コンテンツにスキップ

利用者‐会話:荒川好き

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

上江橋について

[編集]

荒川好き様、初めまして。私は京浜にけと申します。先日は上江橋の「馬宮第三横堤」に関する訂正に感謝します。

上江橋の私の編集を差し戻された際の要約欄[1]を拝見しました。趣旨は理解しましたが、その上でいくつか意見を申し上げます。

「馬宮第三横堤」に関する誤りである旨のコメントについては『大宮のむかしといま』と関連付けされている記述がこのコメントの箇所しかなかったので、参考文献節から『大宮のむかしといま』を削除した上でそのコメントの削除に同意したいと思います。

誤りの内容をコメントでありながらあえて掲載した理由は、一見すると意味が無いように思えますが、これはウィキペディアが真実よりも検証可能性を重視しているがゆえに、そのようにしたものです。つまり「上江橋」の記事の参考文献節に列挙されている出典のひとつの『大宮のむかしといま』を参照した他の利用者によって、その誤った内容(『大宮のむかしといま』225頁の抜粋同226頁の抜粋。)で再び「馬宮第三横堤」と加筆編集されることを懸念したために講じた措置でした。参考文献から削除しましたので、もうそのような懸念はないと思います。このような誤りの内容をコメントで載せている記事(例えば三康図書館#注釈など)もいくつか見かけます。あと、荒川橋梁(川越線)の方は、その出典において直接の言及がありませんでした。

次に橋台についてですが、橋台とは土木用語的には翼壁を含む橋脚の一種であり、支承を用いて上部構造(橋桁)を支えるコンクリート構造物のことを一般的に指すものと思います[2]この画像の両端のコンクリート構造物が、旧上江橋における橋台に該当すると思います。 旧上江橋の場合は左岸堤防から橋(橋台)までのアプローチ区間がかなり長く、その点で特異な構造でありますが、橋台背面部分のアプローチ区間[3][4]を含む築堤(以下盛土)の部分までもが橋台とは一般的には称しないと思いますし、分かりにくくなるのではないかと思います。

「堤防として作られた構造物ではなく、橋台として作られたものです。」とのことですが、あれは確かに堤防や横堤などの治水構造物ではなく、橋(橋台)へのアプローチとして築造された取付道路『土木学会誌 第四十二巻第三号』41頁・『続大宮市史Ⅰ現代資料編』467-468頁。)としての盛土構造物であります。しかし取付道路の盛土構造物も橋台と称するのは本当に適切でしょうか。その盛土が「橋台として作られた」のでしたらそれが橋台であると記されている出典をご提示ください。

なお、現地[5]にある盛土構造物の突端にかつて存在したであろうコンクリート構造物(橋台)は現存せず、その遺構や痕跡が存在していないように見えます。--Kh2K会話2019年12月17日 (火) 04:59 (UTC)[返信]