでしょうか。--Kurononorite会話2013年8月22日 (木) 14:30 (UTC)[返信]

はじめまして、『荒野の決闘』の記事におけるあなたの活躍を微笑ましく見ておりました。私が『OK牧場の決闘』の記事を書き起こした為に、その専門家と考えていらっしゃるのは無理もありませんが、私は実はこの件に関しては、タダの好事家にすぎず、正確な資料を持っておりません。だから、くだんの件に関しても特に反対の書き込みや修正を行いませんでした。個人的には、この時代の西部人は大言壮語というか、自分を大きく見せる事が普通だということもあり、その辺は戸籍など無い日本人とは根本的に感覚の違う人達の言うことであって、「演技指導」など行うわけは無いとは思うものの、例えば「お前ら知っているか?本当に銃を持って相対した時のことを?」などといった世間話がなかったとも言い切れません。もし、ジョン・ウエインの伝記的なものにそういった事が書かれていたとしたら、私はこの程度のことだと考えます。また、アメリカの史実家のスタンスとして、史実研究には映画等のフィクションの話を語る事は無い、ということもあり、その辺の記述は却って、ジョン・ウェイン研究家のほうが詳しいのではないかと思います。お役に立てなくて申し訳ございません。--KAZUMI 2013年8月23日 (金) 00:14 (UTC)