利用者‐会話:阿波モン
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これからどうぞよろしくお願いします。--May.Low_[lounge][Cont.][Mail] 2007年4月7日 (土) 20:26 (UTC)
血液型性格分類について
[編集]どうもどうも、X-15と申します。 早速ですが、 貴殿は「血液型性格分類」に関して否定的なご意見の持ち主とお見受けしました。 ご承知のとおり、「血液型性格分類」はかねてから人権侵害にかかわる問題が指摘されています。 私も危惧するところであります。 ですが、貴殿が差し戻された記述内容には下記のとおり疑問点が散見されますので、ここで気づいた点を述べさせていただきます。ご検討をお願いします。
能見正比古
[編集]しかし、能見正比古の研究も、研究としての大系は全くなしておらず、能身の研究に実証性がないことが現在では証明されている。
→能見氏が行ってきたものは単なるノンフィクションの著作活動であり、研究と言えるレベルのものではないと考えます。従って実証性を要求されるものではなく、研究としての大系がなくてもおかしくはありません。「血液型人間学」は娯楽や興業としては評価することはできても、「心理学」や「医学」とは全くの別物です。
彼の死後、息子の俊賢によって彼の研究が引き継がれた。
→研究ではなく、「血液型人間学」という父親の興した「商売」を引き継いだというのが正解でしょう。
能見親子は、血液型人間学を世間一般に広め、大衆に認知されると共に有象無象の派生論が現れ、血液型人間学を扱った理論は数多く出回る状況となった。 そのため現在はそれぞれが自己満足のために、受け入れやすい思想だけを取り入れて用いられる人間学へ変貌してしまった感が否めず、ある意味、深刻な社会問題にも発展している。
→このことは「血液型性格分類」で論じられるべきものと考えます。要するに「血液型人間学」という興業的・娯楽的なものが、あまりにも多くのファンを獲得したために、血液型があたかも人間の性格形成に関係してくると思う人が増加し、多くの弊害が生じるに至ったということでしょう。「深刻な社会問題」については、私の勉強不足かもしれませんが、そこまで発展していることは知りません。
実証性が無く、血液型ブームは一時期去ったが、マスコミによって再びステレオタイプを対象に復活した。
→これも「血液型性格分類」で論じられるべきと判断し、隠し表示にしました。
能見俊賢
[編集]バラエティ番組などでは父(能見正比古)の意思を受け継ぎ、淡々と血液型と性格・行動の特徴を分析している。
→正比古氏の「商売」を受け継いでいることから、利益にならない発言を抑える形になるのでしょう。これは主に私による執筆内容です。
能見俊賢も父と同様、その研究内容はいい加減なものであり、体系をなしていない。
→正比古氏同様に、研究ではなく作家としての執筆活動にすぎないので、科学的な実証性や体系の形成はなくてもいいと考えます。ただ、「差別」や「人権侵害」の問題が指摘されてきている以上、商品に欠陥が指摘された場合は製造元で原因を究明し、解決することが求められるのと同様、能見氏も「血液型人間学」で「商売」をしている者の「良心」として、一度は医学者や心理学者の協力を得て、「血液型性格分類」を科学的に実証するような試みがあってもよかったのではと考えます。
能見親子は、血液型人間学を世間一般に広め、大衆に認知されると共に有象無象の派生論が現れ、血液型人間学を扱った理論は数多く出回る状況となった。 そのため現在はそれぞれが自己満足のために、受け入れやすい思想だけを取り入れて用いられる人間学へ変貌してしまった感が否めず、ある意味、深刻な社会問題にも発展している。
→「能見正比古」での記述に同じ。
血液型人間学そのものに科学的根拠は無く、血液型人間学否定論は統計学でも実証されているが、血液型人間学肯定論の方は未だに実証例は皆無であり、それどころか、まともな研究結果すら得られていない。 能見親子の血液型人間学も一部の者達の間でのみ持てはやされる形となったが、それでも血液型人間学と自らの矛盾に気付かず拘り続ける人々がおり、血液型人間学に対して肯定の立場をとる人達の間では、個人的な感情にものを言わせて論争が飛び交う状態となっている。
→基本的には「血液型性格分類」で論じるべきものでしょう。確かに「血液型性格分類」が広まったことによる弊害ですが、自然科学と単なる著作活動は厳格に区別されるべきです。これは歴史の時間に映画「戦国自衛隊」のストーリーを教えるようなものです。ただ、ノンフィクションと自然科学が混同され、上記のような奇妙な論争が繰り広げられている現象は特筆すべきものがあります。
その他に一部の疑似科学者らも多く関わり、マスメディア等でも血液型情報がよく扱われるが、現在までに血液型と性格に関する科学的根拠は皆無である。今日までこれといった科学的な根拠も無くそれに関する論文すらまともに出ていないのが実情である。古くは日本でも血液型と性格に関する論文を(原来復と小林栄)らが出しているが、特に血液型と性格を証明する根拠には至らなかった。現代は血液型と性格の関連性以前の問題として血液型差別が社会問題となっている。
→これは、「血液型性格分類が広まり、その社会に対する影響力が無視できないものになるに従い、その科学的根拠の有無が問われるまでに至った。だが、血液型と性格に関する科学的な根拠は無く、それに関する論文すらまともに出ていないのが実情である。古くは日本でも・・・根拠には至らなかった。」とした方が良いと考えます。これも「血液型性格分類」で論じるべきでしょう。
能見親子の血液型人間学も一部の者達の間でのみ持てはやされる形となったが、それでも血液型人間学と自らの矛盾に気付かず拘り続ける人々がおり、血液型人間学に対して肯定の立場をとる人達の間では、個人的な感情にものを言わせて論争が飛び交う状態となっている。
→細かい話ですが、上記と重複しています。別な表現でいくか、外すべきでしょう。
血液型性格分類
[編集]血液型性格分類がもたらす経済的効果を中心に論じたものですが、「血液型性格分類」に経済的価値がある側面は数多くの出版物や商品が出回っていることからして間違ってはいないと考えます。「血液型性格分類」を「悪」と考え、その「問題提起」の場と考える執筆者にとっては「挑戦的」とも受け取れる内容であり、ノートの活用による事前協議も必要ではなかったかと思っています。
以上 ご検討を --X-15 2007年4月16日 (月) 12:47 (UTC)
(回答)Re:血液型性格分類とか能見氏について
[編集]お世話になっています。X-15です。以下のとおり回答します。
能身父氏、能身息子氏の「医学的、心理学的にとらえられているのが問題」は納得ですが、商売的だとしても「説得力がある」との意見は客観的ではないと思います。もう一度冷静になって編集しなおしますので、感想をください。そして能身正比古にどうみても贔屓な編集だったので平等に編集しました。
- (回答)「説得力がある」については「主観的」な表現でありWikipediaに相応しくないと判断されるため取り下げます(「ウィキペディアは何でないか無視」などと攻撃されたくないので)。「平等に編集」の姿勢そのものは構わないのですが、俊賢氏に関する表現については「商売を引き継いで」ではなく、「後を引き継いで」ぐらいに抑えておく方が無難でしょう。あと「娯楽商売」という表現は事典的ではないですよ(無難に修正しておきました)。--X-15 2007年4月21日 (土) 15:45 (UTC)
血液型性格分類が商売として儲かっているのは事実ですが、悪影響がないという声は明らかに社会問題に発展してるから間違いだと思います。よかったらこちらの感想を心に止めてそちらが先の件の編集をしてください。
- (回答)「社会問題への発展」を述べこと自体は構いませんが、出典や理由を明記しておかないと「Wikipediaは演説の場ではありません」などと攻撃される可能性があります。なお、「社会問題への発展」については申し訳ありませんが、ノートに記したとおり私にはわかりませんので編集は致しかねます。--X-15 2007年4月21日 (土) 15:45 (UTC)
「wikipediaは告発の場ではない」などという意見には要注意です。一度目を付けられると大変です。該当の文面そのものを削除の上、テンプレートの貼り付けという強硬な手段に出る投稿者もいますのでご注意を(私はしませんが)。なお、文章が多少つながっていないため微調整しておきましたのでご覧になってください。--X-15 2007年4月21日 (土) 15:45 (UTC)
今晩は、X-15です。
あのう、「失礼ですが、貴方が能身息子氏を敵視して能身父氏を擁護する理由は、貴方自身の被害意識としかいいようがない。表面では中正を気取りつつ、裏工作をするやり方は社会人として失格だと思いますが?阿波モン 2007年5月23日 (水) 08:28 (UTC)」の意味、私には全く理解できません。ですが、私の投稿が原因であなたの感情を害してしまったようですね。私としてもそのことは不本意ですので心からお詫びします。--X-15 2007年5月23日 (水) 13:30 (UTC)
- (提案)横から失礼致します。出来れば記事の方向性に対する議論は、記事のノートへ移したいと思うのですが。記事の議論は別の方が編集を行う際に貴重な資料となりますので。特に異論がなければX-15氏側の会話ページも合わせて言いだしっぺの私で差し支えなければ週末をもって移動しようと思うのですが。阿波モンさん、宜しいでしょうか? (X-15氏の会話にも同様の提案を行います。)--秋月 智絵沙 2007年5月23日 (水) 16:14 (UTC)
- 双方の同意を得られませんでしたので、この件は保留とします。--秋月 智絵沙 2007年5月30日 (水) 01:28 (UTC)