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利用者‐会話:ブレイズマン/過去ログ1

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コモンズから呼び出されている画像のページの扱いについて

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ウィキメディア・コモンズから呼び出されている画像(画像の真下に「このファイルはウィキメディア・コモンズから呼び出されたものです。」のタグが貼られている証拠です)の日本語版ウィキペディアでのローカルページを立ち上げてのカテゴライズは、Wikipedia:即時削除の方針#画像/マルチメディアの7の規定により即時削除の対象となります。カテゴライズは直接コモンズのページでお願いします。--Wakkubox 2008年2月6日 (水) 22:52 (UTC)

転載について

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こんにちは♪ Wikipediaでは外部サイトの記述を流用して記事を書くことは、ほとんどの場合、堅く禁じられています。Wikipedia:ガイドブック 著作権に注意の他、各種方針をごゆっくりお読みください。心苦しいですが、転載の可能性ありとして、Wikipedia:削除依頼/広徳寺 (尼崎市)を提出しておきました。御確認くださいませ。--アイザール 2008年3月10日 (月) 03:03 (UTC)

ご連絡有難うございます。内容に関してはWikipedia:削除依頼/広徳寺 (尼崎市)でお返事させて頂きます。--ブレイズマン 2008年3月10日 (月) 08:13 (UTC)

置塩城について

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はじめまして。置塩城のあなたの加筆した城主五代の部分[1]の記述にそっくりだったんですが、執筆の際に参照されたのでしょうか?場合によっては削除依頼に出さなければならなくなりますので、誠実な返答をお願いします。--Kangoshiyouichi 2008年4月30日 (水) 23:04 (UTC)

こちらの記載は、参考文献としてあげています『ひょうごの城紀行(上)』を中心に加筆させて頂きました。あげられていますホームページを参照した、もしくは参考にさせて頂いた事はございません。存在も知りませんでした。ただ、先方のホームページも<「ひょうごの城紀行」神戸新聞総合出版センタ 等 参考>と同一の資料を参考になったようですので、似た文章になった可能性はあります。--ブレイズマン 2008年5月1日 (木) 04:53 (UTC)
情報提供ありがとうございます。念のために削除依頼を出しておこうと思います。ついでですが、赤松晴政の没年がウィキペディアの現状の記事と異なっていたようですが(その点も外部サイトと共通していますね)、その出典も『ひょうごの城紀行(上)』という理解でよろしいでしょうか。--Kangoshiyouichi 2008年5月1日 (木) 22:12 (UTC)
その通りです。『ひょうごの城紀行(上)』のP.158に「1556年10月に死去」と記載が見受けられます。--ブレイズマン 2008年5月2日 (金) 15:19 (UTC)

コモンズのカテゴリ作成に関して

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コモンズへのカテゴリ作成時に名前を付ける際ですが、命名は慎重に願います。Commons:Category:Ishiyama temple‎ですが、端から見ると滋賀県の石山寺と勘違いするかもしれません。かつ、他にリンクしていなかったので迷子状態でした。とりあえず冒頭の文句を書き替え、かつ親カテゴリにリンクさせるようにしましたので、今後カテゴリを作成する際は親カテゴリ(各都道府県の城郭や寺院の親カテゴリがあります)にリンクさせるようにお願いします。 あと、Commons:Category:M okayama Castleは、、、そちらで対処願います。--Kansai explorer 2008年6月18日 (水) 12:16 (UTC)

画像のトリミングについて

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こんにちは、ブレイズマンさん。画像のアップロード、お疲れ様です。

ブレイズマンさんがアップされた、蓮如実如証如顕如教如の画像は、掛軸の長さのままなので、Template:Infobox Buddhistの記述がかなり下になっていました。この状態では、記述の可読性の点で、難があったため、画像をトリミングさせていただきました。

ただ、ブレイズマンさんが、コモンズにアップされた元の画像は、残しておいてあります。その方が、閲覧する人に有益と考え、Summary,Other versionsに、リンクしておきました。--Resto1578 2008年7月21日 (月) 18:28 (UTC)

ご連絡有難うございます。私の個人的な考え方なのですが、「掛軸の長さ」というのはそれなりに意味があるのではないかと考えております。人物を誇張して解りやすくする、というのは誤った判断ではありませんが、これらの画像はすべて現在制作者はおられませんので、敬意を払ってなるべく制作意図に近い形で掲載できればと思っています。画像が長くなるとレイアウト的にも綺麗ではありませんが、作成意図に近い形ならば、百科事典としてはその方がいいのではないかと思います。美術の専門家ではありませんが、余白というのはそれなりに意味があるのではないでしょうか。但し、一部分を強調することで違う解釈があるならば別ですが。そのように考えて画像アップしました。いずれにしましても、いくつか画像はカテゴリーが設定していないなどあるようですので、その辺の修正はお願いします。--ブレイズマン 2008年7月22日 (火) 05:42 (UTC)
(コメント) ブレイズマンさんの意見に対し、反対の意見となってしまいますが、私の考えを述べます。
「掛軸の長さ」の意味が重要になるのは、その掛軸が「美術品」として事典の項目にある場合は、重要だと考えます。
「人物」についての項目であるならば、「Template:Infobox Buddhist 」の記述(「幼名」以降の記述)の「可読性」に重点を置いて、その人物の参考として「人物像」を掲載する方が、閲覧者に有益と考えました。
カテゴリ設定についてですが、「Category:PD-Japan」の事でしたら、私には「画像」がパブリックドメインであることを確認するすべがないので、Descriptionに、元となる画像の拡大である旨を記述しました。また、ライセンスを「{{PD-user|ブレイズマン}}」と変更しました。「證如上人像」のカテゴリは、ミスタイプです。修正しました。--Resto1578 2008年7月22日 (火) 07:41 (UTC)
掲載意図と違う方向で活用されている点は了解しました。人物と申しましてもこのような画像の場合、必ずしも本人と同一、かなり酷似している場合ばかりではありません。制作者の目を通しての人物となりますので、可能な限り制作意図に近い方が望ましいと思います。後、証如影像のカテゴリーも間違っていませんでしょうか。確認お願いします。--ブレイズマン 2008年7月22日 (火) 08:33 (UTC)
(コメント) 人物伝のページで用いられる画像は、「織田信長」「豊臣秀吉」「武田信玄」などのページでも人物を拡大した画像を用いているので、問題は無いと思います。とりあえずこの議論は、経過観察ということでいかがでしょうか?
「證如影像のカテゴリーの間違い」に関しては、「ファイルの履歴・コメント」に表示されていたカテゴリのことでしょうか?もしその事であれば、コモンズにてpurgeして修正しました。--Resto1578 2008年7月22日 (火) 23:44 (UTC)
「経過観察ということでいかがでしょうか?」ということですが、個人的な意見とは違いますが、より適切に運用できるという事であるならば問題ございません。それで結構かと思います。カテゴリーと言いますのは、コモンズ内のカテゴリーででは[このtemplateにはカテゴリがありません ]というタグが貼られています。一度正しくカテゴリーが付いているか、チェックしてみてください。--ブレイズマン 2008年7月23日 (水) 05:43 (UTC)

関連項目の追加について

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お久しぶりです。さて、ブレイズマンさんは、記事を新規に作成されるたびにあちこちに関連項目として追加していますが、中にはさほど関連性が乏しいのではないかと疑われるものもいくつか見受けられます。このような行為はマルチポストとみなされる可能性もありますので、できれば十分に熟慮した上で、バランスよく行っていただけませんか。できれば加筆した上で本文中に自然な形にリンクを作成できるようにしてくださいませ。--Kangoshiyouichi 2008年8月22日 (金) 18:49 (UTC)

ご指摘にあるような「あちこちに関連項目として追加」しているわけではなく、Wikipedia:関連項目にもありますように、「内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的」でありますが、それが難しい場合関連項目を追加しています。ただ一方で「バランスよく行っていただけませんか」という指摘は熟慮させていただきます。ご指摘感謝申し上げます。--ブレイズマン 2008年8月22日 (金) 19:06 (UTC)
そうですか。本当に熟慮しているのかどうかかなり疑問ではあるのですが、感謝までされてしまうとなんともいえませんね。--Kangoshiyouichi 2008年8月24日 (日) 17:53 (UTC)

石山合戦配陣図

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  • 石山合戦配陣図もとてもよい史料だと思います。画像上が東方向、画像左が北方向なので、ぱっと見たときはどういう方向かなと思いました。右側の中洲に「四天王寺」、その右の陸地に「ハリマ塚(現在の阿倍野区王子町播磨塚)」ですね。その下に山脈みたいになったのが上町台地で、「万代池(現在の住吉区帝塚山東)」が書かれてます。この図には住吉大社は現れていませんので、地図の範囲は『現在の新淀川より南、住吉区より北側』と推測されます。大阪市の歴史項目に追加してもちょうど良い地図だと思います。一般の方に地図を見るときのヒントになるように、場所の解説や東西南北方向の解説をコモンズのページに追記されてはいかがでしょうか。--Inoue-hiro 2008年9月18日 (木) 11:08 (UTC)

願得寺につきまして

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どうもКОЛЯと申します。願得寺の庫裏の件ですが、登録有形文化財制度が始まりましたのが1996年のことですので、阪神大震災で焼失したとの記述は間違いだろうと思います。「登録有形文化財」とは別の指定であったか、別の災害ではないでしょうか。文献をご確認下さい。なお「登録有形文化財」は「指定」されるものではなく「登録」されるものだとのことです。

ついでですが、参考文献に挙げられている清澤悟氏著『願得寺』の出版年、出版社が記載されておりません。のみならず、NACSIS、国会図書館、大阪府立図書館、門真市立図書館の蔵書検索でいずれも確認できませんでした。私家版でしょうか。検証可能な情報源に則った情報でお願いいたします。なおいくつか私もWEBで検索しましたが、願得寺の庫裏に関する記述が確認できませんでしたので削除した次第です。--КОЛЯ 会話 2008年9月24日 (水) 16:13 (UTC)

登録有形文化財制度につきましては知識がなく、「登録有形文化財とは別の指定であった」か私の記載内容の解釈が間違っているかもしれません。清澤悟氏とは当寺の住職となっております。暫定的に内容を変更し更なる文献を探しておきたいと思います。丁寧なご連絡有難うございます。--ブレイズマン 2008年9月24日 (水) 16:44 (UTC)

星のお礼

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こんばんは、663hです。 歴史史跡関係の達筆の執筆者からこのようなお気持ちをいただけるとは!、大変嬉しいです。小生の画像の活用共々、ありがとうございます。ブレイズマンさんは黒井城の記事画像のほか数多くの有意義な思慮深い投稿をされおり、私などはとても及びません。感謝の気持ちを伝えたかったのは、寧ろ私の方です。^^--663h 2008年11月17日 (月) 14:09 (UTC)

八木城 (丹波国)の記述について

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あなたが作成された八木城 (丹波国)は内藤氏の居城であったのですから同氏の興亡に触れざるを得ないのは当然ですが、沿革節の記述は主題から逸れ過ぎで、特に内藤如安によるキリシタン布教活動の逸話は詳細に過ぎ、内藤如安に記述すべきものです。

一族の過剰な逸話を刈り込んでいく中で、あなたの記述には多くの問題があると思いました。第一に言葉を濁す記述が目立ち非常に読みづらく、これは出典の用い方を理解されていないことに起因するものと思われます。(→Wikipedia:言葉を濁さない

築城の起源は明らかに的を外していると思われますし、内藤如安の幼名とされる千勝丸や元服後の字である内藤正勝を不用意に別人として用いているのは混乱するばかりです。多くの文献資料を読み込んで書かれたと思われるのに、記述は正確性を大きく損なっていて、事実の把握方法にも疑念を生じざるを得ません。

主題に絞って正確・明確な記述をするようにお気をつけいただきたいと思います。--Dvorak2008 2008年11月29日 (土) 10:33 (UTC)

ご連絡いただきまして有難うございます。記事に問題部分がある場合はノート:八木城 (丹波国)にまずは記載していだたければと思います。個別内容に関しましては、ノート:八木城 (丹波国)にてお返事させていただきます。--ブレイズマン 2008年11月29日 (土) 10:57 (UTC)

「黒井城の戦い」の著作権問題

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あなたが立項された黒井城の戦いノート / 履歴 / ログ / リンク元は明らかに戦国武将というサイトの黒井城の戦いとの双子記事であるため、{{著作権問題調査依頼}}しました。経緯を御存知でしたら、ノート:黒井城の戦いに回答をお願いします。あなたが当該サイト記事の筆者でウィキペディアへの自著作物の持込にあたる場合は、Wikipedia:自著作物の持ち込みを参考に手続きを願います。--Dvorak2008 2008年11月29日 (土) 11:04 (UTC)

ノート:黒井城の戦いにて回答させていただきました。--ブレイズマン 2008年11月29日 (土) 11:27 (UTC)