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野本篤志
[編集]野本篤志(のもと あつし、1958年1月17日 -)は、日本の科学者、市民活動家、農家。NPO法人緑の風ヘルスサポートジャパン代表理事、一般社団法人日本がん患者サポート協会代表理事、がん体験者とその家族の会(通称ラポールの会)代表、くぬぎ野ふぁーむオーナー。
<幼少期>
茨城県水戸市出身。4才で小児喘息を発病。鍛錬のため水戸東武館にて剣道を習い、「文武不岐」の精神を学ぶ(剣道初段)。小児喘息は8才で完治。父親は地方銀行に勤務(のちに常務取締役)し、転校が多かった。9才で宮城県仙台市に移り、12才で東京都新宿区に移る。中学校時代に新宿区の剣道大会で第3位になる。
<学生時代>
都立青山高校に進学し、高校1年生の時(1973年)に母親が乳がんになり、東京女子医大にて右乳房全摘術を受ける。術中の輸血によりC型肝炎ウィルスに感染する。両親は医師の勧めを断り、抗がん剤による再発予防をせず、様々な代替療法を受けてその後乳がんは再発しなかった。 母親のがん発病とその前年に大腸がんで亡くなった大好きな祖父の死をきっかけに医者になることを決意し、3年間国公立大学の医学部を受験するも合格できず、2浪の時滑り止めで受験した東京薬科大学薬学部に入学。1982年に卒業した。同年国家試験に合格し、薬剤師の資格を取得。卒業論文はラット薬物代謝酵素エポキサイドハイドロキシラーゼ測定法の研究。大学時代に友人と作ったサークル(生体科学研究会)で学んだテーマである糖尿病に興味を持ち、筑波大学修士課程医科学研究科に進学。2年間医学教育を受けるとともに代謝内分泌内科教室で、糖尿病などの内分泌を学ぶ。修士論文のテーマは、副甲状腺ホルモン分泌に対する甲状腺ホルモンとノルアドレナリンの影響に関する研究。
<研究者時代>
1984年に藤沢薬品工業に入社。研究本部探索研究所(つくば市)に配属され、生活習慣病(動脈硬化、糖尿病、高血圧、高脂質血症など)の新薬創出のための薬理実験に取り組む。1988年に結婚。1989年に長女、1992年に長男が生まれる。当時同社の主力商品である高血圧治療薬ニルバジピン(商品名ニバジール)に抗動脈硬化作用あることを発見し、第1著者として2報〔1〕〔2〕、第2著者として2報〔3〕〔4〕英論文を発表。 その研究成果を母校東京薬科大学でまとめ、1993年に薬学博士号を取得した。博士論文名は「カルシウム拮抗薬によるcuff被包誘発性ならびにカルシウム沈着性動脈硬化発症の抑制機構」。
探索研究所時代は、研究業務に携わる傍らで、労働組合活動を行い主任時代の1992年には中央執行委員兼支部長に就任。任期4年間に研究所、本社での労使交渉を経験する。その後1995年に開発本部医学調査部に移り、糖尿病治療薬の臨床試験に携わる。課長時代の2001年より糖尿病治療薬の開発候補品FK614のプロジェクトリーダーに抜擢され、日本全国100施設を超える医療機関で後期第2相臨床試験を統括した。藤沢薬品工業と山之内製薬が合併しアステラス製薬となった2004年の翌年に出た臨床試験の結果、期待された有効性と安全性が示されず、FK614は開発を断念。翌2006年9月末でアステラス製薬を希望退職した。退職時の職位は次長。
<市民活動家としての活動期>
アステラス製薬を退職する3年前の2003年に母親が2つ目のがん胆管がんに罹患する。 慶応大学付属病院で胆管と胆嚢、周囲のリンパ節を手術で切除した。切除したリンパ節にもがんが確認されたので、今回も主治医から再発予防のための抗がん剤治療を勧められる。息子である野本篤志氏が「主治医の指示どおり抗がん剤治療をすべきだ」主張すると、父親に「抗がん剤は免疫力を弱めるので逆に再発が促進されるのではないか?」という疑問をぶつけられ、西洋医学以外の治療法、すなわち補完代替医療について勉強するようになった。その結果、従来の「病気は薬で治すもの」という考え方から次第に「人間には生まれつき治る力があり、それを元通りにもどすことによって病気は治る」という考え方へ変わっていった。母親の胆管がんは、切除術のみで抗がん剤治療はせず、丸山ワクチンなどの補完代替療法や食事療法などのセルフケアで自然治癒力を高める取り組みをして寛解に至った。「病気は治してもらうものではなく、自分で治るものである」という考え方をもっと多くの人に知ってもらいたいという思いが強くなる一方で薬を開発することを使命とする今の生き方に対する疑問も強くなってきた時に自分の携わる開発プロジェクトの中止という大きな転機を迎え、退職し、別の道を選んだ。翌年2007年2月に父親とともにNPO法人緑の風ヘルスサポートジャパンを設立し、「自分の健康は自分で守ろう!自分で取り戻そう!」を合言葉に、統合医療の啓発や生活習慣の改善と心のケアを中心としたセルフケアの普及に努めるようになった。また、2008年5月には、任意団体である「がん体験者とその家族の会(ラポールの会)」を立ち上げて、がん患者やがんサバイバー、その家族の支援をしている。母親はその後2008年に胃がんを患うも3大療法の助けを借りず、セルフケアだけで約10ヶ月で消失させることができた。更に2009年には、36年前に感染したC型肝炎が悪化し、肝硬変、肝がんに進み9月30日に永眠したが、緩和病棟に入院したのは1日のみで3大療法はせずセルフケアのみで自宅療養で過ごし、亡くなる10日前まで妹と車椅子で買い物に出かけることができた。この体験をきっかけに2冊の本を執筆。また、母親が亡くなった年から追悼の意を込めて毎年がん統合医療シンポジウムを開催するようになった。2015年には、がんのセルフケアを全国に普及させる目的で一般社団法人日本がん患者サポート協会を設立し活動の輪を広げている。
主な活動は、主に主婦やがん患者を対象とした講演やセミナー(2014年末時点で48回開催)、がん患者サロン(2014年末時点で55回開催)など。また、毎年統合医療の分野で活躍している著名人を呼んでつくば国際会議場で「がん統合医療シンポジウム」を開催している(第1回白畑實隆氏、第2回大野智氏、第3回鶴見隆史氏、第4回帯津良一氏と宗像恒次氏、第5回村上和雄氏、第6回星野恵津夫氏)。
2011年茨城県土浦市の約5,000坪の所有地に農園「くぬぎ野ふぁーむ」を開設。800本のブルーベリーの木やその他の果樹を植えて有機農法(化学肥料や農薬を使用しない農法)で育てている。雑木林や竹林が自生し、野生の鳥や動物は生息する環境の中で、訪れる人(患者や家族も含む)に森林療法や園芸療法を施している(2014年の農園来場者は延べ318人)。
活動理念
- 自分の健康は自分で守る。自分で取り戻す。
- 自然治癒力を最大限に発揮できればがんは自分で治せる病気である。
著書
- 『がんが自然に消えていくセルフケア』現代書林 2012年
- 『家族のケアでがんは消える』遊タイム出版 2015年
DVD
- 『ガンでもあきらめない』ビオマガジン 2013年
関連書籍
- 『癌と共に生きた母・・・。患者と家族をサポートし今日一日の生命と思い生きる。』 カルナ(2013)No.309 p.6-11
- 『進行を食い止め、予防にもなるセルフケア』婦人公論(2014)No.1410 p130-133
関連文献
- Antiatherogenic activity of FR34235(Nilvadipine), a new potent calcium antagonist Atherosclerosis,64(1987)255-261
- Smooth muscle cell migration induced by inflammatory cell products and its Inhibition by a potent calcium antagonist, nilvadipine Atherosclerosis,72(1988)213-219
- Inflammatory responses in cuff-induced atherosclerosis in rabbits Atherosclerosis,64(1987)243-254
- Role of inflammatory responses in initiation of atherosclerosis: effects of anti-Inflammatory drugs on cuff-induced leukocyte accumulation and intimal thickening of rabbit carotid artery Atherosclerosis,91(1991)107-116