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利用者‐会話:福太郎

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画像

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福太郎さん、初めまして。Wikipedia:メインページ新着投票所に掲載された画像:Yumi00.jpg、いいですね。^^ こういう画像がいっぱい増えることを楽しみにしています。

ところで上の辺りで画像:弓術.jpgの話があったので少しおせっかいなことを、、、。自らがアップロードした画像を削除する場合はWikipedia:即時削除があります。今回の場合はコモンズにアップされているようですので、「{{即時削除|初版投稿者による依頼。(コモンズに[[:Commons:Image:Kyujutsu01.jpg]]として同一画像を投稿)}}」などとして画像ページに書き込めば、削除されます。(Wikipedia:即時削除の方針#画像/マルチメディアも参照ください。)一応コモンズに同一画像があることを掲示しましたので、「{{即時削除|初版投稿者による依頼。(コモンズに同一画像を投稿)}}」で管理者が処理されると思います。

また、利用者ページも日本語版とコモンズ側で相互リンクなどは書いていると同一者とわかり、なにか連絡(頼みごと)などがある場合に便利かもしれません。コモンズ側ノートを常時チェックしていない私のようなもののおまじないみたいなものですが、、、。^^;

これからも福太郎さんの執筆・画像活動を楽しみにしています。^^ --toto-tarou 2007年6月1日 (金) 14:03 (UTC)[返信]


Toto-tarouさん、初めまして。

投票所見させて頂きましたが、美しい画像ばかりの中、あんな画像で良かったのか、お恥ずかしい限りです。画像:弓術.jpgですが、対応有り難うございます。特定記事の編集と画像投稿の為に軽い気持ちでウィキペディアンとなってしまいましたが、以後、色々な方の執筆活動を見るに関心するばかりです。色々と勉強させて頂きます。--福太郎 2007年6月2日 (土) 14:39 (UTC)[返信]

画像:Yumi00.jpgの掲載、おめでとうございます。^^ ところで私の説明が拙かったようです。現行の状態で「{{即時削除|初版投稿者による依頼。(コモンズに同一画像を投稿)}}」を福太郎さんが画像:弓術.jpgのページに書き込めば管理者が処理される、、、ということをお知らせしたものです(現時点では同一画像があると掲載しただけで即時削除依頼をしていない状態)。福太郎さん自身で依頼をされたほうがいいかとお伝えするだけにしたのですが、現状で置いておくのはライセンス状態テンプレの貼付もなくあまりよくありません。即時削除の仕方が分かりにくいようでしたらお知らせください。代理の依頼もしくは同一PD画像として依頼をしておこうと思います。^^; --toto-tarou 2007年6月4日 (月) 16:51 (UTC)[返信]

画像の出典について

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ご無沙汰しております。弓術などでお世話になっておりますMizunoHです。最近も盛んにご執筆なされているようで、各項とも非常にわかりやすく充実してきたことは喜ばしい限りです。特に取りかけの図はあったらいいなと思いつつ、作画力に乏しいのであきらめておりましたので、ありがたい限りです。ところで本日アップロードされました画像についてお願いなのですが、出典を示していただけないでしょうか。詳細(何に書かれたものか、いつ、誰がなど)がわからなければ資料の妥当性が判断できず、資料性に欠けてしまいます。画像の中には後世に描かれたものもあり、注意が必要なものもあります。詳細のわからないものもあるかもしれませんが、おわかりの範囲でお願いします。私もようやくまとまった時間がとれそうなので、執筆に復帰したいと思います。今後もよろしくお願いします。それでは--MizunoH 2007年7月14日 (土) 05:23 (UTC)[返信]

お久しぶりです。弓術項では詳しい資料が手元に無く詳細な編集に難儀しておりました。画像の件ですが、ご指摘の通り出典(いつ誰がどこで何のために)が不明なものが多く、それ以前に忠実な描写されているかどうかの疑問もあり、資料性に欠けているとは考えておりました(おそらく殆どが絵巻、絵詞などの一部でしょうが)。しかしそういった絵や人物画というのは(上手下手に関わらず)その時代の風俗・文化を多かれ少なかれ反影しているもので、今回commonsに20枚前後アップしましたが、宮廷Image:Kyujutsu06.jpgと武士Image:Kyujutsu08.jpg、戦乱期Image:Kyujutsu09.jpgと江戸期Image:Kyujutsu14.jpg、さらには江戸末期Image:Inu ou mono 03.gifに至るまでの弓射事情の変遷や、必要戦術から充実した文化へと変化している様が見て取れます。ですので史料ではなく『イメージ』を意図して、とりあえずは置いておきました。しかしながらご指摘通り資料・史料としての出典根拠も疎かには出来ないので解り次第随時補足していくという形で今の所は御勘弁ください。また何かお気づきの点がありましたら御指摘下さい。--福太郎 2007年7月15日 (日) 01:50 (UTC)[返信]
確かにイメージは大事ですね。ただ、近藤好和氏の『弓矢と刀剣』『騎兵と歩兵の中世史』などを読むと、絵巻物は書かれた時代の影響が濃いとのことですので、やはり注意は必要かと思います。ところでアップロード画像には見覚えあるものが多かったので確認してきました。Image:Kyujutsu04.jpgImage:Kyujutsu05.jpgImage:Kyujutsu11.jpgは『年中行事絵巻』(原本は保元治承期の成立、現存するこの作品は江戸時代初期の模本)の巻四で、04,05は射遺、11は賭弓の場面です。ともに正月18日の行事です。Image:Kyujutsu06.jpgは国宝『北野天神縁起絵巻(承久本)』(京都北野天満宮所蔵、鎌倉時代初期成立)の巻二で、射手は菅原道真です。Image:Kyujutsu09.jpgは『後三年合戦絵詞』(貞和三年〈1347〉ごろ成立)の中巻の場面で、金沢冊を攻める源氏方の末割四郎惟弘を、清原家衡側の武将が射殺した場面です。Image:Kyujutsu10.jpgは『平治物語絵巻』(ボストン美術館所蔵、13世紀成立)の三条殿夜討です。Image:Kyujutsu13.jpg,14,15は葛飾北斎の『北斎漫画』(文化14年(1817))の六編です[1]

MizunoHさま。いやはやお見それ致しました。助かります、これで出典が明らかでない画像は2枚のみとなりました(実は弾正像も何年頃誰作か不明ですが)。お世話になりっぱなしで申し訳ないです。とりあえず出典明記はしておきましたが、なるほど時代の違いがやはり気になりますね。とは言っても必ずしも同時代に生きていた絵師が戦場や宮廷内を見ながら写生を行っていたという訳ではないでしょうから、やはり忠実性にはどこまでも疑問が残ります。流鏑馬項ですが、ノート拝見しました。多少補足意見を書き記してあります。話題からは時間が経っていますが、良ければご確認ください。騎射三物項の歴史記述ですが、どこまで時代を書き記すか思案しております「騎射三物試し書き」。特に源能有の『弓馬之礼法』制定、以後源氏家(小笠原, 武田, etc...)に伝わる辺り、弓術項にも書き加えて良いと思える内容もあります。こちらも良ければ一度ご確認のほどお願いします。--福太郎 2007年7月16日 (月) 09:23 (UTC)[返信]

急に旅行に出ることになったので、今後5日ほど失礼します。ところで『弓馬之礼法』の出展は武田流のサイトでしょうか。一般に流派というものはどこも起源を飾り、さかのぼらせたがるもの、というようなことを二木謙一氏は述べていました。流派の伝承は慎重に扱う必要がありますが、武田流(鎌倉のほう)は公表している「歴史」と一般の歴史書との相違点が多く、その伝承を史実か確認せずに書くのは問題と思います。あくまで歴史書などで確認できるまでは「流派の伝承」であるという態度でいるべきと思います。武家社会の流鏑馬などの弓馬術の起源が朝廷の武官にあることは承知しておりますが、現段階の事実と伝承は峻別すべきかと。(私が「事実」を知らないのかも知れませんが…)--MizunoH 2007年7月16日 (月) 17:29 (UTC)[返信]

『弓馬之礼法』ですが、結構方々で見かけていたものです。田舎?の統治を任ぜられたなったばかりの右大臣源能有がその年に命を受け制定し、その翌年に逝去という辺りに「?」とは思ってましたが。。もう一度確認してみましたが、どうも武田流が情報元のようですね。失礼致しました。初期の初期は笠掛流鏑馬もごっちゃになっていた時期があったでしょうから、まぁ武田・小笠原以前の誰かが整理してジャンル分け、礼法の雛形くらいは定めた事はほぼ間違いないかと思われますが。ところで『騎射三物』の初出は鎌倉時代で間違いないのでしょうか?平安時代に弓馬礼法が出来上がり、鎌倉の全盛期に至るまでに色々と礼法も改変を受けたのか、成立までのストーリーに不透明な部分が多いですね。仕方ないと言えば仕方ないかもしれませんが。良いご旅行になる事をお祈り致します。--福太郎 2007年7月17日 (火) 14:21 (UTC)[返信]

失礼しました。旅行から帰ってきて源能有について調べてみましたが、国史大辞典の項には『弓馬之礼法』の記述はありませんでしたし、故実に関する項(有職故実、公家故実、武家故実)にも記述はありません。私見ですが、公家社会での故実集成の嚆矢は能有より数代後の時代なので、『弓馬之礼法』に関しては信頼できないかと思います。まぁただ、明確な証拠がない限り事の判定は我々がここですることではないですから、検証可能なように「武田流によれば…という」と出典を明示して記述すればいいと思います。別件ですが『千代田之御表』は作画は揚洲周延(橋本周延、ヨウシュウチカノブ)です。国会図書館の書誌情報をご確認下さい。画家が弓をよく知らないと見え、考証どころか構図にも難がありますが、類例があまりないですから仕方ないですかね。騎射三物の初出は確認できませんでしたが、国語事典には1430年頃の謡曲「柏崎」の例が引かれていました。多賀高忠の『高忠聞書』(1460年頃)でも三物が解説されていますが、「近頃は流鏑馬が衰えたので笠懸、犬追物、歩射を三物という」とありますので三物と言われるようになったのは犬追物誕生(文献初出は1222年)以降、流鏑馬衰退前でしょう。鎌倉時代とは確認できませんが、確からしいとは思います。ところで騎射三物はしいて独立の項目とせずに、騎射に統合するが良いと思うのですがいかがでしょうか。別々にすると重複が増えますし、流鏑馬など各項目とも重複してしまいます。それに歴史の参考書などには騎射三物の語があるものの、国語事典は総じて「三物」で解説しています。--MizunoH 2007年7月25日 (水) 05:02 (UTC)[返信]

やはり、私の方でも武田流原典(らしき)以外で源能有と弓馬之礼法を結びつける資料が見つかりませんでした。揚洲周延はどうやら浮世絵師のようですね。今で言うイメージデザイン画みたいなものかもしれません。高画質の『犬追物図屏風』があればベストなんですが、なかなか。描写の忠実さは西洋美術が入ってくる以前の物には期待出来ませんね、やはり。騎射三物の統合ですが、これがどれだけ独立した呼称かにもよると思います。流鏑馬・笠懸・犬追物を指した便宜的な言葉であれば専用ページは必要ないと思われますし、過去にでもある程度定着した名称である、若しくは三物に対して相応の文化的な歴史があれば独立ページで記しておいても良いのではないかと思います。例えば徳川御三家の例もありますし、弓術や他のページの編集を見ても内容の多少の重複はそこまでキッパリと分け切る事も出来ないのである程度は仕方のない事だと思います。--福太郎 2007年7月25日 (水) 11:35 (UTC)[返信]

笠懸項について

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小笠懸の的の寸法に要出典を着けさせていただいたのは、古事類苑で様々な故実書の記述を調べてみても四寸としか書いてなかったからです。御編集後に拝見しましたが、甲州和式馬術探求会の資料でも四寸となっていますが五寸との記述はどちらでしょうか? 小笠原流HPの五寸との記述ですが、小笠原流の故実書でも四寸となっていたのでちょっと不思議です。香取神宮のページは調査不足で知りませんでしたが、八寸は誤植でなく実際その寸法に見えますね。ただ奥の遠笠懸の的は一尺八寸には見えないので、古式の笠懸とは寸法を変えて行っているのでしょうか?(もしかすると吉宗復興時に寸法が変ったのかなぁ…) いずれにしろ(管見では)古い故実書は四寸としているので、「本来は四寸が規定だが、現在ではそれ以外の寸法の的が使用される場合もある。」といった記述にするのはどうでしょうか。
さて騎射三物についてですが、騎射に三物についてそれなりに記述すべきと思っていたので、重複情報がいろんな所にあると一般読者に全部読む必要があるのかと思わせてしまうかなと思い(実際、よく知らない多分野の記事を見るとき冗長記事・分散型は御免被りたいのが私の本音です)提案しました。仰る「~便宜的な言葉であれば専用ページは必要ない~過去にでもある程度定着した名称である、若しくは三物に対して相応の文化的な歴史があれば独立ページで~」という基準で見れば、三物の内容は変遷したわけで便宜的な語だと思いますし、定着はしていたでしょうが「相応の文化的な歴史」となるとちょっと?というのが正直な感想です。ま、私の考えですので御同意頂けなければそのままで結構です。私のこれまでの執筆内容も無駄で冗長な部分があるものの、追いついていませんのでこれから対応しなくてはと思います。弓道・弓術分野は各記事の整合性や役割分担が曖昧な部分が多いと思いますので、全体としてわかりやすくしていく必要があると考えております。--MizunoH 2007年7月28日 (土) 16:46 (UTC)[返信]

甲州和式馬術探求会の「五寸」ですが、私の取り違いでした、申し訳ございません。

武田流弓場道にあるように『五寸の串に的を挟み〜』という記述もあるのでひょっとしたら誤記かな?と思っていたのですが、小笠原流(と他でも見た記憶が…)のHPにありましたので書いておきました。小笠懸の的として一番多く見られるのが、やはり四寸四方ですが、先述の武田流HPには『直径12センチの小的を射るのを小笠懸と呼んでいます。』ともあり、四寸の円形的のようです。遠笠懸の的もやはり色々と見つかり、かさがけ蘭には綿でなく藁・毛をアンコにしているというようなものも見られます。緩衝剤になればなんでも良いのでしょうか、どうやら矢が中るとそこが凹んで矢所が解るという造りのようです。遠笠懸の的までの矢道も色々と取り決めがあるようです モンゴリアン‾。一貫流の「常射之巻 鵠之部」では遠笠懸の的は円物の起こりであると言っています。

>ただ奥の遠笠懸の的は一尺八寸には見えないので、古式の笠懸とは寸法を変えて行っているのでしょうか?

さらに的表面は真っ平ら、距離は埒際から精々5〜6mくらいでしょうか。道寸祭りでは(スペース事情からか)馬場にコーナーが設けられており、右写真の射手脇には小笠懸の的と思しき板(八寸?)が両側に立ててあります。荒井浜海岸での遠笠懸?の霞的もどきはどう見ても直径1mはありそうです。

故実を紐解いて「正式」を言えば矢道の造りや的を吊るす紐縄の色まで色々出て来ますが、思うに作法の手軽さから、笠懸は半ば土着文化として地方で独自の発展をしたという側面もあるのではなかろうか、と編集時に調べていて思いました(落ち武者なんかが遊びでやりそうですし或は騎射で遊んでたら次第に笠懸“みたいに”なっていったとか)。吉宗以降に改変された可能性もありますし、正直故実・武田・小笠原でここまで差があっては何を正式として良いやら。「鬮的文書」にも何やら記されているようですが、詳細は解りません。今の所は「*〜項は流派や地域により多少の差異が見られるため、参考程度として〜」と書いてありますが、馬場、的の多彩さを説明するのに「故実では○○を定寸としていたが(○○の事情により)現在ではそれ以外の寸法が使用・伝承されるている場合もある。」とするのが今の所考えられる限界です。

騎射三物ですが、「よく知らない多分野の記事を見るとき冗長記事・分散型は御免被りたい」まったくもって同意です。が、良く知らない読み手に対して冗長にならず且つ分散せず解りやすい、しかも詳しい読み手が見ても正確である記述はちょっと難しいので、やはり考え所でしょうか。騎射ページを見て気付いたのですが、騎射は世界の騎射「Mount Archery」も含めてしまうので、統合するならちょっと工夫がいるかもしれません。大的・草鹿・円物の「歩射ノ三物」(原典は「伊勢氏の夏草」だそうです)なんかも含めた三物としてみるとか、さらに大きく括って礼射としてみるとか。記事の分散を防ぐならば弓術の礼射説明欄に「三物」蘭を作るのもアリかもしれません。

ところで弓術ページの「文射と武射」ですが、この2つだけ1つの項目に纏めたのは何か意味があるのでしょうか。--福太郎 2007年7月28日 (土) 22:55 (UTC)[返信]

色々と情報ありがとうございます。調査不足の部分があったので勉強になりました。さて、

武田流HPには『直径12センチの小的を射るのを小笠懸と呼んでいます。』ともあり、四寸の円形的のようです。 直径というのは武田流の勘違いか誤記だと思います。実際道寸祭りの的は方形でした。本朝軍器考に「小笠懸の的は其形方也、方なる径四寸…」とあり、こういった表記で径四寸を直径と誤解したのではないでしょうか。(直前の記述でも的までの距離は109mと、馬場の長さと勘違いするなど、信憑性に難があります…。)騎射の的は方形、歩射は円形というのが故実とのことなので(出典失念)それに照らしてもおかしいかと(遠笠懸の円形的は例外ですが笠を模したためでしょう)。小笠原流HPの五寸説ですが、(実際に五寸を使っているからあのような記述にしたのかもしれませんが…)おちついて現代弓道講座三巻の斎藤直芳の小笠懸についての記述を調べ直したところ、四寸とあるので吉宗復興時変更説はないですね。小笠原流HPは小笠原流(関係者による)書籍との齟齬もいくつか見られるので、私としては書籍を信じています。

的までの距離も色々資料がありますね。どう情報を提示するか悩ましい所ですが、いずれにしろ情報の検討と出典を明示していく方向を取れば良いでしょうか。遠笠懸の的は円物の起こりであるというのは私もいくつもの資料で見たことがあるので確実でしょう。小笠原流HPには「円物は本来騎射の式で、笠懸と同じように行われたものでした。」とありますね。

荒井浜海岸での笠懸風景のページ拝見しました。ちょっとびっくりしたのですが、今年の道寸祭りでは遠笠懸の的は流鏑馬と同様の方形板的を使っていました。武田流としては試行錯誤中なのかな?それとも見栄えと音優先なのでしょうか(割れた板的を記念品として販売しているのを見ると勘ぐってしまいますが…)。小笠懸の的はどう見ても四寸より大きかったです。

諸説ある情報をどう記述するかにはついては同感です。

騎射に世界の騎射が必要なのは同感ですが確かに工夫が必要ですね。三物は弓術で歩騎とも簡略に記述し、歩射騎射(または騎射三物)で詳述する(独立項のあるものは簡略に)のが良いと思いますがいかがでしょうか。ところで騎射三物についての見解の相違は大項目主義小項目主義の対立ではないかと思いました。これに気づいてから私の意見にも問題あるなと思い直しましたが、Wikipediaにはリダイレクトや節分けがありますから大項目主義の欠点は補えると思うので、ある程度大きな項目を目指すべきかと愚考しております。ただどの程度の纏まりが適切かの判断は難しいと考えております。

「文射と武射」ですが、編集前の「五射法」と五要素の列記では、(五射六科と紛らわしく)文・武・歩・騎・堂が並列の分類と思われてしまうと思い、分類1(文・武)と分類2(騎・歩・堂)は別次元の分類であるということを明確にしなければと思いました。また{{main}}の使い勝手もあって節にしました。歩・騎を一緒にすると堂射との関係がわかりにくいと思い、歩・騎・堂は列記しましたが、仰るように文・武だけ合体ではちょっと変ですね。歩・騎は対になる物ですから、見出しは「文・武」「歩・騎」「堂」に変更しようかと思いますが、いかがでしょうか。

ところで「礼射」の正確な定義はなんぞやと思っています。射礼の言い間違えの例も多いのでよくわからなくなり教本を読み直したのですが、一巻には(見落として無ければ)見当たりません。三巻の富田範士が使っていましたが、全弓連としてはどのような定義なのでしょうか。ご存じでしたらご教示頂ければと思います。本多利実の文章が最も納得のいく説明でしたが、いつ頃から使われている語かは不明です。数多くの国語事典にあたりましたが、礼射は見当たりませんでした。--MizunoH 2007年7月29日 (日) 15:10 (UTC)[返信]

どうも笠懸は方々で作法にルーズな感がありますね。故実を正確に乗っ取った笠懸を見つけられなかったので、むしろそれこそが客観的に実情を観察した上での笠懸の特徴、と見る事も出来るかもしれません。的板販売諸々の取捨選択は考えなければならないですが。考えてみれば武田HP、ひょっとしたら小笠原HPも内容はWeb制作業者の手によるものでしょうから誤記はあって当然と言えば当然かもしれません。
馬場や矢道、的の多様さは、単にバリエーションの列記と出典の列記では内容が煩雑になって読み難くなってしまうので、代表的な文献・出典の欄を作ってそれぞれで馬場・矢道を説明、最終的に「従って多様である、一様ではない」という結論に着地出来るような組み立て方が必要かと思います。
歩射の『円物』起源については笠懸に記載して良いかもしれません。初期の初期はただ矢所を知る為の初心者用だったようで、騎射式でもなんでもなかったようです。的は直径八寸、笠懸用も同じか不明ですが、小笠原・武田で造りは変わらず。後に射礼として成立するも故実は失われたとか。これも一貫流常射之巻 鵠之部からですが、内容的には武用弁略などを全否定し、小笠原は正当であるかのようなニュアンスが微かに読み取れます。由緒正しくなくても骨太の歴史を持つ笠懸を説明する上で有効ではと考えますが、例えば「元来は矢所(的中位置)を知る為の稽古道具の1つであったが、後に歩射に転用され『円物式』に、笠懸では遠笠懸で用いられるようになった」と、こんな感じはどうでしょうか。
大項目主義小項目主義、これは初めて知りました。少しスッキリした感じです、有り難うございます。私はどちらかと言えば『両方主義?』でしょうか。弓術のようなfull-article、3〜5分程度で読めるlight-article混在で良いと思ってます。まぁ記事内容が分散・重複する、という懸念もあるので弓術でどの程度三物その他に触れるかを見てから統合・別項を判断するという事で、今の所は保留としませんか?枝葉の三物その他も柱の弓術が軸足として機能してこそだと思うので。
文・武・歩・騎・堂、直前で2,3と分けてるので良いとも思いますし、「文・武」「歩・騎・堂」くっつければより2,3の分類が明確になるとも思いますが、直前で「歩・騎・堂」と分けながら詳細欄で「歩・騎」「堂」と分けるのはちょっとスッキリしない気もします。すみません、これについてはもう少し考る時間を下さい。
「礼射」の定義ーすみません、先の投稿で特に考えなく礼射と書いてしまいました。「射礼」と「礼射」、「会議」と「議会」みたいなものでしょうか。或は「自動車」と「乗用車」、「どうぶつ」と「いきもの」。賭弓や巻藁射礼など具体的な式を通称して射礼、それらをカテゴライズする語が礼射と何となく理解しています。
  • 一貫流勧善之巻『(割り膝は)當世禮射ナトノ時、或的或巻藁ナト射時ナス事ナリ』
    • 『(尻を立てない割り膝)ハ躰ヨク居モノナレトモ當時禮射等ニ用サル風俗ナリ』
  • 弓之部『故實ハトモアレ其時變ニ應シテ禮射ニハ兔角其禮義ヲ失フヘカラス』
  • 的場之部『今當ハ巻藁前ト名付ケ其射禮アリテ古昔ヨリ行レタル禮射ノヤウニ心得タル者モ少カラスト雖皆近キ世ノ好事ノ弓家物流ノ所爲ニテ故實ナト伝事ハアルヘカラス』
  • 伊東靜雄拾遺詩篇『そこの弓場に、ひとりの少年が、額を青白ませて最後の禮射をしてゐた[2]
とあります。「禮射」と旧字で検索かけると結構出てきますよ。「射禮」「賭弓」は新年を現す季語のようです。そもそも全弓連は古来の「射礼」は「認めるから頑張って保存して」という立場ではないでしょうか。あまり解答にはなっていないですが、知る限りはこんな所です。--福太郎 2007年7月30日 (月) 15:35 (UTC)[返信]
色々とありがとうございます。>代表的な文献・出典の欄を作ってそれぞれで馬場・矢道を説明、最終的に「従って多様である、一様ではない」という結論に着地~  そうですね基本的に賛成です。ちょっと色々情報があって混乱しておりましたが、情報の重みも含めて記述しないと単なる引用集となって訳がわからなくなってしまいますからね。
円物については今手元に資料がないので確かなことは言えないのですが、一貫流の資料(ですよね?)だけでは心許ない気がします(あまり大きな流派ではないですし…)。メジャーな情報源で確認できないことは出典とともに脚注か、本文で異説として補説すればいいかなとは思います
大項目主義と小項目主義~~弓術でどの程度三物その他に触れるかを見てから統合・別項を判断するという事で、今の所は保留~ 基本的にはまずは弓術を中心に基本項目を太らせる方向で、それから整理という流れで、ということでしょうか?それでしたら賛成です。
礼射についてはありがとうございます(旧字体に気付かなかった…感謝)。検索すると漢籍が多く引っかかりますね。一貫流では(今日言うところの)射礼と区別せずに使っているようですね。よくよく考えるとまさに福太郎さんの仰るとおりで、射礼(じゃらい)は中国でも日本でも「行事」の名前であり(文字通り取るだけでも射の「礼」ということで射を指す言葉ではないですよね)、吉宗のころの記録を読んでも、的始のような行事のことを言っている節があります(本多利実の文もよく読むとそう読めます)。そういった場での射や単に礼法に則った射のことを言うのが礼射なのでしょうね。
ところで、試すような聞き方になってしまい申し訳ないのですが、「大射禄法」とはどういったものであるとお考えですか? 私の理解では、大射(賭弓?)の賞品(禄)を定めた法律だと思うのですが、だとすると前後と若干齟齬があるように思います。(私が意図を読み取れていないのならば失礼しました。)
PS:笠懸についてはノート:笠懸で話すべきでしたね。勝手に話題を展開して失礼しました。他の執筆者に公開した方が良いと思うので、笠懸関係のやりとりは転載したほうが良いと思ったのですが、いかがでしょうか?--MizunoH 2007年8月1日 (水) 17:26 (UTC)[返信]

>一貫流の資料だけでは心許ない気がします

はい、一貫流の書物自体は当然と言えば当然ですが一貫流視点で物を見ていますし、古代の事情は様々な文献からの推測で述べている箇所もあります。ただし『円物は初心者用』説は「射鏡」なる書物から引用を引いています。総じて一貫流書はややナショナリズム色強く反面出典に頼り過ぎな点もあるが一応マジメに研究されている、という印象です(個人的には)。情報源としては確かに心許ないですが、高忠聞書(の解読本)、出来れば法量物(小笠原持長著)があればもう少し詳しく解るかもしれませんが、書店にはないでしょうね、、。「禮射」と「射禮」自体の違いは見る限り言及してはいませんが(多分他の書で言及していると思います)、他の名称の違いや起源にはかなり神経質に解説しています。一貫流は武射中の武歩であり所謂小笠原・武田の「礼射」からは一歩引いた立場にある、という所でしょうか。

>「大射禄法」とはどういったものであるとお考えですか?

五.重令髮制與大射禄法:慶雲三年正月壬辰 定大射禄法。としか無くその後の漢文を解読出来ないのでなんとも言えませんが、天皇がわざわざ定めたからには何らかの礼式(と言うより射会の決まり事)では無いかと考えました。そもそも時代が時代なので国家としてやっと形が出来た頃ですし、礼射の概念があったかどうか、大陸の礼射を輸入した可能性や白鳳文化の影響が濃い可能性も。国家が出来上がる前の『礼射』は、例えは悪いですがテロ組織がライフルを空中に撃ち放って喜んでいるような、もっと野蛮で粗野なものだったのではと想像していますが、それを粛々と格式を与える為の『法』で、その内の1つが『大射禄法』というような。ひょっとして「禄」の貰える射会はお祭りみたいな感じなのでしょうか?『射』の『法』が定められたと草創期の出来事として紹介してみましたが、疑問を感じられたのは技術も大射禄法によって定められたと取れるような言い回しでしょうか。自分で書いておきながらちょっと推敲が足りませんね。

>弓術を中心に基本項目を太らせる方向で、それから整理という流れ

はい、その通りです。文脈としてもまだちょっと箇条書きになっている感がありますし、前後で被ってる内容もありますので。笠懸のノートへの転載は構いません。

ちょっと難題をふっかけるようですが、一貫流を読んでいて少し気になった事を。『文射』ですが、これはひょっとして文武両道の「文」から来ているのでしょうか。というのは先にも述べましたが、一貫流では「的は敵なり」の字のごとく射そのものは敵を倒す事が本義であるとしおり、「礼射」は「他所様の作法」というニュアンスが全体に見られます。一方で故実も座学=文として学ばなければ射の本質は得られないとしており、故に文・武は両輪一体であるから「文武を励み」との事。一貫流の書に『文射』の単語は出てきませんが、そもそも礼法を指向している小笠原流に文射の対になる武射の考えはあるのでしょうか?『文射』は武射系、則ち日置流独自の語かも知れないと思えてきたのですが、だとすると日置(竹林?)の言う文射=礼射と小笠原含めた礼射はちょっと違うニュアンスかもしれません。則ち「文射・武射」=「歩射」となり、これは日置の考え方ではなかろうかと。「真行草」は「楷書、行書、草書」から由来していそうですね、と思ったら茶や庭園にも「真行草」という格式があるのですね。予想ばかりになって申し訳有りません。--福太郎 2007年8月3日 (金) 10:23 (UTC)[返信]

ちょっと雑事に煩わされていたので、長らくご返答もせず失礼しました。

さて一貫流等に関して。高忠聞書や小笠原流の古い伝書は図書館で原本を見たことがありますが、私には読めないので活字化されたものを探していましたが、東京大学史料編纂所のオンラインデータベースで、蜷川文書に納められた小笠原流の故実書を見ることができるので、ちょっと頑張って調べてみます。 一貫流についてはホームページ以上のことは存じませんので私にはなんとも判断できないのですが、やはり時代も流派も適切な資料に基づくのが望ましいかと思います。

疑問を感じられたのは技術も大射禄法によって定められたと取れるような言い回しでしょうか。

そうですねそれもありますし、この後に「次第に技術、礼法共に体系化され、単なる射術から『弓術』として成立していったものと思われる。」と続けるのは適切なのかと思ったからです。 つまり、儀礼に関しては、何らかの資料で「今後弓射儀礼を行う」とするものがあればそれを引用するのが最適ですし、「弓射儀礼」に関する初出資料でも良いでしょう。技術に関しても技術に関してのより古い記述があればいいですが、ではこの大射禄法はそれらに該当するのでしょうか?また内容ですがまずは原文を引用します。

《慶雲三年(七〇六)正月壬辰(十七)》○壬辰。定大射禄法。親王二品。諸王臣二位。一箭中外院布廿端。中院廿五端。内院卅端。三品・四品・三位。一箭中外院布十五端。中院廿端。内院廿五端。四位、一箭中外院布十端。中院十五端。内院廿端。五位、一箭中外院布六端。中院十二端。内院十六端。其中皮者。一箭同布一端。若外・中・内院及皮重中者倍之。六位・七位。一箭中外院布四端。中院六端。内院八端。八位・初位。一箭中外院布三端。中院四端。内院五端。中皮者、一箭布半端。若外・中・内院。及皮重中者如上。但勲位者不着朝服。立其当位次。

これは、大射(射礼)において、親王で二品の者・諸王臣で二位の者は、矢(箭)一本が外院(的の中の輪)は廿五端、内院(的の内の輪)は卅端あたえる。(以下同様)という内容で、確かに弓射の儀礼化に関わる資料ではありますが、「技術、礼法共に体系化され」と言える内容でしょうか?

笠懸の議論に関しては移動のお手数をおかけして申し訳ありませんでした。

>文武両道の「文」から来ているのでしょうか  

そうだと思います。文射に関してはよく使用されるわりに、明確に説明したものがなかなか無いと先に申し上げましたので、その内容を考えるのはなかなか難しいのですが、私の考えとしては「儀仗」と「兵仗」という概念を参考に考えればすっきりすると考えています。「儀仗」とは儀式に用いる装飾的な武具・武器、「兵仗」とは戦闘用の実用の武器の事ですが、それらをどう使うかという点まで考えると、前者は儀礼的武術、後者は実戦的武術と考えられます。また時代を区別せずに分類するのも無理があると思うので、それらを踏まえて考えています。

小笠原流は、その成立期に既に騎射が実戦的でなくなっており、幕府内の儀礼のノウハウが集合したものであるため、「武射」的性格は薄いのかもしれませんが、もともと騎射を実戦で使った鎌倉武士のノウハウを引き継いでいるでしょうから、(実際伝書を見ると実戦でのノウハウも書かれてはいます)、江戸時代の復興期以降~現状がどうであるかはともかく、武射的性格が無いとまでは言えないのでは。

文射が日置独自の用語かはわかりませんが、本多利實の文をよく読むと、文射(礼射)は朝廷の行事としての射を指しており、それに類似する物として代々の武家社会で礼式が行われたと読めます。武家社会の射を文武に分けるのは適切ではないのかもしれません(例え実戦・非実戦が明確に別れていても。)

文射武射はあくまで性格による分類で、歩射騎射とは次元の異なる分類と考えています。 騎射の行事が文射と言えるのかわかりませんが、「文射・武射」=「歩射」というのはちょっと単純化しすぎの気もします。 またその意味で、弓術項の「五射法」というのは適切な表現とは言えないと考えているので、7月15日の私の編集で「弓術の分類」と改めました(五射と紛らわしいからでもあります)。詳しく申し上げると、「文・武」と「騎・歩・(堂)」は確かに明確な分類とは言えない部分もあり、重なる部分もあるかもしれませんが、同列の分類ではないので「五射法」とまとめるわけにはいかないと思います。これについては、福太郎さんが最近「五射法」と戻されたようですが、全く同意できないのでご再考願います。

ところで通し矢について執筆準備中との事ですが、じつは手元に50%ほど書き終えた原稿があります。執筆中を宣言していなかったのは申し訳ないのですが、まだ準備中とのことですので色々と余計な手間をおかけするならば私の原稿をたたき台にする方が良いだろうと思い、アップしておきます。もし執筆に着手されているようでしたら、出し抜くような形になってしまいますがお許し下さい。--MizunoH 2007年8月31日 (金) 06:04 (UTC)[返信]

>「技術、礼法共に体系化され」と言える内容でしょうか?
技術も大射禄法によって定められたという事は意図しておりませんでした。「〜定められる等礼法が次第に整備され、また同時に技術も体系化されていった」という感じでよろしいでしょうか?訳文を読んでも単語がいまいち解らないですが、礼法と言えるのか?どうも作法その他礼式伴った定めでは無いようですね。それとも故実の始まりはこんなものなのでしょうか。
>「五射法」と戻されたようですが、全く同意できないのでご再考願います。
分類節で「礼武歩騎堂」と「真行草」を項目分けしたのみです。それ以前は利実の言う「真行草」がまず冒頭に来ており、さらに次に続く「礼武・騎歩堂」が改行されただけの紹介でしたので
    • 小節
    • 小節
というような構造的な整理をしたのですが、「礼武」「歩騎堂」「真行草」と3点を並列して並べるのも憚られたので現在の形に。「五射法」と5つを並列扱いするのは確かにやや語弊があるかと思っていましたが他に適切な言葉が思い当たらず戻したというよりはとりあえず、という形で。適切な分け方、若しくは語があれば治して頂いて結構ですよ。
>通し矢について執筆準備中
全く手を付けておりません。三十三間堂の画像をUPしたのみです。
>本多利實の文をよく読むと、文射(礼射)は朝廷の行事としての射を指しており、それに類似する物として代々の武家社会で礼式が行われたと読めます。
利実の記述も一貫の書も資料として等価値に扱うのは難しいでしょうか?信頼性の問題もあるでしょうが。双方に矛盾のない解釈をすると「一貫以外のどこかの日置(武家指南役)=礼 朝廷故実=文」となります。ここまで解釈進めると飛躍し過ぎになってしまうでしょうか。
「文射・礼射」と最初の定義語が2語並列して置かれているので読み難さを感じていました。元々「射禮」とあるのに止ん事無き方々が下々の射に対して自ら「文射」と名乗るわけもないので、或は…と考えていました。
他に概論の「日本の弓術」、分類の「文射と武射」も若干加筆したので確認お願い致します。--福太郎 2007年8月31日 (金) 09:30 (UTC)[返信]
「大射禄法」の本文、訳文をMizunoHさまの上記書き込みを失礼してほぼそのまま記載させて頂きました。訳文は現状冒頭部分のみとなってしまっていますが、不都合ありましたら改変加筆等お願い致します。--福太郎 2007年9月14日 (金) 16:09 (UTC)[返信]

お返事を頂いていたのに長らくご返答せず大変失礼しました。ちょっと執筆意欲を失って離れておりましたが、また意欲がわいてきたのでお邪魔しようかと思います。

  • 大射禄法についてですが、訳文がちょっと未完成のまま投稿してしまい失礼しました。「大射(射礼)において、親王で二品の者・諸王臣で二位の者は、矢(箭)一本が外院(的に画かれた三つの輪の一番外の輪)に中れば(賞品として)布を20端、中院に中れば25端、内院に中れば30端与える。(以下同様)」ということです。この時代に礼法や技術の充実が進行したのは確かだとは思いますが、客観的に語るのはなかなか難しいかと思います(失礼ながら矢形餅の神事はどうも眉唾物に見えます)。とりあえず、朝廷弓射行事の初見記事(『日本書紀』清寧天皇四年九月丙子朔条)と、天智帝期には射礼が正月行事として定着していた、(以上二木謙一 『中世武家儀礼の研究』より)件を知りましたので加筆しておきます。
  • 弓術の分類…色々と異議を唱えながらほっぽらかしにしてすいません。文武と歩騎堂が同列の分類でないことを強調したいあまり少々言葉が強くなりすぎました。入江康平筑波大教授は「弓術における技と心―日本の弓射 文化の特性―」(『武と知の新しい地平』昭和堂)の「弓術理念の二つの側面とその融合」という節で、「文射的側面」、「武射的側面」を挙げ(内容は既に弓術項に書かれている事と大差なし)、続いて「文射と武射の融合」として、「我が国の弓射文化は古代から近世まで、一貫して文射的性格武射的性格をもち合わせながら発展してきました」として、近世の動向として(五射六科の)六科(品)を挙げて、文射と武射の両面を知得体得した射手を理想とする考え方が成立したとしています。これまで読んだ物で一番すっきりとした説明と思いましたので、以上を基に、
    • 弓術の分類
      • 「弓術理念の二つの側面」として文(礼)射、武射、六科を
      • 「弓射形式による分類」として歩(五射、真行草)、騎、堂を

説明するのがもっとも適切かと思います。文射礼射が並列でわかりにくいという点ですが、大枠で文射として、「じゃらい」「しゃれい」、諸礼式等について説明しようかと思います。

真行草ですが、先日大蔵派系統の伝書に類似の使用例をみつけたので利実の造語ではないようです。もう少し調査が必要かと思いますが、「本多利実によると」は削除して脚注で出典を示しても良いと思います。

弓関連記事の充実に向け、今後も福太郎様のご執筆に期待しております。それでは。--MizunoH 2008年2月1日 (金) 10:03 (UTC)[返信]

ご無沙汰しております。私も日本語wikiにはあまり執筆をしなくなっていた所です。
  • 矢形餅…真偽の程は解りませんがその通り眉唾かもしれませんね。まぁ伝承があり、実際に伝統神事となり残ってるので、使い方にもよりますがそこまで事実のみに拘る必要もないかと。
  • 分類…時代的な文脈を鑑みた系統分けではなくそれぞれの形式を見た類別法ですね。それでよいと思います。
  • 「真行草」自体は書から来るものらしく、茶の湯でもその思想があるようです。射を類別して説明する性質上、「誰某の解釈」ではなく所謂「一般論」的な普遍性が欲しい所ですが、なかなか難しいですね。--福太郎 2008年2月4日 (月) 14:02 (UTC)[返信]
ご返答ありがとうございます。事が事実かの判断は素人には難しい部分もありますが、事実として紹介する内容と、エピソード的に紹介する内容とに分けると良いので、今後やっていこうと思います。分類はちょっと手間取ってますが、近日中にしあげておきます。真行草は「射にも真行草が当てはめられ…」と真行草なる美的感覚(?)は射にも持ち込まれ、たとえられたといった感じで書くのがよいと思いますので、これもそのうちやっておきます。まだまだ発展の余地があると思いますので、ご協力お願いします。それでは。--MizunoH 2008年2月7日 (木) 12:33 (UTC)[返信]

貴殿の投稿されたJapanese Map symbol (Hospital) w.svg画像について

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失礼します、124.96.204.171です。テンプレート:医療機関でのことですが、どのウィキプロジェクトで話し合われているか分かりませんでしたので、失礼ながら貴殿のノートの一端をお貸しいただきたく思います。貴殿の投稿されたJapanese Map symbol (Hospital) w.svg画像が一部、もしくは大部分の環境にて正常に表示されておらず真っ白な(実際には便宜的に透明な画像)が表示されている可能性がございます。私はまったくといっていいほどコンピューター及び画像については詳しくないので原因をはかり知ることはできませんが、どうやら以前からWikipediaで報告されている症状の一つHelp:画像の表示#SVGファイルの表示についてbugzilla: 5463)のようです。これがブラウザ環境(私の場合はInternet Explorerです。携帯電話からの接続でも同様に真っ白状態でした)によるものかもしくは別の原因が介在するかわかりませんし、当方の誤認である場合もありますのでご確認いただければ幸いにございます(誤認であった場合は大変申し訳ありませんでした)。最後にいくら自分の環境で画像が表示されないとはいえ、貴殿に確認も取らず削除してしまったことをお詫び申し上げます。

追伸:失礼ながら貴殿の投稿記録を閲覧させていただいたところ、図書館等他のシンボルマークでも同様の症状が出ていることをご報告申し上げます。--124.96.204.171 2007年12月13日 (木) 13:14 (UTC)[返信]

ご報告有り難うございます。要約で記したウィキプロジェクトとはWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト_建築#テンプレートの地図記号です。リンクし忘れました、申し訳ありません。さて、「真っ白に表示されてしまう」ですが、恐らく透過pngへのブラウザの対応(透明表示されず白く表示されてしまう)が原因と思われます。ソース画像は.svgですがwikiで記事面に画像を張ると.png画像に変換されます。透過pngをサポートしているブラウザ(IE7、FireFox、Opela、Safari等)ならば正常に見られるのですが、サポートしていないブラウザ(IE6、Sleipnir等)では透明部分が白く描画されてしまい、今回のように白線マークの場合真っ白になってしまうという事が起きます。以下をご確認下さい。

                                                              

本来はこのように表示されるのが正常なのですが…。IE6が透過pngを未サポートだという事は把握しておりましたが、すっかり失念してしまっていました。今回は100%私のミスです。良く確認もせず失礼いたしました。私が変更した地図マークは全て元に戻すのが良案でしょう。--福太郎 2007年12月13日 (木) 14:55 (UTC)[返信]
大変素早い対応ありがとうございました。誰にでもミスはあることですから、あまり気になさらずともよいかと思います。貴殿の活躍をお祈りしつつ、失礼させていただきます。今後も何かのご縁が在りましたらよろしくお願いします。--124.96.204.171 2007年12月13日 (木) 15:44 (UTC)[返信]

すばやい対応ありがとうございます!

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今回の苦い体験を生かし、解決策としてスクリプトの作成をいただきありがとうございました。同意見でおられたことも大変励みになりました。心から感謝していますm(_ _)m。---Siyajkak 2007年12月20日 (木) 16:00 (UTC)[返信]

まだ動作確認が完全ではありませんが、後は運用してみて様子見、という所でしょうか。という所で最初のうちは皆様のお手数をかけてしまう事となってしまいますが、どうぞよろしくお願いします。--福太郎 2007年12月21日 (金) 08:40 (UTC)[返信]

マセラティ・クアトロポルテ編集者より

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福太郎様はじめまして。 私クアトロポルテを編集しておりましたVanquishと申します。 突然の面識のない者からの一報、さぞ驚かれておられると思いますが、この度クアトロポルテ・ノートにお寄せいただきました貴重なご意見に対し一言お礼も申し上げさせていただきたく参らせていただきました。 つきましては、このような簡単なご挨拶ではありますが、心よりお礼申し上げさせていたただきます。 ありがとうございました。

また、クアトロポルテ・ノートに私から編集意図に関しまして簡単ながら述べさせていただきましたので、もしよろしければそちらにも目を通していただければ幸いです。

それでは、この辺りで失礼させていただきます。 この度は本当にありがとうございました。

--Vanquish 2008年2月4日 (月) 09:02 (UTC)[返信]

お礼

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はじめまして663highlandです。小生は福太郎さんを新着投票所に推薦された弓ドロー画像で以前より存じておりました。昨夜は小生会話ページをご訪問していただきまして、ありがとうございます。しかもQI5枚推薦という嬉しいお知らせとともに(^^)、おまけにレタッチしていただいた画像は自然な感じでありながら見栄えがよくなってます。それをお詫びなんてとんでもない。感謝しています。ありがとうございます!--663highland 2008年2月13日 (水) 15:47 (UTC)[返信]

Template:秀逸画像 認定証について

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Template:秀逸画像 認定証を変更されたようですが、テンプレートの使用方法が少し変わっているようですのでWikipedia:秀逸な画像の推薦/投票終了後の手順も新しい使用方法に合うように変更をお願いします。 -- Laitche 2008年3月16日 (日) 09:34 (UTC)[返信]

Wikipedia:秀逸な画像の推薦/投票終了後の手順を新しいTemplate:秀逸画像 認定証に合わせて少し変えようと思ったのですがTemplate:秀逸画像 認定証の「推薦」の所の指定が上手くいきません。 テンプレートのページの例のように「推薦=推薦者名」と入力すると[[User:推薦者名|]]と表示されてリンクが上手く行きません。 宜しければ福太郎さんの方でチェックして頂けませんでしょうか。 -- Laitche 2008年3月20日 (木) 04:07 (UTC)[返信]

秀逸な画像のシンボルロゴマークの選考について

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Wikipedia‐ノート:秀逸な画像#シンボルロゴマークの選考についてに記載していますように福太郎さんにご異論がなく、他の方から異議のない場合は福太郎さんに秀逸な画像のシンボル・ロゴマークの選考方法をお任せしたいと思います。 ご異論のある場合はWikipedia‐ノート:秀逸な画像#シンボルロゴマークの選考についての所までお知らせください。 -- Laitche 2008年3月16日 (日) 09:34 (UTC)[返信]

ロゼッタ石バーンスター

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ロゼッタ石バーンスター
コモンズの画像のガイドラインの翻訳をはじめ秀逸な画像、高画質な画像関係の翻訳をして頂きました事に感謝しThe Rosetta Barnstarを送りたいと思います。 -- Laitche 2008年4月5日 (土) 06:26 (UTC)[返信]

まだまだ日本語化しなければいけないページは多数ありますが、有り難うございます。--福太郎 2008年4月6日 (日) 12:27 (UTC)[返信]

ご注意

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個人ページである利用者:福太郎/Template:題字Category:特殊効果テンプレートに分類されています。--編集仁王 2008年4月25日 (金) 19:42 (UTC)[返信]

自動車スペック表の運用について

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Mwunです。スペック表の項目について話し合ってきましたが、現行テンプレートの利用を巡り、ホンダ・ステップワゴンの編集で揉めたのはご存知ですね。背景色=軽自動車とする編集を独自になさっている事象もありました。そこで利用者のこれ以上の混乱を避けたいため、私の判断でスペック表のページにしばらく利用を控えてほしいという警告タグを貼らせていただきました。

議論はしばらくはかかると思います。当分他車種にある旧テンプレート(現行型と互換性がありますが)をコピーペーストで利用するという方法も考えられますが、現行テンプレートへの移行を考えると作業量が無駄に多くなってしまいます。現在議論中の現行テンプレートはそのままにし、当分はそれをベースとした簡略版(ヴィッツやR2の使用例が載っていますが、それらの汎用型となるかと思います)を載せるということは出来ないでしょうか?ノートに作成したものを載せました。簡略版には議論中の項目は除外し、議論が一段落した時に合意項目を追加して更新していき、すべての議論が終了したときに正式版として現行テンプレートと統合するという方法はいかがでしょうか。他にいい方法があれば教えてください。--Mwun 2008年8月28日 (木) 08:03 (UTC)[返信]

当面の対応として暫定版を載せることといたしましたのでご報告申し上げます。--Mwun 2008年8月28日 (木) 19:31 (UTC) 乱発の問題があるので暫定版は取り下げることといたしましたのでご報告申し上げます。--Mwun 2008年8月30日 (土) 00:10 (UTC)[返信]

警告タグの記載を「冗長化を防ぐため、必要な項目だけ利用するようお願いします。」としましたのでご報告申し上げます。--Mwun 2008年8月30日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

スペック表の扱いについては改訂版(便宜上そう呼ばせていただきます)が出来るまで放置ということでまとまりましたのでご報告申し上げます。ただ改訂版の議論については、自主的に進めているところです。早期に議論に復帰されることを願います。--Mwun 2008年8月31日 (日) 13:01 (UTC)[返信]

お知らせ有り難うございます。ステップワゴンでの一件は詳しく承知しておりませんでした。
背景色=軽自動車とする編集を独自になさっている事象:これは単にスペック表の使い方を良く見ていないだけのことと思いますが…この様な問題は旧テンプレートの頃よりありましたが、マークアップ上の不備に気付いたら編集内容の要約に「マークアップ修正」として順次修正して頂ければよろしいかと思います。その他意見はあちらのノートの方へコメントさせて頂きました。--福太郎 2008年8月31日 (日) 20:50 (UTC)[返信]

Mwunです。製造期間についてメーカーの公表した西暦年表示のみとすることをガイドラインに盛り込むことで今月末で締めたいと考えています。またスペック表docの保護が解除となりましたが、スバルR2のスペック表とテキストソースの両方で全長x全幅x全高=3395mm x 1475mm x 1520mm-1,525mmと数字表記に統一性がないのですが、これは意図したものでしょうか?3,395mm x 1,475mm x 1,520mm-1,525mmのほうが例示として適切だと思いますがいかがでしょう。これ以外、議論終了までは特に編集する必要がないので保護ではなく、編集しないという協定というかローカルルールを設けたいと思いますがいかがでしょうか。あと製造国、最高出力のほうにもコメントをいただければありがたいです。--Mwun 2008年10月24日 (金) 14:18 (UTC)[返信]

お知らせ有り難うございます。「数字表記に統一性がない」これは正直どこの事なのか理解しておりませんでした。これが意図した事なのかただのミスなのか、作ったのが相当前なので失念しておりますが、仰る通り「3,395mm x 〜」の方が良いように思います。docに関する処置はあちらで提案されている通りで良いと思います。{{告知}}でアナウンスすれば充分でしょう。製造期間に関しては失礼してあちらのノートにてコメントしました。ご参照下さい。--福太郎 2008年10月24日 (金) 17:42 (UTC)[返信]