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利用者‐会話:澤田修一/sandbox

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内野隆司

概要 1960年9月24日 大阪府枚方市に生まれ。 ボディデザイナー、 株式会社TSD 株式会社リタム 代表取締役社長 小学校のころに、格闘技に興味を持つ。「臆病な自分が嫌、強くなりたい」という想いで高校卒業まで空手や少林寺拳法を習う。  父(重昭)は1960年ローマオリンピック 1964年東京オリンピック 近代五種競技日本代表。

KALIとの出会いとジムを開設するまで 18歳の時に単身渡米。ミネソタ州立大学に在学。格闘技が大好きだった内野は、友人からKALIを習えるジムがある事を聞いたことがきっかけで、ミネソタKALIグループに入門する。 学業と格闘技の日々。そんな中、母の病気がきっかけで仕送りが途絶る。学費と生活費を得る為に、始めたのが日本語と格闘技を教えるアルバイト。後にジムを開設する原点が形を見せ始める。将来は、「美と健康と心の豊かさ=Goodfeelingを追求してゆく自分のジムを持つ」、という内容の論文も書いている。 ミネソタ州立大学を卒業し、日本にもどった内野は、外資系TOROカンパニージャパンに入社。20代にして日本支社長にまで上り詰める。しかし、本当に自分がやりたい格闘技を追求する為に、TOROカンパニージャパンを退社。大阪梅田にフィットネスクラブTSDKALIを開設。 ジムのメインプログラムは、内野がアメリカ時代に習得したKALI。格闘家であり、ハリウッド俳優のブルースリーも学んだKALI、映画「燃えよドラゴン」で脚光を浴びたKALI、FBIでも取り入れているKALI。そのKALIが学べるのは日本では他にはなく、全国の注目を浴びるはずだった。後に、内野は「格闘家として脚光を浴びたい自分と、経営者として会社を成功させたい自分がいて、どっちつかずの状態だった」と当時を語る。

辰吉丈一郎氏との出会いとリズミックボクシングの誕生 ジムをオープンしたものの、会員数は8名。経営は日に日に苦しく、資金が底を突くのは時間の問題だった。そんな頃、第18代WBC世界バンタム級王者(後に24代同級王者に返り咲く)辰吉丈一郎氏の当時トレーナー島田氏の誘いで、大阪帝拳(ボクシングジム)を訪れ、辰吉丈一郎氏との出会いがリズミックボクシング誕生のきっかけとなる。 後に、内野は、「当時は、パンチやキック、関節技、投げ技など、色んな格闘技が出来る方が、エクササイズとして魅力的である。ボクシングはパンチしかないので魅力に欠けると考えていた。しかし、拳一つしか使う事ができないボクシングというルールの中で世界を取るということは、色んな格闘技が出来る事よりも凄い事なんだということを辰吉丈一郎氏から教えてもらった」と言っている。 自らも大阪帝拳ジムに通い、一からボクシングを習う。辰吉との300ラウンドを越えるスパーリングの中で、内野が持つKALI、蹴り、関節技などの技術を、ボクシングに集約し リズミックボクシングが誕生する。 また、ISKA アマチュア世界チャンピオンを誕生させる。リズミックボクシングが、単に音楽に合わせたダンスではないことを証明する。格闘技各団体からも、フィットネスの業界からも一目置かれるようになる。 2008年10月 タイにて辰吉丈一郎氏復帰戦のトレーナーを務める TSDKALIプログラム ① リズミックボクシング 入門編、初級脂肪燃焼、脂肪燃焼最強、中級入門、中級、上級 ② TUKALI 入門編、初級(Level1~3)、ラメイクA~C part 、エンプティハンド&相対 ③ 格闘技 TUボクシング、TUキックボクシング ④ TUシェイプアップ大作戦 ⑤ TUスペシャルレッスンコース ⑥ コリオ(振付け)レッスン

リズミックボクシングライブ LIVEハウスを貸し切り、1000人規模で開催されるTSDKALI最大のイベント。 第1部は、リズボクコンテスト。日ごろの練習の成果をステージで発表する。その為のレッスン(コリオレッスン)が、イベント1か月前よりTSDKALI各店にて行われる。 そのコリオ(振付け)も、すべて内野隆司プロデュースによる。 第2部は。ライブレッスン。「1日で1人2キロ体重を落とし、1000人で2トンの体重を落とす」ことが目的。 2013年現在、TUシェイプアップ大作戦は14年目、TUスペシャルレッスンコース13回目を迎え、内野自ら現場に立ち、美と健康と心と体の豊さ=Goodfeelingを伝え続けている。

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