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利用者‐会話:ひで。/ヌーディズム外部リンク論争の雑感

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2006年1月31日以前のログはこちら

呼び捨て

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こんにちは。中立的な編集をありがとうございます。ひで。さんがいてくださってよかったとつくづく思います。

ところで、おやんずさんの議論相手の呼び捨てがまだ続いています。あろうことか、Maris stellaさんを「マリス」と何度も呼び捨てにして・・・。 (ひょっとして、Maris stellaさんを管理者だと思い込んでいらっしゃるのかもしれませんが)

先ほど、ノート冒頭で私からも呼びかけましたが、今後もこれが続くようであれば、今度こそ本当にコメント依頼を出さざるを得ません。コメント依頼を出せば、ブロック依頼まで行き着いてしまう可能性も十分考えられます。

ひで。さんにはお骨折りいただいておりますので一応、お知らせまで。--miya 2006年2月6日 (月) 01:45 (UTC)[返信]

最近はちょっと議論から距離を取っています。知人の口癖で「堪忍袋の緒は切れるためにある」というのがあるんですが、まだ踏みとどまっています。もはや誰も氏を擁護できないでしょう。真摯に対応された皆様に敬意を表します。--Lcs 2006年2月6日 (月) 09:24 (UTC)[返信]

miyaさん、こんばんは。おやんずさんの件ですが・・・私がかつて申し上げたように、おやんずさんは基本的に「受け身」の人です。そしてそれは、どんな条件下であっても、です。誰かの挑発に反論している中で第三者から別の点を指摘された場合、おやんずさんはどうしてもその相手にもすぐに噛み付かないと気がすまないようで、それに対しても反論を始め・・・と、放っておくと次から次へと揉め事が拡大します。だから私は「そもそもおやんずさんを挑発させない」「もしおやんずさんが挑発に乗ってしまったらそれだけに専念させる」「おやんずさんの目が他の人の糾弾に向いてしまったらできるだけそらす」ことを心がけています。だからこそ、ヌディテ氏に譲歩をお願いし続けていたわけです。だからこその今回の「提案」だったのです(効果はあまりなかったようですが)。
今回のMaris stellaさんの件ですが、あの手の指摘はおやんずさんにかなり効いてしまいます。だからこその反論攻勢であり、だからこその呼び捨てだと思いますので、決して必ずしも管理者と勘違いしているとは言えません。ただ、少なくとも、おやんずさんは「自分は不当に攻撃された」と思っていますので、消極的ですが、Maris stellaさん側で「謝罪(?)」の姿勢を見せる以外に回避策はないと思います。ただ、それは恐らくありえないことだろうとは思いますけどね。
それから、miyaさんからの呼びかけ、ですが、おやんずさんの性格上、特に「自分に攻撃している」相手から、自分に「譲歩」を求める提案がなされた場合、それを全て「上から見下す」ものと断じてしまいます。ですから、きっと逆効果です。
コメント依頼、これもmiyaさんたちのお気持ちを察すると致し方ないところだとは思いますが・・・今のおやんずさんを見ていると、その怒りの矛先がどこに向かうのか、それが懸念されるところです。--ひで。 2006年2月6日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
Lcsさん、ご無沙汰しております。切れる寸前ですか・・・無理もない状況だとは思います。私のは「擁護」じゃないですね。言うなればおやんずさんを「こういう人」と最初に大枠で定義づけ、「こんな時はこう対応する」とイメージしながら、危険を避けるように対話してきましたから。むしろ正面から向き合おうとしたToki-hoさんあたりの方がすばらしいと思います。--ひで。 2006年2月6日 (月) 12:38 (UTC)[返信]
大人の対応という面でいろいろと学習させて頂いております。わかっちゃいるけど・・やってしまいそうになるあたりを皆様のコメントを見て自制しつつ自省する日々です。--Lcs 2006年2月6日 (月) 20:37 (UTC)[返信]
Lcsさんにとって、きっと私は「反面教師」でしょうね(笑)--ひで。 2006年2月7日 (火) 07:33 (UTC)[返信]


向き不向き

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Maris stellaさんは、たしかに厳しい物言いをなさいますが、間違ったことはおっしゃいませんし、ウィキペディアの方針はきちんと尊重なさる方です。理を尽くした説明があれば、ちゃんと納得して引くこともご存知です。

ひで。さんには申し訳ありませんが、そもそも、「譲歩」を求める提案にいちいち過剰反応される方はウィキペディアの協同作業にはむいていないのではないかと思います。これはその方が悪いわけではありません。ただ、相性の問題です。ウィキペディア参加に向く人・向かない人がいるだけです。 おやんずさんがウィキペディアでの編集をひで。さん、ぽーさんにお任せになれば、八方丸く収まるのではないかと思います。--miya 2006年2月6日 (月) 23:25 (UTC) 微修正2006年2月6日 (月) 23:29 (UTC)[返信]

miyaさん、前回の説明がちょっと言葉足らずだったので補足ですが、おやんずさんは決して譲歩しない人ではありません。しかし、「論争では常に相手の譲歩を勝ち取ることが最優先」というところがあるようです。ですから、miyaさんの提案もMaris stellaさんの指摘も「miyaさんもMaris stellaさんも自分の要求するレベルの譲歩をしていないのに自分だけが彼らの要求どおりに譲歩できるわけがない」という発想で捉えていると思います。それがあのような「謝罪があれば氏ぐらいつけてやってもいい」といったコメントにつながっているのだと思います。共同体の構成員が彼の性格を十分認識している状態なら、彼の防衛本能?をうまくコントロールしつつ、アグレッシブな長所もきっと生かせるのですが、少なくともWikipediaにおいては仰るとおり相性が悪いようです(最悪か?)。Wikipediaはどう考えてもおやんずさんにとって「ストレスの種」でしかないので、最終的にはフェードアウトに至るのがベストだと私は思っています。ただし、おやんずさんは他者から追われるように出て行くことを極端に嫌い、その場の公開性の問題にまで言及して自らを追放する動きを非難し続け、場合によっては法廷闘争に発展します。miyaさんのお考えもよく分かりましたが、おやんずさんに「向いていない」と引導を渡すことで、新たな問題が勃発する可能性が高いように思いますので…自称「穏健派」として、ぜひともみなさんには慎重な対応をお願いしたいところです。--ひで。 2006年2月7日 (火) 07:34 (UTC)[返信]
私は軟弱者で、banされた参加者のことをいつまでもくよくよ、あのときもう少し配慮があったらブロックにいたらずに済んだかもしれないなどと思い悩む方ですから、おやんずさんがブロックされずにすめば、これほど嬉しいことはありません。コメント依頼やブロック依頼に無駄なエネルギーを費やさずに済むのはコミュニティにとってもプラスです。
ただし、他のユーザーやコミュニティに過大な譲歩をを求められても困ります。ひで。さんがおやんずさんを甘やかしておられる(※)のは、ひで。さんのご自由ですし、私だけのことなら割り切ることも出来ますが、他の人たちにまでそれを求めるのは理不尽というものです。
今すぐ「フェードアウト」が可能なら・・・おやんずさんご自身にとっても、それが一番良いだろうと思います。ただ、私がそれを言うと、きっと逆効果ですよね?--miya 2006年2月9日 (木) 01:36 (UTC)[返信]
(※)言葉が悪くてすみません、でも、客観的に見るとそうとしか言えないように思います。--miya 2006年2月9日 (木) 02:08 (UTC)[返信]
「甘やかし」については、客観的に見ればきっとそうなのだと自分でも思いますよ。miyaさんの見立ては的を射ていると思います。
ただ、私は、対おやんずさんでは極力中立を維持しており、行動を「やんわり」たしなめることはあっても、彼の主張に賛同したのは「基準案の議論を優先させましょう」ということのみ、それ以外の強硬な主張には一切賛同的な意見を発していない、ということをご理解ください。
Wikipedia外でもずっと「部分的に理解は示せるが、賛同できないことも多い」というスタンスでした。おやんずさんも私を無条件のおやんず賛同者とは思っていないでしょう。それでも、おやんずさんは私を煙たがることはありません。唯一他の方と異なるとすれば、おやんずさんというキャラクターを分析し、理解したうえで「おやんずさんが暴れだすことがないよう」たしなめる際の発言に注意を払っていることぐらいです。自分のプライドは傷つきますが、全体の平和が保たれるならそれでいい、という認識で、面倒でもこれを心がけています。結果的に、miyaさんに「甘やかし」というレッテルを貼られるような形になっていますが、そもそもヌディテさんに引っ張られるようにWikipediaにおやんずさんが入り込んでしまったことを憂い、何とかこれ以上の争いを防ぐべく選んだ方針ですので、後悔はしていませんし、miyaさんに発言の撤回も求めるつもりはありません。ですから、どうかお気になさらないでください。
「フェードアウト」ですが、おやんずさんの過去の言動から考えると、最悪Wikipediaのブロック方針について法廷闘争に至る可能性もあります。そうならないためにも、何とかおやんずさんの目を最低でも外部リンクから外したいと思います。まだ呼びかけたばかりですが、ノートにどう返答が来るかで、この後の出方が変わってくるでしょう。
おやんずさんを巡る論争(と言えるレベルにはなっていない気がしますが)については、言い方は悪いですが、Maris stellaさんの「参戦」で余計にこんがらがってしまった感じです。コメント依頼によって他の方が次々議論に参加されるなら、その分きっとこんがらがって修復不能となってしまうでしょう。それは何としても避けたいと感じています。--ひで。 2006年2月9日 (木) 02:36 (UTC)[返信]

再白紙化

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おやんずさん、今頃になって外部リンクを再白紙化なさいましたね。ヌーディズムの外部リンクは永久に白紙状態でいいという気がしてきました。--miya 2006年2月11日 (土) 15:17 (UTC) (八つ当たりでした ごめんなさい 言わずもがなの部分を取り消します--miya 2006年2月14日 (火) 00:11 (UTC)[返信]

私は今回の議論で「朱に交われば…」と言われ、信用がなくなってきた感もありますので、今後を考えるとコメントしづらいところです。miyaさんが穿った見方をされるお気持ちは分かります。が、それはやはり「憶測」でしかありませんから、それについてはコメントは控えさせていただきます。
Maris stellaさんについては、おやんずさんへの返答云々はともかく、私の中では「荒っぽい編集をなさる方」という印象に変わっています。最初は、これが一般的な見方だから、ヌーディスト間で小さなことに拘って争うべきではない、という呼びかけに利用させてもらっていたのですが、その編集意図の説明などが全くなされていない状態が続き、明らかにそれによって混乱が生じていると思います。あれ以降、Pohさんが「我が意を得たり」とばかりに「TakeOff」批判を強めてきましたし、ヌディテさんも執筆ペースを上げています(これまでの動きを考えると、この「PohさんがUVA氏を叩く」「ヌディテさんの編集頻度が高まる」という動きは、おやんずさんを刺激すると思います)。おやんずさんへ、というより、私も含めた他の編集者へ、Maris stellaさん自らの編集意図について何らか説明なさったほうがいいような気がします…。
私はほとんど「白旗」状態です。以前Toki-hoさんに評されたような「双方に信頼されている」状態とは、もはや口が裂けても言えないと思いますので、最後まで努力はしますが、私の望む結末は夢物語に終わりそうな気がします。--ひで。 2006年2月13日 (月) 05:03 (UTC)[返信]
こちらでは初めまして。みっちと申します。ヌーディズムの記事をめぐる議論について、この間ながめていました。私自身はこの項目に関心がないので、議論に参加するつもりはありません。ただ、miyaさんの会話ページでおやんずさんと少々お話ししたことは、ひで。さんもご存じでしょう。率直に申しますが、この記事のノートには、これまでも山のようなログが積もっており、おそらくこれからも延々と繰り返されるだろうことは、誰の目にも明らかだと思います。しかもその内容は、権利闘争のための演説であり、ヌーディスト同士のなじり合いであり、それを止めるために割って入ろうとした人への悪罵です。Maris stellaさんの議論参加がいまの事態を招いたわけではなく、むしろ、だれがどうしようと、こういう結果にしかならないのではないでしょうか。
私としては、この記事については再度保護とし、最低1年間は解除しないことが望ましいと思います。百科事典は、自分の信念を表明したり正当化したり戦ったりするところではありません。また、おやんずさんについては、ご自分をウィキペディアより高みに置いて、ウィキペディアのルールを守るつもりのないことを明言しておられますので、コメント依頼は省略してブロック依頼で審議してよいと思います。でなければ、相手をするだけ無駄だと思いますから、いっそのことmiyaさんもひで。さんもヌーディズムの記事から撤退、放置して彼らの好きなように編集させた方が、その分ログが少なくなるだけましというものでしょう。--みっち 2006年2月13日 (月) 06:30 (UTC)[返信]
みっちさん、はじめまして。「だれがどうしようと、こういう結果にしかならない」というものでもない、と私は思っております。少なくともおやんずさんは、誰も彼を「攻撃」していない状態では、ずっとおとなしいと思います。その意味では、「彼らの好きなように編集させた方が、その分ログが少なくなるだけまし」というみっちさんのご指摘が的を射ていると感じます。たぶん、ある程度自分の信じるままに編集を行ったら、それ以上、執拗に記事内容の維持を図ろうとはしないのではないか、と思います。リンク順で争いが起きるまで、これといった編集合戦が起きなかったことを考えるなら、もともとおやんずさんは、Wikipediaの「ヌーディズム」にはそれほど関心を持っていなかったのかもしれず、ヌディテさんの編集をきっかけとして、争いをあちこちに拡散させてしまったのだと思っています。だからこそ当初は、ヌディテさんに折れてもらうことで解決を図ろうとしたのですが…その意図は伝わらず(汗)そうこうしているうちに管理者との争いになり、ついにはMaris stellaさんの登場でダメ押しのようになってしまいました。
撤退については、もともとそのつもりでおやんずさんにも伝えていました。おやんずさんも一緒に撤退できるなら…という思いもありましたが、現状ではきっと無理だと思います。また、miyaさんに撤退を促すのは、難しいような気がします。撤退できるなら、とっくに撤退しているはず。それがされていないということは、miyaさんもまた、この記事を、もしくはおやんずさんを「何とかしたい」という思い入れが強い方なのだと捉えています。ただし、それがまたおやんずさんの反発を招いている要因でもあるでしょうけど…。
あともう少しだけ、解決を模索していきたいと思っています。--ひで。 2006年2月13日 (月) 11:07 (UTC)[返信]

すみません、罪も無いひで。さんに八つ当たりしてしまいました。「彼らの好きなように編集させた方が、その分ログが少なくなるだけまし」というのは、たしかにそのとおりだと思います。編集合戦が再燃すれば再保護されるだけですし、他の項目に飛び火する心配もないので、ブロック依頼を急ぐ必要はないかと思います。

私について言えば、Wikipedia:中立的な観点が守られるなら、これ以上口出しする必要は感じません。中立といえば、外部リンクの白紙化は、これ以上ありえないほど「中立的」ですね(苦笑)。

Maris stellaさんの編集意図ですか・・・「望まないのに他人の全裸を見せられるのは(通常)不快だ」というのは一般的な人が抱く「主観」だということでしょう(Maris stellaさんの、ではなく)。でも、過去の版の方が適切だとお考えなら、復活させて良いと思います。ただ、

>あれ以降、Pohさんが「我が意を得たり」とばかりに「TakeOff」批判を強めてきました

これが分かりません。Maris stellaさんは片方だけを「望ましくない」「不快なもの」と断じたわけではないのに。

それにしてもPohさん、Take off...を悪く言おうとすればするほど、日本のヌーディズム活動全体の印象を悪くしているのが何故おわかりにならないのだろうか・・・とは思います。集団で行おうと一人で行おうと、「違法性」「公然猥褻」「他人の権利の侵害を省みず」という点では同じなのにね。

集会場所を公開しないのだって、一般人はそもそもヌーディズム関係の情報を求めたりしないから、場所情報を公開しても「見たくない人」の被害を防ぐ役には立たないし、ノゾキ趣味の人たちを招き寄せる結果にしかならないことくらい、私にだって分かります。

一般人は一見ではヌーディストと露出狂の区別が付かないし、一人で全裸になっていれば、まず、確実に露出狂だと思うでしょう。まだ集団の方が、「へんな集団が集会を行っているのかなぁ」と思う可能性があってマシなくらいです。--miya 2006年2月14日 (火) 00:11 (UTC)[返信]

ひで。さんとmiyaさんのコメントに直接つなげたいので、Lcsさんのコメントから別に節を立てさせていただきました。割り込んだ形になって申し訳ありません。もし納得いただけないようなら、元に戻されても構いません。
お二人の努力には敬意を表します。どちらかというと、私の意見は前者(保護とブロック)にあったのですが、穏便な方向をめざしておられることに、見識を感じます。ここはウィキらしく、数年以上のスパンで考えてはどうでしょう。私も含めて人間は自分の見たいものしか見ません。でもそれを自覚し、他者の視点や考えを尊重することで、対象をより幅広くとらえて中立に近づくことはできると思います。ウィキペディアに必要なのは、そういう姿勢だろうと思います。
ひとこと反論させていただければ、ひで。さんは「誰も彼を「攻撃」していない状態では、ずっとおとなしい」と強調しておられますが、ではだれが彼を攻撃したでしょうか? 注意したり協力を求めたりするのを攻撃というのでしょうか。攻撃でないものを攻撃と見、それに対して「反撃」する、二重に無用かつ迷惑な反応です。そしてこれが大きな原因となって生み出されたのがログの山であり、いまの状況です。皮肉なことに、ヌーディズムの記事よりその厖大なノートを読めば、Pohさんについてmiyaさんがご指摘の点を含めて、ヌーディスト(の一端かもしれませんが)がどういう人たちであるか、彼らの意図とは別の意味で理解できます。--みっち 2006年2月14日 (火) 03:14 (UTC)[返信]
まず、miyaさんへ。Pohさんについては一貫して「まず結論ありき」の主張です。それは「UVA氏が違法行為を行い勧めている」というものであり、基本的にPohさんは全ての議論をここへ帰結させようとしているようです。その真偽については、私の立場からはコメントを控えさせていただきたいのですが、Maris stellaさんという、ヌーディズム全体を懐疑的な視点で捉える編集者の登場により、PohさんはMaris stellaさんの「ヌーディズム全体に対する批判的な主張」を自らの「UVA氏が主導するヌーディズムに対する批判的な主張」の補強のために利用した、ということは言えると思います。
そもそもPohさんは、ご自身が述べられているように、ヌーディズム賛美の姿勢は一切取っていません。おやんずさんの権利獲得への動きについて「筋」である、とは看做されていますが、おやんずさんの主張されるヌーディズムそのものについては、少し距離を置いた発言に終始していると思います。ご自身のことをヌーディストだと宣言されたこともありません。そして、ヌーディズムを、というより、UVA氏の広めた活動スタイルを「スクラップ」することが自らの「使命」であることを公言されています。以上のことを考えるなら、Pohさんは意図的に「日本のヌーディズム活動全体の印象を悪くしている」可能性もあります。おやんずさんと同調しているのは「親おやんず」としてよりむしろ「反UVA」としての面が大きいのかもしれません。ただし、こればかりはご本人に確認する以外ないのですが…。
そして、みっちさんへ。ここでの対立はみっちさんが以前ご指摘のとおり、果てしないリソースの無駄しか生み出せないと思います。ということは、きっと誰もが満足できる答えは存在しないのでしょう。その点で「数年以上のスパン」という考え方には説得力があると感じました。現状では拙速に答えを決めるべきではない、ということなのだと思います。
ご反論は謹んで受けさせていただきます。一点だけ申し上げるならば、私の文章で「」付きの「攻撃」としたのは、それが一般的な攻撃という言葉の定義に比べ異質だからです。今回の場合、おやんずさんにとっての「攻撃」とは ①ヌディテさんがヌーディズムについて発言すること ②第三者がヌディテさんの主張の一部でも支持する意見を述べること ③自分を無視して議論が進行すること ④これらの状態に陥った後、他者から自らの非を指摘されること が該当します。これらを「攻撃とは違う」とおやんずさんに指摘することもまた、彼にとっては「不当な『攻撃』」と看做されてしまいます。だから難しいのです。ことおやんずさんに限って言えば「対話のためのブロック」という考え方自体、適合しないのだと思います。これらの条件がない限りは、おやんずさんも何も動いてこないのですが、たいていはそう分析されることもなく、騒動が泥沼化していきます。
ただし、私は今回の流れにも「断ち切るポイント」があると感じておりました。ここでも何度も述べているのですが、おやんずさんの行動は、必ず誰かの「おやんずさんの思惑に反した言動」によって引き出されるため、コトが大きくならないうちに、その言動を封じることで対立を緩和させる、そんな意図をもって議論に参加しておりました。それも今となっては無駄な努力でした。--ひで。 2006年2月14日 (火) 05:30 (UTC)[返信]

世代による受け止め方

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ここで自説の開陳をするのもちょっとアレなんですが話の流れで思うところを書いておきます。

私ぐらいの世代ですと、ヌーディズムを知るよりも先に60年代後半のヒッピーカルチャーの中でのフリーセックスを含む裸体生活であるとかストリーキングであるとか、前衛演劇での裸体表現であるとか、そういった部分から公衆の面前での裸というものに触れてしまった世代な訳でして、こと日本においてはそういった過激な報道であるとか雑誌での興味本位の取り上げられ方をする前に思想としての本流のヌーディズムが浸透していなかったことが不幸だったのではないかと考えて居るんです。そういったサブカルチャーを追いかけていた後からヌーディズムを知った訳なんですが、私のような40代より上の世代ですと似たような意見を持つ方は多いのではないかと思います。当然本流のヌーディストは同一視されたくないだろうし関連した記述をしようものなら徹底した反発をするでしょう。

その下の30代より若い世代ですとそういった先入観もさほどないでしょうから本流のヌーディズムの主義主張というのも受け入れやすいと思うんですが、仮に上記のサブカルチャー、ヒッピーカルチャー系の時代に生きてきた指導者の世代がいるとしたら、それは国内の事情に影を落とす事になるんじゃないかと考えています。(個人的にはヒッピームーブメントの時代に本流のヌーディズムはどう対処したのか興味深いんですが、おそらく日本語での文献にあたることは困難でしょう)

その当時の「アングラ」に影響を受けた世代としては一般人(の特定の世代)がヌーディズムを見る目というのはそういった「アングラ」の延長のような気がして居るんです。その辺に配慮した記述が可能なのかどうかは判りませんが、60年代後半から70年代前半のカルチャーと一線を画すような記述はどこかの時点で必要になるような予感がしています。国内でのヌーディズムの派閥争いを見るときにこの部分を頭に入れておくと行動様式が読みやすいと個人的には考えています。

以下は独り言ですが、ヌーディズムは気候風土と直結した活動だと私的には理解しているのですがヨーロッパや北米でのそれと日本の気候風土での活動とは同一なものになりえるのでしょうか・・?このあたりに日本での普及が阻害されてきた原因の一つがあるように思って居るんですけどね。--Lcs 2006年2月14日 (火) 00:57 (UTC)[返信]

興味深いお話、ありがとうございます。Lcsさんのご説明は、日本におけるヌーディズムの実情が理解しやすいと思います。気候風土の話でいえば、ヨーロッパにおいてもイベリア半島とスカンジナビア半島とでは大きく異なるわけですが、スペインにもフィンランドにも、それぞれヌーディズムは存在するわけです。私はむしろ、文化・信仰面における差異ではないか、と感じています。具体的に問われると困りますが、何となくそう感じているところです。--ひで。 2006年2月14日 (火) 05:39 (UTC)[返信]

お気持ちは分かるんですが、一応自治権が認められているとは言え利用者ページも公共(公開)の場所ですから、「独断」とかいう個人批判を書かないようにお願い致します。「言いたいことは山ほどある」のでしたら、私の会話ページにでもどうぞ。--Nudité d'Europe 2006年3月14日 (火) 00:17 (UTC)[返信]

ご指摘の件、「個人批判」のつもりで記述したつもりはありませんが、結果的にご気分を害されたご様子で大変申し訳ございませんでした。ご指摘を受け表現については全面的に修正させていただきます。ただしToki-ho氏の呼びかけ後もNudité d'EuropeさんとPoh氏が編集を続けられていた点についての記述はさせていただきます。「山ほどある」言いたいことについても、発言することで無用な議論の呼び水となるのなら、それは本意ではありませんので、現状を考えれば私の方で自粛させていただく以外にありません。ご配慮はありがたいのですが、どうか当方の事情をご理解くださいますよう、お願いいたします。--ひで。 2006年3月14日 (火) 00:32 (UTC)[返信]

いつものことですし、特に気分を害した訳ではありませんし、多少はけ口のようなページがあってもいいと思いますし、ひでさんもこれまで大変な気苦労されて来た訳ですし、私も大胆なことばかりやっている訳ですし、でも私だっていろんな人の「独断」と闘っている訳ですし、それに「ウォッチリスト」なんて便利なものがあるので誰のどんな些細な言動も見逃さないようにしている訳ですし、まあ何にせよ良い事典作りに励んで行きましょう。--Nudité d'Europe 2006年3月14日 (火) 01:31 (UTC)[返信]