利用者‐会話:Bvbvfvdv
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Knockの聖母について
[編集]+主の平安 ご意見色々ありがとうございました。 Knockの読み方についてはクノック(リンクになっていますクリックして下さい。)という記事がある限り、私にはクノックの聖母と言う記事名にするしかありません。Wikipediaにはそれなりのルールがあり、それに従うしかないのです。 ですから私なりにクノックの聖母(リンクになっています。)はあの程度しか直せません。メイヨー州はたぶん、私が直しても、他の人がまたメイヨー州に直してしまうでしょう。
私がなぜ聖母の御出現をWikipediaの日本語版に載せているかは、日本のカトリック信者のためです。正しい発音より、その御出現の事実を日本のカトリック信者に知らしめるためにやっていることです。マリア様が地上に御出現になり、奇蹟を起こすのは、地上に大勢いるトマスさんたちのためではないでしょうか。奇しき薔薇の聖母として聖母は奇蹟を求める地上の人々をお嘆きです。でもそれが一番効果的なので、私は記事を書き続けています。
マリア様のため?とんでもない!そんな僭越なことではありません。マリア様の手足として、やっていることです。
それと地名・人名は現地発音に近いものを選ぶことが日本のWikipediaのルールになっているので、気になったところは編集して戴いて戴ければ幸いです。 マリア様の心。それは白百合でもウグイスでもサファイアでもない場合があります。 悪魔の化身、蛇の頭を踏み砕くお方なのです。ウィキペディアに御出現の記事を載せ続けるのは、トマスさんたちの手を御子の脇腹につっこませるお方なのです。 私はその手足なのです。多々ある間違いは、他のマリア様の手足にお任せするようにしているだけなのです。
マリア様の手足は千手観音の数千倍もあるのです。よろしければあなたもマリア様の手足となって、正しいと思われないWikipediaの個所は直して見て下さい。 直し方はお分かりの様でね。
それと、私が教区と司教区、教区司祭にこだわるのは、それが日本のカトリック教会の風習だからです。それはお分かり頂けるでしょうね。 普通の教会なら小教区と書き直しますがあそこではどう考えても司教区としかはんだんできなかったからあのように書きました。 それでも間違いだとおっしゃるなら、それは直して頂いて結構です。
色々生意気な事を書いたかもしれません。
主の平和があなたと共にありますように。
--Ann Clara(会話) 2015年10月16日 (金) 09:57 (UTC)
クノックの聖母について
[編集]え~そうですか。それはそのウィキの方が間違ってますね~。外国のウィキを翻訳する時は他の日本語のウィキは参考程度にしかなりません。実際によくある事ですが名前や地名は「ものすごい頻度で」間違っています。おそらく少数の方の孫引きの結果でしょう。マリア様のためなら一回一回確かめなければなりませんよぉ。ノックのシュラインの事務局にご自分で電話して確かめて下さい。ノックでは一般的にはノックです。アイルランド語というのは学校で習うようなもので普通はしゃべられていませんので地名人名一般的に使われているものがいいでしょう。
Knock をノックと読むのは ラテン語のIesus をイエスと読むのかそのままイエズスと読むのかヘススと読むかどうかの問題と共通点あるかなぁ~。英語でJesusと表記した場合はジーザスがいいかなと。Cnock の場合はどうかとか、わかりますけど。マリア様のためになさっているのならなるべく正確なものの方がよくないかな。わたしがあなたなら「え~そうでしたか」ですぐにシュラインに電話するなりして気軽に確認します。何か言われたとか思わないで素直に愛されてください、お祈りしてます。
メッセージをありがとうございます。 まず、クノックの聖母ですが、当初ノックの聖母で記事を投稿しました。 しかしながら、ウィキペディアではアイルランド語発音ではクノックの発音が日本語表記として正しいと記事が既に出ていましたので、後で記事名を直した次第です。 地名に関してはこのように既にウィキペディア上で地名が既に記事になっているものはリンクの関係上それに従うようにしています。 人名・地名については、これは私以外の方が直した部分もあるので私には何とも言えません。 「司教が聖母におこられてしまう(きらわれてしまう)」の記事は参考記事とした文献をもう一度読み直しましたが、 The next day a group of villagers went to see the priest, who accepted the their report as genuine; he wrote to the diocesan Bishop of Tuam; then the Church set up a commission to interview a number of the people claiming to witness the apparition. The diocesan hierarchy was not convinced, and some members of the commission ridiculed the visionaries, alleging they were victims of a hoax perpetrated by the local Protestant constable! But the ordinary people were not so skeptical, and the first pilgrimages to knock began in 1880. Two years later Archbishop John Joseph Lynch of Toronto made a visit to the parish and claimed he had been healed by the Virgin of Knock. となっているものを参考にしました。これは誤訳と認めます。
ウィキペディアの記事は裏付け文献があればそれに従ってどんどん直されて行くものなので、すでにこのクノックの聖母はもう私のものではなく、誰が直しても正しければ直してよろしいことになっておりますので、発音上で気になる部分があれば、(もうすでに誰かが直していますが)その方が直すのが原則になっています。編集履歴をご覧になって見て下さい。色々な方がこの記事を直されています。 ただし、メイヨー県は(メイヨー州が正しいと思うのですが、)これもウィキペディアに合わせてメイヨーのままがよろしいかと思います。 --Ann Clara(会話) 2015年10月3日 (土) 13:09 (UTC)