別所町 (さいたま市)
■別所町 | |
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北緯35度57分17.5秒 東経139度35分51.0秒 / 北緯35.954861度 東経139.597500度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市 |
区 | 北区 |
人口 | |
• 合計 | 6,028人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
331-0821[2] |
市外局番 | 048[3] |
ナンバープレート | 大宮 |
※座標はさいたま市立大宮別所小学校の位置 |
別所町(べっしょちょう)は、埼玉県さいたま市北区の町名。現行行政地名は別所町のみ。丁目を持たない単独町名である。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は331-0821[2]。本項では、別所町の前身である大字大谷別所(おおやべっしょ)や、かつて同地域に存在した別所村(べっしょむら)→大谷別所村(おおやべっしょむら)についても述べる。
地理
[編集]さいたま市北区北部の概ね大宮台地上に位置する。吉野町・宮原町・奈良町、上尾市西宮下・同栄町・同向山・同大字大谷本郷と隣接する。町域の概ね西端を鴨川が流れる。また、逆川が台地を開析しながら流れ、奈良町との境界を成している。全体的に市街化区域に指定されている[5]が、鴨川付近が市街化調整区域に指定されている。地内の土地利用は主に住宅地で、生産緑地地区が地内に点在する[5]。
地価
[編集]住宅地の地価は、2021年(令和3年)1月1日の公示地価によれば、別所町17番7の地点で11万8000円/m2となっている[6]。
歴史
[編集]もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する別所村で、古くは水判土荘に村域が属していたと云われている[7]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では207石余(田96石余、畑90石余、山高20石余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では257石余であった[7]。助郷は中山道上尾宿に出役していた[7]。化政期の世帯数は37軒で、村の規模は東西10町余、南北18町余であった[7][8]。
- 初めは幕府領、1624年(寛永元年)より知行は旗本柴田氏[7]。なお、検地は元禄2年に実施[8]。
- 1698年(元禄11年)より再び幕府領、1701年(元禄14年)より知行は旗本春日氏[7]。
- 1828年(文政11年)より上尾宿寄場64か村組合に所属[7]。
- 幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、春日半次郎の知行[9]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、郡内に同名の村(現・さいたま市南区別所および同市西区大字指扇領別所)が所在したことから、大谷を冠称して大谷別所村となる[7]。
- 1883年(明治16年)7月28日 - 地内に日本鉄道の第一区線(現・JR高崎線)が開通する。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、加茂宮村・吉野原村・奈良瀬戸村・大谷別所村が合併し、宮原村が発足。大谷別所村は宮原村の大字大谷別所となる。
- 1940年(昭和15年)11月3日 - 大宮町・三橋村・日進村・宮原村・大砂土村が合併し、大宮市が発足[10]。大宮市の大字となる。
- 1960年(昭和35年)11月1日 – 町名地番変更により、大字大谷別所の大部分から別所町が成立[11]。その後残る大字大谷別所の部分も編入。
- 1964年(昭和39年)1月7日 - 一部を施行区域に含む大宮市北部土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[12]。
- 1973年(昭和48年)10月26日 - 大宮市北部土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[12]ことに伴い、地番変更が行われる。
- 1974年(昭和49年)
- 6月9日 - 地内に大宮市立別所小学校(現・さいたま市立大宮別所小学校)が 大宮市立宮原小学校(現・さいたま市立宮原小学校)内の仮校舎より移転する。
- 9月1日 - 大宮市と上尾市との境界変更を実施、上尾市大字西宮下の一部を別所町へ編入し、別所町の一部を上尾市側へ編入する[13][14][7]。これにより該当区域に居住する2世帯4人が大宮市へ移る。
- 1993年(平成5年)12月14日 - 一部を施行区域に含む別所・西宮下土地区画整理事業の事業計画決定が告示される[12]。
- 1998年(平成10年)12月25日 - 別所・西宮下土地区画整理事業の進捗に伴い、大宮市と上尾市の境界変更を実施[15]。
- 2000年(平成12年)3月24日 - 別所・西宮下土地区画整理事業の換地処分が前日に行われた[12]ことに伴い、地番変更が行われる。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市が合併し、さいたま市が発足。同市の町名となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行し、同市北区の町名となる。
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
別所町 | 2,513世帯 | 6,028人 |
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[16]。
区域 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | さいたま市立大宮別所小学校 | さいたま市立宮原中学校 |
交通
[編集]鉄道
[編集]東部を東日本旅客鉄道(JR東日本)高崎線が南北に通るが駅はない。最寄り駅は同線宮原駅で、別所町17番7の地点からおよそ1.8 kmの位置にある[6]。宮原駅 - 上尾駅間に新駅を設置する構想がある[17]が、設置に向けた具体的な動きは今のところない。
道路
[編集]- 埼玉県道164号鴻巣桶川さいたま線(旧中山道)
- 吉野原今羽線
- 奈良別所通り
- しらかば通り
地域
[編集]公園・緑地
[編集]- 別所公園
- 東公園
- 小山公園
- 庚申公園
- 滝宮公園
- 別所北公園
- 別所住宅公園
- 神明公園
施設
[編集]- さいたま市立大宮別所小学校
- 埼玉県警察本部分庁舎
- 別所団地
- 大宮別所住宅
- 別所町自治会館
- 別所住宅集会所
- 別所団地自治会館
- 大宮さくら保育園
- 光照寺
- 長福寺
- 八雲神社
- 別所稲荷神社
- 二道院一念寺
脚注
[編集]- ^ a b “さいたま市の人口・世帯(時系列結果)”. さいたま市 (2017年9月5日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ a b “埼玉県 さいたま市北区 別所町の郵便番号 - 日本郵便”. www.post.japanpost.jp. 2021年7月14日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ “住居表示実施地区一覧” (PDF). さいたま市 (2019年2月26日). 2019年11月21日閲覧。
- ^ a b 外部リンク節の『さいたま市地図情報』を参照。
- ^ a b “鑑定評価書”. www.land.mlit.go.jp. 2021年7月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 765頁。
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 別所村.
- ^ 「旧高旧領取調帳データベース」の検索結果も参照。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 1420頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』 963頁。
- ^ a b c d さいたま市土地区画整理事業一覧表 (PDF) - さいたま市
- ^ 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市、1997年3月31日、117-123頁。
- ^ “統計あげお 平成30年版 第1章 土地・気象” (PDF). 上尾市. p. 4 (2019年5月30日). 2019年11月23日閲覧。
- ^ “上尾の都市計画 2019 8 資料編”. 上尾市. p. 37 (2020年1月14日). 2020年5月27日閲覧。
- ^ “さいたま市立小・中学校通学区域一覧”. さいたま市 (2017年8月23日). 2017年9月20日閲覧。
- ^ “平成22年6月定例会-07月27日-06号 P.440 四十八番(鈴木弘議員)”. 埼玉県議会 (2010年7月27日). 2019年11月23日閲覧。
参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 旧高旧領取調帳データベース
- 「別所村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/45。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]上尾市向山 | 上尾市西宮下 | 上尾市栄町 | ||
上尾市大字大谷本郷 | 吉野町 | |||
別所町 | ||||
奈良町 | 宮原町 |